Archive for category 世代

Date: 8月 4th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その3)

迎合しない昭和の男の趣味だ、と一度書いて直したのには、いくつかわけがある。

まずひとつは迎合しない昭和の男としてしまうと、
昭和の男が全員迎合しないとも受け止められるかもしれないから、
平成の男でも迎合しない人はいるからだ。

それから昭和と区切ってしまうことの、ある種の乱暴さは私も感じている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いて、
こまかく説明していこうとも思っていたが、それでも誤解する人はするからやめた。

にも関わらず、ここで結局は書いてしまっている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、というのは私の本音である。

くどいようだが、昭和の男がみな迎合しない、といっているわけではない。
迎合しない男で昭和の男の趣味だ、ということだ。

昭和といってしまうと昭和生れ、昭和育ちということか、となる。
昭和気質とでもいったらいいのか。
そういう意味も含めての、昭和の男である。

こんなことを書くと、
若い人たちがオーディオへ興味をもつことの障壁となるのでは? と思われる方もいよう。
そうだろうか、と私は思っている。

物分りのいい人ぶっている知人がいる。
ことさら若者に対して理解を示そうとする。

すこし厳しいことをいおうものなら、
「そんなこといまの若い人にいったらだめですよ」とか、
そんなことを返してくる。

「若いオーディオマニアにはやさしくていねい親切、わかりやすくおしえてあげない、と」
ともいってくる。

そういう男は、「あげる」という言い方をよくする。
こういう物分りのいい人ぶっている男が、私はとにかく嫌いだ。

私にいわせると、こういう物分りのいい人ぶっている男こそが、
オーディオをだめにしている(オーディオに限らないと思う)。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その2)

こんなことを書き始めたのにはきっかけみたいなことがある。
ひとつは5月に開催されたOTOTENでのダイヤトーンのブース。
ここでの音出しをしきっていたダイヤトーンの社員の方を見ていて、
ステレオサウンドに入ったばかりのころ、こういう感じの人たちが、
オーディオ業界にはいっぱいいたな、と思い出していた。

別項でも書いているように、昭和のおじさんである。
あのころは昭和だったから、昭和のおじさん、とは思わなかった。
けれど平成も来年には30年になる。

平成生れのオーディオマニアもいる、
昭和生れ、平成育ちのオーディオマニアもいる。
ということは、業界の人もいる。

先月下旬、オーディオ仲間で友人のAさんと飲んでいた時に、
そんな時代の、各メーカーの個性ある人たちのことを話していた。

A社のBさん、C社のDさん、E社のFさん、とか。
Aさんが、「A社のBさん、ね」という。

彼は10代の終りごろ、秋葉原にあったオーディオ店でアルバイトをしていた。
そこで、私が会ったことのある人たちと、彼もまた会っていた。

よく「キャラが濃い」という。
あのころの人たちは、キャラが濃かった。

平成生れの人でもキャラが濃い人はいるだろうが、
なにか本質的に違うところがあるように感じてもいる。

数日前に「オーディオは男の趣味であるからこそ(もっといえば……)」を書いた。
そこに、オーディオは迎合しない男の趣味だと書いた。

最初は、迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いていた。

Date: 8月 3rd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その1)

先週の金曜日は、プレミアムフライデーだった。
2月24日から始まったプレミアムフライデーだけど、
2月、3月までは周りに
「今日はプレミアムフライデーだから……(笑)」という人が何人かいたのに、
私の周りでは誰もいわなくなってしまった。

私も7月のプレミアムフライデーは翌日に、昨日は……、と気づいた。

そのプレミアムフライデーが始まる三日前に、
大分から来られたUさんと会っていた。
会うのは初めてだったけれど、
16時半ごろから22時まで、あれこれ話していた。
もちろんオーディオのことがメインだった。

その時に井上先生のことを話した。
私にとって、最初の井上先生の試聴のことを話した。

以前も書いているように、新製品の試聴だった。
担当は先輩編集者のSさん。

試聴の準備を午前中に終えて、
午後からは試聴室で待機していた。
試聴の時はたいてい編集部のあるフロアーではなく、
試聴室のあるフロアーに直接来られる方がほとんどだったからだ。

まだ明るいうちから試聴室で、井上先生が来られるのを待っていた。
Sさんは、相当待つよ、的なことをいわれていた。
それでも……、と思いながら待っていた。

暗くなっても来られない。
記憶に間違いがなければ22時ごろ来られた。

それが当然のように試聴は始まる。
しかもあれこれ使いこなしをやられていく。
試聴が終ったのは、とっくに日付が変っていた。

いま、井上先生のような試聴をする人はいないだろう。
こういう仕事のやり方は、いまは認められないどころか、
ブラック評論家と云われかねないだろう。
こんなやり方を認めていたら編集部も、ブラックということになるであろう。

当時はブラック○○という表現はなかった。
あったとしても、そんなふうにはまったく思わなかったはず。
楽しかった、興味深い時間だったからだ。

それでもいまでは認められない仕事のやり方になるのだろう。
プレミアムフライデーという制度が生れてくるくらいだから。

昭和の時代に、ステレオサウンドで仕事をしていた、ということを、
最近あらためて実感している。

Date: 8月 2nd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(次世代を育てる……)

すべての分野において、次世代を育てていくことが求められている、と思う。
けれど次世代を育てることはできるのだろうか、とも思う。

オーディオという分野、
もっといえばオーディオ評論という世界を眺めてきて感じているのは、
次世代を育てるのは実際のところ無理だった、ということと、
それは次世代ではなく次々世代なのかもしれない、ということである。

現世代が育てられるのは、次世代ではなく次々世代なのかもしれない。
それも育てるのではなく、鍛える、である。

次々世代を鍛える、
それが必要なこと、できることなのかもしれない。

Date: 8月 1st, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その4)

ステレオサウンドの創刊は1966年、
現会長であり創刊者の原田勲氏は、記憶違いでなければ1935年生れ。
31歳のころの創刊である。

瀬川先生も1935年生れ、
菅野先生、長島先生、山中先生は1932年、井上先生は1931年、
岩崎先生は1928年だから、みな30を超えたばかりくらいである。

五味先生は1921年12月だから、44歳。
みな若かった。

作り手だけが若かったわけではない。
そのころのステレオサウンドの読者も、若かった。
もちろん作り手よりも年上の読者もいても、
中心層は作り手側と同じか若い世代だったはずだ。

ステレオサウンドが創刊10年を迎え、20年、30年……といくごとに、
作り手も読者もあわせて歳をとっていく。
これは単なる推測ではない。

ステレオサウンドが三年前に発表した資料によれば、
19才未満が2%、20〜29才が3%、30〜39才が11%で、この世代の合計は16%にすぎない。
のこり84%は40才以上であり、60〜69才が28%といちばん多く、
80才以上も19才未満と同じ2%である。

作り手も歳をとっていく、と書いたが、
歳をとっていく作り手もいれば、編集者は入れ替りが当然あり、
読者やステレオサウンド誌とともに歳をとっているわけではない。

いまのステレオサウンド編集部の平均年齢がいくつなのかは知らないが、
30代から40くらいまでが中心のように感じている。

創刊当時の50年前とは、この点が大きく違ってきている。

Date: 7月 30th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その3)

出版不況といわれているし、雑誌が売れない、ともいわれている。
売れないからだろうか、たとえばMac雑誌。

私がMac雑誌を読みはじめたころは、
Mac Japan、Mac Power、Mac Life、Mac Worldが月刊誌として出ていた。
それから数年後、Mac JapanがMac Japan ActiveとMac Japan Brosに分れた。
Mac Powerの姉妹誌としてMac Peopleが出て、
日経Mac、Mac User、Mac fanも創刊された。

これだけのMac雑誌があり、
コンビニエンスストアでもMac Powerが、
私鉄沿線の小さな駅の売店でもMac Peopleが売られているのを見ている。

それがいまではMac fan一冊のみである、残っているのは。
そういうMac雑誌に比べれば、オーディオ雑誌はまだマシということになるのか。

それでもオーディオ雑誌も売れなくなってきていることは、書店に行けば感じられる。
感じられる、というより、はっきりとわかる。
ながいこと書店でオーディオ雑誌の扱いをみてきた人ならば、わかっていることだ。

よく出版社が発表している発行部数をもとに、いや売れている、と主張する人がいる。
けれど、その発行部数は公称発行部数であって、実際に印刷した部数ではない。

このことを指摘すると、今度は公称発行部数は印刷部数の数倍だから……、という。
だが公称発行部数は印刷部数の何倍とか何倍までしか発表できないわけではない。

実売に近い公称発行部数もあれば、数倍程度の公称発行部数、
中には十倍以上の公称発行部数もある。
公称発行部数では何もわからない。

証明書付き印刷部数を発表している雑誌以外の発行部数は、その程度のものでしかない。
それより書店に行ってみるほうが、確かだ。

もちろんネット通販で買う人がいるのも知っている。
電子書籍版を買う人もいる。
その分だけ書店での扱いが減っただけ、と考えることもできるが、
それだけとは考えられない。

なぜ減っているのか。
オーディオ雑誌だけに限っていえば、
編集者と読者との年齢の差が開きつつあるから、とまずいえよう。

Date: 7月 30th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その2)

数ヵ月前、書店に手にしたオーディオ雑誌に、
「みんな、アニソンを聴いてきた」、
そんなふうなタイトルがつけられていた記事があった。

アニソンとはアニメソングの略である。
ここで書きたいのはアニソンという略称についてではなく、
「みんな、アニソンを聴いてきた」という見出しについて、である。

この記事は、いまおじさんと呼ばれている世代も、
子供のころはアニソンと呼ばれる音楽を聴いていた、というものだった(はずだ)。

確かに聴いていた。
いまではクラシックを聴いている時間がながい私も、
小学生のころからそうだったわけではない。

だから「みんな、アニソンを聴いてきた」という趣旨は、
そのとおりである、と同意しても、その世代の者はアニソンとは呼んでいなかった。

アニメだけを見ていたわけではなかった。
子供向けの番組には実写ものも多かった。

ウルトラマン・シリーズや仮面ライダー・シリーズなどもあった。
これら特撮ものと呼ばれるもの以外の実写ものもあった。

それらの主題歌をすべてアニソンと言い切ってしまうところに、
反撥したくなるし、なにかひと言いいたくなる。

そのころの子供は、アニソンなんて言葉はつかっていなかった。
アニメソングでもなかった。
テレビ主題歌といっていた。

「みんな、アニソンを聴いてきた」の編集者は、若い人なのだろう。
それはそれでもいいのだが、なぜ、周りの、そのころの世代の人たちに確認しないのか。

中には、私と同世代であっても「アニソン、聴いていた」と答える人もいようが、
「聴いていたけど、アニソンとはいわなかったな」と答える人も必ずいる。

ほんのちょっとした手間を省いて、記事をつくってしまっている。
どこか細部をなおざりにしたまま記事をつくっている、という印象を受ける。

自分たちの世代だけの考え・感性だけで、
「みんな、アニソンを聴いてきた」といわれても、
同世代に向けての記事でしかない。

Date: 6月 21st, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(略称の違い・その1)

オーディオ関係のウェブサイトを見ていて、
時代が違うんだな、とか、世代が違うのか……、と感じるのは、
略称においてである。

見出しには文字数の制約がある。
長いブランド名は略されることが多い。
この略の仕方が、違ってきたな、と感じる。

たとえばマークレビンソン。
私がステレオサウンドにいたころは、略するのであればレビンソンだった。
最近、ウェブサイトでよく目にするのは、マクレビである。
レビンソンとマクレビ、文字数の違いは一文字。

レビンソンのほうが、わかりやすいと思うのだが、いまでは違うのだろうか。

それからオーディオテクニカ。
テクニカと略すことはあった。
それにテクニカといえば、オーディオテクニカのことを指していた。
だからオーディオマニア同士の会話でも、テクニカで通用する。

でもこれも最近ではオーテクである。
テクニカとオーテクでは、どちらも同じ四文字。
なぜ、オーテクと略すのか、正直、理解できない。

世代の違い? センスの違い?
なんなのだろうか。

Date: 3月 26th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(中古オーディオ店の存在・その2)

現行製品を扱うオーディオ店も楽しいが、
中古オーディオを扱うオーディオ店には、別の楽しさがある。

それは人によって少し違ってくるかもしれないが、
中古オーディオ店には、かなり古いモノから、
オーディオが日本でブームだったころのモノ、
比較的新しい製品など、年代の幅は、
その時々の品揃えによって変化するとはいえ、かなり広い、といえよう。

この広さこそが、現行製品を扱うオーディオ店にはない楽しさにつながっている。
今回、ハードオフの吉祥寺店を取り上げたのは、そのことを実感したからだ。

東京にも中古オーディオを扱う店舗は他にもある。
そこを取り上げずに、ハードオフについて書いているのは、
ハードオフ吉祥寺の店舗は、1フロアーだということもある。

階がわかれていないことの楽しさを感じていた。
この規模で、1フロアーだけで実現した中古オーディオ店は、
過去にはあっただろうか。

中古オーディオ店は、同世代のオーディオマニア同士で行っても楽しいし、
世代の違う者同士で行っても楽しい。

同世代であっても、憧れていたオーディオ機器は同じモノもあれば、そうでないモノもある。
この人は、これに憧れていたのか、と思い掛けない一面を知るきっかけになることだってあろう。

世代が違えば、相手が年上ならば、実際のオーディオ機器を前にしてこその話が聞けるだろうし、
若い人が相手であれば、世代が違っても共通することが意外にあることに気づかされるかもしれない。

中古オーディオ店はひとりで行くのもいいが、
親しいオーディオ仲間同士で行くのも楽しい。

いままで中古オーディオを扱っているオーディオ店には何度も行っているが、
こういうことを思ったことは初めてだった。

Date: 3月 14th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(中古オーディオ店の存在・その1)

オーディオがブームだったころ、吉祥寺にはオーディオがいくつかあった。
オーディオガラという、鉄製のプレーヤーキャビネットを製作しているところもあったし、
パルコの地階にはダイナミックオーディオもあったし、ジャズ喫茶も多かった。

住みたい街No.1である吉祥寺(最近の調査ではそうではなくなったようだが)に、
オーディオ店はつい最近までオーディオユニオンだけだった。

今日西荻窪に用があり、吉祥寺まで五日市街道を歩いていた。
いつもなら途中で左に曲り駅に向うのだが、今日は少しまっすぐ歩いた。
するとハードオフが見えてきた。

ハードオフについての説明はいらないだろう。
ハードオフの店舗が少しずつ増えてきたころは、
店舗を見付けては覗いていた。

そのころはオーディオ的には穴場といえるところもあった。
これが、この値段なの? ということが時々あった。
でもここ数年、中古オーディオの価格は、他のオーディオ店と対して変らなくなった。
そうなるとハードオフから足は遠ざかる。

理由はオーディオ機器の扱いがぞんざいだからだ。
他の中古オーディオ店がていねいに扱っていると見えるほどに、
ハードオフの扱いはぞんざいだった。

ハードオフもいくつも店舗があるからすべての店舗がそうであるとはいわないが、
少なくとも私が行ったことのある店舗はすべてぞんざいとしか思えなかった。

けれど吉祥寺にできたハードオフ オーディオサロンは、違っていた。
だから、ここで書いている。

まず建物が新しい。
三階にオーディオサロンがある。
店舗が広いから、ゆったりと展示してある。

これまでのハードオフのぞんざいな扱いではない。
オーディオ機器として扱っている店舗である。

ハードオフという名称を使わない方がいいのでは……、と思ってしまうほど、
他の店舗とは違って見える。

ちょっと心惹かれるモノがいくつかあった。

見ていて、楽しい、と感じていた。
あの人には、こんなモノがあったよ、
また別の人には、これがあったよ、と写真を撮ってメールしたくなる気分になっていた。

オープンして数ヵ月くらいだから、品揃えもいいのかもしれない。
今後、どうなっていくのかはなんともいえないが、
少なくとも吉祥寺にオーディオの活気が戻ってくるのかもしれない、とは思える。

Date: 1月 21st, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その3)

お詫びと訂正。

その1)でIt’s a Sony展でのH型テープレコーダーのリールの取りつけ方が間違っている、と書いた。
けれど現在の展示は正しい取りつけ方だということがわかった。

通常のオープンリールデッキのリールの回転は反時計回りである。
このことが頭にあったので、取りつけ方が間違っていると思ってしまった。
けれどH型テープレコーダーは、左側のリールは通常と同じ反時計回り、
右側のリールは時計回りという設計だそうだ。

つまり右側(巻き取り)側のリールには、
磁性粉が塗布されている面が外側にくるようにテープが巻かれる。
実はもしかすると時計回り? と一瞬思ったが、そうすると通常とは反対の巻き方になる。
そのままでは次の再生には使えない。
だから時計回りという可能性を、何も確認せずに排除して(その1)を書いてしまった。

ここにお詫びと訂正をしておく。

ただ11月にIt’s a Sony展が始まった時点では、
左右のリールともテープが巻かれている状態で、間違った状態での展示だったことも確認できた。
誰からの指摘があったのだろう、いまは正しい展示になっている。

それにしてもH型テープレコーダーは、なぜ右側のリールを通商とは逆の回転にしたのだろうか。
H型テープレコーダーで再生したら、巻き戻さなければならない。
使い手にそういう手間をかけさせても、技術的な、何からのメリットがあったからこそ、
ソニーは右側のリールを逆に回転させたのだろう。

結果として(その1)で間違ったことを書いてしまい、
その点は反省しているが、
でも書いたことによってH型テープレコーダーの特徴を知ることができた、ともいえる。

同時に(その1)を書いた二日後にKK適塾の三回目があったこともあり、
「安」という漢字と、ここでのテーマで世代について考えることもできた。

Date: 1月 20th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その2)

きくところによるとIt’s a Sony展でのH型テープレコーダーの展示は、
いまはまだいいほうらしい。
It’s a Sony展が始まったばかりのころは、
巻き取り側リールにもテープがいっぱいに巻かれていたそうだ。

つまり左右ふたつのリールともテープがいっぱいに巻かれていた状態だったらしい。
これはあくまでもきいた話で確認をしたわけではない。
もしかした間違っているかもしれない。

でも仮にそんな展示をしていたとしたら、いまの展示は誰かからの指摘があって、
あるところまでは正した、ということだろう。
それでも、あの状態なのか。

こんなことをねちねちと書いているのは、ソニーが憾みがあってことではない。
今回はたまたまソニーだった、というだけのことだ。

他のオーディオメーカーが、It’s a Sony展のようなことをやったとき、
似たようなミスをやらかさないと自信をもっていえるだろうか。

十年ほど前か、あるオーディオ関係者から聞いている。
古くからのオーディオ・ブランドが、いわゆる投資会社に買収された。
海外のメーカーで、誰もが知っているブランドである。

それまでは新製品の発表や、日本でのオーディオショウの際に来日するスタッフは、
自社製品のことを、そして自社の歴史のこともきちんとわかっている人ばかりだった。
だから古いモデルの、こまかなことを質問してもきちんとした答えが返ってきたそうだ。

それが買収されてからは、来日するのは買収先から派遣されている人ばかりで、
彼らは会社の規模や業績といった、
経済誌が記事にするようなことはことこまかに説明してくれても、
こちらが訊きたいこと、つまりオーディオ詩が記事にしたいことはまったく知らないそうだ。
製品のこと、歴史のことは知らない。せいぜいが新製品についてだけだそうだ。

どこかに買収されたからといって、すべてがこうなるとは限らない。
でもそうなる可能性はある。
買収されなくとも、世代が変っていくごとに失われていく何かがあるのだろう。

今日のKK適塾の三回目で、川崎先生が「安」という漢字について話された。
だから、これを書いた。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その1)

上京したばかりのころ、行きたいところはいくつもあった。
秋葉原もそうだったし、銀座のソニービルのそのひとつだった。

昔は銀座に行けば、かなりの頻度でソニービルに寄っていた。
この十数年はめったに寄ることはなかった。

ソニービルも老朽化のため建替えになる。
2月12日まで、カウントダウンイベントとして「It’s a Sony展」を行っている。

まだ行ってないが、
インターネットのニュース系サイトGigazineで取り上げられていた。

この記事を読んでいて、スクロールする指が止った。
H型テープレコーダー(1951)のところで止った。

オーディオマニアならば、この写真を見てすぐにおかしいと感じる。
何がおかしいのかはあえて書かないが、
いまのソニーには、どこがおかしいのかがわかる人、
つまりオープンリールデッキの正しい扱い方を知っている人がいないようである。

わからなかったら、社内の誰か、わかっている人に訊ねることもしないのだろうか。
展示だから、この程度でいい、という判断なのだろうか。

いまの、それがソニー(It’s a Sony)なのか。

(2017年1月21日追記)
ソニーのH型テープレコーダーに関して、私の知識不足ときちんと確認せずに書いてしまった。
11月の開始時点では正しくなかったリールの取りつけは、
上記リンク先の写真が正しい。
このことは(その3)で書いている。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 世代
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世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その1)

ヘッドフォン、イヤフォン市場は活況のように見える。
ヘッドフォン祭に行くけば、若い人たちが多い。
家電量販店でもヘッドフォン、イヤフォンのコーナーは広かったりする。

このことについてよくいわれるのが、
ヘッドフォン、イヤフォンで音楽を聴いている人たちの一部でもいいから、
スピーカーで音を聴くことに目覚めてくれれば……、といったようなこと。

若い人たちは、スピーカーではなくヘッドフォン、イヤフォンで聴く、とはいわれている。
スピーカーは置き場所を必要とするし、住宅状況からいってもスピーカーを買う人は少なくなっている。
──そんなふうにいわれているけれど、そうなのだろうか。

私が若かったころも、住宅状況はよくなかった。
若者の独り暮しで、広い部屋に住んでいるのは、私のまわりにはいなかった。
さほど、この点に関しては変わらないのではないだろうか。

なのになぜ、いまはスピーカーで音楽を聴く人が減っているのか。
いくつかの理由があるはずだが、そのひとつに、
スピーカーの音が嫌いな人たちが増えてきたためではないか、と思っている。

好きな音楽をいい音で聴きたい。
そういう人は今も昔もいる。
けれどいまはスピーカーの音が嫌い、という人たちの割合が増えてきたのかもしれない。

スピーカーの音を嫌う人は、昔もいた。
昔からスピーカーではなく、ヘッドフォンだけ、というマニアがいた。
でも少数派のように見えた(実際そうたったと思う)。

このスピーカーの音を嫌う人たちの存在が顕在化したのは、
1980年代にはいり、いわゆるプレナー型スピーカーがいくつか登場したからだろう。

スピーカーの音が嫌いでも、いい音で聴きたい。
スピーカーの音が好きで、いい音で聴きたい。
どちらもいるわけだ。

私ははっきりとスピーカーの音が好きで、である。

ほんとうにスピーカーの音を嫌う人たちが増えているのかどうかは、まだはっきりしたわけではない。
でもそうであったとしたら……。
その人たちはスピーカーで聴くようには、まずならないのではないか。

Date: 11月 13th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その15)

別項でヴィンテージをテーマにして書いている。
これから先、どう書いていくのかほとんど決めていないが、
それでもヴィンテージをテーマにして、JBLの4301について書くことはない。

4301が登場してそろそろ40年になる。
かなり古いスピーカーではある。
けれど、4301はヴィンテージスピーカーと考えたことは、これまで一度もなかった。

なのにこんなことを書いているのは、
ネットオークションに4301が出品されていて、
そこにはヴィンテージの文字があったからだ。

オークションだから、売り手はできるだけ高く売りたい。
売り文句としてヴィンテージなのかもしれない。

それとも売り手は、本気で4301をヴィンテージスピーカーと思ってるのだろうか。
そして、それを見た人の中にも、4301をヴィンテージスピーカーと捉えてしまう人がいるのか。

4301をヴィンテージと呼ぶ人が、どういう世代なのかはわからない。
私と同じ、もしくは上の世代であれば、4301をヴィンテージとは呼ばないだろう。

4301が製造中止になって十年以上経ってからのオーディオマニアなのだろうか。
だとしても、だ。
私がオーディオに興味を持つ以前の、4301よりもずっと古いスピーカーで、
4301的位置づけのスピーカーを、ヴィンテージとは捉えない。

売らんかなだけの商売。
そこで使われる「ヴィンテージ」。
それがつけられてしまう4301(オーディオ機器)。
時代の軽量化を感じてしまう。