Date: 8月 4th, 2017
Cate: 世代
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世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その3)

迎合しない昭和の男の趣味だ、と一度書いて直したのには、いくつかわけがある。

まずひとつは迎合しない昭和の男としてしまうと、
昭和の男が全員迎合しないとも受け止められるかもしれないから、
平成の男でも迎合しない人はいるからだ。

それから昭和と区切ってしまうことの、ある種の乱暴さは私も感じている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いて、
こまかく説明していこうとも思っていたが、それでも誤解する人はするからやめた。

にも関わらず、ここで結局は書いてしまっている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、というのは私の本音である。

くどいようだが、昭和の男がみな迎合しない、といっているわけではない。
迎合しない男で昭和の男の趣味だ、ということだ。

昭和といってしまうと昭和生れ、昭和育ちということか、となる。
昭和気質とでもいったらいいのか。
そういう意味も含めての、昭和の男である。

こんなことを書くと、
若い人たちがオーディオへ興味をもつことの障壁となるのでは? と思われる方もいよう。
そうだろうか、と私は思っている。

物分りのいい人ぶっている知人がいる。
ことさら若者に対して理解を示そうとする。

すこし厳しいことをいおうものなら、
「そんなこといまの若い人にいったらだめですよ」とか、
そんなことを返してくる。

「若いオーディオマニアにはやさしくていねい親切、わかりやすくおしえてあげない、と」
ともいってくる。

そういう男は、「あげる」という言い方をよくする。
こういう物分りのいい人ぶっている男が、私はとにかく嫌いだ。

私にいわせると、こういう物分りのいい人ぶっている男こそが、
オーディオをだめにしている(オーディオに限らないと思う)。

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