世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その3)
迎合しない昭和の男の趣味だ、と一度書いて直したのには、いくつかわけがある。
まずひとつは迎合しない昭和の男としてしまうと、
昭和の男が全員迎合しないとも受け止められるかもしれないから、
平成の男でも迎合しない人はいるからだ。
それから昭和と区切ってしまうことの、ある種の乱暴さは私も感じている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、と書いて、
こまかく説明していこうとも思っていたが、それでも誤解する人はするからやめた。
にも関わらず、ここで結局は書いてしまっている。
オーディオは迎合しない昭和の男の趣味だ、というのは私の本音である。
くどいようだが、昭和の男がみな迎合しない、といっているわけではない。
迎合しない男で昭和の男の趣味だ、ということだ。
昭和といってしまうと昭和生れ、昭和育ちということか、となる。
昭和気質とでもいったらいいのか。
そういう意味も含めての、昭和の男である。
こんなことを書くと、
若い人たちがオーディオへ興味をもつことの障壁となるのでは? と思われる方もいよう。
そうだろうか、と私は思っている。
物分りのいい人ぶっている知人がいる。
ことさら若者に対して理解を示そうとする。
すこし厳しいことをいおうものなら、
「そんなこといまの若い人にいったらだめですよ」とか、
そんなことを返してくる。
「若いオーディオマニアにはやさしくていねい親切、わかりやすくおしえてあげない、と」
ともいってくる。
そういう男は、「あげる」という言い方をよくする。
こういう物分りのいい人ぶっている男が、私はとにかく嫌いだ。
私にいわせると、こういう物分りのいい人ぶっている男こそが、
オーディオをだめにしている(オーディオに限らないと思う)。