Archive for category ケーブル

Date: 10月 30th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その14)

1980年代後半あたりだったはずだが、
音楽之友社発行のステレオ、レコード芸術で、金子英男氏の自作ケーブルがよく取り上げられていた。

いつごろから始められたのかははっりきと憶えていないし、
どういう形で始められたのかも記憶していない。

最初は市販のケーブルにブチルゴムを巻くことから始められたのかもしれない。
その後世代を重ねて、銅箔を使ったケーブルも自作されていたはずだ。

ブチルゴムの積層もだんだん増えていっていた。
その分だけケーブルは太くなっていく。

なぜ金子氏はブチルゴムをケーブルに巻かれたのか。
振動対策であることは明白であり、
より徹底した振動対策を、ということでブチルゴムはそれ以前よりも多く巻かれていくことになっていた。

ご存知の方もおられるだろうが、一時期、黒田先生も金子式ケーブルを使われていた。
そのころ、きたなオーディオ(汚いオーディオ)という言葉も使われるようになっていた。

音をよくするためには手段を選ばない、
外観も気にしない、
そのことを戒める意味もあっただろうし、揶揄する意図もあったのではないだろうか。

金子式ケーブルも、きたなオーディオのひとつだと受けとめられていた。
そのことは黒田先生もご存知だった。
それでも、金子式ケーブルを使われていた。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その13)

それがどういうことなのかはもう忘れてしまった人でも、
右ねじの法則という言葉はうっすら憶えているのではないだろうか。

このブログをお読みの方は当然インターネットに接続されているわけだから、
右ねじの法則の詳しいことについては、検索してみてほしい。

とにかく導線に電流を流せば,その周囲に磁界が発生する。
この磁界がケーブルの振動発生へとつながっていく。

ケーブルに信号を流せばわずかかもしれないが、振動を発生している。
オーディオケーブルの中でもっとも大きな信号が流れるスピーカーケーブルの外被を触ってみたところで、
実感できる振動を感じることはできない。

振動が発生することはわかっていても、ほんとうに振動しているのだろうか、とも思う。

もう20年くらい前のことだが、
ある仕事でビルの変電設備に入ったことがある。
そこにはいまどきのスピーカーケーブルよりもずっと太くて硬いケーブルが使われていた。

芯線の一本一本もちょっとしたスピーカーケーブル並の太さで、
外被も硬くても重たい感じのする材質が使われている。
こんなケーブルを鞭代わりになぐられようものなら、
肋骨くらいは簡単におれてしまうそうな、そんな感じのするごついケーブルである。

そんなケーブルでも変電設備で使われている電流が流されると振動している。
ケーブルをにぎってみると、しっかりと振動が伝わってくる。
かなりのレベルの振動である。こんなにも振動しているのか、と思うほどである。

このとき、やっぱりケーブルは振動しているものだと確認できた。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その12)

比較的新しいパワーアンプを使っているかぎり、
市販されているスピーカーケーブルの多くは末端処理を特別にすることなく、
そのまま接続できる、といっていいだろう。

それでも、世の中にはわざわざ末端処理をする人もいる。
そのままスピーカーケーブルをスピーカー端子に挿し込んでぎゅっと締めればいいのに、ラグを使っている。

どんなラグであれ、ラグを使えれば、そのキャラクターが必ず音としてあらわれる。
見た目がごついラグであればあるほど、キャラクターは強く出る傾向にあるともいえる。

時には、そういうキャラクターを必要とする場合もある。
とはいえ、この手のキャラクターは、どんな音にものってくる。
うまく効果的に作用してくれるのであればいいけれど、
邪魔になる、耳につくことも多い。
キャラクターは、のる音を選ばない。

個人のシステムであれば、そのシステムの所有者がそれで満足していれば、とやかくいうことではない。
けれどステレオサウンドの試聴室は、そういうところではない。
オーディオ機器をテストする場であるから、この手のキャラクターはときにテストの邪魔になる。

もちろんどんなものにもキャラクター(固有音)はあるから、ゼロにはできないのはわかっている。
わかっているからこそ、できるだけ特徴的なキャラクターは避けるように配慮していた。

その点、いまは楽であろう、と思ってしまう。
末端処理に特に気を使う必要はないはずだから。

とにかく、スピーカーケーブルはある時期から太くなっていった。
スピーカー端子もそれに対応していった。
もっともパイオニアのExclusive M5、スタックスが探梅していたスピーカー端子は、
かなり早い時期から太いケーブルへ対応していた。

スピーカーケーブルが太くなった。
太くなったということは、スピーカーケーブルが重くなった、ということでもある。

Date: 9月 25th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(理想のケーブルとは)

別項「日本の音、日本のオーディオ」の(その31)、(その32)、(その33)にて、
イソダケーブルについてふれている。

イソダケーブルは、単一導体の純度を追求する方向とは異るアプローチをとっている。
どちらが正しいのかは、いまのところなんともいえないし、
これから先も、どちらが正しいと決めることは、おそらくできないはずだ。

ただ思うのは、超伝導(超電導)のことである。
1980年代の後半ごろから、高温超伝導がニュースになるようになった。

よく知られるように金属を非常に低い温度まで冷やしたときに、
電気抵抗がなくなる(0になる)。
それまでは絶対零度近くまで冷やすものだったのが、
それよりもずっと高い温度(それでも人間の感覚からしたら非常に低い温度)で超伝導が起る物質が発見された。

それからしばらくは超伝導に関するニュースが続いたように記憶している。
超伝導が起る温度がどれだけ上ったとか、競争が活発になっていることを伝えていた。

これらの超伝導の物質は、基本的には化合物である。
混ぜ物である。
純度を極端に高めた単一素材ではない。

電気抵抗が0になるのが、オーディオ用のケーブルの理想なのかどうかも、
いまのところはっきりとはいえない。

それでも理想に近付くのだとすれば、
それも化合物が高温超伝導、さらには室温超伝導を実現するのであれば、
オーディオのケーブルも、純度の追求だけが正しいのではなく、
合金(化合物)ケーブルの方向も正しいのではないのか、と思う。

Date: 8月 9th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その3)

ケーブルを換えると音は変る。
どの箇所のケーブルを換えても音は変る。

夢中になる時期は誰にでもある、と思う。
たとえばある時期、コントロールアンプとパワーアンプ間のラインケーブルを集中して、
いくつものケーブルを聴いたとする。
そして、ひとつの、ぴったりのケーブルが見つかった、としよう。

どういうケーブルを集めてくるかによっては、
大同小異のときもあるし、ひとつだけとびぬけて良く聴こえてくるモノもある。

そういうとびぬけて良く聴こえてきたケーブルに気を良くして、
友人のオーディオマニアにも教えようと、その彼のところに持っていく。

そこでも同じような結果が得られることもあれば、そうでないこともある。
アンプやスピーカーシステムに違いがあれば、必ずしも同じ結果が得られる、とは限らない。

何も誰かのところにもっていかなくてもいい。
複数のシステムを持っている人ならば、
あるひとつのシステムで好結果が得られたケーブルを、
もうひとつのシステムに接続してみても、同じ結果が得られないことは体験されているはずだ。

私もそういう経験がある。
その経験が、いまケーブルを関節だと捉えることにつながっている。

Date: 7月 24th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その2)

ケーブルを、オーディオのシステムにおける関節とするならば、
ラジカセは、ひとつの筐体にカセットデッキ、チューナー、アンプ、スピーカーがおさめられているから、
外付けのケーブルは必要としない。
その意味では関節のないシステムということになり、
だからこそ1パッケージであり、ひょいと片手で持ち運べるし、
セッティングもどこかに置くだけだ。

もちろん置き場所によって音は変化するけれど、
コンポーネント・オーディオ的なセッティングの気難しさは、そこには存在しない。

つまりセッティングの自由度がほとんどないかわりに、
セッティングの面倒からも解放されているわけだ。

以前は、一体型ステレオと呼ばれるものがあった。
これもラジカセと同じつくりであり、ひとつにまとめられていた。
セパレート型ステレオもあった。
スピーカー部だけが独立している。つまりスピーカーケーブルが必要となる。
ここで関節が一箇所(正確には左右チャンネル必要だから二箇所)加わる。

そのことでスピーカーのセッティングの自由度は大きく増すことになる。
それまでは左右のスピーカーの間隔も固定されていた。
スピーカー部がセパレートされたことで、
スピーカーケーブルの長さ次第では、ふたつのスピーカーの間を大きく離せる。

コンポーネント・オーディオとなると、プレーヤー、アンプ、スピーカーと分離される。
また関節が一箇所ふえる。
アンプがセパレート型になれば、また関節が増える。
マルチアンプになれば、関節はまた増える。
今度は一箇所ではなく、パワーアンプの数によって、関節の増設も増えることになる。

オーディオが高性能化(高音質のため)にセパレートされてきたことで、
ケーブルの存在箇所(関節)は増えていった。

さらにレコードだけでなく、ラジオも聴きたい、テープも聴きたい、
CDも聴きたい、ということになると、直列的にではなく、並列的に関節が増えていく。

つまりコントロールアンプの入力端子に接続されるケーブルは、並列的な関節ということになる。

Date: 1月 31st, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その1)

別項で「骨格のある音」について書きながら、
関節のことを考えていたときに頭に浮んでいたのはケーブルのことだった。

オーディオの系の中でのケーブルとは、まさしく関節ということに気がついた。

人は関節があるから体を動かせる。
さまざまなポーズをとることもできる。

こじつけめくが、オーディオもケーブルという関節があるから、
いくつものコンポーネントを組み合わせることができ、
そしてそれらのコンポーネントをかなり自由に配置することができる。

ケーブルという関節がもしオーディオになかったら、オーディオの設置の自由度は極端になくなってしまう。

関節には可動範囲があるから、360度自由に手や足を動かせるわけではない。
ケーブルにも長さ、太さ、硬さなどによる「可動範囲」といえるものがある。

そんなふうに考えていたら、ケーブルのことをジョイントケーブルということもあることを思い出した。
jointは関節、継ぎ目、接合箇所である。

ケーブルは、たしかに関節である。
ならば関節としてのケーブルについて考えていくこともできるはず。

Date: 1月 20th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その11)

スピーカー端子が、Exclusive M5と同等のつくりになってくれれば、
どんなスピーカーケーブルであろうと、当時はしっかりと接続できたわけだが、
そんなことを期待していては、試聴という仕事はできないわけで、
なんらかのスピーカーケーブルの末端処理が必要となる。

私がステレオサウンドにいたころ、スピーカーケーブルはトーレンスのケーブルが標準となった。
これはマークレビンソンのHF10Cとほぼ同等の内容のケーブルで、
被覆の色・硬さに違いがあるくらいである。だから芯線が細く、その数が多く、太いケーブルである。

このトーレンスのケーブルが、
当時、いろいろあったスピーカーケーブルのなかでもっとも音質的に優れていた、というわけではない。
比較的癖の少ないケーブルで、どのようなパワーアンプに接続しても、
アンプの動作が不安定になるようなこともない。
そういう観点から自然と決っていった、といえるものである。

1980年代もなかばにはいると、アクセサリーとして末端処理用の製品がいくつか登場し始めた。
それらのいくつかを試したことは、もちろんある。
けれどどれも試聴室で使うには満足できるものがなく、結局、いくつか試行錯誤した結果、
ある方式に落ち着いた。

私が考えついた、この方式が完璧な末端処理とはいわないものの、
それでも音質的な変化は少なく、ほぼどんなスピーカー端子であっても確実に接続できた。
これは決して自己満足ではなく、
実はあるメーカーの担当者から、スピーカーケーブルの末端処理をどうしているのか、と訊かれたこともある。

井上先生が、その担当者に「ステレオサウンドの宮﨑にきけ」といわれたから、であった。

Date: 1月 20th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その10)

もっともJBLのスピーカー端子のみが、
ユニット全体の規模からしてみるとしょぼく感じていたわけではなかった。
アメリカ製のパワーアンプの多くも、1980年代までは同じであった。

マークレビンソンのML2(ML3は専用のコネクターを使用するタイプ)、
スレッショルド、クレルなど、物量投入型の規模の大きなモデルであっても、
スピーカー端子は、太いスピーカーケーブルを末端処理なしではそのまま接続することは無理だった。

だからステレオサウンドの試聴室で使うスピーカーケーブルには、
なんらかの末端処理が必要となる。
できれば末端処理はしないほうが音の面では有利とはいえ、
当時のクレル、スレッショルドなどに採用されていたスピーカー端子(メーカーは失念してしまった)は、
バナナプラグでの接続も可能としていて、そのためもあってプラスとマイナスの端子は接近した状態だった。

末端処理なしでは芯線がどうしてもばらけてしまう。
しかもプラスとマイナス側の端子が近いため、
気をつけないとばらけた芯線がショートしてしまう危険性もある。

このころパワーアンプの試聴でもっとも気をつかったのが、この点だった。
試聴ではすばやく次の機種に交換しなければならないわけだが、
スピーカーケーブルをショートさせてしまうわけにはいかない。
しかもしっかりとケーブルが端子に接続されていなければならない。

いったいいつ太いスピーカーケーブルをしっかりと接続できる端子が、
スピーカー側にもパワーアンプ側にもついてくるようになるのか、
早く、スピーカーケーブルを楽に接続できるようになってほしい、と思っていた時期もある。

パイオニアのExclusive M5の登場は、だから嬉しかった。
ケーブルの挿込み口3.8×14mmと大きかった。
しかも万力式にがっちりとケーブルをくわえこむ。圧着されている、という感じのするものだった。

Date: 1月 15th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その9)

ベルデンの、オレンジと黒の撚り線タイプのスピーカーケーブルの太さは、
細いわけでもないし太いというわけでもなく、
JBLのユニット、スピーカーシステムに長らく採用されてきたバネ式のスピーカー端子に、そのまま挿入できる。

いまでこそJBLもスピーカー端子を、より太いケーブルを確実に接続できるタイプに変更されているけれど、
1980年代まではコンシュマー用、プロフェッショナル用ともに、バネ式のスピーカー端子だった。

この端子に不満をもつ方は少なくないと思う。
実際、ときどききかれる、「なぜ、こんなショボイ端子なのか」と。

でも、考えてみてほしい。
ランシングが、このバネ式の端子を採用したのはD130からである。
D130の出力音圧レベルは高い。1Wの入力で100dB以上の音圧がとれる。
しかも、この時代のスピーカーユニットだからインピーダンスは16Ωである。

1Wで100dBの音圧ということは、実際の過程における聴取レベルでは、
アンプの出力はもっともっと低くなる。

オームの法則では電力は電流の二乗と負荷インピーダンスの積である。
つまり8Ωよりも16Ωのほうが電流は少なくてすむ。
D130を過程で常識的な音量で鳴らす分には、
それにD130が登場したころの同時代のパワーアンプの出力もそれほど大きいわけではない。

そうするとオームの法則から求められるD130が必要とする電流は、意外にも低い値である。
その電流を充分に流せるケーブルの太さと、その太さのケーブルをそのまま接続できる端子があればいい、
こういう合理的なところからみれば、あの貧弱にみえるバネ式の端子も、
それ以上は必要としない、ということの裏返しでもある、と受け取ることもできよう。

Date: 1月 14th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その8)

この理屈からいけば、スピーカーケーブルは短いほうがいい、ということになる。
けれど実際には、必ずしもそうではない、と菅原氏はいわれた。

全体の長さからすると、ほんのわずかとはいえ短くすることで音は良くなる。
さらに短くするともう少し良くなる。もっと短くすると……、
これをくり返していくと、あるところでよい方向への変化が頭打ちになって、
そこから先は短くすることによって音が悪い方向へと変化していく。
それでもさらに短くしていくと、これまた悪い方向への変化も底打ちになって、
そこからは一転よい方向への変化になっていく……。

ちょうどサインウェーヴのようにプラスとマイナスが交互にやってくるような音の変化をする、という。

中野氏と本田氏による、30mのスピーカーケーブルの、10cm単位での長さの調整は、
ベイシーの菅原氏が経験的に感じられていたことを、
意図的に調整に利用された、ともいえるだろう。

ベイシーにて菅原氏が使われているスピーカーケーブルの銘柄・品種はなにか知らない。
でも極端に太く、高価すぎるケーブルではないはず。
おそらくベルデンのスピーカーケーブルなのだと思う。

Date: 1月 14th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その7)

話は前後するが、トリオの会長だった中野氏と本田氏によるヴァイタヴォックスCN191の調整で注目したいのは、
30mのスピーカーケーブルを10cm単位で調整していった、ということ。

30mは3000cmだから、10cmは割合からいえばほんのわずかでしかない。
にも関わらず、両氏は30mのスピーカーケーブルの長さを10cm単位で調整されている。
1mの長さのスピーカーケーブルを10cm単位で調整するのならばまだしも、
30mのうちの10cmで、そんなわずかなことで音は変らない、という人は常にいる。

けれどオーディオの調整とは、そういうところにも存在しているのは、
そのオーディオ歴の長さではなく、ほんとうに真剣にやってきた人であれば、理解されることのはず。

このことに関係して思い出すのは、
一ノ関のベイシーの菅原正二氏が、やはりスピーカーケーブルについて語られたことである。
ベイシーのスピーカーケーブルが実際にどれだけの長さなのか、私は知らないけれど、
かなりの長さであることはきいている。

菅原氏は定期的に接点のクリーニングを兼ねて、スピーカーケーブルの末端を切り、
新たに被覆を剥いて新しく芯線の露出をやられている。
とうぜん、この作業によってスピーカーケーブルはスピーカー側とパワーアンプ側の両方をやることで、
数cmずつ短くなっていく。

スピーカーケーブルは原則として0mが理想として語られている。
つまりどんなに優れたスピーカーケーブルであってもどんどん短くしていけば、
究極的には(もちろん実際に不可能なことだけど)0(ゼロ)にできれば、
スピーカーケーブルの影響からは逃れられることになる。

Date: 11月 14th, 2012
Cate: ケーブル

期待したいこと

東京新聞のウェブサイトで公開されている記事のなかに、
「ニット技術で絹製血管 細さ1ミリ 血栓防ぐ」というタイトルがあった。

記事によれば、福井の繊維メーカー、福井経網興業が、東京農工大の朝倉哲郎教授と共同で、
絹製人工血管を研究していて、直径1mmの絹製の人工血管の量産に成功した、とある。

特殊な絹を筒状に加工し、その周囲を別の絹でコーティングし血液が漏れない構造で、
それまでのポリエステルなどの人工化合物による人工血管とくらべて伸縮性があり、
血栓ができにくいため極細にでき、さらに蛋白質成分が体内の組織と同化し成長する、とある。

この記事を読んでいて、オーディオマニアの私は、
この絹製の人工血管はそのままオーディオケーブルの被膜に使える、と思っていた。

ケーブルの音は、いうまでもなく芯線の材質、太さ、撚り方などによって変化していくわけだが、
被覆が音に与える影響もまた大きい。

だからいろいな材質が使われてきている。
絶縁特性が優れているから、といって、音がいいとはかぎらない。
絹が使われている例もある。
でも主流は、人工血管と同じく人工化合物である。

被覆も自然素材が音がいい、とは昔からいわれてはいた。
でも使われることはそう多くはない。

けれど、福井経編興業の絹製人工血管が予定どおりの2年後に実用化されれば、
ケーブルの被覆として、すぐにでも採用してほしい、と思う。

実物を目にしたわけでは、もちろんない。
東京新聞の記事を読んだだけである。

それでも、この絹製人工血管がケーブルの被覆として、そうとうに理想的なモノであると確信している。
実用化まであと2年、オーディオのケーブルに採用されるのにはさらにもう少し先のことになることだろう。

オーディオにとって待ち遠しい技術が登場してくれた。

Date: 10月 26th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その6)

スピーカーケーブルでも、ピンケーブルでも、
いつごろから安いものと最も高いものとの価格差が、これほど大きくなってしまったのだろうか。

安いものに関しては、以前よりも安くなっている一方で、
高いものは、記録でも更新するかのように、より高価なケーブルが登場してくる。

価格には下限はあっても上限はないから、
買う人がいるのであれば、これからも価格の記録更新はされていくだろう。

こういう非常に高価なスピーカーケーブルを、
本田氏と中野氏が試されたこと、
つまりスピーカーケーブルの長さを30mにして使う、ということをやったらどうなるのか。

価格的にはとんでもない金額になってしまう。
だが、ここではその金額について、ではなく、
果して、この手のケーブルで、30mの長さにしても安心して使える製品はいくつあるのだろうか、
ということを考えてしまう。

パワーアンプの負荷となるのはスピーカーシステムだけではない。
スピーカーケーブルも含めて、パワーアンプの負荷となる。
スピーカーケーブルの長さが1mと30mとでは、パワーアンプにとっての負荷は変る。
それもスピーカーケーブルの種類によって、その変化も変ってくる。

試したことはないし、
1m数十万、もしくはそれ以上の価格のケーブルを30mとなったら、いったいいくらになるのか、
だから、これから先も試す機会は絶対にないから断言はできないものの、
非常に高価なスピーカーケーブルの中には、使える長さに上限があるのではないだろうか。

スピーカーケーブルとして、30mでも50mでも使えるケーブルが優秀であって、
ある長さでしか使えないケーブルは、長くしても使えるケーブルよりも劣っている、
といえるのだろうか。

30mという長さのスピーカーケーブルを必要を必要とする状況はほとんどない、
実際にはパワーアンプをスピーカーの、
ある程度近くに設置すればスピーカーケーブルの長さはそれほど必要としないから、
そういう30mという長さで使えない、としても、実際の数mの使用では問題にならない──、
これも、そういえるのだろうか。

Date: 6月 21st, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その5)

1970年代にくらべるといまのケーブルの品種は、いったい何倍程度に増えたのだろうか。
ケーブルの会社もずいぶん増えたし、まだ増え続けている。

昔はオーディオ店に行ってはカタログを集めてきていたし、
オーディオ雑誌に載る広告も、いまとはずいぶん違ってスペックをきちんと表示してあった。

ケーブルは基本的に2つの導体から構成される。
つまりそこには静電容量が存在することになる。
だから1970年代のスピーカーケーブルのカタログには1mあたりの静電容量を載せているものが多かった。
いまは、どうなのだろうか。静電容量を表示しているケーブルは全体の何%なのだろうか。

静電容量はケーブルを長くすればするほど増えてくる。
静電容量という言葉からわかるようにコンデンサーと同じなのだから、
平行する金属の面積が増えれば増えるほど容量は増えるし、
その距離が近くなればなるほど、また容量は増えていく。

だから1mのケーブルと2mケーブルとでは、
同じケーブルであれば2mだと1m時の倍の静電容量になる。

30mになれば1mのときの値の30倍になる。
この静電容量はパワーアンプの出力に対して並列に、負荷としてはいることになる。
コンデンサーの性質として高域にいくにしたがってインピーダンスは低下していく。
静電容量が大きいほどパワーアンプにとっては負荷として厳しいものとなってくる場合もある。

30mもスピーカーケーブルを延ばすということは、こういうことも考えられるわけだが、
おそらく30mのスピーカーケーブルを提案した本田一郎氏も、
それを受け入れて試した中野英男氏も、スピーカーケーブルのこういう性質はわかっていたはず。

ここで思い出してほしいのは、本田氏は太いケーブルを30m引き延ばしたわけではない。
中野氏が書かれているように細いケーブル、ということだ。