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Date: 11月 24th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々続々・余談)

いまでこそ変っているけれど、
以前のJBLのレベルコントロールは連続可変で、巻線型を使っていた。
レベルコントロールのツマミをまわすと、巻線の上を擦っている感触が指先に伝わってくる。

JBLのユニットには能率の誤差がわずかとはいえあることは、以前別項で書いた通りだ。
それに実際のリスニングルームに設置されれば、左右の条件がまったく同一であることはあまりないから、
レベルコントロールを微調整することが聴き手に要求される。

はじめは少し大きくレベルコントロールを動かし、少しずつその範囲を狭めていく──、
そうやって微調整の範囲にまでくると、ほんのわずかの差で音のピントが合いもするし、ズレもする。

正直、もう少し精度の高い信頼性も高いアッテネーターを使ってほしい、と思う。
けれどそんなことをいってもしかたない。ついているのは、そんな,いわばヤクザな巻線型のモノだから。

そんなレベルコントロールだから、微妙な調整をしていくのも、
JBLのスピーカーシステムを鳴らしていく面白さでもあり、
そうやってベストと思える位置をさぐり出せたら、もう動かしたくはない。

4411も4311も、巻線型のレベルコントロールだった(はず)。
だから、その意味では微調整を加えたら、動かしたくはない──、
そういう使い方もある。

でも、ここでの組合せで私が求めているのは、ラジカセ的な使い方ができる組合せであり、
ラジカセで音楽を聴いていたときのような聴き方で楽しみたいから、なので、
細かく微調整をしていき、あるポジションをさぐり出すのではなく、
積極的に、最適ポジションなどまったく気にせずにレベルコントロールを動かす、
そういう楽しみ方をしたい。

それにはサランネットをつけてしまうとレベルコントロールが隠れてしまうスピーカーよりも、
4411、4311のようにレベルコントロールはつねに表に出ているスピーカーが,使い良い。

Date: 11月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々続・余談)

本棚にブックシェルフ型スピーカーをおさめてしまうと、
スピーカーの細かな調整はほとんど行えなくなる。

スタンドに乗せ、縦置き型のブックシェルフ型であれば、置き場所、スピーカーの角度など、
調整できる要素はそれこそいくつもある。
それらが、本棚にいれれば、ほとんどなくなってしまう。

とはいえ、いい音で聴くことを放棄してしまうのではない。
非常に限られた条件のもとで、気楽に、いい音を聴きたい、と思う気持があるから、
こんなことを妄想して、飽きもせず書いているわけだ。

本棚におさめ、4411のまわりに本を収めていくことで、
スタンドに乗せてフリースタンディングに近い状態で鳴らすのとくらべて低域のレスポンスには大きな違いが生じる。
それにスピーカーの調整としてできる大きなことといえば、トゥイーター、スコーカーを内側に配置するか、
それとも外側に配置するか、ぐらいしかない。

本棚の大きさ(幅)によるけれど、
おそらく私はトゥイーター、スコーカーを外側に配置する方を選ぶような気がする。

この状態で4411の音を鳴らすとき、レベルコントロールを軸上周波数特性フラットのポジションか、
エネルギーレスポンス・フラットのポジションにするかは、あえてどちらかに決めてしまうのではなく、
聴く曲、そのときの気分によって、大胆にいじっていきたい。

4411のサランネットが覆うのはスピーカーユニットだけであり、
レベルコントロールパネルはつねにいじれるようになっている。
これはJBLが、好きにいじっていい、といっているものと受けとめたい。

JBLからはこれまでに多くのスピーカーシステムが発売されてきているが、
サランネットをつけた状態でレベルコントロールをいじれるモノはわずかである。

この4411の他は、4311ぐらいではなかろうか。

Date: 5月 11th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その11)

1976年に、ソニー、松下電器、ティアックの3社提唱によるエルカセット(ELCASET)が登場した。
カセットテープを文庫本サイズにまで大きくしたもので、
カセットテープの手軽さでオープンリールテープ並の音質を実現、ということを謳い文句にしていた。

いくつかの原因が語られているが、エルカセットはあっというまに消えてしまった。
1980年にはすでに市場には残っていなかったと記憶している。

エルカセットの11年後の1987年にDATが登場する。
テープのサイズはカセットテープよりも小さい。
1992年にはカセットテープのオリジネーターのフィリップスと松下電器が共同で開発したDCCが登場する。
DCC(Digital Compact Cassette)はカセットテープとほぼ同寸法の専用テープにデジタルで記録する。
カセットテープとの互換性も考慮された規格で、DCCのデッキでは通常のカセットテープの再生が可能だった。
92年にはソニーからMDも登場している。

エルカセットもDATもDCCもMDも、カセットテープに代るものとして開発されたものといえるのだが、
もっとも普及したといえるMDでもカセットテープに比べれば、広く一般に普及したとはいえない。

結局カセットテープに取って代ったのは、iPodだ、と私は思っている。
20世紀中にはカセットテープに代るものは現れなかった。
21世紀になりAppleからiPodが登場し、ものすごいスピードで広く普及していった。

ジョブスがiPodをカセットテープと同じ寸法にしたのは、
iPodを次世代の携帯音楽プレーヤーとしてではなく、21世紀のカセットテープを目指していたからだ、と、
B&OのBeolit 12を見ていても、それだけでなく量販店に並ぶ数多くの、iPodと装着できる機器を見れば見るほど、
そう思えてくる。

ここが、類似の携帯音楽プレーヤーとの決定的に異る点であり、
数年前に、ソニーが携帯音楽プレーヤー(ウォークマン)の発表会において
「半年でiPodを追い抜く」と宣言しながらいまだ達成できないのは、
携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」を生み出しただけに、
デジタルになっても、21世紀になってもウォークマンを「ウォークマン」として捉えているせいではないだろうか。

Date: 5月 11th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その10)

iPod Hi-Fiにいまごろ関心をもっているし、
1週間ほど使ってみたい、とも思っているけど、自分のモノとしたいという気持は、いまのところない。

なぜかといえば、これはiPod Hi-Fiが登場した時から好きになれないところでもあるのが、
筐体上部にiPodを挿し込んで使うというところにある。
2006年には、こういう使い方、接ぎ方しかできなかったのだが、いまではAirPlayというワイヤレス技術がある。

AirPlayに対応している機器であれば接続する必要はない。
iPod touch、iPhoneとAirPlay対応機器の組合せならば、家の中だけでなく外にも持ち出せる。

この項を書き始めたのは2月23日。
ゆっくり書いていたら4月のはじめにB&OがBeolit 12を発表、発売した。
もちろんAirPlayに対応している。

すこし厚みのある弁当箱にも見えるBeolit 12。
嬉しいのは、きちんとハンドルがついていること。
正確にはハンドルではなくベルトなのだが、すっと持ち上げてどこへでも持っていけるようになっている。

いいな、と思っている。

Date: 4月 24th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その9)

iPod Hi-Fiにハンドルに相当するものがないわけではない。
筐体上部左右に手を入れられるようになっている。
これがハンドルになるわけだが、当然この配置では両手が持つことを前提としているはずだ。

iPod Hi-Fiの重量は6.6kgだから、大の男であれば片手で持てる程度の重さだが、
実際に片手で持てば斜めにぶらつくようなかっこうになってしまうから、両手を使うことになる。

なぜ? と問われると返答に困ってしまうのだが、
私にとってのラジカセの必要条件、それも大事な条件のひとつは片手で持てるハンドルがついていること、である。
そんな、他に人にとってはどうでもいいことで、iPod Hi-Fiはラジカセには分類できない、と思っている。

同じ理由で、BOSEのWave music systemもそうだ。
これはハンドルはついていない。
もっともWave music systemは電池での使用はできない。AC電源のみであるから据置型としてのモノであるから、
ハンドルがついていなくて当然である。

実は、去年あたりからiPod Hi-Fiのことが気になっている。
人気がなかったためか、いつのまにか消えていたiPod Hi-Fi。
出たときは量販店で触った程度で、さして関心をもてなかったiPod Hi-Fiなのに、
心変りしてしまったのはiPod touchの存在やiPhone 4Sを使いはじめたからなのかもしれない。

ジョブスはiPod Hi-Fiを発表したときに、
「家にあるオーディオシステムはすべて放りだして、iPod Hi-Fiにしてしまった」といっていたと記憶している。
どこまで本当なのかはわからないけれど、そこまで言うということは、気に入っていたのは事実だろう。
2006年に、ジョブスがどういうオーディオを使っていたのかはまったくわからない。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーを使っていたのは1980年代の話である。

まだアクースタットを使っていたのか、それとも他のスピーカーシステムに替えていたのか。
替えていたとしたら、どのクラスのモノだったのか……。
とにかく2006年、ジョブスはすべてのオーディオをiPod Hi-Fiにした、と言ったことは事実である。

Date: 4月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その8)

ラジカセを自作しようとする(というよりも考える)のは、ばかげたことであるし、
実際に取りかかったとしても、カセットテープのメカニズムをどうするのかが一番ネックになるのはあきらかだ。

中古の程度のいいラジカセを購入してきて、そのメカニズムを取り出して流用するのか、
それともなにかほかの方法があるのか、と考えると、すぐには浮んでこない。

結局、いまの時代、ラジカセをつくろうと考えたら、
カセットテープではなくiPodを使うというのが現実的な方法だと思う。
実際、量販店のラジカセのコーナーに行くと、そこに並べられている多くは、iPodを接続できる機能を備えている。
メーカーにとっても、いまさらカセットテープの走行メカニズムをつくるのはコストの上でも割に合わないし、
需要もそれほど多くは望めないであろうから、iPodを取り込むというのは、21世紀のラジカセの姿だろう。

iPodのサイズがカセットテープと同じなのは、そういう意図がAppleには最初からあったのか、と思ってしまう。
だからiPodの登場から5年後の2006年にAppleは、iPod Hi-Fiを出している。

iPod Hi-Fiは白い筐体の中央に13cm口径のウーファーを、その両側に8cm口径のフルレンジを配置した、3D方式。(若い方は3Dイコール立体映像のことだが、私ぐらいまでの年代にはセンターウーファー方式を指す言葉である。)
筐体上部中央にiPodを接続できるUniversal Dockと呼ばれる端子が設けられている。
裏側には乾電池を収納するスペースがあり、電池駆動、AC電源駆動のどちらでも使える。

残念ながらチューナーは内蔵されていないからラジオを聴くことはできなかったが、
翌2007年にはiPod touchが登場しているから、これでネットラジオを聴けるようになるわけだし、
2010年5月にはiPhone用アプリが配布されたことで、
radiko(ラジコ)のサイマル配信によってAM、FM放送を聴くことが可能になっている。

iPod Hi-FiとiPod touch(もしくはiPhone)の組合せは、Appleのラジカセと呼ぼうと思えば呼べる。
けれど、この組合せを個人的にはラジカセとは呼びにくい、と思うところもある。

それはハンドル(把手)に関することだ。

Date: 3月 14th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続々・余談)

スピーカーシステムについているレベルコントロールには、
ほとんどの機種で周波数特性がフラットになるポジションがはっきりしている。
そのポジションを0と表記しているものもあれば、FLATとしているものもある。

JBL・4411のレベルコントロールは連続可変式で、
目盛りは0から10までふってある。
この目盛りには2つの印がつけられている。
短い直線と白い点が、スコーカー用のレベルコントロールでは5と8のところに、
トゥイーター用レベルコントロールでは7と10のところについている。

4411のレベルコントロールに、ふたつの印があるのは、
軸上周波数特性がフラットなポジション(短い直線)と
エネルギーレスポンスがフラットなポジション(白い点)を明示しているからである。

4400シリーズは、JBLのスタジオモニターシリーズではありながらも、
4300シリーズとは設計コンセプトが異る。
そのことを形の上ではっきりと提示したのが、4430と4435であった。
4300シリーズが4350から始まった4ウェイが、4341(4340)、4343、4345、4344と続き、
日本では4300シリーズ・イコール・4ウェイというイメージすら定着しつつあったところに、
2ウェイであることを特徴とした4400シリーズの登場は、正直驚きであった。

古典的な(ともいえる)モニタースピーカーは、
音像定位の確かさを重視して同軸型2ウェイが主流であった。
アルテックの604やタンノイのデュアルコンセントリックがその代表であるわけだが、
その古典的スタジオモニターを、最新の技術でJBLがリファインしたといえるのが4400シリーズである。

4400シリーズは、特異な形状のバイラジラルホーンの採用により、
水平方向、上下方向の指向特性を広帯域にわたって乱れを少なくし、そのパターンを一定化・安定化している。
そしてクロスオーバー周波数(1kHz)付近でウーファーとの指向特性と近似させている。

こんな説明もいらないくらい、4430、4435は4300シリーズとははっきりと違うスタイルをもっていたのに対し、
4411は横置きのブックシェルフ型ということ以外に、外観的にこのスピーカーシステムが4300シリーズではなく
4400シリーズのひとつであることを特徴づけているのは、実のところレベルコントロールといえよう。
それに、このレベルコントロールも、
本棚に収めるスピーカーシステムとして4411を選択した理由の、大きなひとつである。

Date: 3月 13th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続・余談)

JBLに4411というブックシェルフ型があった。
1982年に登場した4411は、
前年に登場したバイラジアルホーンを採用した4430、4435からなる4400シリーズの第3弾であるが、
初のブックシェルフ型であり、4400シリーズ初の3ウェイでもあり、
中高域にコーン型とドーム型を採用している点も、4430、4435とは異る点ももつ。

4411が登場したときには気がつかなかったし、まったく考えもしなかったことだが、
いまになってみると、この4411ほど本棚に収めて使うに最適のスピーカーシステムは、他に思い浮ばない。
重量が24kgがやや重たい気もするけれど、
ブックシェルフ型スピーカーの元祖ARを代表するAR3aの重量もまた24kgだから、
やわな本棚では無理であっても、丈夫な造りの本棚であれば重量の問題はないだろう。

そして4411は横置きのブックシェルフ型である。
AR3aもやはり横置きで使うことを前提としている。

横置きのブックシェルフ型は、ある面使いにくい。
4411はステレオサウンド 64号の新製品のページに登場している。
1982年ごろのブックシェルフ型スピーカーのスタンドは、いくつか出ていたものの、
大半は角形の鉄パイプを使ったもので、しかもキャスター付きで、
いまのように音質的配慮のなされたものはまったくなかった、といえる。
いまでこそ小型スピーカー用、ブックシェルフ型スピーカー用に各社からさまざまなスタンドが出ているし、
スタンド専門メーカーまで存在しているけれど、
スタンドによる音質への影響が頻繁に語られるようになり、そういうスタンドが登場してくるようになったのは、
4411の登場の数年後のことである。

もっともスタンドが豊富にあるいまでも、
4411のようなサイズの横置きのスピーカーシステムのセッティングに向くものは少ない。
1982年に、4411の試聴を担当された井上先生がどうセッティングされたかは64号を見ていただくとして、
この4411の、一般的なセッティングでの使いにくさが、本棚に収めてしまうと反転してしまう。
それに本棚に収め、空いているスペースに本を隙間なく収めてしまうと、
それに本棚は大抵の場合壁に付けられているから、スピーカーを囲う空間としては2π空間となる。

実際にこういう条件で鳴らしたことがないのではっきりしたことはいえないけれど、
4411のレベルコントロールが、面白さを加えてくれるはずだ。

Date: 3月 12th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(余談)

この2年ほど、ときどき妄想しているのが、ブックシェルフ型スピーカーシステムをどう使うか、だ。
いまではブックシェルフ型といっても、
スタンドの上に設置して、スピーカーの後の壁、横の壁からも十分離して、というように、
ブックシェルフ(本棚)という言葉本来の意味からは外れてしまった大きさと重量になっている。

これが悪いわけではないし、スピーカーシステムの能力をできるだけ発揮するには、
いくら小型で軽量で本棚に収まるモノでも、そうしないほうが音質的には好ましいことが圧倒的に多い。
むしろ本棚に設置することで、音が好ましくなることは滅多にないことなのかもしれない。

それでも本棚にブックシェルフ型スピーカーシステムを押し込んで、
プレーヤー(アナログ、CDの両方)、アンプ、できればチューナーやカセットデッキも本棚に収納したい、
そういう使い方をしてみたい、と強く思うようになってきている。

そのためにはまずしっかりした造りの本棚がいる。
材質にそれほどこだわることもないとは思うが、
とにかくしっかりしたものであってほしい。
そこに本なりLPを収め、スピーカーやアンプなどもうまくレイアウトしていく。
だから本棚のサイズもそれなりに大きいものであってほしいし、
そういう本棚がすんなり収まる部屋もいるわけだ。

スピーカーシステムはそれほど重いモノはダメ。
どんなに重くても30kgを切っていないときついだろう。20kg前後であってほしい。
サイズも奥行は30cmを超えるものは本棚からはみだしてしまうだろうから、奥に長いものは困る。
といって小型スピーカーシステムにしたいとは不思議だが、思わない。
いわゆるブックシェルフ型と呼ばれるサイズのモノであってほしい。
それから、これが重要なことなのだが、横置きでもうまく鳴ってくれるスピーカーであってほしい。

アンプは、これも本棚に収めたいのでアンプのまわりにそれほど余裕のある空間を確保できるはずもないから、
発熱の大きいアンプでは困る。
ここでは本棚がいわばラックであり、ひとつのラックにアナログプレーヤーからスピーカーまで収めるのだから、
アナログプレーヤーはハウリングに強いものでなければ困る。それにあまり大きいものではやはり困る。

これらの条件に合致して、さらに自分で使いたいと思うモノとなると、
過去の製品を含めてもそう多くはない。

もうひとつのブログ、the Review (in the past)の入力作業をやっていると、
ときどき、このスピーカーシステムなら、とか、このプリメインアンプならいけそう、だとか、
プレーヤーはやっぱりこれしかない、などと声にこそ出さないが、そんなことを思っている。

こんなことを思わせる感覚も、もしかするとラジカセから来ているのかもしれない。

Date: 3月 6th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その7)

モジュールユニットを鳴らすパワーアンプは、いまではIC化されたものから選べる。
出力はそれほど必要ないといえばたしかにそうなのだが余裕があれば、それにこしたことはない。
ただ出力を増すことは発熱と電源の余裕も要求されることではあるけれど、
いまではDクラスのパワーアンプもいくつも出ている。
これならば発熱の心配は、まったく(といっていいだろう)する必要はない。
それに電源もスイッチング方式ということになれば、1970年代のラジカセにくらべてスペースの余裕は出てくる。

DクラスのアンプならばICEPowerモジュールにしたい、などとあれこれ思い巡らせるのは楽しくて飽きない。

こんなふうにやりたいことを思っていると、
スピーカーは小口径のフルレンジだけで十分と言っておきながら、
頭のどこかでは、もしトゥイーターをつけ加えるならレンジの拡大が目的ではなくて、
ある種の音の広がりを求めて、角度をつけて取りつけるという手もあるかな、と考えたりする。

こんなことを昨夜の(その6)を書いた後の入浴中に思っていた。
そしてトゥイーターのことを考えていたところで、
このままラジカセに求めていることをグンとスケールアップしたら、
それはデッカのデコラに行き着くことに気がついた。

あくまでもこれは私の中で完結する話であるのだが、
デコラが頭に突然浮んだときに、ラジカセに求めているのは、
だからこそモジュールユニットを使いたい、とも思ったのは、
デコラをうんと小さくしたモノであり、デコラに感じている良さの要素に通じていくものが欲しかったから、
そのことに、こうやって書いていくことで気づいた、というよりも気づかされた。

そしてデコラを、なぜあれほどいいと感じるのか、その理由のひとつにも気づかされたことになる。

Date: 3月 5th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その6)

結局所、私がラジカセに無意識のうちに求めているのは、親密感もしくは親密感ある聴き方なのかもしれない。
中学・高校時代に親に聞こえないように深夜ラジオを、
音量を絞ってひとり聞くような、そんな感じに通じるものと言えるのかもしれないが、
実のところ、学生時代、深夜ラジオを聞いたことは一度もない。

なのに、なぜ、そういうものを求めているのか、われながら不思議でならないのだが、
とにかくラジカセには、親密感ある聴き方ができるモノであってほしい。
デザインもいいモノであってほしい。

デザインといえば、まずB&Oが候補となる。
B&Oのラジオが、ナロウレンジなのだが実に品のいい音を聴かせていたことはずっと以前に、
そういう話を何度か聞いている。
瀬川先生もサンスイのショールームで鳴らされたことがあった、とも聞いている。
残念ながら、そのB&Oのラジオは写真でしか見たことがない。
それでもなんとなく、その音は想像がつく。
私が求めているものに近い印象を勝手に抱いている。
となるとB&Oのラジカセということになるのだが、B&Oにもラジカセは存在していた。
1980年代の終りごろにB&0のラジカセが登場した。
価格は10万円を超えていたぐらいだったと記憶している。
でも実物を見て最初に思ったのは、意外に大きい、だった。
見た感じで、半分くらいに感じられる大きさであってほしかった、と思っていた。

私の聴き方には大きなラジカセは要らない。
スピーカーユニットは10cm口径か大きくても16cm口径まででいい。
20cm口径のフルレンジがつくとなると、全体としてかなり大きなラジカセになってしまうからだし、
音量的にもそれほど大きなものを求めているわけではない。

親密な聴き方にぴったりの音量と品の良さ、音量を絞ったときの明瞭度の高さを、まず求めたい。
たとえばジョーダン・ワッツのモジュール・ユニットを使ったラジカセがあったらいいな、といまも思う。
それにトーンコントロールが欲しくなる。できれば低・高音の2バンドではなく中音域も加えた3バンド。
もしくはQUADの44のようなコントロール機能もいい。

Date: 3月 4th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その5)

もうこれから先、オーディオマニアを満足させるカセットデッキは開発されることはない、といえよう。
だからカセットテープの録音・再生を追求しようとすれば、過去の製品を整備して使うことになるはず。
となると、ナカミチの1000ZXLは多くのマニアが憧れるカセットデッキということになるのだが、
やはり私には大きすぎる筐体と、
あの数がカセットテープの性能をできるかぎり引き出す上で必要なものといわれても、ツマミの数が私には多すぎる。
ナカミチのデッキならば、1000番よりも700番のほうにより魅力を感じるし、
それもレイモンド・ローウィのデザインだと知れば、ますます700の方がいいんじゃないか、と思っても、
そう思うところで止ってしまい、欲しいところまでにはいかない。
結局、700のデザインは日本人の手によるものとわかり、なんとなく納得していた。

1000ZXLを見ていると、
日本のラジカセがあれだけ大きなものになってしまったこととどこかでつながっているような気もしてくる。

カセットテープをよりよい音で聴くためには、ウーヘルのCR210ではやや力不足だから、
そうなるとスチューダーが一時期出していたモノということになる。
型番も正確な価格もすでに忘れてしまっているが、40万から50万円ほどしていただろうか。

もしスチューダーのカセットデッキがあったとする。
音楽を収録したカセットテープならば、スチューダーのカセットデッキで再生し、
つねに鳴らしているシステムで聴くことになるだろう。

でも私が、いまカセットで聴きたいのは「音楽談義」であり、
「音楽談義」に収められているのは、いくつかSPからの復刻があるとはいえ、
メインは小林秀雄氏と五味康祐氏との音楽談義であるから、それをいつものシステムで聴きたいかというと、
必ずしもそうではない気持があることに気づく。

ほかの人はどうかは知らないけれど、
私は、人の声(歌ではなく話)を聴くとき、スピーカーとの距離が近い方がいい。
録音に細心の注意がはらわれていい音で収録された対談モノをきちんと再生すれば、
より生々しいのはわかっているけれど、
そういう生々しさに気を取られることなく話に意識を集中したいと思うためなのか、
それともステレオサウンドでテープ起しをするとき常にヘッドフォンで聴いていたことか影響しているのか、
離れてても数10cmぐらいのところで聴きたいと思ってしまう。
だから「音楽談義」のためのラジカセ探しをずっとしているわけである。

Date: 3月 3rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その4)

ラジカセを使っていたとき、それからカセットデッキを数年後買ったときは、
カセットテープをあれこれ買ってきて、録音・再生してみて、それなりに楽しんでいた。
といっても学生にはカセットテープも決して安い買い物ではなかった。
買いたいものは他にもいろいろあるから、お気に入りのテープ(TDKのSAだったかな)ばかり買えるわけではなく、
値段でカセットテープを選んでいたこともある。

まだラジカセを使っていたいたときだったはずだが、
近所の電気店に100円のC60のカセットテープが並んでいた。
いわゆるノーブランド品なのだが、当時はノーブランドという言葉も知らなかったし、
100円ショップなど、もちろんどこにもなかった時代のことだから、
友人とふたりで「100円だよ」と軽い興奮状態になって、ふたりとも試しに1本買って帰った。
結局、100円カセットテープは、その後買うことはなかった。

そんなふうなカセットとのつきあいは4年ほどだった。
東京に住むようになってからはカセットデッキ、ラジカセを所有したことはない。
いいカセットデッキは欲しいなぁ、と思っても、実際に買うことはなかった。
ウーヘルのCR210は、そのサイズの小ささから欲しい、とかなり欲しいと思っていたけど、手を出すことはなかった。

そんな感じだから、ナカミチの1000ZXLを見ても、カセットテープでここまで、というふうに関心はしても、
1000ZXLを買えるだけの余裕があっても、欲しい、と思ったことは一度もなかった。

ふりかえってみても、カセットデッキ、カセットテープとのつきあいは薄い。
それに、すこしカセットに対してつめたいのかもしれない。

それならばほどほどの性能でほどほどの価格のモノならば、
なんでもいいのではないか、ということになりそうだが、
惚れ込めないジャンルのモノだけに、逆に本当に気に入ったものが欲しい、と思う。

それに、いまは使用目的が決っているし、その幅も狭い。
「音楽談義」を聴くためだけであるから。

となると、カセットデッキではなく、ラジカセが欲しくなる。

Date: 3月 2nd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その3)

10年ほど前から、2年周期ぐらいで無性にラジカセが欲しい、と思うようになった。
そうなると量販店のラジカセの置いてあるコーナーをぶらぶらまわる。
「欲しい!」と見た瞬間、そう思えるラジカセはいまのところ出合っていない。

もっとも半年おきに定期的に量販店に行き、こまめにラジカセをチェックしているわけではないから、
私が見逃しているラジカセのほうが多いはずであって、
たまたま出かけたときに見かけたラジカセについては、欲しいモノがないだけのことにしかすぎない。

ラジカセが欲しい、と思うようになったのは、
ステレオサウンドが創刊20周年記念として発売したカセットブックを、もう一度聴きたいと思っているからだ。
私と同じか、私よりも年配の読者の方は、このカセットブックがどういうものかはすぐに思い出されるはず。
このカセットブックは、ステレオサウンド 2号に掲載された、小林秀雄氏による「音楽談義」をおさめたものだ。
聴き手は五味先生。

「音楽談義」カセットブックは、C90とC60のカセットテープで、
収録時間は43分36秒、42分46秒、28分29秒、27分21秒となっている。
「音楽談義」には次のようなタイトルが、それぞれつけられている。

 蝋管
 赤盤
 ルビー針
 クレデンザ
 聴覚空間
 生の音をめぐって
 ワーグナーの人と音楽
 ビトーとモリーニ
 ロストロポーヴィッチとアマーティ
 本居宣長、ブラームス
 青年時代のモーツァルト経験
 シューベルトの器楽曲
 チャイコフスキー雑感
 録音
 雨の日のシュタルケル
 ライン河畔のシューマン
 スターンのグヮルネリウス
 シベリウスの魂
 ドビッシーの天使とラヴェルの悪魔
 現代音楽
 原音
 聴こえる音と内に鳴る音楽
 温泉場のショパン
 意味としての音楽
 再び、ワーグナー
 いまブラームスのごとく……

さらにリヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によるモーツァルトのト短調の第一楽章の一部、
エルマンによるフンメルのワルツ、
フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルハーモニーのワーグナーのジークフリートの葬送行進曲(1933年)など、
6曲のSP盤からの音楽も収められている。

このカセットブックを聴いたのは、これが出た1987年の一度きりで、じつはそれ以降一度も聴いていない。
やはり、いまもう一度聴いておこう、と思いながらも、カセットデッキはないし、ラジカセもない。
カセットブックを聴く手段がない、というなさけない状況なので、ラジカセで気に入ったものがあったら、
買ってきて「音楽談義」を聴こう、そう思ってずるずる10年が経っている……。

Date: 2月 26th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その2)

私が自分のモノとしたラジカセはモノーラルだっただけでなく、スピーカーもフルレンジだけだった。
そのころ2ウェイのラジカセは存在していたのだろうか。
もしあったとしても高価なラジカセだったろう。まだこのころはフルレンジが主流だった。口径も大きくなかった。

モノーラルでフルレンジのラジカセは、
私の世代にとって学生時代のパーソナルなオーディオ機器といえなくもなかった。
そういう世代はどのへんからどのへんまでなんだろうか。
ラジカセもしばらくするとステレオが当り前になっていったし、
スピーカーもフルレンジ1発からトゥイーターを加えた2ウェイが登場し、
量販店の店頭に並んでいるラジカセをパッと見た感じでは、2ウェイの方が多いように感じた時代もあった。
そして大型化していったようも感じている。

ラジカセがそんなふうに変っていったのには、いくつかの理由があるのだろうが、
ひとつにはソニーのウォークマンの登場も大きく関係しているように思える。
カセットを聴くためだけで、それもヘッドフォンのみ。そのかわり小型・軽量で手軽に持ち運べる。
外で音楽を聴くための道具としてのラジカセの役割は、ある程度ウォークマンにとって代られたのではないのか。
だからあれほど大型になっていった……。

これは、あくまでもラジカセへの興味をほとんど失っていた者が横目でちらちら見ていての感想にすぎないのだが、
モノーラル・フルレンジのラジカセを使っていた私などには、
ある時期のステレオ・マルチウェイの大型ラジカセは、大きすぎる物体であって、
中学生だった頃、目の前にラジカセをおいて、しんみりグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いていた、
あの頃の心境には、なれそうにもないと感じてしまう。

たしかにステレオのラジカセが欲しい、と思っていた。
それはあくまでも、
そのとき使っていたラジカセより少し大きい程度でステレオになったモノが欲しかったのであって、
大きすぎるラジカセが欲しかったわけではない。

音量にしてもそうだった、ことを思い出す。
バカでかい音を出せていたわけではない。
だからラジカセを野外に持ち出してガンガン鳴らそうという発想はまったくなかった。

そんなふうにラジカセと接してきた。