「ラジカセのデザイン!」(その5)
もうこれから先、オーディオマニアを満足させるカセットデッキは開発されることはない、といえよう。
だからカセットテープの録音・再生を追求しようとすれば、過去の製品を整備して使うことになるはず。
となると、ナカミチの1000ZXLは多くのマニアが憧れるカセットデッキということになるのだが、
やはり私には大きすぎる筐体と、
あの数がカセットテープの性能をできるかぎり引き出す上で必要なものといわれても、ツマミの数が私には多すぎる。
ナカミチのデッキならば、1000番よりも700番のほうにより魅力を感じるし、
それもレイモンド・ローウィのデザインだと知れば、ますます700の方がいいんじゃないか、と思っても、
そう思うところで止ってしまい、欲しいところまでにはいかない。
結局、700のデザインは日本人の手によるものとわかり、なんとなく納得していた。
1000ZXLを見ていると、
日本のラジカセがあれだけ大きなものになってしまったこととどこかでつながっているような気もしてくる。
カセットテープをよりよい音で聴くためには、ウーヘルのCR210ではやや力不足だから、
そうなるとスチューダーが一時期出していたモノということになる。
型番も正確な価格もすでに忘れてしまっているが、40万から50万円ほどしていただろうか。
もしスチューダーのカセットデッキがあったとする。
音楽を収録したカセットテープならば、スチューダーのカセットデッキで再生し、
つねに鳴らしているシステムで聴くことになるだろう。
でも私が、いまカセットで聴きたいのは「音楽談義」であり、
「音楽談義」に収められているのは、いくつかSPからの復刻があるとはいえ、
メインは小林秀雄氏と五味康祐氏との音楽談義であるから、それをいつものシステムで聴きたいかというと、
必ずしもそうではない気持があることに気づく。
ほかの人はどうかは知らないけれど、
私は、人の声(歌ではなく話)を聴くとき、スピーカーとの距離が近い方がいい。
録音に細心の注意がはらわれていい音で収録された対談モノをきちんと再生すれば、
より生々しいのはわかっているけれど、
そういう生々しさに気を取られることなく話に意識を集中したいと思うためなのか、
それともステレオサウンドでテープ起しをするとき常にヘッドフォンで聴いていたことか影響しているのか、
離れてても数10cmぐらいのところで聴きたいと思ってしまう。
だから「音楽談義」のためのラジカセ探しをずっとしているわけである。