デコラゆえの陶冶(その3)
「五味オーディオ教室」の次に読んだのは、
「オーディオ巡礼」におさめられている「英国デッカ社の《デコラ》」だった。
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英国デッカ社に《デコラ》というコンソール型のステレオ電蓄がある。
今の若い人はデンチクとは呼ぶまいが、他の呼称をわたくしは知らないから電蓄としておく。数年前、ロンドンのデッカ本社を訪ねた時に、応接室で、はじめてこの《デコラ》を聴いた。忘れもしない、バックハウスとウィーンフィルによるベートーヴェン『ピアノ協奏曲第四番』だった。
周知のとおり、あの第二楽章は、いきなり弦楽器群がフォルテで主題を呈示する。そのユニゾンがわたくしは好きで、希望して掛けてもらったわけだが鳴り出しておどろいた。オーケストラのメンバーが、壁一面に浮かびあがったからだ。
応接室は、五十畳くらいな広さで、正面の壁の中央に《デコラ》が据えてあった。日本の建物とちがって天井は高い。それにしてもコンソール型のステレオ電蓄から出る音が、壁面にオケのフルメンバーを彷彿させるあんな見事な音の魔術を私は曾て経験したことがない。蓄音機が鳴っているのではなくて、無数の楽器群に相当するスピーカーが、壁に嵌めこまれ、壁全体が音を出しているみたいだった。わたくしは茫然とし、これがステレオというものか、プレゼンスとはこれかとおもった。
弦のユニゾンは、冒頭で、約十五秒間ほど鳴って、あとに独奏のピアノが答える。ここは楽譜にモルト・カンタービレと指定してあり、弱音ペダルを押しっぱなしだが、その音色の、ふかぶかと美しかったことよ。聴いていてからだが震えた。
私事になるが、わたくしは、《デコラ》が聴きたくてロンドンへ渡った。それまでのわたくしの関心は西独にあった。シーメンスかテレフンケン工場を見学すること、出来ればテレフンケンへステレオ装置をオーダーすることであった。工場は見学できたがオーダーの希望は果せなかった。そのかわり、「テレフンケンがベンツならサーバ(SABA)はロールスロイス」と噂に高いSABAの最高ステレオ(コンソール型)を買った。おかげで、パリに着いたときは無一文で、Y紙の特派員に金を借りてロンドンへ飛んだのである。
《デコラ》が英グラモフォン誌に新発売の広告を出したのは、一九五九年四月号だったとおもう。カタログには「将来FM放送がステレオになった時、ステレオで受信することが可能である」と書かれてあったので、是非とも購入したいと銀座の日本楽器に頼んでみたが手に入らなかったのだ。それで渡欧したとき(一九六三年秋)《デコラ》を試聴することも目的の一つだった。
(SABAなんぞ買うんではなかった……)
デッカ本社の応接室で、あの時ほどわたくしは(金が欲しい!)と思ったことはない。
ところで《デコラ》には、楕円型のウーファー(8×12インチ)のほかに1.5インチの小型スピーカー十二個がそれぞれ向きを変えておさめてある。EMIのスピーカーらしい。方向を変えてあるのは指向性を考えたからだろう。クロスオーバーは何サイクルか分らないが、周波数特性は三〇から三〇、〇〇〇サイクルとなっている。アンプは出力各チャンネル十二ワット、歪率一%、レスポンス四〇〜二五、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dB。けっして特に優秀なアンプとは言えない。カートリッジもデッカのMI型を使用してあり、レンジが四〇〜一六、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dBだという。
ターンテーブルはガラードの三〇一型で、現在なら、この程度の部品はオーディオ専門店にごろごろしている。しかも壁面にオーケストラ・メンバーが居並ぶ臨場感で音を出す装置にお目にかかったことはない。
これはどういうことか。
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これを読んで、ますます聴きたくなった。
デッカのデコラは、いったいどんな音を聴かせてくれるのか。
想いは募るばかりだった。
五味先生は、デッカがデコラを発表したことは、渡英の前からご存知で、
《一九五九年春に、英国デッカが〝デコラ〟を発売した。英グラモフォン誌でこの広告を見て、わたくしは買わねばなるまいと思った》
と「わがタンノイの歴史(「西方の音」所収)」で書かれている。
日本楽器に取り寄せてくれるよう依頼されている。
けれど日本楽器はなかなか輸入してくれない。カートリッジやアンプなどと違って、
一台の完成品として電蓄の輸入は、当時はそうとうに難しいことだったようだ。
《三年余がむなしく過ぎた》と「わがタンノイの歴史」に書かれている。
もし当時の輸入に関する状況が違っていたら、
1959年には五味先生のところにデコラが到着していたことだろう。
結局そうはならなかった。
日本に最初に入ってきたデコラは、S氏のところに到着している。
「わがタンノイの歴史」を読んで、(その1)に書いたS氏の方法は、
デコラだったからこそ……、ということに思い到った。