Date: 8月 10th, 2016
Cate: 「オーディオ」考
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デコラゆえの陶冶(その5)

五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」から、
デコラの音についてのところを拾っていこう。
     *
新潮社のS氏が、多分、五味康祐氏の英国本社での試聴報告をうけて買われた。西条卓夫氏が聴きに行かれたのでその結果をお訊ねすると、「君、あれはつくった音だよ」とおっしゃる。もうこれは買おうと思いました。人為的というのは文明のあかしです。
(中略)
 アウトプット・トランスといっても、ごく小さなものですし、回路図なども若い技術屋さんにお見せすれば、多分失望すると思います。ただ、私はちょっと考えが別でして、やはりそれなりに考えていると感じているんです。というのは、カートリッジがデッカ以外にかかりませんから、例えばゲインコントロールの位置一つとっても、プリアンプの最後に設けてあったりする。ですからSN比がいいですし、途中の適当なところで絞るというのじゃありませんから、他の装置で聴いてて具合が悪いようなレコードをかけても、振動系のよさもあってスッと通してしまう。このへんは見事です。
(中略)
 そういえば、モノーラルやSPの復刻盤、こういったソースをいま流の周波数レンジの広い装置で聴くと、ぼけてしまって、造形性というか彫りがなくなってしまんですね。ところがこのデコラですと、ひじょうにカチッとしている。まったくへたらないでいて、決してかたくはない。冬の日だまりで聴いているみたいな、ホワッとした感じがあります。
 池田圭氏曰く、「ハイもローも出ないけど諦観に徹している」、大木忠嗣さん曰く、「これは長生きできる音だなぁ」。まさにその通りの音だと思います。
 いま流の装置で、たとえばジャック・ティボーの復刻盤などを聴くと、何か、一つ楽興がそがれるようなところがある。デコラの音を一種楽器的な要素があるというむきもありますが、米ビクトローラWV8−30とか英HMV♯202や♯203のような手巻き蓄音器のティボーの音色とデコラの音ははひじょうに近い。
(中略)
 じゃ、いい、いいっていったって、一体どんな音なんだといわれますと、表現がちょっと難しいんです。再生装置の音を表現するのに五味康祐氏はよく「音の姿」だとおっしゃいましたね。やはり亡くなった野口晴哉氏は、口ぐせで「何も説明しなくてよいのに。黙って聴かせてくれればいいのに」など、テクニカル・タームを一切まじえずに表現され、「まじめな音」がいいとおっしゃった。
 デコラを言葉でなにか慎重に選ぶとすると、「風景」ということばを使いたいですね。ぼくは聴いていて「風景」が見えるような感じがするんですよ。ラウンド・スコープといいますか、決して洞窟的な鳴り方ではない。強いて人称格でいえば、やはり男性格じゃなくて、これは女性格だと思います。それ若くはない、少し臈たけた感じの女性……。
 冬に聴いていますと、夜など、雪がしんしんと降り積もっている様子が頭にうかびます。夏に聴けば、風がすーっと川面を渡っていくような感じ、春聴けば春うららっていうような感じ。自分の気持のもちようとか四季のうつりかわりに、わりと反応する気がする。
 池田圭氏も夏に聴きにこられて「庭をあけたら景色とよく合う、こんなのはめずらしい」といわれましたんで、ぼくだけがそう感じるというのじゃないと思います。
 レコードを聴きながら、いつも景色を見せてもらっている。逆にいうと音から季節感のようなものが感じとれる。それがデコラのよさでしょうね。音の細さとか肉がのっているとか、姿がいいとかいえないわけじゃなりませんが、「風景がみえる」というのが、やはりぼくは最もふさわしい表現だと思います。
     *
こういう音を聴かせてくれるデコラに、
五十嵐一郎氏は《聴いたあと、一人で拍手をしたり電蓄に向っておじぎを》される。

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