額縁の存在と選択(その2)
このブログを始めたときから、このことは書こう、と決めていることがいくつかある。
でもすべてを書いているわけではなく、まだ手つかずのことがいくつも残っている。
そのひとつが、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4にある。
HIGH-TECHNIC SERIES 4をフルレンジを取り上げている。
岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏による試聴が行われ、
座談会形式で試聴記が載っている。
タンノイのユニットももちろん登場している。
HPD295A、HPD315A、HPD385Aの三機種があり、
HPD295Aのところで、岡先生が次のように発言されている。
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岡 私は音響機器の持っている性格とプログラムソースのかかわりあいやマッチングをいつも気にしながら聴いているのですが、タンノイの場合、タンノイという一種の額縁にプログラムソースをはめるような感じがするわけです。しかも、それは非常に絵を引き立てる額縁なんですね。
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岡先生はHPD295Aよりも口径の大きなHPD315Aについては、
額縁的な性格が一番薄い、といわれ、最上級機のHPD385Aについては、こう語られている。
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岡 また額縁説を持ち出して恐縮ですが、抽象でも具象でも合う額縁というのがありますね。このユニットはそういう感じがするんです。とにかくこのユニットは、特性を追いかけて作ったのではなくて、ある音楽を聴く目的のためにまとめられ、それが非常にうまくいった稀なケースの一つではないかという気がするんです。
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スピーカーは、というより、オーディオの再生音は額縁にたとえられることは、
かなり以前からあった。
タブローという表現が、音の世界に使われたりもしていた。
だから岡先生の発言は目新しいことではなかったけれど、
それでもHPD385Aのところでの発言──、
抽象でも具象でも合う額縁、こういうたとえは岡先生ならではだと感心していた。
この発言は頭のどこかに常にあって、ブログで取り上げようと思っていた。
でも、今日まで取り上げずにいたのだが、Pokémon GOがきっかけとなった。