Date: 8月 6th, 2016
Cate: 「オーディオ」考
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デコラゆえの陶冶(その2)

「五味オーディオ教室」に、デッカのデコラのことが出ている。
デッカにデコラという電蓄があったことは、オーディオに興味を持つと同時に知っていた。
とはいえ、いまならインターネットですぐに検索てきることでも、
当時はそうはいかなかった。
デコラがどういう電蓄なのかを知るのには、そこそこの時間を必要とした。

デコラのことは16箇条目に書かれている。
大見出しは「専門家の言うとおりに器械を改良しても、音はよくならない。」
     *
音づくりは、優秀な部品を組合わせればできるというほど単純ではない
 よく、金にあかせてオーディオ誌上などで最高と推称されるパーツを揃え、カッコいい応接間に飾りつけて、ステレオはもうわかったような顔をしている成金趣味がいる。そんな輩を見ると、私は横っ面をハリ倒したくなる。貴様に、音の何がわかるのかと思う。
 こんなのは本でいえば、豪奢な全集ものを揃え、いわゆるツン読で、読みもしないたぐいだ。全集は欠けたっていいのである。中の一冊を読んで何を感じるか、それがその人の生き方にどう関わりを持ったか、それを私はきいてみたい。
 オーディオでも、その人の血のかよった音を、私は聴きたい。部品の良否なんて、本来、問うところではない。どんな装置だっていいのである。あなたの収入と、あなたのおかれた環境で選ばれた、あなたの愛好するソリストの音楽を、あなたの部屋で聴きたまえ。
 私はキカイの専門家ではないし、音楽家でもない。私自身、迷える羊だ。その体験で、ある程度、音の改良にサゼッションはできるだろう。しかし、アンプの特性がどうの、混変調歪がどうのと専門的な診断は私にはできないが、そういう専門家のもっともらしい見解に従って改良をやり、じつは音のよくなったためしは私の場合、あまりなかった。
 音づくりというものは、測定器の上で優秀な部品さえ組合わせればすむような単純なものではないらしい。メーカーは、私たちが、または街のエンジニアが、もっともらしい理屈で割り切るようなところで音を作ってはいない。英国デッカでMIII型のカートリッジが完成していたころでさえ、そのコンソール型のステレオ装置〈デコラ〉にはMI型カートリッジしかついていなかったのがいい証拠である。
 ショルティが話題の〝ワルキューレ〟を録音したとき、それを試聴している宣伝写真がレコード雑誌に載っていたが、そのときの装置は〈デコラ〉だった。〝ワルキューレ〟を指揮した当人が〈デコラ〉の音で満足している、これは本当だと思う。
 先年、バイロイト音楽祭が大阪で催されたときのことだ。私は二度聴きに行ったが、前奏曲の鳴り出したとき、ナマのその音は(スケールではない、音質だ)〈デコラ〉の音だったのにおどろいた。わが家のタンノイでもパラゴンの音でもなく、じつに〈デコラ〉の弦の音だったことに。

満足しなくてはならないのは、音のまとまり
 くり返して言うが、ステレオ感やスケールそのものは、〈デコラ〉もわが家のマッキントッシュで鳴らすオーグラフにかなわない。クォードで鳴らしたときの音質に及ばない。しかし、三十畳のわがリスニング・ルームで味わう臨場感なんぞ、フェスティバル・ホールの広さに較べれば箱庭みたいなものだろう。どれほど超大型のコンクリート・ホーンを羅列したって、家庭でコンサート・ホールのスケールのあの広がりはひき出せるものではない。
 ——なら、私たちは何に満足すればいいのか。
 音のまとまりだと、私は思う。ハーモニィである。低音が伸びているとか、ハイが抜けているなどと言ったところで、実演のスケールにはかないっこない。音量は、比較になるまい。ましてレンジは。
 しだかって、メーカーが腐心するのはしょせん音質と調和だろう。その音づくりだ。私がFMを楽しんだテレフンケンS8型も、コンソールだが、キャビネットの底に、下向けに右へウーファー一つをはめ、左に小さな孔九つと大穴ひとつだけが開けてあった。それでコンクリート・ホーン(ジムランのウーファー二個使用)などクソ喰えという低音が鳴った。キャビネットの共振を利用した低音にきまっているが、そういう共振を響かせるようテレフンケン技術陣はアンプをつくり、スピーカーの配置を考えたわけだ。しかも、スピーカーへのソケットに、またコードに、配線図にはない豆粒ほどのチョークやコンデンサーが幾つかつけてあった。音づくりとはそんなものだろうと思う。
〈デコラ〉も同様に違いない。〈デコラ〉は高さ約一メートル、幅一・五メートル。それが、五十畳の応接室の正面に据えてある。壁の面積に較べれば、小さなものである。その小さなキャビネットから出る音が、まるで壁全体にオーケストラメンバーがならんだようにきこえるから不思議だ。フォルテになると、忽然とフルメンバーが現われる。マジックとしか言いようがない。
 考えればしかし、測定上では原音そのままを再生するはずのない、そういう意味ではすでに答の出てしまっているアンプやらスピーカーを組み合わせ、あるいは組み替え、カートリッジをあれこれ変えて、何とか臨場感、迫力を出そうと苦心する私たちの努力も、つまりは音づくりはほかなるまい。時に無惨な失敗に終わることはあっても、一応、各パーツの限界まで愛好家は音をひき出していると思う。武士はあい身たがいと言うが、お互い、そういう努力が明日はよりよい音を私たちにもたらしてくれると信じようではないか。
     *
デコラは聴いてみたい、というよりも聴かなければならない、と読んで思っていた。
でもデコラのことを知るにつれて、聴くのがなかなか難しいことがわかってくる。

デコラがどういう恰好のモノなのかを知ったのは、なんだったろうか。
はっきりと思い出せない。
デコラのカラー写真を見たのは、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseur(サウンドコニサー)だったはず。

デコラについての情報は、昔はそのくらい少少なかった。

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