額縁の存在と選択(その3)
HIGH-TECHNIC SERIES 4の巻頭には、
「フルレンジスピーカーの魅力をさぐる」という座談会が載っている。
この座談会の中で、瀬川先生がこんな発言をされている。
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瀬川 ぼくはレンジ切りかえといういい方をしましたが、タンノイのHPD385Aやアルテックの604−8Gのところで、岡先生がしきりに強調されていた額縁というものを具体的なイメージとしてとらないで、一つの枠の中でといういい方に受け取ってもらえれば、その説明になっていると思います。
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604-8Gの試聴記でも、岡先生は額縁説を出されていると読めるわけだが、
604-8Gのページでの岡先生の発言に「額縁」は一言も出てこない。
おそらく実際は、額縁にたとえられて604-8Gの音を語られたのだろう。
けれど巻頭座談会のまとめをした編集者と、
個々の試聴記のまとめをした編集者が違っていたためと、
最終的なすり合せがおこなわれなかったため、こういうちぐはぐなことになってしまったのだろう。
HIGH-TECHNIC SERIES 4を最初に読んだ時も、このことは気になっていた。
いまは、その時以上に気になっている。
岡先生は604-8Gをどういう額縁と表現されたのだろうか。
同じ2ウェイ同軸型であっても、アルテックとタンノイはアメリカとイギリスという国の違いだけでなく、
違いはいくつもあり、その違いを「額縁」はうまく伝えてくれたかもしれない。
活字になっていない以上、ないものねだりになってしまう。
それに書きたいのは、「コンポーネントステレオの世界 ’75」の巻頭座談会につながっていくからだ。
この座談会で、瀬川先生は、
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》
と発言されている。
これに対し、岡先生は「そういうことは夢にも思わなかった」と答えられ、
そこから岡先生との議論が続く。