Archive for category アナログディスク再生

Date: 8月 30th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その36)

ケイト・ブッシュの12インチ・シングルは、厚手のディスクではなく薄手のディスクだった。
反りがまったくなかったわけではなかったが、特に問題とすることでもなかった。
なんなくトレースできて、12インチ・シングル用のリミックスをどきどきしながら聴いていた。

でもずいぶんあとになって、12インチ・シングルは、再生が難しい、という記事か記述を目にした。
12インチ・シングルの多くは薄手のディスクだから、
反りがあって、その反りによってトレースが困難になるからだ、とあった。

同じ程度の反りでも、レコードの回転数が変れば、その反りによるトレースへの影響の度合も変化する。
ゆっくりな回転数では難なくトレースできる反りでも、45回転、さらには78回転ともなれば、
アナログプレーヤーの性能が充分でなかったり、調整にどこか不備があれば、問題発生となる。

だからマーク・レヴィンソンの45回転盤、オーディオラボの「ザ・ダイアログ」の78回転盤が、
UHQRにしたのもうなずけることだ。
薄手の塩化ビニール盤で反りがあったら、78回転は実現できなかったのではないだろうか。
45回転盤ならば、マーク・レヴィンソンのレコードを購入するぐらいの人ならば、
アナログプレーヤーに不備があることはないだろうが、それでも完璧を期すマーク・レヴィンソンにとっては、
ほんのわずかな反りでも許し難かったのだろう。

レコードの回転数が増せば、33 1/3回転では無視できたことが、なにがしかの問題として浮上してくることになる。
だから、ケイト・ブッシュの45回転盤(12インチ・シングル)も、
グラシェラ・スサーナの第一家電のディスクのように、
UHQRほどではないにせよ、すこし厚手の反りの出にくい仕様であったならば、
もっといい音で聴けたはず、と思いながらも、それでも薄手のすこし反りのあったディスクでも、
12インチ・シングルの音は格別のものがあったし、12インチ・シングルの音にふれたことから、
アナログディスクはエネルギー伝送、CDは信号伝送という個人的な感覚論が、私の中に生れている。

Date: 8月 29th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その35)

UHQR(Ultra High Quality Record)は、
ビクターがテスト用レコードとして考えられるかぎりの高精度を追求したディスクだった、と記憶している。

オーディオラボが78回転盤の「ザ・ダイアログ」に、
マーク・レヴィンソンが45回転のディスクに、この高精度のディスクUHQRを採用した理由のひとつは、
反りとはほぼ無縁の精度の高さを誇っていたことがある、と思う。

レコードの回転数が増せばそれだけ線速度が増す。
アナログディスクは角速度一定だから、レコード外周と内周では線速度が異ることもあって、外周の方が音がいい。
最内周では再生条件はより厳しくなり、
それだけにアナログプレーヤーの微調整はいかに最内周の音をきちんと再生できるか、がポイントになってくる。

45回転といえば、高城重躬氏が担当されているFM番組で、
ストラヴィンスキーの「春の祭典」(だったはず)を回転数を間違えて45回転で再生したのを放送してしまった、
と何かに書かれていたのを思い出す。
いつの話だったのかはもう記憶にないが、
ストラヴィンスキーの音楽(レコード)がまだ珍しい存在だったころのようで、
番組を聴いていた人からの、回転数が違っていた、という指摘はまったくなかっただけでなく、
むしろ迫力ある音が聴けて、好評だった、と(そういう内容だったと記憶している)。

それだけレコードの回転数が増すことの、オーディオ的愉悦はたしかにある。

だからグラシェラ・スサーナの45回転盤を手に入れた。
そして1985年、ケイト・ブッシュの”Hounds of Love”からは、
いくつかの12インチ・シングルが輸入盤で入ってきた。

Date: 8月 29th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その34)

この項の(その32)への川崎先生のコメントにあるように、
1970年代の中頃、ちょうと私がオーディオに興味を持ち始めたころ、
オーディオ誌よりもFM誌のほうに積極的に広告を出していた「第一家電」が、気になっていた。

カートリッジの販売に積極的だった販売店で、
カートリッジ専門の量販店と表現したくなるようなところがあった。
カートリッジをひとつだけ買うよりも、
ふたつ買った方が、さらにはみっつ買った方が、よりお得という売り方だった、と記憶している。

さらに会員になれば、第一家電が東芝EMIと協力して制作していたLPは、45回転の重量盤だった。
そのラインナップのなかに、グラシェラ・スサーナのアルバムがあるのを見つけて、
東京に住むようになったら、
まっさきに、このグラシェラ・スサーナのアナログディスクを手に入れる、と思いつづけていた。

45回転盤なので、片面に4曲。
通常のグラシェラ・スサーナのLP(33 1/3回転盤)は、片面5曲か6曲、収録されていた。

グラシェラ・スサーナ以外に、どんなものがラインナップされていたのか、じつはまったく憶えていない。
私にとっては、とにかくグラシェラ・スサーナのレコードを少しでもいい音で聴きたい、
そのためには33 1/3回転盤よりも45回転盤で聴きたい、
アナログディスクの回転数は音に直接関係してくる。
あのマーク・レヴィンソンも45回転盤を出していた、
さらに菅野先生主宰のオーディオラボからは「ザ・ダイアログ」の78回転盤も登場していた。

マーク・レヴィンソンのディスクも、オーディオラボの78回転も、ビクターが開発したUHQR盤だった。

Date: 8月 28th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その33)

すこし具体的に書けば、927Dstのイメージは大型の電源トランス(それも低磁束密度のコア採用)に、
容量も十分過ぎる平滑コンデンサーの組合せ、しかもチョークコイルも、チョークインプット方式で使っている、
電源の余裕度は、必要とされるエネルギー量の数倍、これまた十分にとってある。
あえて言葉で表現すると、こんなふうになる。

Anna Logはバッテリー電源のイメージなので、
商用電源を整流・平滑しての一般的な電源ほど贅沢な余裕度を確保するのは、やや厳しいところがある。
そのかわり出力インピーダンスは十分に低く、なによりもノイズが商用電源に頼る電源部と違い、
格段に少ない、というメリットがある。

なかばこじつけ的な印象を書いているが、
それでもこういうことを思わせる違いが、927DstとAnna Logの違いとしてあり、
それがこのふたつのプレーヤーの音の性格の違い──動と静──となっている。
そして、どちらも優秀な電源であり、それぞれに特徴があり、
私のなかには、どちらが理想の電源に近いのかという比較の対象ではない。

あくまではこれは、どこまでいっても個人的な感覚論にしかすぎない。
そして、その個人的な感覚論からいえば、
私にとってアナログディスクはエネルギー伝送、CDは信号伝送、というイメージへとつながっている。

Date: 8月 28th, 2011
Cate: アナログディスク再生
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私にとってアナログディスク再生とは(その32)

カートリッジの、カンチレバーの先端にダイアモンドの針先がついている。
この針先がレコードの音溝をトレースして電気信号に変換していく。
このダイアモンドの針先の動きは上下左右だけでなく、
ステレオディスクが45/45方式でカッティングされているため、あらゆる方向へと音溝によって動かされる。
その動きの幅も音溝の振幅によって左右されるから針先が音溝から飛び跳ねる寸前まで動かされることもあれば、
ほとんど静止しているかのようなときもある。

このダイアモンドの針先の動きを、レコード片面の再生中撮影して、
光の線でその軌跡を拡大して表示したら、ダイアモンドが舞っているかのようにみえるのかもしれない。

ダイアモンドの針先がそういうふうに舞うことができるのは、
レコードが回転しているから、である。
レコードが回転を止めてしまったら、
どんなに優秀なカートリッジといえども、ダイアモンドの針先も舞うことを止めてしまう。

つまりレコードの回転(ようするにターンテーブル・プラッターの回転)がエネルギー源となっていて、
レコードの音溝とカートリッジが、音声信号へと変調している、ともいえる。
アンプもそうだ。
アンプ部にDC(直流)で供給される電源を、入力信号に応じて変調し、
外側から見るとそも入力信号を増幅して出力信号として送り出しているようにうつるのと同じことで、
アンプが電源部の回路・規模をふくめたクォリティによって音が変化するように、
アナログプレーヤーも、ターンテーブル・プラッターの回転が、いわばアンプにおける電源部にあたることになる。

この視点から、EMTの927dstとノッティンガムアナログスタジオのAnna Logを比較すると、
927Dstは交流を整流して直流にする電源、Anna Logはそうではなくてバッテリーにたとえられるのではないか。

Date: 8月 27th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その31)

ノッティンガムアナログスタジオのAnna LogにとりつけたオルトフォンSPU Classicのリードインの音は、
おそらくボッとかブッといった濁音がイメージされる音ではなく、かといってポッやプッでもないような気がする。
もっと静かな感じで、尾をひかない。だからポッではなくてポ、だったり、プッではなくプ、かもしれないし、
ほんとうに調整を追い込めば、半濁音も消え去ってしまうかもしれない。
もしくはフッと吹いたその息で、火をふき消すようにノイズを消し去ってしまうかのような感じかもしれない。

実際に音を聴かないと確実なことはいえないのがオーディオであることは重々承知のうえで、
それでもAnna Logでのリードインの音は、尾をひかないことだけはいえるはずだ。
このことが、消極的な音の表現になってしまっていては、Anna Logに魅力は感じない。

けれど井上先生の評価を読むと、そうでないことははっきりとわかる。
「SN比の高さは格段の印象」と書かれ、さらに「静か」という表現をくり返されている。
それでいて「確実に音溝を拾い」ながら「内容の濃い音を聴かせる」とある。
アナログディスクらしい、手応えの感じられる音が、Anna Logからは得られるはずだ。

Anna Logは静かだが、けっして薄っぺらな音につながる静けさではなく、
ストレスフリーへとつながっていく静けさをもつ。

こういう音を聴かせてくれるアナログプレーヤーが、Anna Log以前にあっただろうか。

暗く沈んだ印象の音を聴かせるプレイヤーはいくつもあった。
私がアナログディスク再生に求めたいヴィヴィッドな感じが見事にスポイルしてくれるプレーヤーは、
いくつかも聴いてきた。その中には非常に高価なプレーヤーもあった。
そんなアナログプレーヤーを、新世代のアナログプレーヤーともて囃す人たちもいるのは知っているが、
アナログディスク再生における「静けさ」と「暗い音」「沈んだ音」は同じではない。

音の傾向としては動と静という対極の性格をもちながらも、
EMTの927Dst(930st)同様、音楽をヴィヴィッドに甦らせることに関しては共通するものがある、というよりも、
まったく同じなのかもしれない、と井上先生の書かれたAnna Logの記事を読みながら、そう思った。

生れた国(ドイツとイギリス)の違い、開発年代の違い(半世紀ほど離れている)、
使用目的の違い(プロ用とコンシューマー用)などから、
見た目も構造も使い勝手も大きく異る927DstとAnna Logではあるが、
アナログディスク再生のもっとも大事なことは、どちらもしっかりとおさえている。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その30・余談)

リードインのノイズ音の話から、レコードの偏芯の話になりナカミチのTX1000について書いていって、
やっとAnna Logの話に戻ってきて、
TX1000とAnna Log、このふたつの写真をiMacのディスプレイに表示して見較べると、
どちらもアナログプレーヤーであり、30cmのレコードをかけるモノなのに、
どうしてこうも醸し出す雰囲気が違うのか、と思い、
アナログプレーヤーのデザインの面白さに、わくわくするものを感じとれる。

オーディオ・コンポーネントのなかでは、スピーカーシステムが、
デザインとしてはもっとも多彩と思われるかもしれない。
使用されるユニットの数・種類、口径はじつにさまざまで、エンクロージュアのサイズも形もさまざま。
そういうスピーカーシステムからすると、
アナログプレーヤーはレコードのサイズが決まっているからターンテーブル・プラッターの径も自動的に決まる。
ターンテーブルプラッターの他に必要とするものはトーンアーム。
中には複数トーンアームを搭載できるモノもあるが、多くは1本だけ。
このトーンアームのサイズも、スピーカーのユニットのサイズのバラバラさ加減と比較すると、
これもターンテーブル・プラッター同様、レギュラータイプとロングタイプがあるくらいだ。

にもかかわらず私はアナログプレーヤーのほうが、スピーカーシステム以上に作り手の考え方や、
それにレコードに対する想い加わってはっきりとした「かたち」となって顕れてくるものは、
他のジャンルの器械を見渡しても、そうはないのではないだろうか。

もっともっと、ほんとうにさらにさらに、アナログプレーヤーのデザインについては語られるべきだ。
きっと語り尽くせぬほどの何かがあり、その先にたどりつけるのであれば、
オーディオに関係したこと、という枠をこえた大事なものを見つけ出せそうな、そんな気がしてならない。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その30)

ノッティンガムアナログスタジオのAnna LogにオルトフォンSPU Classicを組み合わせたときの、
リードインのノイズ音は、いったいどういう感じになるのだろうか。

参考になるのは、やはり井上先生がステレオサウンド 133号に書かれた記事だ。
133号の試聴ではカートリッジは同じオルトフォンだが、SPUではなくMC Jubileeだ。
Anna Logの音についてはこう書かれている。
     *
カートリッジが現在の最先端技術を組み合わせたモデルであるだけに、スクラッチノイズの質はよく、量も低く抑えられ、伸びやかに広帯域型の音を聴かせる。しっとりした、ほどよくしなやかで潤いのある音は非常にナチュラルで、SN比の高さは格別の印象である。確実に音溝を拾いながらも、エッジの張った音とならず、情報量豊かに静かに内容の濃い音を聴かせるパフォーマンスは見事である。
簡単に書くと、穏やかな音と感じられるが、他の100万円級のADプレーヤーと比較試聴すると、予想以上の格差があり、あらためて『アンナ・ログ』の実力の高さに感銘を受ける。従来の針先が音溝を拾う感じのあるリアリティの高さもアナログの楽しさだが、この静かなストレスフリーの音も新世代のアナログの音である。
     *
ステレオサウンド 133号の特集はコンポーネンツ・オブ・ザイヤー賞で、Anna Logは選ばれている。
そこでの座談会では、こう語られている。
     *
何気ない音の出方をするんです。他のプレーヤーと較べるとはじめて凄さがわかる。これ見よがしな音がいっさいしないプレーヤーなんです。
     *
これらの文章から、まずはっきりと伝わってきたのは、
EMTの927Dstとは正反対の性格と能力をもつプレーヤーであるということだ。
だから、927Dstとともに、
このAnna Logが、死ぬまでにいちどは自分のものとしてとことん使ってみたいプレーヤーなのだ。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その29)

TX1000の実物を見たとき、おそらく他の方もそうだと思うが、「でかい」と口走りそうになった。
しかも横に長いプロポーションで、四隅に脚がはみ出すようにはえている。
操作ボタンを集中させてコントロールボックス(パネル)がやはり本体から飛び出している。
しかもそのスイッチは、ナカミチのカセットデッキ的なものだった。

レコードの芯出し機能を何度か試して、その効果を楽しんだ後は、
もう一度しげしげとTX1000をながめると、これをレコードを鳴らすモノといっていいのだろうか、と思えてくる。
ナカミチは、レコードをカセットテープのように捉えていたのではないか、とさえ思う。

カセットテープは、音が記録されているテープそのものには手がふれない。
手がふれるのは、あくまでもケースの部分だけ。
この点で、同じテープデッキでも、オープンリールデッキと異る。
オープンリールデッキでは、直接テープを指でつまみ、キャプスタン、テープヘッドのあいだを通していく。
レコードも、レコードそのものを手でふれる。

ナカミチがオープンリールデッキをつくっていたのは知っている。
けれどカセットデッキに集中しすぎて、この感覚をどこかに忘れてしまっているように思えてならない。
有機的な質感のレコードとは正反対の無機的な質感のTX1000を、カッコイイと感じる人はいるだろうが、
私は、TX1000の外観は拒否したい、と感じる人間だ。

ナカミチはTX1000の普及モデルとしてDragon-CTを出した。
TX1000とは大きさも見た目もかなり変ったが、
それでも、愛聴盤を、このプレーヤーで鳴らしたいという雰囲気はやっぱりなかった。

TX1000は試みとしてはユニークなものがあったが、決して成功したとはいえない。
TX1000をお使いになっている方には申し訳ないが、TX1000は試みだけで終ってしまっている。

なぜか。
それは10秒間という芯出し作業にかかる時間、無機的で大きすぎる外観、
芯出しの効果は音としてはっきりと聴きとれるものの、
それ以前のアナログプレーヤーとしての基本的な素性、音を含めての性能にも不足を感じるものだった。
それにレコードの芯出しは、短期間に集中してくり返しやって鍛えていくことで、
ある範囲内におさめることはできるようになる、ということも理由としてある。
あともうひとつあった、レコードがかけにくいのだ。

ナカミチに、オーディオのことを感覚的な面でもしっかりと理解しているデザイナーがいてくれてたら、
TX1000は、まるで違う形になっていたであろうし、評価も大きく変っていた……、とつい思ってしまう。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その28)

ナカミチのTX1000がステレオサウンド試聴室に持ち込まれたとき、
この芯出し機能は、たしかに面白かった。
試聴室という性格上、アナログプレーヤー、アンプ、CDプレーヤーなど操作をするものは目の前に置く。
手を伸ばすだけですぐに操作できる距離に置いておく。

TX1000の芯出し作業の10秒間を数人の男がじっと見つめている。
芯出しが完了して音を聴く。効果が音で確認できる。
試聴だから、他のレコードも聴く。また芯出し作業の10秒間をじっと待つ。
そしてまた別のレコード……。同じことのくり返し……。

1日に1枚のレコードしか聴かない人ならば、この10秒間もたえられないものにはならないかもしれない。
でも休日など、まとまった時間がとれたとき、気のむくまま、好きなレコードをあれこれ聴いていこうとしたとき、
TX1000の10秒は、次第に、というよりも、すぐにたえられないものになってくる。
LPは片面すべて頭から終りまで聴くこともあれば、
好きな曲だけを1曲だけ選んで聴くこともある。
数分の1曲を聴くためにも、20数分の曲を聴くときも、10秒は聴く前に待たなければならない。

TX1000の芯出し機能は、ナカミチらしい機能だといえるが、
これではレコードファンの心情をまったく理解していないものである。

TX1000がオートプレーヤーだったら、
この10秒間は、デュアルの1219のように「黄金の10秒間」といわれたかもしれない。
芯出し作業を終えたら自動的にカートリッジをレコードの盤面に降ろしてくれる、という機能があれば、
TX1000に対する評価は大きく変ったはずだが、TX1000はくり返しになるが、トーンアーム・レス型なのだ。

Date: 8月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生
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私にとってアナログディスク再生とは(その27)

「続コンポーネントステレオのすすめ」の中の「オートかマニュアルか?」に、
瀬川先生は、デュアルのプレーヤーのことを次のように書かれている。
     *
音楽評論家の黒田恭一氏は、かつて西独デュアルのオートマチックのプレーヤーを愛用しておられた。このプレーヤーは、レコードを載せてスタートのボタンを押すだけで、あとは一切を自動的に演奏し終了するが、ボタンを押してから最初の音が出るまでに、約14秒の時間がかかる。この14秒のあいだに、黒田氏は、ゆっくりと自分の椅子に身を沈めて、音楽の始まるのを待つ。黒田氏がそれを「黄金の14秒」と名づけたことからもわかるように、レコードを載せてから音が聴こえはじめるまでの、黒田氏にとっては「快適」なタイムラグ(時間ズレ)なのである。
ところが私(瀬川)はこれと反対だ。ボタンを押してから14秒はおろか、5秒でももう長すぎてイライラする。というよりも、自分には自分の感覚のリズムがあって、オートプレーヤーはその感覚のリズムに全く乗ってくれない。それよりは、自動(オート)でない手がけ(マニュアル)のプレーヤーで、トーンアームを自分の手でレコードに載せたい。針をレコードの好きな部分にたちどころに下ろし、その瞬間に、空いているほうの手でサッとボリュウムを上げる。岡俊雄氏はそれを「この間約1/2秒かそれ以下……」といささか過大に書いてくださったが、レコードプレーヤーの操作にいくぶんの自信のある私でも、常に1/2秒以下というわけにはゆかない。であるにしても、ともかく私は、オートプレーヤーの「勝手なタイムラグ」が我慢できないほどせっかちだ。
こういう、音とは別のいわば人間ひとりひとりの「性分」や、生態のリズムのような部分が、プレーヤーを選ぶときにオートかマニュアルかを分ける意外に大切な部分ではないかと、私は思っている。
     *
ここでは20秒が14秒になっているが、
とにかくデュアルの1219はスタートスイッチを押してから音が出るまでの時間が存在している。
自らせっかちな性分といわれる瀬川先生には、黒田先生にとっての「黄金の20秒」はたえられない20秒となる。

TX1000はレコードの芯出し作業に、約10秒ほどかける。
だが、この10秒は、デュアル1219の20秒とは、異る時間だ。

1219では椅子に坐ってまっていれば、音楽が鳴り出してくれる。
ところがTX1000は、トーンアーム・レスのプレーヤーだから、
10秒たったあとに自動的にレコードを再生してくれるわけではない。
10秒待ち、TX1000がレコード芯出し作業を終えた後、
自分の手でカートリッジをレコードの盤面に降ろさなくてはならない。

Date: 8月 17th, 2011
Cate: アナログディスク再生
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私にとってアナログディスク再生とは(その26)

レコードの偏芯による音質の劣化に注目したアナログプレーヤーが、いまから30年前に存在していた。
ナカミチのTX1000というトーンアーム・レスのアナログプレーヤーである。

TX1000の最大の特徴は、アブソリュート・センター・サーチ・システムと名づけられた独自の機構で、
アナログディスクの最終溝(音が刻まれている溝とレーベルの間にある無音溝)を、
トーンアームの対面にもうけられたセンサーアームがトレースして偏芯の具合の検出、補整するもの。
この機構・機能の大前提は、最終溝が真円であるということ。
最終溝が真円でなかったら……、という疑問はあるけれど、
実際にTX1000で芯出しを行う前と行った後の音を比較すると、はっきりとした効果がある。
もちろんレコードがうまくぴたっと芯が合って収まっているときは効果はないわけだが、
ズレが大きいほど当然だが音の変化も大きい。

TX1000がこの芯出し作業を行い終えるまで、たしか10秒近くかかっていたと思う。
この10秒間を、どう受けとるのか、人によってさまざまのはず。

思い出すのはデュアルのアナログプレーヤーの1219のことだ。
この1219はいわゆるオートプレーヤーで、
スタートスイッチをおしてカートリッジがレコード盤面に降りて音が出るまでに約20秒の時間がある。
この20秒を、黒田先生は「黄金の20秒」といわれていた。

聴きたいレコードを1219にセットしてスタートスイッチを押す。
そして椅子にかけて音が出るのを待つ。20秒の時間があれば、多少プレーヤーと椅子のあいだが離れていて、
あわてることなくゆっくりと椅子にかけて、ゆっくりと音楽が始まるのを待てる。
これについては、「聴こえるものの彼方へ」所収の “My Funny Equipments, My Late Friends” に書かれている。

黒田先生は、この20秒を、短すぎず長すぎず、黒田先生にとってはグッドタイミングであったのだが、
まったく違う受けとめかたをされていたのが、瀬川先生である。

Date: 8月 17th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(補足)

(その26)を書く前に、ひとつ書いておきたいことがある。
アナログディスクの取扱い、カートリッジの取扱いに長けていらっしゃる方は読み飛ばしてくださってほしいが、
ときどきアナログプレーヤーの操作に慣れていないのか、カートリッジを大切にしすぎてのことだろうと思うが、
カートリッジをレコードの盤面に降ろす、ということを少し誤解されているのではないか、と思うこともある。

カートリッジをレコードの盤面に降ろす、ということは、文字通り、降ろす、である。
つまりカートリッジをレコードの盤面近くに近づけたら、ヘッドシェルの指かけから指を離して、
カートリッジを自然落下させる、ということだ。
もちろんレコードの盤面とカートリッジのあいだが離れすぎていては、どちらも傷めてしまうことになるが、
大事に思う気持がいきすぎてしまい、
カートリッジの針先がレコードの溝にふれるまでヘッドシェルをつかんでしまうことは、
逆にレコードもカートリッジも傷めてしまうことにつながる。

トーンアームの調整──、ゼロバランスをとり針圧をかけた状態では、
針圧が重めであってもヘッドシェルから指を話した瞬間に勢いよくレコードの上に降りることはない。
すーっと降りていくものだ。
だから、ぎりぎりのところで指を離して、
あとはカートリッジの自然落下(といっても、それはほんのわずかだ)にまかせるのが、
カートリッジにとっても、レコードにとっても大切なことである。

そのためにはヘッドシェルの指かけの形状が重要になってくる。
ヘッドシェルの指かけを親指と人さし指ではさむようにもつ人もいるが、このことも気をつけたい。
いい指かけならば、人さし指を軽くあてるだけで、指からすり落ちてしまうことはない。

指かけが弓なりになっているものがあるため、指かけの下に人さし指を入れたくなるけれど、
指かけで大事なのは、指かけの端に人さし指の腹をちょっと押しあてるための小さな突起である。
この突起に人さし指を押しあてて、針を降ろしたい位置までもっていったら、すっと指を後方に逃がすだけでいい。

Date: 8月 16th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その25)

経験をつむことで、なるほど、レコードの偏芯の具合がリードインのノイズ音でわかるのか、
でもだからといって、偏芯をコントロールすることはできないんだろう……と思われる方もおられるだろう。

ステレオサウンドの試聴室でカートリッジの比較試聴があると、
20機種のカートリッジを1日で取材することになる。
カートリッジをひとつ聴くのに3枚の試聴レコードを使うとしたら、最低でも60回レコードのかけ替えを行う。
カートリッジの試聴はそれだけでは終らない。
針圧を調整して、インサイドフォースキャンセラーの量も変化させて、といった細かい調整をおこない、
限られた時間内で最適の状態で鳴らすようにする。
これがあるためにレコードのかけ替えの回数はさらに増える。
これらの作業は、すべて編集部(私)がやっていた。

ここで大事なのはカートリッジの調整の確かさだけではなく、
レコードの偏芯をどれだけある範囲内におさめることができるかである。
偏芯が大きすぎると、リードインのノイズ音が鳴った瞬間に、鬼の耳の持主といわれた井上先生から、
「ズレが大きいぞ」と指摘される。

これは指摘だけでなく、やり直せ、という意味も含まれている。
カートリッジの試聴には、そのぐらいを気を使う。

やり直す、これも一度で決めないといけない。
こういうことをくり返していると、
少なくともステレオサウンド試聴室にリファレンス・プレーヤーのマイクロのSX8000IIに関しては、
扱い馴れているから、ある範囲内で偏芯を収めることは、じつはそう難しいことではない。

このことはプレーヤーの使いやすさとはなにかとも関係してくることだ。
ターンテーブルプラッターの形状、その周辺のつくりによっては、
このコントロールがやりにくいものがある。かと思うと、
はじめて使うのに、すっと馴染んできて勘どころが掴めるプレーヤーもある。

Date: 8月 16th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その24)

ノッティンガムアナログスタジオのAnna Logで、とにかくまず確認したいことは、
オルトフォンのSPUを取りつけて、そのときのリードインの、あのボッ、とか、ポッとかいうノイズの音だ。
おそらくリードインの音が、これまでSPUをとりつけて聴いてきたいかなるプレーヤーとも異る音がしそうなのだ。

このリードインの音は、アナログディスク再生の経験をじっくりと積んできた人ならば、
このわずかな、短い音だけで、音楽が鳴ってくる前に、ある程度のことを掴むことができる。
しかも、リードインのノイズ音には、ごまかしがない。
たとえこちらの体調が悪くて鼻が詰まっていて、耳の調子もいまひとつ、というようなときでも、
このリードインのノイズ音を注意深く聴き、永年の経験から判断すれば、これだけでも判断を間違えることはない。

たとえばこのリードインのノイズ音でわかることのひとつに、レコードの偏芯がある。
レコードには、スピンドルを通すための孔がある。
この孔の寸法は規格で決っていても、多少の誤差は認められているし、
スピンドルも同じようにメーカーや製品によって多少の寸法の違いがある。

私の経験ではわりとアメリカのLPに多かったのが、
レコード側の孔が小さくてぐっと力をこめないとターンテーブルに接しないものもあったが、
一般的にはレコード側の孔のほうがスピンドルの径よりもやや大きい。
だからスムーズにレコードがおさまるわけだが、レコード側の孔が大きいということは、
スピンドルの中心軸ととレコードの中心が完全に一致するわけではない、ということが起る。
というよりも、なかなか完全に一致することの方が少ない。

完全一致は少ないけれど、それよりも大きく、つまり誤差の範囲で最大限に芯がズレてしまうことがある。
といっても、そのズレ(偏芯)は目で見てわかるレベルではない。
けれど、リードインのノイズ音を聴けば、
どの程度芯があっているのかは、馴れていれば瞬時に判断できるようになる。