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Date: 12月 2nd, 2008
Cate: ワイドレンジ, 井上卓也

ワイドレンジ考(その24)

スピーカーのワイドレンジ実現のための有効な手段のひとつが、マルチウェイ化だ。
フルレンジよりも2ウェイ、2ウェイよりも3ウェイ、そして現実的には4ウェイが限界だろう。

周波数レンジの拡大だけでなく、それぞれのユニットを良好な帯域のみで使用することで、
低歪化も狙えるし、最大出力音圧レベルの点でも有利になる。

井上先生──ことわるまでもないが、私にとって井上先生は、井上卓也氏のこと──が、
「2ウェイは二次方程式、3ウェイは三次方程式、4ウェイは四次方程式みたいなもので、
解くのがだんだんと難しくなってくる」とよく言われていたのを思い出す。

4ウェイとなると、同軸ユニットを使わない限り、最低でも4つのユニットが必要になり、
ユニットの口径も、4343を例にあげれば、ウーファーは38cm、
トゥイーターの2405のダイヤフラムの口径は1-3/4インチとかなりの開きがある。

これだけ大きさの異るものをどう配置するか。
定位の再現性を考慮すれば、できるだけ個々のユニットは近づけたいが、
それぞれのユニットの音響面を少しでも理想的にするには、
そしてユニット同士の干渉──音響面だけでなく磁気的な面も含め──を減らすには、
ユニット間の距離は逆に広げたい。

問題になるのは、指向性である。水平方向の指向性は確保できても、
垂直方向の指向性をほぼ均等に保つことは、かなり難しい。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: BBCモニター, PM510, Rogers

BBCモニター考(その1)

こんなことがあった。

ステレオサウンドに入ったばかりの頃、試聴室となりの倉庫に、ちょうどロジャースのPM510があった。
もちろん、さっそく聴いてみた。
まず試聴室のリファレンススピーカーの4343を聴いた後、PM510に変えた。
アンプ、プレーヤーはそのままである。

出てきた音に、すくなからず驚いた。音がとても粗い。
なぜ、こんな音がするのか、不思議なほど、特に微小域の音が粗かった。

アンプを、マイケルソン&オースチンのTVA1に変えてみた。
嘘のように、粗さは消えている。
もういちどアンプを戻すと、やはり粗い。

もしかしてACの極性が反対かと思い、反転させてみても音の粗さは変わらず。
当時、世評の高いセパレートアンプの組合せである。
4343にもう一度つなげて聴くと、粗さは感じられない。

カタログ上の音圧レベルは、PM510は94dB、4343は93dB。
ほとんど同じだから、アンプの出力もほぼ同じ領域で使っていたわけだ。
にもかかわらず、4343では聴きとれなかった、というか気にならなかった音の粗さが、
PM510では耳について、気になって仕方がなかった。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: 録音

50年(その3)

数年前の、ちょうどこの時期、ある大型レコード店で、
フルトヴェングラーのバイロイトの第九がちょうどかかっているところだった。

店内をふらふらしていたら、あるポイントに来たとたん、急にフルトヴェングラーの第九が、
広がりと奥行きを持って聴こえた。
かかっていたCDは、モノーラル盤で疑似ステレオのブライトクランク盤ではない。

もちろんほんもののステレオ録音のように、明確な音像定位は感じられない。
そこには幾何学的正確さはないが、心地よく音が広がっていた。
そのポイントから外れると、モノーラル的な鳴り方に戻る。

レコード店の天井には複数のスピーカーが吊り下げられている。
それが干渉しあって、たまたまステレオ的な広がりを聴かせるポイントが生れていただけなのだろう。

まったく偶然の産物だった鳴り方だが、
フルトヴェングラーの雄大さ──大きくて堂々としたところ──が、はっきりと感じられた。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: よもやま

行間を読む前に……

2年前になるが、ある個人サイトに五味先生の言葉が引用されていて、
サイトの主宰者の意見が綴られていたのだが、
五味先生の言葉が言わんとするところと、主宰者の主張はどう読んでも喰い違う。
でもご本人は、五味先生の言葉を同意見として引用されている。

引用されていた五味先生の言葉の前後を、著書を読んで確認しても、やはり納得できない。
そこで主宰者の方にメールを出した。

返ってきたメールには、「私は行間を読んでいる」と書いてあった。
そのサイトで公開されている主宰者のプロフィールをみると、まだ20代の方だ。

40代の私が何度読んでも読み取ることが出来なかったことを、
その方は行間から読み取られたことになる。

皮肉で言っているのではない。
なにも私の読み方が絶対だと言っているのでもない。

以前書いたように、いまでも五味先生の著書は、1年に1冊、どれかをくり返し読んでいる。

ディスクにおさめられている音楽は、オーディオ機器の変化や音の変化によって、
以前は聴きとり難かった音も明瞭に聴こえてくるのに対して、
本の活字は若いころに読んだときも40代の今、読んでも、なんら変化はない。
活字そのものが変化することは、当り前だがありえない。

オーディオ的に言えば、本から得られる情報量は同じだが、
こちらの感じかたは、若いころと同じところもあれば、大きく異るところもある。

それでも、私には行間を読んでいる、感じとれるようになったという意識は、実のところない。
いかにも、世の中は、行間を読むことが、
書いてある文字を読むことより高尚なことみたいに思われがちのようだし、
そう言われているように私は感じている。
だが、少なくとも優れた書き手の文章を読む上で、もっとも優先すべきことは、
そこに書かれている文字をしっかり読むことであろう。
納得いくまでくり返し読むことであり、それにはある種の辛抱強さを求められる。

あえて言う、行間には何も書いてない。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: 4343, 4350, JBL

4343と4350(その1)

4343(4341も含む)と4350の、いちばん大きな違いは、中低域の再現力の差だと感じている。
システム全体の構成も、もちろん大きく違う。
4350Aは4343、4341と同じウーファー(2231A)の二発使用で、バイアンプ駆動が前提。
ミッドバス帯域のユニットも、25cm口径の212から30cm口径の2202に、
ドライバーも2420から2440に、全体的にスケールが一回り大きくなっている。

4343が、ある節度を保った、破綻の少ないまとまりのよさを見せるのに対して、
4350Aは凄みのある雰囲気を持つ。

バスレフポートの数も4343は2つ、4350Aは6つ、
エンクロージュアの奥行きも4350Aは50.3cmと、4333、4341とほぼ同じ値だ。

違いはいくつもあるが、それでもいちばんの違いは、中低域だ。

4341のときからそうだが、ミッドバスを加えた4ウェイ構成にも関わらず、
中低域の豊かさが不足している。
周波数特性的に問題なくても、聴感上、エネルギー感が不足気味で、
ミッドハイの2420とウーファーの2231Aの間にはさまれて喘いでいる、そんな印象さえ受ける。

もっとも4341では、逆にこのことが魅力にもつながっており、
スリムでセンシティヴとも言える音は、好きなひとにはたまらないはずだ。

4343になり、ユニットは同じながらも、中低域の鳴りの悪さは改善されており、
4341と比べると、音全体のスケール感は大きく、安定している感がある。
それでも中低域の豊かさを感じさせてくれるかというと、
中低域専用ユニットを持っているのに……、と言いたくなる。

4350Aは、さすがにそんな印象はまったくない。
4ウェイ構成の良さが──うまく鳴ったときの音に限るが──見事に活きている。
これが、JBLが、はじめて開発した4ウェイ・スピーカーだから、おそれいる。

正確には言えば、最初のモデルは4350で、2230ウーファーを搭載している。
4350は聴いたことがないので、4350Aで話を進めていく。

Date: 12月 1st, 2008
Cate: 正しいもの

正しいもの(その1)

正しいデザインとは、なんだろうと、ふと思ってしまった。

美しいデザイン、カッコいいデザインと言ったりする。
オーディオにおける音、これも、美しい音と言う。そして正しい音という言葉も使う。
録音と再生の、ふたつのプロセスがあるため、
元との比較の意味合いで「正しい」という単語が自然と使われるのだろうが、
正しいデザインと同じ意味での正しい音、そんなものがあるのか、そういうことが言えるのか。

正しいもの、とは、いったいどんなことなのか。

フルトヴェングラーの「音楽ノート」を開く。
1945年の言葉。
「肝要なことは、精神の豊かさでもなければ、深い感情でもない。
ひとえに正しいもの、真実なものである(私は六十歳にしてこのことを記す)。」とある。

ここでフルトヴェングラーが言っている「正しいもの」とは、
同じ1945年の次の言葉が語っている。
「思考する人間がつねに傾向や趨勢のみを『思考する』だけで、
平衡状態を考えることができないのは、まさに思考の悲劇である。
平衡状態はただ感知されるだけである。
言い換えれば、正しいものは──それはつねに平衡状態である──ただ感知され、体験されるだけであって、
およそ認識され、思考されうるものではない。」

フルトヴェングラーが言う、正しいものとは、つねに平衡状態であること。
平衡状態に関する言葉で、「静力学的」という言葉も使っている。

やはり、これも1945年の言葉である。
「芸術家の立場から言えば、過度の感情と、たんに『思考された』観念とは本質的に同じものである。
両者ともに『静力学的(シュターティッシュ)』には重要でない。
私はこのことをつねに感じていたが、それを認識するまでに残念ながらほぼ六十年を費やした。」と語り、
さらに「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定している楽曲は、決して法外な長さを必要としない。」という。

「楽曲」をデザインに置き換えてみる。
「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定しているデザイン」は、なにを必要としないのだろうか。
楽曲における法外な長さは、デザインにおけるなんなのだろうか。法外な冗長さだろうか……。

音に置き換えてみるとどうだろうか。
「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定している音」、
なんとなくイメージできそうな気がするようなしないような。

正しい音が必要としないのは、やはり法外な冗長さだろうか……、法外な情報量かもしれない。

Date: 11月 30th, 2008
Cate: 録音

50年(その2)

ブラムラインがいたコロムビアは、1931年にHMV(イギリス・グラモフォン)を買収して、
EMI(Electric and Musical Industries Ltd.)となる。

ドイツでは、第二次大戦中にステレオ録音ヘッドの開発に成功し、
1944年秋、ギーゼキングとローター指揮ベルリン放送管弦楽団による
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のステレオ録音を行なっている。

不思議に思うのは、なぜフルトヴェングラーのステレオ録音が存在しないのか、である。
1981年だったか、イタリアのチェトラ・レーベルからフルトヴェングラー/スカラ座オーケストラによる
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の全曲LPが出ると話題になったとき、
当初ステレオ録音だと発表されていた。
結局、発売されたLPはモノーラルだった。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、ほんとうにないのか。
モノーラル録音と同時にステレオ録音も試していたとしても不思議ではない。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、どこかにあって、それを誰かが独り占めしている……、
あくまでも妄想にしかすぎないけど、そんな気がしてならない。

Date: 11月 30th, 2008
Cate: 五味康祐

長生きする才能

五味先生の遺稿集「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)を読んでいると、
いくつもの、印象ぶかい言葉にぶつかる。

「私の好きな演奏家たち」に出てくる言葉がある。
     *
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     *
「長生きしたくないなぁ、50くらいでぽっくり死にたいな。病気で苦しみたくないし」という者が、
私のまわりに何人かいる。おそらく、そう思っている人は少なくないのかもしれない。
先の見えないこういう時代だと猶更なのか。

私も、20代前半のころは、そんなふうに思っていたことがある。
30過ぎたころから「長生きもいいかも」と思いはじめ、
そして5年くらい前から「しぶとく長生きしよう」と決めた。

長生きする才能が備わっているかどうかはわからないので、思うだけ、なのだが、
長生きしなければ出しえない音がある以上は、思うことからはじめる。
そう決めた。

Date: 11月 30th, 2008
Cate: 録音

50年(その1)

あまりというか、ほとんど話題になっていないようだが、今年はステレオLPが誕生して50年目である。

ステレオ録音のはじまりはずっと以前に遡る。
バイノーラルサウンドの発見は、1881年、フランスのクレマン・アデルによってなされている。
ステレオ録音、ステレオディスクの歴史に関しては、
岡先生の「マイクログルーヴからデジタルへ」の下巻をお読みいただきたい。
一時期絶版だったこの本も、オンデマンド出版で購入できる。

1988年、ステレオサウンドからいちばん近いレコード店は、WAVE六本木店で、週に3度は通っていた。
まだオリジナルLPが騒がれる前ということと、CD全盛の時代ということもあって、
グレン・グールドの初期LPが格安で大量に入荷して、まとめ買いしたことがある。

これだけ通っていると、めずらしいレコードを見つけることもある。
ステレオサウンドの記事で紹介したことのあるブラムラインのステレオディスクも、
WAVEで見つけた一枚である。

アラン・ドゥアー・ブラムラインは、1924年からインターナショナル・ウェスタン・エレクトリックで、
国際電話網の建設に従事した後、29年にイギリスのコロムビアに入社している。
コロムビアの研究所にはいったブラムラインは、
ベル研究所の録音用カッターヘッドがバランスドアーマチュア型なのに気がつき、
ムービングコイル型のカッターヘッドの開発・試作を行なっている。
しかもMFBによる改良も実現している。
カッターヘッドだけでなく、
ムービングコイル式(MC型)カートリッジやマイクロフォンの試作も行なっていたらしい。

MC型カッターヘッドの最初の特許は1931年12月14日に申請され、1933年6月14日、
イギリス特許第394325号として登録されている。
この特許には、バイノーラルという言葉で、
現在の45/45方式のステレオ録音と再生に関する原理特許も含まれている。

ブラムラインは、2つのコンデンサー型マイクロフォンを組み合せたMS方式のステレオマイクも開発、
1933−4年ごろ、ステレオディスクの録音・再生のテストを行なっている。
だが当時はまだSP時代だったため、商品化にはいたらなかった。

ブラムラインのステレオディスクは、そんななかの一枚と思われるもので、
ビーチャムの指揮による録音が収められていた。

レーベルはSymposium。LPではなく78回転のSPのステレオディスクである。
とうぜん再生にはSPのステレオカートリッジが必要になる。
海老沢徹氏に、「こういうレコードをみつけました」と連絡したところ、
ひじょうに興味をもっていただき、
ラウンデールリサーチのカートリッジ2118を改造した専用カートリッジをお持ちくださった。

このレコードの詳細は、1988年当時のステレオサウンドに載っている。
出てきた音は、なぜ1958年までステレオディスクが登場しなかったのか──、
解決すべき問題が、いかに多く、20年以上の年月を必要としたことがが、直ちに理解できた。

Date: 11月 29th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その14)

思い起きてきた「きもち」はひとつだけではなかった

1999年、audio sharing をつくろう、と思ったきもち、
1998年、「得手」を読んだときのきもち、
1994年、草月ホールでのきもち、「プラトンのオルゴール」展でのきもち、
1991年、はじめて「Design Talk」を読んだときのきもち、である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、川崎先生の講演が終ると、すこし休憩に入る。
何人かのひとが、川崎先生のもとに集まる。
ここで順番を待っていると、気後れすると思って、真っ先に川崎先生のところに行った。
実は、この日、最前列の真ん中に座っていた。

その日の朝、印刷したばかりの手作りの、たった3行の名刺──、
audio sharing の下にURLとメールアドレスだけで、私の名前も電話番号もない、そんな名刺を渡し、
「菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」とお願いしたときの川崎先生の顔は、
よく憶えている。いまでも、はっきりと思い出せる。

Date: 11月 29th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その13)

2002年6月のE-LIVEは川崎先生だった。
講演が終りに近づきはじめたとき、川崎先生が「いのち・きもち・かたち」と言われた。
「いのち・きもち・かたち」について説明されるのを聞きながら、
私の「いのち・きもち・かたら」はなんだろう、と考えた。

川崎先生は、このとき、「私のいのちはデザイナーであるということ」と言われた。
ならば、私はオーディオマニアだ、ここまではよかった。
だが、オーディオマニアとしての「かたち」がなかった。

オーディオマニアの「かたち」は、その人の「音」しかないだろう。
このときも、まだオーディオは再開してなかった、できていなかった。
1度、再開したことはあったが、なぜか機械の不調が続き、その他の理由もあって、1年と続かない。
オーディオの休止は10年を超えていた。

「かたち」を持たないオーディオマニア……。
そう思ったとき、川崎先生との距離は、1994年の草月ホールで感じたときよりも、さらに遠かった。

2年前のE-LIVEの時と同じように、また足踏みしようとしていた。

「かたち」がひとつあることに気がついた。
audio sharing である。
これがいまのオーディオマニアとしての私の「かたち」だ。
そう思えたとき、audio sharing をつくろうとしたときの「きもち」がよみがえってきた。

「かたち」が「きもち」に気づかさせてくれた。

Date: 11月 29th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その12)

audio sharing の公開は2000年8月だが、5月には公開できるまでつくっていた。
3ヵ月ズレたのは、おもにそういう理由からだ。

公開して、まず黒田先生から公開の許諾をいただいた。
岩崎先生と瀬川先生のご家族の連絡先がわからなかったため、ことわりをいれていたところ、
ある日、岩崎先生のお嬢様からメールが届いた。
またしばらくして瀬川先生の妹さんをご存じの方からのメールが届き、許諾をいただいた。

2001年春、菅野先生に、audio sharing を見ていただいた。
トップページを見て、「おっ、美しいなぁ」と言ってくださった。
正直、この言葉で、川崎先生に見てもらう自信がついた。
けれど、この年のE-LIVEは、川崎先生ではなく、MacPower誌の編集長・石坂氏だった。

Date: 11月 28th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その11)

2000年5月、EIZO主催の催し物 E-LIVE 2000で、川崎先生が講演をやられる。
誰にも話していないが、実は、この時、MacのPowerBook G3を持っていき、
川崎先生にaudio sharing を見てもらい、菅野先生との対談をお願いするつもりでいた。

川崎先生の話をきいていた。やっぱりすごい。菅野先生との対談は、絶対面白くなる。
そう思っていた。けれど、休憩時間に、会場に展示してあったアンチテンションのフレームを見て、
急に尻込みしてしまった。

まだダメだ。段階を踏んで、それからお願いしよう、そう決めた。
audio sharing の公開はその年の8月だから、
この時点で、瀬川先生、岩崎先生のご家族の方と連絡はついていなかった。
黒田先生、菅野先生のページは、まだつくっていなかった。

トップページの出来にこだわったのは、川崎先生に見てもらうため。
そのためにPowerBook G3を持ってきたわけだが、帰り途、重たく感じた。

財布の中には、もう小銭しかなくて、会場のある五反田から、当時住んでいた荻窪まで歩いて帰った。
翌日、Macを中古販売店に買い取ってもらうことで、とりあえずしのげたものの……。

Date: 11月 28th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その10)

「絶対零度下の音」──、
これが最初につけていたサイトの名前だった。

1999年いっぱいで仕事を辞めて、2000年1月からサイトづくりを始めた。
トップページは何度作りかえたことだろう。
トップページが変ると、当然、他のページのデザインも変っていく。
満足できるトップページが作れない。
それに続くページもうまくいかない。

そんなある日、Macをさわっていて、File Sharing という単語が目にとまった。
このとき使っていたのはMac OS9の英語版だった。
Macは2台使っていたので、ときどきFile Sharing(ファイル共有)の機能は使っていた。
でも、ふだんは気にとめることはなかったのに、この日は違っていた。

これだ、と思った。audio sharing が、
いまつくっているサイトの中身に、よりふさわしい、というか、ぴったりの名前だ。

名前が最終的に決り、またトップページの作り直し。
この時も思った、デザインの勉強をしてくればよかった、と。

Macを使っていたから、MacPowerを読んでいた。
MacPowerを読んでいたから、川崎先生の存在を知った。
川崎先生の存在を知ったから、このウェヴサイトをつくろうと思った。

そして、Macを使っていたから、audio sharing という名前にした。

Date: 11月 27th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その9)

文章を書くことも含めて、なにかを表現する行為は、詰まる所、自己顕示欲の現われだと思っている。
その自己顕示欲を何処まで昇華できるかが才能であるとも思っている。
誰かに頼まれたわけでもないのにウェブサイトを作り、そこに自分の文章を書いていくことは、
自己顕示欲をうまく利用していかないと続かないだろう。

1999年にウェブサイトをつくろうと決めた。
何をそこに載せるのか。

このころになると、オーディオの個人サイトも増えてきていた。
オーディオを休止していた私は、現在進行形でオーディオを語れない。
それまでの経験と知識で、いかにもオーディオを、こんなに熱心にやっています、
と見せかけることをやろうと思えばできなくはなかったが、それは不誠実な行為にすぎない。

どうするか。
いくつか決めていったことがある。
できれば自己顕示欲から離れたものでありたい、
想定読者は、まずは私自身。読みたいもののためであること。
つまり菅野先生と川崎先生の対談を実現するための場。

もうひとりの読者は、13歳の私である。
1976年、オーディオに興味を持ちはじめたころの私のためである。
もし、いま(1999年)、13歳の私がいたとしよう。
はたして、1976年といまとでは、どちらが幸せだろうか。

生れてくる年、性別など自分では選択できない事柄が、かならずある。

私は1976年に13歳だった。そのころは、岩崎先生も五味先生も、瀬川先生も健在だった。
やはり、このことはすごい幸運であった、といまでも思っている。

1999年、いま(2008年)でもどちらでもいい。13歳の私がいて、幸運だ、と思えるようにしたい。
そう思いやったわけだ。