Date: 1月 20th, 2026
Cate: スピーカーの述懐
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スピーカーの述懐(その70)

「五味オーディオ巡礼」の一回目、岡鹿之助氏の音について、こう書かれている。
     *
 十数年前の、そのアトリエのたたずまいをうろおぼえに私は憶えていた。高城氏の創られた音に初めて耳をかたむけたソファの位置も、おぼえていた。それにあの忘れようのないスピーカーエンクロージァ。
 しかし、鳴り出した音は、ちがった。ふるさとの音はなかった。当時はモノで今はステレオだからという違いではない。むかしはワーフデェルで統一されていたが、今はスコーカーに三菱のダイヤトーン、トゥイターは後藤ユニットに変っている。おそろしい変化である。後藤ユニットは、高域の性能でワーフデェルを凌駕すると高城さんは判断されたに違いない、聴いた耳には、ティアックA6010のテープ・ヒスを強調するための性能としかきこえない。三菱のダイヤトーンは中音域のクォリティに定評がある。しかしワーフデェルと後藤ユニットのあいだで鳴るその音は、周波数特性に於てではなくハーモニィで、歪んでいた。ラベルのピアノ協奏曲が、三人の指揮者の棒による演奏にきこえた。ピアノもばらばらにきこえた。どうしてこんなことになったんだろう、あの高城さんがことさら親しい岡画伯の愛器を、どうしてこうも調和のない音に変えられたのだろう。むかしとそれは変らぬすばらしい美音をきかせてくれる部分はある、しかし全体のハーモニィが、乱れている。少なくとも優雅で気品ある岡画伯のアトリエにふさわしくない、残滓が、終尾のあとにのこる、そんな感じだ。
 むかしはそうではなかった。もっと透明で、馥郁たる香気と音に張りがあり、しかもあざやかだった。あの時聴いたバルトークのヴィオラ協奏曲のティンパニィの凄まじい迫真力、ミクロコスモスのピアノの美しさを、私は忘れない。どこへいったんだろう? こちらの耳が、悪いのか。
 ――おそらく私の耳のせいだろうとおもう。テープ・ヒスさえ消せば、以前とは又ことなった美しさを響かせるに違いないとおもう。高城さんほどの人が、さもなくてわざわざワーフデェルを三菱や後藤ユニットに変えられるわけがない。かならず別な美点があるからに違いない。こちらはそういう方面にはシロウトだ。音はどうですかと岡さんにたずねられたら、私は、ヒスのことを言ったろう。しかし岡さんは、さほどヒスは気にせず聴いていらっしゃる、ご本人が満足されている限り、第三者が音の良否など断じてあげつらうべきでない、これは私の主義だ。相手がメーカーや専門家ならズケズケ私は文句を言う。だがそれが家庭に購入された限り、もう、人それぞれの聴き方がある、生き方に人が口をはさめぬと同様、それを悪いとは断じて誰にも言えぬはずだ。第三者が口にできるのは、前にも言ったがその音を好きか嫌いかだけだろう。
 岡さんは満足していらっしゃる。音をはなれれば、それはもう頬笑ましい姿とさえ私には見えた。何のことはないのだ、私だってヒスは気にするが、少々のハムは気にならないそういう聴き方をしている。ハムが妨げる低音より音楽そのものに心を奪われる幸わせな聴き方が、私には出来る。同じことだろう。野口さんのところでエネスコを聴いていて、あの七十八回転の針音がちっとも気にならない、ヒスは気になってもクレデンザの針音は気にならない。人間とは勝手なものだ。だからあの、ふるさとの音をもとめる下心がなければ、岡画伯のアトリエでひびいている音を、私は別な聴き方で聴いたかも知れないとおもう。それを証拠に、同行した編集者は「いい音でした」と感心しているのだ。もっとも公平な、第三者のこれは評価だろう。私の耳がやっぱり、悪かったのだろう。
     *
野口晴哉氏の音と岡鹿之助氏の音。
どちらがいい音なのかではない。
言いたいのは、そういうことではない。

五味先生は
《同行した編集者は「いい音でした」と感心しているのだ。もっとも公平な、第三者のこれは評価だろう。私の耳がやっぱり、悪かったのだろう。》
と書かれている。

そういうものである。
「いい音でした」と感心している人がいれば、そこの音はいい音なのだろう。
その部屋の主が、いい音になったと満足していれば、とやかくいうことではないことはわきまえているから、
具体的なことは、ここでは書かない。

松尾芭蕉の《古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ》、
ゲーテの《古人が既に持っていた不充分な真理を探し出して、それをより以上に進めることは、学問において、極めて功多いものである》、
このことを理解できない人がいるから、
「ふるさとの音」、「音のふるさと」はもうそこにはない。

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