川崎和男氏のこと(その13)
2002年6月のE-LIVEは川崎先生だった。
講演が終りに近づきはじめたとき、川崎先生が「いのち・きもち・かたち」と言われた。
「いのち・きもち・かたち」について説明されるのを聞きながら、
私の「いのち・きもち・かたら」はなんだろう、と考えた。
川崎先生は、このとき、「私のいのちはデザイナーであるということ」と言われた。
ならば、私はオーディオマニアだ、ここまではよかった。
だが、オーディオマニアとしての「かたち」がなかった。
オーディオマニアの「かたち」は、その人の「音」しかないだろう。
このときも、まだオーディオは再開してなかった、できていなかった。
1度、再開したことはあったが、なぜか機械の不調が続き、その他の理由もあって、1年と続かない。
オーディオの休止は10年を超えていた。
「かたち」を持たないオーディオマニア……。
そう思ったとき、川崎先生との距離は、1994年の草月ホールで感じたときよりも、さらに遠かった。
2年前のE-LIVEの時と同じように、また足踏みしようとしていた。
「かたち」がひとつあることに気がついた。
audio sharing である。
これがいまのオーディオマニアとしての私の「かたち」だ。
そう思えたとき、audio sharing をつくろうとしたときの「きもち」がよみがえってきた。
「かたち」が「きもち」に気づかさせてくれた。