Date: 12月 2nd, 2008
Cate: よもやま
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行間を読む前に……

2年前になるが、ある個人サイトに五味先生の言葉が引用されていて、
サイトの主宰者の意見が綴られていたのだが、
五味先生の言葉が言わんとするところと、主宰者の主張はどう読んでも喰い違う。
でもご本人は、五味先生の言葉を同意見として引用されている。

引用されていた五味先生の言葉の前後を、著書を読んで確認しても、やはり納得できない。
そこで主宰者の方にメールを出した。

返ってきたメールには、「私は行間を読んでいる」と書いてあった。
そのサイトで公開されている主宰者のプロフィールをみると、まだ20代の方だ。

40代の私が何度読んでも読み取ることが出来なかったことを、
その方は行間から読み取られたことになる。

皮肉で言っているのではない。
なにも私の読み方が絶対だと言っているのでもない。

以前書いたように、いまでも五味先生の著書は、1年に1冊、どれかをくり返し読んでいる。

ディスクにおさめられている音楽は、オーディオ機器の変化や音の変化によって、
以前は聴きとり難かった音も明瞭に聴こえてくるのに対して、
本の活字は若いころに読んだときも40代の今、読んでも、なんら変化はない。
活字そのものが変化することは、当り前だがありえない。

オーディオ的に言えば、本から得られる情報量は同じだが、
こちらの感じかたは、若いころと同じところもあれば、大きく異るところもある。

それでも、私には行間を読んでいる、感じとれるようになったという意識は、実のところない。
いかにも、世の中は、行間を読むことが、
書いてある文字を読むことより高尚なことみたいに思われがちのようだし、
そう言われているように私は感じている。
だが、少なくとも優れた書き手の文章を読む上で、もっとも優先すべきことは、
そこに書かれている文字をしっかり読むことであろう。
納得いくまでくり返し読むことであり、それにはある種の辛抱強さを求められる。

あえて言う、行間には何も書いてない。

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