長生きする才能
五味先生の遺稿集「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)を読んでいると、
いくつもの、印象ぶかい言葉にぶつかる。
「私の好きな演奏家たち」に出てくる言葉がある。
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近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
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「長生きしたくないなぁ、50くらいでぽっくり死にたいな。病気で苦しみたくないし」という者が、
私のまわりに何人かいる。おそらく、そう思っている人は少なくないのかもしれない。
先の見えないこういう時代だと猶更なのか。
私も、20代前半のころは、そんなふうに思っていたことがある。
30過ぎたころから「長生きもいいかも」と思いはじめ、
そして5年くらい前から「しぶとく長生きしよう」と決めた。
長生きする才能が備わっているかどうかはわからないので、思うだけ、なのだが、
長生きしなければ出しえない音がある以上は、思うことからはじめる。
そう決めた。