Author Archive

Date: 7月 4th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その1)

オーディオ機器は組合せで成り立っている。
どんなに優れた、名器とよばれるスピーカーシステムであっても、それだけでは音は出ない。
アンプにしても同じこと。世界最高の特性をもち、どんなに音が良いといわれていても、
スピーカーがなければ、そのアンプの優秀性はわからない。

とにかくオーディオはコンポーネントの世界である。
そして、アンプにしてもスピーカーにしても、理想のアンプ、スピーカーなんてものはひとつも存在していない。
これからもそうである。

みなそれぞれに美点をもち欠点をもつ。
そういうものを組み合わせてシステムを構築しているのがオーディオであり、
このことに関してはこれから先も同じである。

私は組合せにオーディオの面白さがある、と思っている人間だ。
だからHI-FI STEREO GUIDEがあれば、組合せをあれこれつくって楽しめる。

いまJBLのD130の組合せのことを書いているけど、
頭のなかでは、別のスピーカーの組合せを考えている。

そして組合せに、その人の、オーディオに関することがしっかりとあらわれている。
何度か書いているように、私にとって最初のステレオサウンドは、41号と「コンポーネントのステレオの世界 ’77」。
最初に組合せの別冊を読んでいる。

そういう者にとっては、ステレオサウンドでの特集、
アンプの試聴にしてもスピーカーシステムの試聴にしても、
試聴記を読みながら考えていることは、やはり組合せのことが圧倒的に多い。

Date: 7月 4th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その4)

D130が一本45000円だったころは、エンクロージュアも各社から用意されていた。
JBLのオリジナルとしては、バックロードホーン型の4530(79800円)、
フロントロードホーン型の4560(99000円)があったし、
当時のJBLの輸入元であったサンスイとJBLの共同開発としてECシリーズのエンクロージュアもあった。
D130がとりつけられるEC10は一本100000円していた。

他にもJBLの往年のエンクロージュアを国内のエンクロージュアメーカーがレプリカとしてつくっていた。
ハークネス用のC40、C37、C38、C39などが選べた。
これらのエンクロージュアも一本10万円前後していた。

そういったエンクロージュアは、
ここでの組合せでは使われず最初に書いたようにサブロク板を二分割した平面バッフルという、
もっとも安価な型式を選んでいる。

サブロク板の二分割だから、90cm×90cm程度の平面バッフル。
低域はそれほど低いところまで出ない。
当時の一本五万円前後のブックシェルフ型のほうが低域は下までのびていただろう。

そういう平面バッフルだが、音までが安っぽいわけではない。
D130の音の特質を、もっとも手軽に、けれと確実に活かしてくれる型式であるだけに、
なまじアンプに作為を感じさせるモノをもってきたら……、である。

平面バッフルに取りつけたD130と作為の感じられない音の安価プリメインアンプSU-V6、
決して悪い組合せではないはずだ。

Date: 7月 4th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その3)

テクニクスのSU-V6のパネルフェイスは、いかにもローコストアンプのそれであって、野暮ったい印象を拭えない。
もうすこしどうにかならなかったものか、といま写真をみてもそう思う。

普及価格帯のプリメインアンプにどこまでデザインの良さを求めるのか、
そのへんの難しさはわかっているけれど、それにしてもSU-V6はほめようがない。

そんなSU-V6はステレオサウンド 52号で登場した。
新鮮品紹介のページで井上先生が、
それからJBL・4343研究で瀬川先生が、それぞれ書かれている。

まず井上先生の評価からみていく。
     *
 SU−V6は、やや音色は暗いが重量感のある低域とクッキリとシャープに粒立ちコントラスト十分な中高域がバランスした従来のテクニクストーンとは一線を画した新サウンドに特長がある。こだわらずストレートに音を出すのは新しい魅力。
     *
SU-V6のパネルフェイスは、それまでのテクニクスのプリメインアンプのパネルフェイスとは違っていた。
まだ以前のテクニクスのパネルフェイスだったら良かったのに……、と思うほど、悪い方向へと変っていた。
けれどパネルフェイスをそこまで変えたように、音も大きく変っていることが、
井上先生の文章からも読みとれる。

瀬川先生はこう書かれている。
     *
 今回試聴したアンプの中で最もローコストの製品で、外観を眺め価格を頭におくかぎり、正直のところたいして期待をせずにボリュウムを上げた。ところが、である。価格が信じられないような密度の高いクォリティの良い音がして驚いた。ヤマハとオンキョーのところで作為という表現を使ったが、面白いことに、価格的には前二者より安いV6の音には、ことさらの作為が感じられない。
「つくられた音」ということをあまり意識させずに、レコードに入っている音が自然にそのまま出てきたように聴こえ、えてしてローコストのアンプは、安手の品のない音を出すものが多いが、その点V6は低音の量感も意外といいたいほどよく出すし、音に安手なところがない。
     *
「こだわらずにストレートに音を出す」、「ことさらの作為が感じられない」、
D130の性格を限られた予算の中で活かすのは、こういう音のアンプではないのか。

Date: 7月 4th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その2)

D130中心の組合せのトータル価格を30万円にしているのは、
そのころ、高校の入学祝いにコンポーネント一式を買ってもらったことがあるという人を何人か知っている。
上限はほとんどなし、という人もいた。

私の場合は30万円だった。
他にも30万円くらいだったという人が数人いた。
それにそのころのオーディオ雑誌の組合せの記事でも、
コンポーネントと呼べるレベルとなると、20万円では制約が多く、
30万円というのがぎりぎりの予算でもあった。

30万円の予算でJBLのD130を組合せをつくれる。
その時代にオーディオをやっていたけれど、
その時は、この面白さに気がつかなかったからこそ、いまごろになってこうやって書き始めている。

私だったら、D130を鳴らすアンプには、当時のプリメインアンプの中で、
予算との関係から第一候補とするのは、テクニクスのSU-V6である。
サンスイのAU-D607もいいけれど、ここでは作為のない音ということで、SU-V6にしたい。

SU-V6はテクニクス(松下電器)という大企業によるローコストアンプである。
この時代、59800円と698000円のプリメインアンプのあいだには境界線があったように感じている。

本格的なプリメインアンプと呼べるようになるのは69800円ぐらいからだった。
59800円は一万円の違いでしかなくとも、この価格帯における一万円の差は大きく、
59800円のプリメインアンプは、69800円と同価格帯ではなく、下の価格帯という位置づけでもあった。

Date: 7月 3rd, 2014
Cate: 「スピーカー」論

自由奔放に鳴るのか

自由奔放に鳴らせるのか──、というのが最近のスピーカーシステムに対して思うことである。

真空管アンプと同時代のスピーカーは、
アンプの出力がいまのように求められなかったため出力音圧レベルが100dBをこえているのが少なくない。
そういう時代の、いわば古き良き時代のスピーカーと、
その後アンプがトランジスターになり大出力が容易に得られるようになるにつれて、
出力音圧レベルが下がり周波数帯域が拡大していったスピーカー、
もっといえばピストニックモーションの追求、不要振動の除去を積極的に追求しているスピーカーとは、
いったいなにがどう違うのか。

動作原理に違いはない。
だが音は違う。
メーカーが違うから音が違うということではなしに、
明らかに時代の音というべき違いを感じとることがある。

高能率のスピーカーは概してナロウレンジである。
低域もそれほど下までのびていないし、高域に関しても同様である。
エンクロージュアに対する考え方もいまとは異るところもけっこうある。

ここで書きたいのは、そんなことはあえて一切無視して、
音だけに焦点を絞っていったときに、何がいえるのか。
一言でいいあらわせる違いがあるのか。

これはずっと前から考えていたことである。

現時点での結論を書けば、
古き良き時代のスピーカーは、自由奔放に鳴らせるし、
自由奔放に鳴る、ともいえる。
これが最大の魅力であるし、自由奔放であっても、ときに音が粗野になることはあっても、
下品になってしまうことはない、といえる。

現代のスピーカーとなると、自由奔放に鳴るのか、ということ以前に、
自由奔放に鳴らせるのだろうか、と感じる製品が少なくない。

それでも自由奔放な鳴らし方を、そこでした時に、いったいどういう音になるのだろうか。
粗野になることはないかもしれないが、どこか品を失ってしまうのではないか。

Date: 7月 3rd, 2014
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その22)

私は、というと、511に関しては瀬川先生に近い。
初期の511の音を聴くことはできなかったけれど、
並行輸入品のブラックパネルの511は、瀬川先生が熊本のオーディオ販売店に来られたときに聴いている。

そのときに、瀬川先生の口から、
511の音の変化、それになぜブラックパネルの511を用意してもらったかについての説明があった。
このときの511の音は、瀬川先生が書かれていたとおりの音に聴こえた。

このときの音が強く印象に残っていたこともあって、
それに私も若かったこともあって、
その後の511、511Bを何度もステレオサウンド試聴室で聴いているけれど、
変ってしまった511の音には魅力を感じなくなっていた。

だがいまふり返ってみると、井上先生が改良された511、511Bの音を評価されていたことを理解できる。

アンプとしては、明らかに511は良くなっていた。
良くなっていくことで失われたものはなんだったのかについて考える。

結局は、それは枠だったのかもしれない、と思うようになってきたのは、
511Bの音を聴いてからずいぶん経ってからだった。
そして、初期の511がもっていた枠とは、
開発者デヴィッド・スピーゲル (David Spiegel)の若さゆえに生じた枠だったのではないのか、
そう思うようになってきた。

Date: 7月 3rd, 2014
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その21)

QUADの405は405-2へとモデルチェンジしている。
型番の変更はこのときだけだが、405のサービスマニュアルをダウンロードすれば、
405-2になる以前にも細かな変更が何度か加えられていることが回路図みればわかる。

AGIの511もモデルチェンジしている。
最終的には511Bとなっているが、511も何度か変更されている。

私がブラックパネルの511とわざわざ書くのは、そのためである。
どの時期の511が優秀かということでは、511Bということになるだろう。
性能も初期の511よりも格段に向上している。

肝心の音に関しても、より現代アンプと呼べるように変ってきている。
たとえば井上先生は511は初期のモデルから高く評価されていて、
何度かの改良がなされた音に関しても、より高く評価されていた。

511Bになる前でも、初期のモデルよりも洗練度を増した、ステレオサウンド 47号に書かれているし、
511Bが60号の新製品紹介に取り上げられたときは、次のように書かれている。
     *
bタイプは、511初期のクッキリとコントラストをつけた音から、次第にワイドレンジ傾向をFET差動IC採用で強めてきた、従来の発展プロセスの延長線上の音である。聴感上の帯域が素直に伸びている点は従来機と大差はないが、内容的には一段と情報量が多くなり、分解能の高さは明瞭に聴きとれるだけの充分な変化がある。音色は明るく、のびやかな再生能力があり、大きなカラーレーションを持たないため、組み合わせるパワーアンプにはかなりフレキシブルに反応をする。内外を含め最近のコントロールアンプとしては最注目の製品だ。
     *
このへんは瀬川先生とは実に対照的である。
瀬川先生は初期のモデルは高く評価されていたけれど、変更後の511に関しては、
ベストバイでも点数をいれらることはなかった。

Date: 7月 2nd, 2014
Cate: 黄金の組合せ

黄金の組合せ(その20)

これでいいんだという必要量、ここまで必要だという必要量。

AGI・511とQUAD・405、
このふたつのアンプには、どちらも枠をあるからこその魅力をもっていたように、いまでは思う。

405を送り出したQUADというブランドは、もとからそういう枠を実にうまく設定している。
家庭用の、レコード、ラジオ、テープを聴く装置としてのわきまえを心得ているからこそ、
決して大袈裟な製品をつくることはいっさいせずに、
むやすみにクォリティを追求する、というわけでもない。

405は、それまでの303よりも現代的になっている、という評価を得ていた。
出力も303の40W+40Wから100W+100Wになり、そういった枠も拡大していないわけではなかった。
とはいえ、アメリカの物量投入の大型アンプと比較するまでもなく、
コンパクトで発熱量もさほど多くない、消費電力も抑えられている。

これで何が不足なのか、と使い手に問いかけるようなパワーアンプである。

そういう405とペアとなるコントロールアンプ44。
その44と比較すると511は、枠なんて意識していないアンプではないのか、ということになるかもしれない。
私も、511が出て来たとき、405とよく組み合わせられていたころは、
511に、いわゆる枠はないものだと思っていた。

511自体がハイスルーレイトを誇っていたし、
アンプとしての道徳性は、当時もっとも優れていたアンプともいえた。

けれどその後の511の改良のされかた、
そしていま511の音(ブラックパネルの並行輸入品)を聴いてみると、
意外にも枠があることに気がつく。

その枠は、405と同じ、QUADと同じ性質の枠ではないのだけれど、
確かに初期の511には枠がある。

Date: 7月 2nd, 2014
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その3)

ビクター50年史には、もうすこし、すり替え実験について書いた記事がある。
     *
 ステレオ全盛時代を迎え、ビクターとしてはヒットモデルを次々と発売し、数々の音場実験データーを保有していたにもかかわらず趣味の世界であるオーディオの世界に手前勝手な製品をユーザーに押しつけるのはポリシーに反することであり、大ぜいの人々の実際の音に対する感じ方をはっきり認識する必要があった。そこで考案されたのが、昭和35年の藤家虹二クインテットの演奏とテープのスリ替えに始まり、昭和40年の北村英治クインテットとレコードのスリ替え、そして昭和41年の日本フィル50名のオーケストラ演奏とレコードのスリ替え実験まで3回実施された生演奏と再生音のスリ替え実験であった。
 このような実験は当時大変な冒険とされていたがトップメーカーであるビクターはこの失敗するかもしれない未知の実験に挑戦する義務があった。しかし当時の最新技術を駆使し録音から再生まで一丸となって不眠不休の努力の結果、この公開実験は幸い大成功し一連の実験を通して得られた貴重な音場的データーは、その後の製品に生かされた。
 特に、音域バランス、エネルギーレスポンス、帯域だけはどうにもならない問題、音質だけではない複雑な音場への取組みがきわめて重要であることがわかり、SEA、無指向性スピーカーの開発につながり、ただ単に広帯域にするだけでなく低音域、高音域のエネルギーバランスが重要な要素であることも確認した。
 又このころよりプレーヤーシステムに対する積極的なアプローチが展開されトラッキングエラーレスアームや、2重アイドラーターンテーブルも開発された。
     *
これでわかるのは、三回目も二回目同様、レコードが使われている、ということである。

ビクターのすり替え実験の詳細をまだ知らないころ、あれこれ想像していた。
レコードなのかテープなのか。
アンプやスピーカーは特別に誂えたものなのか、それとも市販品なのか。

私はテープだろうな、と思っていたから、二回目と三回目がレコード(LP)だということが、まず意外だった。

Date: 7月 1st, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その1)

JBLのD130、一本45000円だった時期がある。
円高がはじまったころの1980年前後のころである。

フェライトマグネットになったD130Hではなく、アルニコマグネットのD130の最後のころは、
こんなに安く買えていたのか、といまごろ気づいて驚いている。

一本45000円ならば、オーディオに興味をもちはじめた、
ようするにお金のない学生でも買えなくはない金額である。

D130を買う。
他にアンプやプレーヤー、カートリッジを買えば、
学生であるならば、それで予算はなくなってしまうかもしれない。

だからD130をサブロク版を一枚買ってきて二分割した平面バッフルに取りつける。
これならばさほど予算も必要としない。

こんなふうにして組合せを作っていくと、
チューナーもテープデッキもなしでよければ、予算20万円におさめることは無理としても、
30万円までは必要とせずに、とりあえず組合せは作れる。

D130が45000円だったころのHI-FI STEREO GUIDEをみていくと、
サンスイのAU-D607(69800円)、テクニクスSU-V6(59800円)、オンキョーIntegra A805(65000円)、
マランツModel 1090(59800円)、トリオKA8100(63000円)などがあり、
プレーヤーの国産のダイレクトドライヴ型ならば、候補は困らない。

カートリッジは二万円台から四万円台までをみまわすと、あれこれ選べた。

このころは私はJBLといえば4343か4350、これらが憧れだったから、
D130にはほとんど関心がなかった。
いいスピーカーユニットなんだろうけど、私には関係のない存在ぐらいにしか思っていなかったから、
いまごろ45000円の時期があったのか、と驚いている。

Date: 7月 1st, 2014
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その2)

ビクターによる生演奏とのすり替え実験の詳細がどんなものだったかは、手元に資料がない。
昭和41年(1966年)7月だと、まだステレオサウンドも創刊されていない。
ラジオ技術、無線と実験のこの時のバックナンバーを、
大きめの図書館に行き調べればおそらく記事になっている、と思う。

いまは手元にあるものといえば、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のビクター号だけである。

このムックの巻末にはビクター50年史がある(このムックが出たのは1977年)。
それによれば最初のすり替え実験は昭和35年(1960年)11月に行われている。

朝日講堂にて、藤家虹二クインテットの生演奏と録音テープとのすり替え実験で、
スピーカーはビクターのLCB1CX4が使われている。
LCB1はコニカルドーム付きのウーファーを搭載したフロアー型システム。

二回目は昭和40年(1965年)7月16日に、一回目と同じ朝日講堂で行われ、
音楽評論家、オーディオ評論家、報道陣、特約店と客、約450名が招かれている。
この時演奏したのは北村英治クインテット。
使われた機材はスピーカーはBLA50、アナログプレーヤーはSRP467など、すべて市販されているモノばかりである。

これが第一回ビクターステレオテクニカルフェスティバルである。
すり替えに気づいた正解者は9人とのこと。

ビクターの社報誌にその様子が掲載されたようで、
それが「世界のオーディオ」にも囲み記事として載っている。
     *
 ナマ演奏を途中でステレオレコード演奏にスリ替えるということで、音楽評論家をはじめ、多くのオーディオファンが注目していた「ビクターステレオ・パーフェクトサウンド・フェスティバル」は、さる7月16日午後6時半から、東京有楽町の朝日新聞社朝日講堂ではなやかに開催されました。音楽評論家、音響評論家、特約店とそのお客さま、報道陣など、約450名が招かれました。
 ナマからレコード演奏にスリ替えるのは世界ではじめての試みだけに、場内は一瞬カタズをのんで静まりかえります。曲はクラリネットの音がさえる「アバロン」──。クインテットの背後には8個のスピーカーバッフル(BLA50)が置かれています。場内の聴衆は身を乗り出すようにして、スリ替え個所を聞き出そうと耳をそばだたせています。曲は終りに近づきました。と、突然彼らは演奏をやめて聴衆に向かっておじぎをしました。しかし曲はなおも演奏されているのです。舞台のそでの幕がひらかれました。一個のプレーヤーが現われ聴衆がアッケにとられているうちに司会者がプレーヤーをとめました。思い出したように、かっさいの拍手。大成功でした。スリ替えの個所を当てるアンケートの正解者はたったの9名。
     *
五年前の実験ではテープだったのが、今回はレコードに変っている。

Date: 6月 30th, 2014
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その1)

1960年代、ビクターが生演奏と録音されたものとのすり替え実験を何度か行っていたことは広く知られている。
この実験は成功をおさめた、と伝えられている。

このすり替え実験の白眉といえるのは50名のオーケストラとのすり替えである。
昭和41年7月14日、虎ノ門ホールにて、第二回ビクターステレオテクニカルフェスティバルとして開催された。
服部克久指揮日本フィルハーモニーの50名のオーケストラによる生演奏とのすり替え実験である。

1621名が実験に参加して、正解した人は14名。1%以下であり成功といえよう。

こう書くと、参加者のほとんどはオーディオに関心のない人たちばかりなんだろう、という人がいる。
だがオーディオ評論家も参加している。

ステレオサウンド 34号、岡原勝氏と瀬川先生による実験記事が載っている。
34号では「壁がひとつふえると音圧は本当に6dBあがるのだろうか?」とテーマで行われている。

この記事にこうある。
     *
岡原 スピーカーというのは、かなり昔から、そういう意味でのリアリティはありましたね。いわゆるナマと再生音のスリ替えが可能だというのは、音楽が実際に演奏されている場にいけば、相当耳の良い人でも、ナマと再生音を聴きわけることができないためなのです。
瀬川 わたくしもだまされた経験があります。実際オーケストラがステージで演奏していて、そのオーケストラがいつの間にか身振りだけになってしまい、録音されていた音に切り替えられてスピーカーから再生されているという実験があった。先生もあのビクターの実験ではだまされた組ですか?
岡原 ええ、見事にだまされました。似たような実験で、わたしは他人もだましたけれど、あの時は自分もだまされたな(笑)。
     *
岡原氏も瀬川先生もだまされていた。

Date: 6月 29th, 2014
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その1)

変化・進化・純化、と以前書いた。
書いたことを思い出した。
同時に思いだしたことがある。

五味先生の文章だった。
     *
 弦楽四重奏曲ヘ長調K五九〇からレクィエムには、一すじの橋が懸かっている。つれつれと空ぞ見らるる思う人あま降りこむ物ならなくに。そんな天空の橋だ。日本語ではほかに言いようを知らない。かくばかり恋いつつあらずは高やまの岩根し枕て死なましものを──モーツァルトはそんな心懐で、その橋を紡いでいったと私は想像する。蚕が透明な体になって糸を吐きながら死に行くあの勤勉さを君はモーツァルトに想像しないか? K五九〇の弦楽四重奏曲は、その寡作は、透明なカラダになる時期だったと言えないか。
     *
これから先をどう展開していくのか、自分でもまったくわからない。
でもほとんど発作的に、これを書いておかねば、とそう思ったからだ。

Date: 6月 28th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その8)

どんなオーディオ評論家でも試聴ディスクを使って(聴いて)、オーディオ機器の試聴をする。
そしてなんらかの試聴記をしたためる。

新製品紹介の記事であれば、そこで聴いた新製品がどういった製品なのか、
どういった技術がもりこまれているのか、などについて書き、
実際に聴いた音の印象を書いていくわけだが、
この部分について、このディスクのこの部分はこんなふうに鳴った、
別のディスクのあの曲のあの部分は……、と書く人がいる。

そして、そんなふうに書く人を、具体的に試聴記を書いている、として、
この人の書くものは信じられる、とする読者がいる。

こんな記述をインターネットのいくつかのところで見かけたことがある。
そこにはそのオーディオ評論家の名前も書いてあった。

この人は、この人の書くものを全面的に信じるのか、
それも試聴記の書き方が具体的だから、ということでなのか──、
私はそんなふうに受けとっていた。

そこにあった名前はここでは書かないけれど、
私がまったく信用していない人であったし、この人の試聴記の書き方は具体的でもなんでもないことは、
ステレオサウンドをながいこと読んできた人ならばすでに気づかれているはずだ。

Date: 6月 28th, 2014
Cate: レスポンス/パフォーマンス

一年に一度のスピーカーシステム(その6)

打てば響く、は基本的には褒め言葉である。
返答・反応がはやい人のことも、打てば響く、という。

返答・反応の遅い人よりもはやい人が優れているようにみえる。
遅い人は、鈍重といわれたりする。

実際は、必ずしもそうではない。
単に返答・反応がはやいだけの人がいるのを、知っている。

返答・反応のはやさが、その人自身のパフォーマンスの高さとは、ほとんどの場合関係がないばかりだからだ。

じっくりとつきあうことで、こちらの想像以上のパフォーマンスを発揮してくれるのは、
なにも人ばかりでなくスピーカーシステムも同じだと私は捉えている。

おもしろいもので打てば響く、といわれている人は、
スピーカーシステムとのつき合い方も薄っぺらであるように感じることが、私は何度か体験している。

そんな人のことはどうでもよくて、
スピーカーシステムのレスポンスの良さとパフォーマンスの高さは両立し難いものではないはずなのに、
現実にはそうでないように感じてしまうのはなぜなのか。