自由奔放に鳴るのか
自由奔放に鳴らせるのか──、というのが最近のスピーカーシステムに対して思うことである。
真空管アンプと同時代のスピーカーは、
アンプの出力がいまのように求められなかったため出力音圧レベルが100dBをこえているのが少なくない。
そういう時代の、いわば古き良き時代のスピーカーと、
その後アンプがトランジスターになり大出力が容易に得られるようになるにつれて、
出力音圧レベルが下がり周波数帯域が拡大していったスピーカー、
もっといえばピストニックモーションの追求、不要振動の除去を積極的に追求しているスピーカーとは、
いったいなにがどう違うのか。
動作原理に違いはない。
だが音は違う。
メーカーが違うから音が違うということではなしに、
明らかに時代の音というべき違いを感じとることがある。
高能率のスピーカーは概してナロウレンジである。
低域もそれほど下までのびていないし、高域に関しても同様である。
エンクロージュアに対する考え方もいまとは異るところもけっこうある。
ここで書きたいのは、そんなことはあえて一切無視して、
音だけに焦点を絞っていったときに、何がいえるのか。
一言でいいあらわせる違いがあるのか。
これはずっと前から考えていたことである。
現時点での結論を書けば、
古き良き時代のスピーカーは、自由奔放に鳴らせるし、
自由奔放に鳴る、ともいえる。
これが最大の魅力であるし、自由奔放であっても、ときに音が粗野になることはあっても、
下品になってしまうことはない、といえる。
現代のスピーカーとなると、自由奔放に鳴るのか、ということ以前に、
自由奔放に鳴らせるのだろうか、と感じる製品が少なくない。
それでも自由奔放な鳴らし方を、そこでした時に、いったいどういう音になるのだろうか。
粗野になることはないかもしれないが、どこか品を失ってしまうのではないか。