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Date: 6月 12th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その4)

いまではtwitterは見ることはほとんどなくなった。
一時期はこまめに読んで、書き込みもしていたのに、
一年以上前から距離をとるようになってきた。

いまでは月に一回アクセスするかどうかであり、
過去のタイムラインもどこまで遡るかというと、半日分くらいでしかない。

昨晩、たまたまアクセスした。
それもfacebookでのコメントへの返信を書くために必要だったためであり、
それがなければアクセスしなかった、と思う。

この件についても書く予定でいるが、
謝罪ということで目についたのが、今日インターネットではニュースになっている件である。

RADWIMPSの「HINOMARU」の曲に関することである。
twitterでも話題になっていた。
私はRADWIMPSも知らないし、「HINOMARU」も聴いていない。

なぜ、こんなに一部の人たちとはいえ、熱心に書き込んでいるのか、
その理由がすぐにはわからなかった。
久しぶりにタイムラインを遡っていた。

なんとなく見えてきた。
そうしたら、RADWIMPSの人が謝罪したことがニュースになっていた。
その謝罪文は読んだ。
それでも「HINOMARU」は聴いていない。

「HINOMARU」を聴いて不愉快になった人がいるのは事実だろう。
でもすべての人が不愉快にならないことなんて、世の中にあるのか(あったのか)。

顔の見えない不特定多数(もしくは少数)が不愉快になったからといって、
謝罪することなのか、とまず思う。
そして謝罪させたい、と強く思っている誰かがいる。
そのことへの、いいようのない気持悪さを感じもする。

その2)で書いている知人の話。
誰かを不愉快にしたのは事実だから……、と謝罪している。
(その2)を読んでもらえばわかるが、知人は欲しいスピーカーを購入して、
そのことを自身のサイトで書いただけである。

それでも不愉快になる人がいる。
自分が買えないスピーカーを買って喜んでいるヤツがいる、不愉快だ、と。

Date: 6月 12th, 2018
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その16)

一年前の6月のaudio wednesdayで「THE DIALOGUE」をかけた。
私にとって、まさに30年ぶりの「THE DIALOGUE」だった。

この時はハイブリッドディスクのCDレイヤーでの再生、
今年になってSACDレイヤーでの再生になった。

どちらで聴いても、「THE DIALOGUE」を最初に聴いたときのイメージと重なってくる。
「THE DIALOGUE」を初めて聴いたのは、
瀬川先生が定期的に来られていた熊本のオーディオ店でのことだった。

記憶が少し不確かだが、カートリッジの試聴のときに瀬川先生が持参されていたはずだ。
そこにエンパイアの4000D/IIIがあった。
1978年ごろのことだ。

4000D/IIIはクラシックを聴くカートリッジではない──、
瀬川先生はそんなことを話されていた。
気持いいくらいに乾いた音だった。

確かにヴォーカルのしっとりした感じは出してくれそうにないほどに、乾いた音。
パーカッションが大好きならば、何を措いても、このカートリッジを手に入れるべきだろう、
と思ったほどに、というより、
クラシックをメインに聴く私でも、
パーカッションのために、このカートリッジは欲しい、と思うほどだった。

爽快な音とは4000D/IIIのような音のことをいうのだろう。
そんな4000D/IIIで「THE DIALOGUE」を聴いた。

このころ市販されていたカートリッジで、
「THE DIALOGUE」を4000D/III以上に鳴らすモデルはあっただろうか。

いま聴くとがっかりするんだろうか……、
たぶんそうだろうなぁ、と思いながらも、
もう一度、今度は自分の手で鳴らしてみたい、と思う。

audio wednesdayで「THE DIALOGUE」をかけるたびに、
今年はその気持が強くなっていっている。

「THE DIALOGUE」のLP、エンパイアの4000D/IIIを手に入れなければならないし、
喫茶茶会記にあるアナログプレーヤー(トーンアームはオルトフォンのRMG309)では、
4000D/IIIには不向きなモデルである。
なので別のアナログプレーヤーを持ってこなければならない。

たいへん面倒だな、と思いつつも、なんとかしたい、とも思う。
4000D/IIIのように際立った音のカートリッジ、いまはあるのだろうか。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その5)

貧すれば鈍する、という。
出版不況といわれて、もう何年目なのか。
あとどのくらい続くのか。

オーディオ雑誌も、そんなに売れていないのは書店に行けばわかる。
電車に乗っていてもわかる。
私が東京に出て来たばかりのころ、
電車でステレオサウンドや、オーディオ雑誌を読んでいる人はいた。

いまではまったく見かけなくなった。
まだ読者だったころ、電車に乗ったら買ったばかりのステレオサウンドをすぐさま開いて読んでいた。
ステレオサウンドだけではなかった、他のオーディオ雑誌もそうだった。

いまはそういう人をまったく見かけなくなった。
売れていないのは事実だ。

売れないから貧する。
貧するから鈍する。
だから個人サイトにあるカタログや広告のデータをそのままいただいて、記事に使う。

これこそ鈍する、だ。
ならば好況へと向いていけば、そんなこともなくなるのか。
どうだろうか……、と正直思う。

結局、鈍すれば貧する、なのだ、と思うからだ。
そして二年前に書いた『オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)』を思い出した。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その4)

いまではカタログも広告も、パソコンで制作されるのだから、
紙の状態で保管しておく必要はなく、デジタルデータのまま保存しておけばよく、
保管場所の問題も発生しないのだから、どのメーカーも輸入商社も持っていることだろう。

でも、それはいつごろからなのか。
早いところでは2000年前後からかもしれないし、
遅いところは数年遅れてなのかもしれない。

どちらにしろ、それ以前のカタログ、広告に関しては、
実際のカタログや広告をスキャンしてデジタルデータにしないかぎり、
紙のままでの保管となり、それを見たい人がいても叶わないだろうし、
保管されたままでは資料としての価値も、ほとんどない。

パソコンで制作される以前のカタログや広告のデジタルデータ化は、
個人がやることなのだろうか。

メーカーや輸入商社、もしくはオーディオ協会などの団体が旗振り役を買って出て、
オーディオ業界に従事している人たちがやることではないのか。

お金にならないことは、どうもやりそうにない。
誰もやらないから、結局個人がやるしかない。
カタログ、広告の資料価値に気づいた人が、やるしかない。

カタログを公開されているHideさん、広告を公開している私にしても、
つまりはそういうおもいでやっている。
Hideさんがどういう方なのかまったく知らないが、そうだと思っている。

目の前の利益しか見ていていのか(見えていないのか)と、
オーディオ雑誌の編集者、その出版社に悪態をつきたくなる気持がないわけではない。

それでいて、平気で無断流用する。
本来ならば、その広告が載っているオーディオ雑誌のバックナンバーを探し購入して、
スキャン、レタッチ作業などを編集部でやっての雑誌掲載のところを、
ひとことのことわりもなしに、バレないと思ってやっている(としか思えない)。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その3)

今回と同じデジタルデータの流用は、
オーディオ雑誌だけに限ったことではない。

facebookやtwitterといったSNSに、事件や事故、その他の写真や動画が公開される。
その場にいた人がスマートフォンで撮影したものである。
それをテレビ局が無断で放送してしまうことが、以前度々あって、
そのことでSNSで炎上したこともあって、最近では使用許諾をとっているようである。

テレビとオーディオ雑誌とでは、見る(読む)人の数が大きく違う。
テレビ局がいまもそんなことをやっていたら、SNSで叩かれる(炎上する)。

今回の件は、それとはちょっと違うところがある。
スマートフォンで撮影した写真や動画と、オーディオのカタログや広告とは同じには語れない。

カタログ、広告の著作権はどこにあるのかといえば、
広告制作会社、カタログ制作会社なのか、それともメーカー、輸入商社なのか。

私がthe re:View (in the past)で、
そういった古い広告を公開しているのは、だからグレーゾーンだということは認識している。
それでも、こうやってスキャンしてデジタルデータとしておかないと、いずれ消失してしまう。

広告が掲載されている雑誌そのものが処分されてしまうだろうし、
広告の原版が、メーカーや輸入商社に、いまも保管されているかといえば、
必ずしもそうではない。

(その1)で書いている、ある会を主宰される人が問い合せされたオーディオメーカーは、
オーディオだけのメーカーではなく、大企業である。
でも、そこにも40年前の広告に関するものは残っていないわけだ。

カタログも同じなことを知っている。
すべてを保管しているメーカーはどのくらいあるだろうか。

それに残っていたとしても、ただ保管されているだけでは死蔵でしかない。
カタログも広告も、貴重な資料ということを、
メーカー、輸入商社の人たちは理解しているのだろうか。

Date: 6月 11th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その2)

その1)を書いたとき、
タイトルに(その1)とはつけていなかった。

(その2)(その3)……、と続きを書く気はなかった。
もっといいたいことはあったが、ここで留めておこう、と思っていた。

今日、(その1)にコメントがあった。
Hide様からのコメントを読んで、(その2)を書くことにした。
(その1)は二つ前の記事だけど、こう書いていてもコメントを読む人は、
そう多くないのがわかっているから、ここでも引用しておく。
     *
あるサイトを運営していますが、同じ事を経験しました。
私の場合は広告ではなくカタログでしたが、雑に文字消しをした際の跡がそのまま載っていて気づきました。
今のオーディオ雑誌の編集者のレベルはその程度なんだと思います。
     *
あるサイトとは、オーディオ関係のサイトなのは、読めばわかる。
そこで公開されているカタログを、どこかのオーディオ雑誌に無断で掲載されたわけだ。

Hideさんもそうだが、自分でレタッチした画像は、すぐに気づくものである。
無断拝借のオーディオ雑誌の編集者は、自分でそういう作業もやらないのだろう。
やっていれば、こんなことをやっていたら、すぐにバレる、ということに気づくはずだ。

とにかく私だけではなかった。
他の人も、イヤな思いをされている。
だから、こうやって(その2)を書いている。

Date: 6月 10th, 2018
Cate: オーディオ評論

テクニクス SP10R、SL1000Rとオーディオ評論家

5月発売の管球王国、
6月になってからステレオサウンド、無線と実験、
すべて表紙はテクニクスのSL1000Rだった。
おそらく今週発売のanalogの表紙も、そうであろう。

表紙だけでなく、話題の新製品としても取り上げられている。
絶賛されている、といっていいだろう。

ダイレクトドライヴの代名詞といえるSP10の復活なのだから、
表紙になるのもわからないわけではないし、
それぞれのオーディオ雑誌の取り上げ方も、
少しばかり勘ぐりたくなる面もあるけれど、まぁ当然だろう、とは思う。

書く人みなが絶賛というオーディオ機器は、以前にもいくつもあった。
テクニクスのSP10R、SL1000Rが、初めてというわけでもないし、
いまのオーディオ評論家の世代からすれば、SP10の存在の大きさというものもある。

でも読んでいて、なんだか、いままでの絶賛ばかりの記事とは違う感触があるように思っていた。
これまでも絶賛ばかりの評価記事を読んでいると、妙に白けてしまうことはあった。
そんな感じとは少し違う感触をあるように感じていた。

なんだろうか……、笑いたくなるような感じであった。
オーディオ評論家(商売屋)の提灯芸を競い合わせているんだ──、
そう思えたからだった。

Date: 6月 9th, 2018
Cate: ジャーナリズム
1 msg

オーディオにおけるジャーナリズム(デジタルデータの流用・その1)

the re:View (in the past)で、オーディオ雑誌に掲載された広告を公開している。

国内メーカー、輸入商社の広告を、
昔のオーディオ雑誌をバラして、一枚一枚スキャンして、
見開きの広告であれば左右ページを合成してレタッチして公開している。

300dpiでスキャンしているから、雑誌の記事にも使えるクォリティはある(はずだ)。
だからといって、ひとことのことわりもなしに、
オーディオ雑誌の記事に、それらの広告の画像が使われていることがある。

今日もあった。
少し前にもあった。

数年前には、audio sharingで公開しているウェスターン・エレクトリックのアンプの回路図、
これもあるオーディオ雑誌で公開されていた。

回路図などは、他でも公開されているのに、
なぜaudio sharingで公開している画像だとわかったのかといえば、
レタッチでやり残しているところがあって、それがそのまま残っていたからだ。

公開しているからといって、私になんらかの権利があるわけではない。
the re:View (in the past)には、引用についてなにかを書いているわけでもない。

それにサイト全体の名称がaudio sharingだから、
共有について、こまかなことはいいたくない。

それでもこんなことを書いているのは、
先月、見知らぬ方からメールがあった。
ある会で、the re:View (in the past)で公開している広告画像を使いたい、ということだった。

私の前に、そのメーカーにも問い合せされたけれど、
メーカーにも何もデータが残っていない、ということだった。

もちろん、お使いください、と返信した。

その数ヵ月前に、あるオーディオ店からも、同じようなメールが届いた。
そのオーディオ店のブログに、あるオーディオメーカーの広告の画像を使いたい、ということだった。

こちらに対しても、お使いください、と返信した。

そうやって何かの役に立てれば、やはり嬉しい。
けれど一方で、何の連絡もなしに、記事中にも何の注釈もなしに、
オーディオ雑誌の編集者は、使う。

バレない、と思っているのだろうか。

Date: 6月 9th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その11)

audio wednesdayでは、いわば実験をやっている。
この実験で心掛けているのは、誰もが追試できる、という点である。

アクロバティックな技術を必要とすることはやっていない。
ハンダ付けを数箇所できるくらいの技術があれば、
audio wednesdayが来られた方が、自分もやってみようと思われれば、
いくつかの注意は必要ではあるが、実験としての再現性は高い、と思っている。

今回の件も、何をやったのかは隠すことなく伝えている。
両チャンネルでハンダ付けは六箇所。
これだけやれるのであれば、追試可能である。

ただし同程度の効果が得られるかどうかは、
どれだけシステムのセッティングが、聴感上のS/N比を重視しているかにかかっている。

これにしても、特別なことは何もない。
特別高価なラックを使っているわけでもないし、
ケーブルに関しても、むしろ一般のオーディオマニアが使われているのより、
ずっと安いモノしか使っていない。

原則として喫茶茶会記にあるものを利用してのセッティングである。
何も特別なこと、高度な技術を要することはない。
ただただ細かなことの積み重ねである。

Date: 6月 8th, 2018
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・もうひとつ番外)

私が好きなグラシェラ・スサーナのディスクは、
レコード店のJ-POPコーナーに、たいていは置かれている。

ずっと以前は歌謡曲コーナーだったり、
外国人歌手ということで、ポピュラーコーナーという店もあった。

タワーレコードでも、以前は、J-POPと歌謡曲とに分れていたと記憶している。
でもいまでは合せてJ-POPである。

いまはそういう時代なのだろう、と思いつつも、
毎月喫茶茶会記でアルテックのスピーカーで、日本の歌のディスクを聴いていると、
歌謡曲とJ-POPの違いについて、はっきりといえることがひとつあることに気づく。

喫茶茶会記のアルテックのスピーカーは、A7的スピーカーである。
つまりA7のようなスピーカーでうまく鳴ってくれるのが歌謡曲であり、
どうにもうまく鳴ってくれないのがJ-POPである。

歌の古い新しいでもないし、
録音の古い新しい、歌手の古い新しいでもない。

若い人で、比較的新しい録音でも、アルテックでうまく鳴ってくれるのは、
私にとっては、その日本語の歌は歌謡曲である。

以前は歌謡曲の歌手と認識していた人であっても、
新しい録音で、アルテックで聴くと冴えない鳴り方しかしないのは、もうJ-POPである。

Date: 6月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その10)

「Moanin’」の前に「FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO」をかけていた。
以前、JBLの2441+2397で、「FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO」のCDを鳴らしたとき、
かなりいい感じだったのに比べ、
先月と今月、SACDで、アルテックの806+811Bで鳴らすと、
ギターの音色の違いが判然としない。

これはちょっと意外なほど、うまく鳴らない。
先月、ネットワークを変えていっても、そう大きくは変化しなかった。
今回も、そうだった。

けれど、ほんのちょっとしたことをネットワークのコイルに施すことで、
この大きな不満が、ずいぶんと改善された。

6dBのネットワークのコイルだから、ウーファーに対してのみ変化が生じるわけだが、
低音が変れば中音、高音の印象が変化する(その逆もある)ように、
音色の再現性が全体に高まってくる。

コイルにどんなことをしたのかは、audio wednesdayに来られた方には伝えている。
このブログをきちんと読まれている方は、あれか、と気づかれるはずだ。

試す前から、音の変化は小さくないであろうという予測はしていた。
それがいい方向に向くのか、それとも逆なのかは、実際にやってみないとわからないことで、
今回はうまく働いてくれた。

私だけでなく、他の方も、ここでの音の変化の大きさには驚かれていた。
こううまくいくと、この状態でドライバーとホーンを、
以前のJBLの組合せにしてみたら……、と思ってしまう。

とはいっても、2441+2397を、また喫茶茶会記に持ってくるのは大変だし、
また持って帰ることを考えると、その音を聴いてもらいたい気持と、
億劫な気持とがさめぎあう。

Date: 6月 7th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(Moanin’)

その12)で「坂道のアポロン」について書いた時には思いもしなかったが、
昨晩のaudio wednesdayで「Moanin’」を聴いていて、ふと思った。

「坂道のアポロン」は1966年夏の佐世保から始まる。
基地の町の佐世保である。

主人公は、佐世保の個人経営のレコード店で、
アート・ブレイキーの「Moanin’」のレコードと出逢う。
クラシックのレコードを買いにいったはずなのに、「Moanin’」を抱えて店を出る。

主人公が初めて手にしたジャズのレコード「Moanin’」は、
国内盤だったのか、それとも輸入盤だったのか。

昨晩のaudio wednesdayで聴いたのは国内盤のSACD。
舞台が佐世保でなければ、どこか他の田舎町だったら、
そこの個人経営の小さいなレコード店だったら、国内盤であろう。

でも佐世保である。
当時の佐世保を知っているわけではない。
それでも、他の町のレコード店よりも、輸入盤(アメリカ盤)を置いていて不思議な気はしない。

Date: 6月 7th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その9)

昨晩(6月6日)のaudio wednesdayでは、
最初の音出しからスロープ6dBの直列型ネットワークを使った。

5月のaudio wednesdayのテーマ「ネットワークの試み」では、
6dBの並列型と直列型、両方の音を聴いてもらうために、
バラックでの実験(音出し)だった。

今回は木のベースにコイル、コンデンサー、抵抗を固定、配線し仕上げている。
前回までは喫茶茶会記常用のスピーカーケーブルが、
カナレのスターカッド構造なのを利用して、
四芯構造を利用しての、いわゆるバイワイアリング接続していた。

そのままにしたほうが、今回の変更による音の違いははっきりするわけだが、
何度も作り直すのが面倒に思えて、
もう一組、カナレの同じケーブルを購入してきて、
ウーファー、ドライバー、トゥイーター、
すべて独立したスターカッド構造のスピーカーケーブルになっている。

つまりトライワイアリングにしている。

昨晩は16時くらいから準備にとりかかっていたが、
そのうちの大半はネットワーク作りだった。
使用した部品そのものは5月に使っているものである。

数枚ディスクを鳴らしたあとに、今回のテーマであるアート・ブレイキーの「Moanin’」を鳴らす。
悪くない感じの音ではあったし、おっ、と感じるところもあったが、
どうもピアノの鳴り方が、イメージにあるものと若干違っているようにも感じた。

とはいえ前回「Moanin’」をきちんとしたシステムで聴いたのは、ずいぶん前である。
けれど、鳴らし終ってから、聴かれていた人が「ピアノの音の印象が……」とのことだった。

それで、もう数枚ディスクを鳴らした後に試すことを、すぐさまやってみた。
ものの数分で終る作業である。

もう一度「Moanin’」をかける。
もう冒頭の音からして違う。
イメージにあるピアノの音で、鳴りはじめた。

Date: 6月 7th, 2018
Cate: audio wednesday

第90回audio wednesdayのお知らせ(ホーン周りの見直し)

7月のaudio wednesdayは、4日。

ここで書いておかないと、ついつい先延ばしになってしまうので、
次回の予定としては、アルテックのホーンとドライバー周りの設置を、
これまでのやり方とは大きく変更する。

試みたかった方法は、東急ハンズで無理といわれたのであきらめて、
少し変更してやる予定。

JBLの075の設置も、これに応じて変更となる。
ウーファー、ホーン+ドライバー、トゥイーターをインライン配置にする(つもりだ)。

ただ塗装が面倒だな、と思っているところ。
喫茶茶会記のエンクロージュアは、艶消しの黒。
同じ艶消しの黒にするか、それとも色も変えてみようか、
そんなことも考えている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 6月 6th, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その5)

西新宿の小さな店で始まった珈琲屋は、繁盛した。
映画館のピカデリーの隣に、そのころラオックスのビルがあった。
そこの二階に、もっと大きな店舗も展開していた。

店主のMさんは、私が通いはじめたころは、
そちらの店(こちらが本店になっていた)に立たれていることが多く、
西新宿の店(西口店)は、30代くらいのHさん(男性)、20代なかごろのKさん(女性)のふたりだった。
どちらかが休みのときには、Mさんが来られていた、と記憶している。

けっこうな回数通っていたけれど、Mさんの淹れるコーヒーを味わえたのは、そう多くない。
もっぱらHさん、Kさんの淹れてくれるコーヒーが私にとっての、
新宿珈琲屋の味となっている。

Mさんの珈琲の味は、別格といえた。
Oさんの話では、豆も淹れ方もそのままに、
東京で名の知れた喫茶店の味を再現してくれた、とのこと。

Hさんの淹れるコーヒーもおいしかった。
他の店で飲むコーヒーよりも、私にはずっとおいしく感じられた。
ただ上には上がいる、ということだった。

新宿珈琲屋では、HさんかKさんの淹れるコーヒーのどちらかだった。
どちらが淹れるかは、カウンター席のどこに座るかでほほ決っていた。
カウンターの中にいるHさんとKさん、どちらが座った席に近いか、ということだった。

それがいつしかほとんどKさんが淹れてくれるようになった。