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Date: 7月 2nd, 2019
Cate: audio wednesday

第102回audio wednesdayのお知らせ(ラジカセ的音出し)

カセットテープ全盛時代であれば、
カセットテープ、カセットデッキをテーマにした音出しならば、
あれもやってみよう、これも、といったふうに準備もできるけれど、
もういまやそんな時代ではない。

メタルテープは、新品はどこにも売っていない。
カセットデッキの新製品(といってもほとんどないが)にドルビーが搭載されなくなった。

ドルビーがドルビー用ICを製造しなくなったためである。
カセットテープの人気復活という記事を、昨年何度か目にしたけれど、
そういう状況下であることも事実だ。

つい数日前に思い出したのだが、
そういえは、瀬川先生が熊本のオーディオ店に定期的に来られていたとき、
カセットデッキの試聴の日があった。

今回はカセットか……、と思いながらも参加してみれば、やはり面白い。
どんなことをやられたのか憶えているけれど、
同じことをいまやるのは、ほんとうに大変である。

そしてもうひとつ思い出したのは、次の日のことだ。
瀬川先生の試聴会は、土日二日間行われていた。
土曜日がカセット、日曜日がトーレンスのREferenceを聴く、であった。

日曜日、その日の音、特に最後にかけられたストラヴィンスキーの「火の鳥」は凄かった。
けれど、瀬川先生はぐあいが悪そうだった。

いつもなら、終った後にリクエストに応じてくれたのに、
その日ばかりは、さーっと奥に戻られてしまった。

「火の鳥」が鳴っていた時も、顔色は悪かった。
店を出ると、駐車場から瀬川先生を乗せたクルマが出て行った。
後の座席でぐったりされていた瀬川先生の姿が、目に焼きついている。

カセットでの、こういう場での音出しというと、どうしてもおもいだす。

明日(3日)のaudio wednesdayは、カセットテープがテーマである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 7月 1st, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(OTOTEN 2019にて)

アナログプレーヤーを輸入している出展社のブースで、
スタッフ(40歳くらいだろうか)の方が、
アナログディスク再生の大事な五つのポイントを話された。

輸入しているアナログプレーヤーの開発者から直接レクチャーを受けたもの、とのこと。
その五つのことは、確かに大事なことである。

トーンアームの調整にあたって、この五つのポイントはその通りである。
けれど、私くらいの世代、上の世代にとっては、
その五つのポイントのなかに、新しいことはひとつもなかった。

それはそれでかまわない。
話を聞いていて思っていたのは、
スタッフの人にとっては、そこでのレクチャーはとても新鮮で、
大事なことだと感じたからこそ、OTOTENで来場者に伝えたかったのだろう。

でも、その五つのポイントは、
1970年代のアナログディスクの再生について書かれたものにはすべて載っていた。

けれど、スタッフの人の世代にとっては、
その手の書籍も入手できなかった(読めなかった)のかもしれない。

見た目は40歳くらいに見えたけれど、実際のところはいくつなのかは知らない。
40歳前後だとして、私とひとまわりくらい違う。

その十年ちょっとのあいだに、アナログディスク再生に関する断絶は、
私の想像以上に大きいのかもしれない。

まずこのことを思っていた。
もうひとつ思っていたのは、
五つのポイントは大事なことであるけれど、
知っていたけど忘れてしまった人もいるだろうし、
知っているよ、という人であっても、どこまできちんと調整できるのかといえば、
甚だあやしいのが、現実である。

しかも、この現実は、ここ最近のことではない。
CD登場前から続いていることであり、
日本だけのことではなくアメリカにおいてもそうであることは、
以前マッキントッシュのゴードン・ガウが語っている。
ヨーロッパにおいてもそうなのかもしれない。

大事なことはしつこいくらいにくり返しくり返し語っていかなければならない。
それでも、きちんと理解して実行できる人は、どのくらいいるのか。

Date: 7月 1st, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その10)

OTOTENでもインターナショナルオーディオショウでも、
各ブースの入口の側にはテーブルがあり、
そこにはカタログ、ブースによってはアメが置いてある。

今年のOTOTENでのソニーのブースの、そのテーブルにあったのは、
ウォークマンだった。
初代(TPS-L2)と二代目(WM2)があった。

どちらも約四十年前の製品、
しかも持ち運ぶ製品にも関らず、そうとうに程度のいいモノだった。

ソニーで保管していたものなのだろうか。
そんな感じのする二台のウォークマンだった。

20代くらいの来場者が、ちょっとばかり興奮気味に、ソニーのスタッフに、
写真、撮っていいですか、ときいていた。

彼の年代にとって、実機を見るのも触るのも初めてなのかもしれない。
しかも新品同様といえるウォークマンである。

興奮気味なのも無理ない。

WM2の方にはテープも入っていて、再生状態だった。
おそらくソニーの関係者と思われる女性(30前後か)が、
スタッフの男性に、聴いていい? と訊ねていた。

ヘッドフォンで聴きながら、「80年代の音ですね」と感想を述べていた。

そうか、80年代の音なのか、と私は、そのフレーズをくり返していた。

TPS-L2は1979年、WM2は1981年発売だから、
WM2の音を聴いて「80年代の音ですね」は間違ってはいない。

それでも、30前後に見える女性が、
何をもってして「80年代の音ですね」といった、その理由は知りたいところ。

Date: 6月 30th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その9)

今年のOTOTENに、あれっ? と感じたことがある。
これまでのOTOTENでは見かけなかっただけに、よけいにそう感じた。

ちょうど昼ごろ、出展社のスタッフの人たちが、
廊下のベンチで弁当を食べている姿を、数箇所でみかけた。

こういう展示では昼食をとるのはけっこう難しい。
時間的余裕もないし、
国際フォーラムにも飲食店はあるけれど、
そういう店でゆっくり食事をとることは難しい。

弁当で済ますという人が多いはずだ。
けれど、いままでは、ベンチで食事をしている人をみかけたことはなかった。

なぜ、今年は? と思う。
憶測にすぎないが、
おそらく出展社のスタッフの人たちが、
休憩や食事をとるためのスペースが用意されていなかったのではないだろうか。

国際フォーラムには、そのためのスペースがないはずはない。
けれどスタッフの人たちが、廊下のベンチで、大急ぎで弁当を食べているということは、
そのためのスペースを、日本オーディオ協会の人たち専用にしていたのではないのか。

どこかに休憩や食事のためのスペースが用意されているならば、
誰だって、そこで食事をするはずだ。

食事をしているところを不特定多数の人に見られたい、なんて思っている人は、
皆無にちかいだろう。

それでも数人のスタッフの方たちが、別々のベンチで食べていた。
私は、この人たちを責める気はまったくない。
運営側の問題なのではないだろうか。

Date: 6月 30th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その8)

皆がわかっていることなのではないのか、と(その7)の最後に書いた。

この、皆がわかっていることではないのか、は、
5月24日に小池百合子都知事が定例記者会見で発表したかぶる傘も、まったくそうだろう。

東京オリンピックの暑さ対策と一つであるかぶる傘は、
どうみても滑稽でしかない。
あれをかっこいい、と思う人はいるのか。

あれを考えた人は、いったいどんな人なのだろうか、
そのことにも私は興味がある。

少なくとも会議にかけられている、と思う。
いくらなんでも小池都知事の独断だけで決ったとは思えない。

誰一人として、かぶる傘は滑稽だ、と思わなかったのか。
思っていたのではないのか、滑稽だとわかっていたのではないのか。
でも、誰も何もいわなかった──。

定例記者会見でかぶっていた人の表情は、
何かいいたそうでもあった。

皆がわかっていることなのではないのか、
でも誰も何もいわなかった。
その結果が、あのかぶる傘のような気がしてならない。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その7)

オーディオの世界に若い人を──、
というのが、今年のOTOTENのテーマの一つであり、
例えばオンキョーとパイオニアの合同ブースは、
「ガールズ&パンツァー」のためだけのブースであった。

「ガールズ&パンツァー」は、いま人気のアニメということぐらいは知っているし、
「ガルパン」と略して呼ばれているぐらいまでは知っている程度で、一度も見たことはない。

「ガールズ&パンツァー」について何かいいたいのではなく、
この「ガールズ&パンツァー」一色といえる展示は、
今年のOTOTENのテーマに添うものなのだろう。

でも成功していた、といえるのかは微妙な感じだった。
私が、このブースに入った時、椅子はほぼ埋まっていた。
人は大勢集まっていた。

けれど若い人が多かったのかといえば、そうではなかった。
たまたま私が入った時がそうだったのかもしれないし、
もしかするとずっとそうだったのかもしれない。

パッと見渡した感じでは、中年以降の方が多かった。
したりげに、こういう企画をしたからといって……、なんてことはいいたくない。

いろんな試みをやるのはいい。
でも会場の国際フォーラムに若い人が入ってこないかぎり、
それぞれのブースで、どういう企画(試み)をやったところで、
若い人のほうが多かった、ということにはなかなかなりにくいのは、
皆がわかっていることなのではないのか。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ディスク/ブック

SPIRIT RISING

“Summer Time”がかかっていた。
今日のOTOTENで、光城精工のデモが行われているときに、ちょうどブースに入った。

鳴っていたのは、アンジェリーク・キジョー(Angélique Kidjo)の歌う“Summer Time”だった。
“Summer Time”だということは、聴けば誰でもわかることだけど、
誰が歌っているのか、まったく見当がつかなかった。

iPhoneにインストールしているShazamで調べると、
アンジェリーク・キジョーと表示された。

私が好んで聴く音楽の範囲は、偏っていて狭い。
アンジェリーク・キジョーがどういう人なのか、まったく知らなかった。

知らなくてもiPhoneで、すぐに調べられる。
“Summer Time”は、2012年発売の“SPIRIT RISING”に収められている。

アンジェリーク・キジョーの“Summer Time”、
今日のOTOTENで強く惹かれた一曲である。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その6)

C1000は、ステレオサウンド 38号に登場している。
新製品としてではなく、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」のなかで登場している。

C1000は井上先生、上杉先生、長島先生のリスニングルームの写真に登場している。
38号を初めて読んだ時に、ここにもC1000、ここにもある、と思ったほどだ。

こんなことを書くと、メーカーが各オーディオ評論家にばらまいたんだろう、
と自称・事情通の人はそういうに決っている。

その可能性を完全に否定はしないが、
仮にそうだとしても、気にくわないオーディオ機器を、ふだん目につくところに置くだろうか。

長島先生は、C1000を左チャンネルのスピーカーの横に置かれていた。
レコード棚の上であり、机の隣でもある。

C1000の周囲に、他のオーディオ機器はない。
つまりC1000は飾ってあるだけである。

ほとんどの人が、音楽を聴いているときに、必ず目に入ってくる位置に気にくわないモノは置かない。
気にくわないモノを眺めながら、好きな音楽を聴きたい、と思う人はいないはず。

ということは、長島先生はC1000のデザインを気に入っておられたのか。

上杉先生はアンプ棚の上段に、C1000を収納されていた。
この位置も、音楽を聴いているときに、必ずC1000が目に入っている。

井上先生にしても、多少位置は違うが、少し視線をずらせば視界に入ってくる位置だ。

38号の、これらの写真を見て、
みんなC1000のデザインを気に入っているんだろうなぁ、と思った。
いまもそう思っている。

そういうアンプだから、Aさんの友人のCさんも、ずっと長いこと使いつづけてこられたのだろう。

そのC1000のデザインを受け継ぐCL1000のプロポーションを、
ここ数年のずんぐりむっくりにしなかったのは、賢明である──、
というよりやっと気づいてくれた、という感のほうが強い。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その6)

私はふだんカバンを持ち歩かない。
なので、オーディオショウに行っても、カタログをもらうことはない。
持って帰るのを面倒だ、と思う男だからだ。

でもESD ACOUSTICのカタログだけはもらってきた。
帰りの電車で読んでいた。

日本のオーディオメーカーのカタログとはずいぶん違う。
全体的におおらかな印象のカタログである。
いそいで日本語のカタログを作ったのだろうか。

ESD ACOUSTICのブースでは、お茶も淹れていた。
スタッフも、みな中国の人たちだったようだ。

大型システムということもあるのだろうが、
椅子の設置(スピーカーとの距離のとりかた)にしても、
贅沢な、というか、おおらかな、というか、
日本の出展社とは、ここも違っていた。

ESD ACOUSTICは、これからどうやって売っていくのか。
どこか日本の輸入元と契約するのか、
日本支社をつくって、自分たちで売っていくのか。

製品が、これからどう変っていくのかも楽しみだが、
どうやって日本で商売をしていくのかも、私は興味がある。

とにかく私はESD ACOUSTICの存在を面白い、と思っている。
こういう面白がれるメーカーが、いま日本のメーカーにあるだろうか。

いやいや、日本のオーディオメーカーは、そういう時代はとっくに通りすぎた──、
そういう声もきこえてきそうだが、
それで若い世代を、オーディオの世界に呼べるだろうか、とおもう。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その5)

ESD ACOUSTICのシステムは、
ハニワオーディオのシステムをさらに大がかりにした、ともいえる。
ちょうど中国と日本、国の広さが、そのままシステムの規模に当てはまるような感じでもある。

オールホーンの5ウェイシステムで、ユニットは励磁型である。
これだけで拒否反応を示す人もいるだろうし、
中国のメーカーということでも拒否反応、もしくは無視する人もいるかもしれない。

でも、日本のメーカーで、これだけのシステムを開発するところはあるだろうか。
そんなの開発費の無駄──、
そんないいわけをいってしまっているかもしれない。

ESD ACOUSTICは、2017年にできたメーカーだ。
まだ若いメーカーだ。

ハニワオーディオと同じような道を、もしかすると歩んでいくのかもしれないが、
このままさらに突き進んでいくのかもしれない。

ESD ACOUSTICのブースに入ったのは、13時過ぎだった。
その後、ほかのブースをまわって、15時過ぎにもう一度入った。

鳴っていた音は、二回目のほうがこなれていたし、鳴りもよくなっていた。
そうとうに大がかりなシステムだけに、どこがどうとははっきりしたことは何もいえないが、
全体的に、電源を入れても目覚めの遅いシステムのような気がする。

13時と15時のあいだにまわったブースに、ビクターがある。
ウッドコーンの8cm口径のフルレンジスピーカーを鳴らしていた。

ウッドコーンの製品化は大変だったはずだ。
一度中止になった開発を再開しての実用化である。

だから、ビクターのその姿勢に対して否定的、批判的な気持はまったくない。
それでも、私はSX1000 Labや、ME1000、MC-L1000など、
これらの製品を開発してきたビクターを知っている。

それからすると、一抹の寂しさも感じるのだが、
それ以上にESD ACOUSTICの熱量をすぐそばで体感したあとでは、
日本のオーディオ業界は老いていくだけなのか、とつい思ってしまう。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その4)

今日から二日間開催のOTOTENに行ってきた。

東京は雨模様。
そのためなのか来場者は、多いとは感じなかった。
けれどちいさな子供をつれたお母さんが、
とあるブースで、子供を膝にのせて聴いている姿が印象に残っているし、
このお母さんだけでなく、今年のOTOTENは、子供連れの家族で来場している人を二組ほどみかけた。

これまでインターナショナルオーディオショウでもOTOTENでも見かけなかっただけに、
この人たちが来年以降も来てくれるのかどうか、知りたいところである。

今回のOTOTENで強い印象のブースといえば、ESD ACOUSTICである。

ガラス棟のG502とG510を使っている。
会場の国際フォーラムに行ったことのある人ならば、
インターナショナルオーディオショウで、どこが使っているかをいえばすぐにわかるはず。
G502とG510は、ガラス棟でもっとも広いスペースである。

ESD ACOUSTICがどんなオーディオ機器を鳴らしていたのかは、
AV Watchの記事、PHILE WEBの記事をご覧いただきたい。

この時代に、こういうスピーカーを開発するのか、
スピーカーだけでなく、アンプもCDプレーヤーも、システム一式揃っている。

鳴っていた音は、欠点を指摘しようと思えばいくつもできる。
セッティングも、もっともっときちんとやれば、と思わせるレベルである。

それでもこれだけのシステムをつくり上げた熱量は、素直に感心する。

日本のメーカーでいえば、以前のハニワオーディオが、これに近かった、といえなくもない。
ハニワオーディオはOTOTENに出展している。

けれど以前の大型スピーカー、システムではなく、
小型のスピーカーとシステムで、わが道を行くともいえる音出しを、今年もやっていた。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その5)

この項でも、別項でも、
ラックスのアンプの、最近のずんぐりむっくりなプロポーションに否定的なことを書いてきた。

私だけがそう感じているのではなく、
私の周りでは、私と同世代か上の世代の人たちも、やはり同じように感じている人が少なくない。

最近、そのラックスからCL1000が登場した。
1970年代のラックスのソリッドステートのコントロールアンプC1000(1010)と、
ほぼ同じといえるデザインをもつ管球式コントロールアンプである。

このCL1000、ずんぐりむっくりではない。
かといって、C1000と同じ外形寸法かというと、少し違う。

C1000はW48.5×H17.5×D24.5cm、
CL1000はW46.0×H16.6×D45.4cm。
奥行きは大きく違うが、横幅と高さは数センチの違いであり、
C1000とCL1000の横幅と高さの比率は同じである。

CL1000の横幅が、ずんぐりむっくりプロポーションの44.0cmだったら、
どんな印象に変っていただろうか。

C1000とはずいぶん違った印象になったのだろうか。
もしそうなっていたら、ある人はCL1000を買わなかったかもしれない。

友人のAさんの友人(Cさん)、昔からの音楽好きな人らしい。
ずっとラックスのC1000を愛用してきた。

そのCさんは、CL1000を買った、そうだ。
たまたま臨時収入があったこと、
C1000も、もう四十年以上経つアンプだから、
いくら気に入っているとはいえ、維持していくのも大変になっている。

そこに、パッと見、同じといえるCL1000である。
これならば、奥さんのいない隙にC1000と交換してもバレない、というメリット(?)もある。

もしCL1000の横幅が44.0cmだったら、
ずんぐりむっくりのプロポーションだったら、
Cさんは買い替えなかっただろうし、
音を聴いて気に入って、奥さんに黙ってこっそり入れ替えたとしたら、
黙って買ったこと、臨時収入を隠していたことなどが、すぐにバレてしまっただろう。

横幅、高さは数センチ小さくなっていても、
フロントパネルのプロポーションは変っていないCL1000だからこそ、
Cさんは踏み切れたのではないのか。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: オーディオマニア

無為な自由

無為な時間、
無為な日々、
Googleで「無為な」と入力すると、
これらの検索キーワードが自動的に表示される。

無為な時間にしても、無為な日々にしても、
それは捉え方次第では、無為な自由なのかもしれない。

二ヵ月ほど前、
続・何度でもくりかえす」で、
無為に耐えられないのがオーディオマニアなのかもしれないし、
無為に耐えられるようになってこそオーディオマニアだと断言できる、
と書いた。

無為な自由とオーディオマニア。
いま、そんなことを考えている。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その13)

沢村とおる氏の原稿を読んで、カチンときたところ以外にも、
不満をおぼえたところはまだある。

不満だけではない、いったいこの人は、どういう立場で原稿を書いているのだろうか──、
そういう疑問もいっしょにくっついてきてのものである。

沢村とおる氏は《われわれアマチュア》という表現を複数回使われている。
なぜ、こんな表現を使うのか。

わざとへりくだっての《われわれアマチュア》なのだろうか。
けれど、いかにもアマチュアとしか思えない箇所もある。

 スピーカーシステムの商品化に当たって、貴社ではエンクロージュアの設計をどのようになさっていますか?
 (イ)ユニット構成に基づいて、それに一番適合したエンクロージュアを考える。
 (ロ)エンクロージュアのアイデアを生かしながら、合ったユニットを選ぶ。
 (ハ)ユニットとエンクロージュアを相互に考えながら、一体化して考えていく。

このアンケートについて、沢村とおる氏は、次のように書かれている。
     *
 これに対する解答は、無解答の1社を除いて、全メーカーが(ハ)と答えている。これは当然こうなるだろうと、予想していた通りの結果だが、分かっていることをなぜ尋ねたのかというと、われわれアマチュアがスピーカーシステムを自作する時は、そうではないからである。たいていは(イ)のケースがほとんどで、例えばJBLのユニットが良さそうだから、それを使おう。それに合ったエンクロージュアは、どんな形式で、どんな大きさのものがいいか? といったふうに、ユニットを決めてから、それに適合したエンクロージュアを選んでいくのが普通である。時にはエンクロージュアの面白さから(ロ)になることもあるが、(ハ)ということは、まずあり得ないといっていいだろう。これがアマチュアと、専門家であるメーカーの考え方の違うところである。
     *
確かに、このころの国産スピーカーメーカーは(ハ)であった。
けれど、だからといって、これだけで、
《これがアマチュアと、専門家であるメーカーの考え方の違うところ》と言い切れるものだろうか。

ここで思い出してほしいのは、海外のスピーカーメーカー、
この時代のJBL、タンノイといったメーカーのスピーカーづくりについて、である。

Date: 6月 28th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その12)

1988年は、オーディオブームがすでに去っていたとはいえ、
まだまだオーディオ雑誌はいくつもあった。

いまよりも、オーディオ雑誌には、それぞれの個性といえそうなものがまだあった。
沢村とおる氏が書かれているように《重さには関心が持たれるようになった》のは事実だが、
それは一部のオーディオ雑誌のことであり、
その雑誌のすべての読者がそうであった、とまではいえない。

それをさもステレオサウンドでもそうであるように、
ステレオサウンドの読者もそうであるように、
つまり十把一絡げ的ものの捉え方であり、語り方をしている。

私は、だからタンノイのオートグラフとヴァイタヴォックスのCN191の写真を選んだ。
写真の扱いも大きくしてもらっている。

写真のネーム(説明文)は、
沢村とおる氏の本文に添う内容ではない。

ここでのネームは、ステレオサウンドが、それまで語ってきたことである。

この写真とネームを、沢村とおる氏はどう思われただろうか。
私は、この記事以降も、一度も沢村とおる氏とは会ったことがない。
どう思われたのかは、まったく知らない。

それにだ、可能性としては、記事そのものを読まれていないかもしれない。
ステレオサウンドの、それまでの記事をきちんと読んでいるのであれば、
こんな内容の原稿の元となった認識のひどさは生れなかったであろうから。

仮に読んでいた、としよう。
なんて編集者だ、と怒りを覚えられたかもしれない。
編集者の悪意だ、と思われたかもしれない。