Author Archive

Date: 8月 25th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その19)

アンプやCDプレーヤーのセッティングは、前日までのままであり、
これは私が行っていた。

XRT18を試聴室に運び込んで、スピーカーケーブルを接続するまでは、やった。
それから先は、エレクトリの担当者と、編集部の一人が立ち合ってのこと。

この編集者は、編集後記のKHさんである。
ちょうど、このころ編集部に見習い、というか、アルバイトというか、
そんな感じで来ていた人である。

KHさんは、XRT20のユーザーである。
エレクトリの担当者とも親しい。

そういうことで、この二人にまかせてしまった。
このころのステレオサウンドは10時から始まる。
はっきりと憶えていないが、割と早くから二人で試聴室にこもってのヴォイシング作業である。

二時間以上は、たっぷりとヴォイシング作業をやっていたはずだ。
二時間程度は、完全なヴォイシングは行えないのはわかっているが、
それでも他のスピーカーシステムは、試聴室に搬入・設置・結線して、
すぐに音を鳴らしての試聴であるのに、
XRT18は午前中たっぷりと鳴らした上での試聴であり、
他のスピーカーよりもそうとうに有利な条件である。

エレクトリの担当者とKHさんは、ヴォイシングの結果には満足そうだった。
うまくいかなかった、とか、時間が足りなかった、とか、そんなことは言っていなかった。

かなた期待できそうな音が鳴ってくれる──、
そう思っていたら、試聴記にあるように、ひどい音だった。

井上先生は《スルーの方がバランスが良いくらいである》、
柳沢氏は《輸入元にこの調整をしてもらったのだが、これがさらに結果を悪くすることになったようだ》、
ヴォイシングの結果について、そう書かれている。

Date: 8月 25th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その18)

このテーマで取り上げるかどうか、少し迷ったけれど、
編集者の悪意について考えてゆくうえで、これも興味深い例の一つであるから、あえて書こう。

ステレオサウンド 87号の特集は、スピーカーの総テストである。
そこにマッキントッシュのXRT18が登場している。
228〜229ページに、XRT18が載っている。

試聴記の見出しは、
 ボイシングの調整不足。独特のプレゼンスは魅力。(井上卓也)
 柔軟さ、しなやかさが特徴。設置、調整は難しい。(菅野沖彦)
 明らかに調整ミス。淡泊で焦点のぼけた音だった。(柳沢功力)
試聴記を読まずとも、87号でのXRT18の音がうまく鳴らなかったことはわかる。

ちなみに、この見出しをつけたのは私である。
でも、この見出しのつけ方が、悪意があるとうそうでないとかではなく、
なぜ、こういう試聴結果になったのかである。

XRT20、XRT18は、壁面に設置するスピーカーシステムであり、
ヴォイシングが必要となるシステムである。

輸入元のエレクトリは、購入者へヴォイシングの出張サービスを行っていた。
ヴォイシングは、ユーザーが聴感だけで簡単に行えるものではない。

ヴォイシングの大変さ、難しさ、その重要性は、
菅野先生がステレオサウンドに書かれているので、それをぜひお読みいただきたい。

とにかくXRT20、XRT18にしても、それまでのスピーカーの総テストと同じやり方では、
真価を発揮し難いスピーカーシステムであることは、編集部も十分わかっていた。

だからXRT18のヴォイシングの時間をきちんととっていた。
試聴は数日にわたって行われる。

XRT18は、試聴三日目(だったはずだ)の最初に鳴らすスピーカーになるようにした。
試聴は午後からである。

三日目の午前中に、エレクトリからヴォイシングの担当者に来てもらい、
設置・調整をしてもらう。

そうやって午後から始まる試聴の一番目にXRT18を聴いてもらえば、
問題はない、はずだった。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: 冗長性

冗長と情調(余談・「マッチ工場の少女」)

この項の続きを書こうとして思い出しているのが、
1991年に公開された映画「マッチ工場の少女」である。

渋谷のパルコ内の劇場での公開だった。
この映画の監督、アキ・カウリスマキのことは、この映画の公開とともに知った。

何も知らずに観た映画だった。
なぜ、観ようと思ったのか、それすら忘れてしまったが、
「マッチ工場の少女」の衝撃は大きかった。

映画マニアと呼ばれるほどには数を観ていないが、
それでも少なくない映画は観ているほうだろう。

これまで観てきた映画で、こういう映画が観たかった、と思ったのは、
「マッチ工場の少女」が初めてだったし、
「マッチ工場の少女」以上にそう思えた映画は、いまのところ出会えていない。

約70分ほどの、少し短い上映時間である。
「マッチ工場の少女」を観れば、
ここで取り上げた理由がわかってもらえる、と思っている。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その1)

私もそうだが、twitterとfacebook、
この二つのSNSのアカウントをつくっている人は多いだろう。

イベントなどの告知をしたいのであれば、twitter、facebookのどちらにも、
同じ内容を投稿するのはわかる。

けれど、思っていること、考えていることを、
twitterにもfacebookにも、同じことを投稿する人が少なからずいる。

多くの人に読んでほしい、という気持のあらわれなのだと一応頭では理解しても、
どちらにも投稿する人をみると、この人は選択することを放棄している(しかかっている)、
そんなふうに見えてしまう。

twitter、facebook、どちらか片方しかアカウントをつくっていないという人もいる。
だから、どちらにも投稿する──、とその人はいうかもしれない。

それでも、あえて「選択しよう」といいたくなる。

なぜ、選択しなければならない──、
そう思うのであれば、それはそれでいい。
その人とオーディオについて語ろうとは、私は思わない、
ただそれだけである。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: audio wednesday

audio wednesday(今後の予定)

このタイトルで、もう何本か書いているけれど、実現しているのはわずか。
結局、モノの運搬がネックになって実現できていない。
なので、今回書くことも、そんな理由でたぶんできない、と思う。

それでも、ヤフオク!でKEFのModel 303を偶然見かけたのをきっかけに、
いくつかのオーディオ機器を落札した。

すべて1970年代の終りごろのオーディオ機器ばかりで、
つまりステレオサウンド 56号での瀬川先生の組合せがベースになっている。

当時、30万円ほどの組合せが、
八分の一から十分の一ぐらいで落札できた。

すべてを落札したわけではないが、
56号の組合せに必要なオーディオ機器が準備できるようになった。

303があり、AU-D607も手配ができている。
アナログプレーヤーは別項で書いているように、PL30LではなくテクニクスのSL01になった。
カートリッジのDL103Dも手配できる予定である(鳴るのかどうかのチェックは必要だが)。

ヤフオク!をあせらずに利用すれば、程度のよい、当時のオーディオ機器が、
こんな予算で……、と少々驚くほど安く揃えられる。

40年前の、組合せ価格が30万円ほどのシステムは、
いま聴くと、どんな感じなのか、どういう印象を抱くのか。

今回ヤフオク!で落札した予算内で、現在購入できる新品のオーディオ機器と比較すると、
どうなるのだろうか。

やっぱり40年前のオーディオでしかないよねぇ……、とはならないような気はしている。

できれば、今回揃えた(揃えられる)システムをaudio wednesdayで一度鳴らしたい。
そのうえで数ヵ月後に、それぞれに少し手を加えた音を聴いてもらいたい、と考えている。

とはいえ運搬の問題は残ったままだから、期待しないでほしい。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その35)

ヤフオク!がすすめてきたSL01は、そこそこの値段で落札された。
定価80,000円のアナログプレーヤーといっても、もう40年が経っている。

最高のコンディションのSL01を探しているわけではない。
それでも、金額はここまで、という決めて入札する。

修理に出すことも考えて、つまりその費用も考えて総額として、
40年前のオーディオ機器として、ここまでという金額を設定する。

そこを超えたら、すっぱり諦めて次の機会を狙う。
今回三度目のSL01だった。

キャビネットの一部の塗装が剥げている。
そのせいか、入札数も多くはなかった。
上限金額よりも安く落札することができた(5,250円だった)。

塗装の剥げについては、落札する前から、こうやってみようとか、あれこれ考えいた。
同時に、ダイレクトドライヴ型プレーヤーに感じている疑問を、
いくつか試してみようという気にもなってきた。

ダイレクトドライヴ型に関しては、いくつかの大きな問題がある、と考えている。
とはいえ既製品に、私ができる範囲で手を加えることといえば、
聴感上のS/N比を劣化させている原因を、完全になくすことは無理なのだが、
それでもできるだけ抑えていきたい。

落札する前から、このことも考えていた。
SL01の写真をGoogleで画像検索して、内部写真を見ながら、そんなことを考えていた。

私がダイレクトドライヴ型プレーヤーを使っていたのは、高校生のころまでだ。
ステレオサウンドで働くようになってからは、ベルトドライヴ、アイドラードライヴ型だった。

手元にあるプレーヤーも、ベルトドライブ型が一台とアイドラードライヴ型一台である。
ここに、今回ダイレクトドライヴ型が一台加わった。

ひさしぶりのダイレクトドライヴ型であり、
ひさしぶりの分だけ、いろいろなことを学んできたし、
40年前には気づかなかったこともみえている。

そんなに大掛りなことをSL01に施そうとは考えていない。
それでも確実に聴感上のS/N比を向上させていく自信はある。

SL01に手を加えることで、
私のなかにあるダイレクトドライヴ型への疑問をいくつか解消できるかもしれない。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その34)

ヤフオク!は、「お探しの商品からのおすすめ」をしてくれる。
PL30Lや50Lを眺めていたときに、そこにテクニクスのSL01が表示された。

SL01を検索してもいないのに、それまでの履歴からSL01を表示する。
なんなんだろう、この機能は? と感心するとともに、
少しばかり空恐ろしくなるところでもある。

そのことがあって、ひさしぶりにSL01の存在を意識するようになった。
SL01は、何度もいうようにコンパクトだ。

PL30Lの外形寸法がW49.0×H18.0×D41.0cm、
SL01はW42.9×H13.7×D34.7cmである。
横幅が約6cm違う。

たった6cmであっても、
SL01はPL30L(というより標準的なサイズ)より、
プレーヤーのサイズとして明らかにコンパクトに見える。
厚みの違うことから、SL01はスリムでもある。

ヤフオク!での写真を見ているうちに、
色調よりも、このコンパクトさの魅力が勝ってきた。

KEFの303、サンスイのAU-D607の組合せには、
PL30LよりもSL01のほうが、全体のまとまりがしっくりくる。
すべて黒になる。

そういえば、瀬川先生は「続コンポーネントステレオのすすめ」で、
UREIの813の組合せで、SL01を使われていることも思い出した。

ステレオサウンド 56号の時点でSL01は製造中止だった可能性は高い。
もし現行製品だったら、SL01を選ばれていたかも──、
そう思った瞬間からSL01が無性に欲しくなってきた。

Date: 8月 23rd, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その33)

SL01の明るい仕上げのモデルが登場しなかったばかりか、
製造中止になるのも早かったのは、
おそらくジャケットサイズのSL10の登場があったからではないだろうか。

コンパクトということでは、SL01はSL10にかなわない。
もしSL10の登場が二、三年遅かったら、明るい仕上げのSL01が出てきたのかもしれない。

いうまでもなくSL01はダイレクトドライヴである。
それもあって、SL01への関心はいつしか薄れていった。

なのに、いまごろ思い出したように取り上げているのは、
別項で書いているKEFのModel 303を入手したことが深く関係している。

別項では、ステレオサウンド 56号での瀬川先生の組合せについても触れている。
ここでのプレーヤーは、パイオニアのPL30Lである。
当時59,800円のプレーヤーであり、56号での組合せには価格的にもぴったりである。

56号は1980年秋号。
このころSL01はどうだったのだろうか。
現行製品だったのか、製造中止になっていたのか。
それにSL01は価格的にはちょっと高い。

とにかく56号での組合せのプレーヤーはPL30Lである。
ヤフオク!でPL30Lの相場を眺めていた。
PL30Lだけでなく、PL50L、PL70Lもけっこう出品されているし、II型も多い。

パイオニアの、このシリーズはよく売れていたんだろう、と改めて思う。
PL30Lは、なのでそれほど高値がつくわけではない。

手頃な価格だったら──、と思った。
入札したこともある。
けれと応札はしなかったのは、PL30Lの大きさと見た目だった。

個人的に木目の、あれだけのサイズのプレーヤーを欲しい、とは思わない。
もっと小さく、木目の部分がもっと小さかったら──、そんなことを思っていた。

Date: 8月 23rd, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その32)

テクニクスのSL01への興味はあった。
瀬川先生が43号で、
《もう一機種、明るい仕上げのモデルを併売してくれるとうれしい。またそれだけの価値は十分あると思う》、
47号では、《もっと明るい色なら自家用にしたい程》とまで書かれている。

SL01のカラー写真は何度も見ているにも関らず、
なぜかSL01の写真として浮ぶのは、43号の写真である。
ブランド名も型番もなしのSL01の写真であり、
たったこれだけの違いなのに、印象がずいぶん悪くなっていた。

実物を早くに見る機会があれば、そんな印象はすぐになくなってしまったのだろうが、
熊本ではSL01の実機を見ることはなかった。

なので瀬川先生のSL01への印象がそのまま残った。

1981年春、上京した。
SL01は、このころ製造中止になっていたのか、
東京のオーディオ店でもみかけなかった。
そんなに多くのオーディオ店を見てまわったわけではないから、
どこかにはあったのかもしれないが、縁がなかったのだろう。

とにかくSL01に関しては、43号の写真の印象が残ったままだった。
ながく残っていた。
明るい仕上げのモデルが併売してほしかった、と私も思っていた。

SL01はあまり売れなかったのか。
同じ価格ならば、同じ性能ならば、
この価格帯のプレーヤーを買う層には、大きいサイズのほうがよかったのか。

こんなことを書いている私だって、高校生のころは、
SL01のサイズの魅力をよくわかっていたわけではない。

Date: 8月 23rd, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その31)

私にとって最初ステレオサウンドは41号(1976年12月号)。
この41号といっしょに買った別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
組合せだけ一冊である。

架空の読者とオーディオ評論家との対話によって組合せがつくられていくメインの記事、
その後に、「スピーカー第一主義の’77コンポーネント“ベスト30”」がある。
30の組合せが七人のオーディオ評論家によってつくられている。

そこにちょっと気になるプレーヤーがあった。
30の組合せ中五つの組合せに登場している。
テクニクスのSL01である。

SL01は41号の新製品紹介の記事にも登場している。
井上先生が担当されている。

でも、この時は、気になる程度であった。
半年後の43号、ベストバイで、SL01は、選者全員がベストバイとして選んでいる。
これを読んで、ちょっと気になる存在でしかなかったSL01は、
かなり気になる存在へと格上げになった。

気づかれている方もいると思うが、43号のベストバイで使われているSL01の写真は、
プロトタイプの写真なのか、プレーヤーベース右手前にあるはずのブランド名と型番の表記がない。

たったそれだけなのに、なんだかのっぺりして見えた。
SL01に関しては、「コンポーネントステレオの世界」でのカラーの方が、いい。
それでもSL01のコンパクトさを、みな高く評価されていた。

菅野先生は、
《これだけの性能が秘められていると思うと、奥ゆかしい魅力を覚える》とされていた。

それでもまだ中学生、オーディオに興味を持ったばかりの私は、
コンパクトさということは、二番目のプレーヤーに求めることのようにも考えていた。

SL01は80,000円だった。
学生には無理な価格だった。

Date: 8月 22nd, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(オーディオ好きであれば、それでいい)

20代のころにもあった、30代のころにも40代になってからもあった。
ある人と親しくしていると、周りの誰かが「あの人とは関らない方がいいよ」といってくる。

そういってくる人は、忠告のつもりなんだろう。
素姓の良からぬ人とは付き合わぬのが賢明とでもいいたいのだろう。

そこには、こちらのことを心配してくれているのか、
それともその人が「あの人」という人のことを嫌っているからなのだろうか、
そのへんははっきりとしないこともあるが、
とにかく「あの人とは関らない方がいいよ」といってきた人が、これまで数人いる。

いってきた人はみな別の人たちであり、
その人たちが「あの人」というのも、また別の人のことである。

そういう人からみれば、あいつはよからぬヤツとつるんでいる、となるんだろう。
でも、これこそよけいなお世話である。

会って話せば、目の前にいる人が、ほんとうにオーディオ好きなのかどうかは、
はっきりとわかる。
それさえわかれば十分である。
その人の職業とか経歴とか、そんなことはどうでもいい。

ほんとうにオーディオ好きの人であれば、
周りの人たちが「あの人は……」といおうが、私にはどうでもいいことでしかない。

でも、周りの人の声のほうが気になって、
「あの人は……」といわれる人とのつきあいをやめていく人もいるみたいだ。

会って話しても、そういう人はわからないのだろうか。
誰がほんとうにオーディオ好きで、そうでないかが。

もしかするとほんとうにオーディオ好きの人を前にすると、
自分のオーディオの好きさ加減がバレてしまうから、それを怖れて、
ほんとうのオーディオ好きを遠ざけるのか。

Date: 8月 21st, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その30)

SMEの3012-R Specialについて書き始めたら、また横路に逸れそうになってしまった。
結局、いいたいことは、
ターンテーブルプラッターの直径とトーンアームの長さのあいだには、
ちょうどいいバランスがあって、
30cm前後のターンテーブルプラッターには、どうやってもロングアームは似合わない。

3012-R Specialに憧れて、東京に出て来て最初に買ったオーディオ機器は、
SMEの3012-R Specialだった私は、
ついにSMEの3012-R Specialに似合うターンテーブルシステムは、
市販品にはない、それにこれからにもまったく期待できない──、
という変らぬ結論になってしまう。

以前書いているけれど、
むしろマイクロの糸ドライヴのような、武骨なモノのほうが意外とうまくいく。

それに、もう大きなアナログプレーヤーは、以前ほどに欲しいとは思わなくなってしまった。
トーレンスの101 Limited(930st)から927Dstまで行ってしまい、
その音に納得しながらも、そのどちらも手離してしまい、いま思うのは、
927Dstは、やっぱり大きすぎた──。

いまはコンパクトにシステム化されたアナログプレーヤーがいい、と思っているし、
欲しい、とも思う。

927Dstが大きく感じられないような広い部屋に住めるようになったとしても、
あまり大きくない方がいい。

SMEのSeries Vもロングアーム版が登場してけっこう経つ。
ロングアーム版が出た時は、やっと出てきた、と思ったし、
Series Vでも、やっぱりロングでしょう、と強く思ってもいたのが、
いまでは通常のSeries Vがいい、と思うほどに変ってきている。

とはいっているものの、実際にそういう部屋に住めるようになって、
コンディションのいい927Dstがタイミングよくあらわれたりしたら、
やっぱり927Dstだな、と口走ったりするだろうけど。

とにかくいまは、大きくないと感じるアナログプレーヤーがいい、と感じている。

Date: 8月 20th, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その15)

サンスイのプリメインアンプの出力は、
AU607が65W、AU707が85W、
Dがつくようになり、わずかだがパワーアップして、
AU-D607が70W、AU-D707が90W、AU-D907が100W。

出力トランジスターの数は、607は1ペア(片チャンネルあたり)、707は2ペア、
907は4ペアである。

607は俗にいうシングルプッシュプルである。
真空管アンプに馴染んでいる人にとっては変な表現であっても、
いまではこう書いたほうが通じやすいのも事実である。

ようするに607は出力トランジスターを並列接続していない。
していないから、それだけで素晴らしいアンプになるなんてことはないが、
それでも607について試聴記を読んでいると、
独特のプレゼンス感と、この出力段の構成は切り離せないようにも感じる。

ステレオサウンド 56号を読んだときには、手元にはKEFの303はなかった。
三ヵ月前に、ヤフオク!で手に入れた303がある。

56号のころ、私はサンスイのAU-D907 Limitedで、
国産のブックシェルフ型の3ウェイスピーカーを鳴らしていた。

AD907 Limitedはかなり前に、どうしても欲しいという人がいて譲った。
いま手元にあれば、303をAU-D907 Limitedを鳴らすかというと、どうだろうか。

どこかにAU-D607でやっぱり鳴らしてみたい、という気持がある。

303を中心としたシステムだけしかないのであれば、
アンプは、よりよいモノにしたい、という気持が強くなる。
AU-D907 Limitedがあれば、それで鳴らすだろう。

けれど303のシステムだけでは、ない。
そうなるとアンプ選びは変ってくる。

AU-D907ではなく、D707かD607かである。

Date: 8月 20th, 2019
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(1965年8月19日)

昨晩書こうと思ったけれど、
あえて一日ずらして書くことにした。

音による自画像について考えていくうえで、
これも自画像なんだ、と思っているのがある。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲である。

1965年8月19日に、ジャクリーヌ・デュ=プレは、
バルビローリ指揮ロンドン交響楽団と、エルガーのチェロ協奏曲を録音している。

EMIは、ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーを一度も廃盤にしなかった、ときいている。
この録音が終って、プレイバックを聴き終ったデュ=プレがなんといったのかは有名な話である。

なので、このエルガーをジャクリーヌ・デュ=プレの自画像とするのは、
どうか、と思わないわけではない。

けれど宿命的に自画像になってゆく。

Date: 8月 20th, 2019
Cate: オーディオ観念論

抽象×抽象=(その2)

抽象×抽象は?

抽象を幾重にも掛け合わせていくのがオーディオではないのか──、
と(その1)で書いた。

抽象×虚構でもいいのかもしれない。
抽象×抽象、
抽象×虚構、
これらでしか描けない音楽がある、というだけのことなのか。