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Date: 9月 5th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その2)

音の量感という表現は、もうずっと以前から使われてきている。

質と量。
質感と量感。

わかりやすいはずの量に関することであっても、
そこに感がつくと、わかりやすいとはいえなくなっていることに、
どれだけの人が気づいているのか、と疑問に思うことが、むしろ増えてきている。

特に低音の量感とでもいおうものなら、
こちらが意図するのと真逆の印象で受けとられることだってある。

ひどくなると、トーンコントロールで低音をブーストすることイコール低音の量感、
そんなふうに捉えている人すらいる。

ステレオサウンド 55号のプレーヤーの比較試聴記事で、
《中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった》
と瀬川先生は、EMT 930stについて書かれている。

930stの音を、量感について誤解している人は、ぜひ聴いてほしい──、
と以前は、そう思っていた。

とはいえ、このころでも、930stは、どこかへ行けば、すぐに試聴できるというわけではなかった。
自分で購入するか、友人・知人のオーディオマニアが持っていれば、そこで聴くか、
そのぐらいしか機会はなかった。

それでも930stを、きちんとした状態で聴いてから、音の量感について語ってほしい、
そう思い続けていた。

930stは遠の昔に製造中止になっている。
そうなると、930stを聴いてみてほしい、とは、もういえない。

仮にいまも930stが現行製品だとしても、そうとうに高価だろうし、
そう簡単に聴けるわけではないだろう。

もっと身近で手頃で、しかも、誰が聴いても(鳴らしても)、ほぼ同じに鳴ってくれる──、
この難しい条件を、MQAは満たしている、といえる。

Date: 9月 5th, 2019
Cate: audio wednesday

第105回audio wednesdayのお知らせ(40年前のシステムの鳴らす音)

10月のaudio wednesdayは、先日書いているように、
瀬川先生がステレオサウンド 56号の特集での組合せを実際に鳴らす。

これまで読まれている方にはくり返しになるが、
スピーカーシステムはKEFのModel 303、
プリメインアンプはサンスイのAU-D607、
アナログプレーヤーはテクニクスSL01、カートリッジはデンオンのDL103D。

アナログプレーヤーは、パイオニアのPL30Lだったが、
私の好みで、PL30LではなくSL01をヤフオク!で落札した。

SL01が届いて、サイズを含めたアピアランスの統一感は、
SL01にして良かった、と思っている。

当時の定価で、30万円ほどの組合せである。
このシステムを、ヤフオク!によって、六分の一ほどで、
いまでは手に入れることが可能になっている。

これは、いいことなのか、悪いことなのか。
そのことについては、10月のaudio wednesdayで音を鳴らした後に書いていきたい。

当日は、瀬川先生の組合せにはないが、ヤマハのカセットデッキK1dも予定している。
なので、今回のプログラムソースはアナログディスクとカセットテープ中心となる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 9月 4th, 2019
Cate: ロマン

MOMENTと昭和男のロマンか(その1)

これまで電車の中、公園だったり、友人の仕事場、
それから忘年会の途中など、日付が変るまでブログを書けない時は、
とにかく書けるところで書いてきた。

今日は、audio wednesdayの途中で書いている。
昼間、書く時間がとれなかったために、
それにどうやっても日付が変る前には帰りつかないのは確実なため。

今日のaudio wednesdayのテーマは、ここでのタイトルそのままである。
こういうテーマだから、テーマにそうCDを持ってこられる方は、もしかするとゼロかもしれない……、
そんなことも、少しは心配していた。

今回、二回目のIさんが、ぴったりのCDを三枚、
常連のHさんが一枚、持ってこられた。

その中の一枚、
「山下毅雄を斬る~大友良英プレイズ・ミュージック・オブ・山下毅雄」、
このディスクに収められている音楽と、
ジャケットのギャップが、すごいというか、楽しい。

どんなジャケットなのかは、Googleででも検索してほしい。
このCDを、オーディオショウに持参して、どこかのブースで、かけてください、と手渡したら、
怪訝な顔をされるかもしれない。

それでも、このディスクに収められている音楽は、
昭和男なら、必ず楽しめるはずだし、
そうでなくとも音楽に妙な偏見を持っていない聴き手であれば、
昭和男のバックグラウンドを持たずとも楽しめる。

ジャケットだけで判断して、関心すら持たないというのが、
音楽の聴き手としては、絶対にやってはいけない行為だ。

今回集まったCD(音楽)をまとめて聴いて、あらためて感じたのは、
昭和の、この種の音楽のストレートであること、
多彩で贅沢であること、
これらの音楽をテレビについていた小さなスピーカーで、昭和男は聴いてきた、ということである。

Date: 9月 3rd, 2019
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その2)

五ヵ月前に思いついただけのタイトルである。
いまだに何をテーマとするかは決っていない。

それで思っているだけのことはいくつかある。
そのひとつが、瀬川先生の著作集のタイトルにもなっている
「良い音とは 良いスピーカーとは?」についてである。

これはステレオサウンドに連載されていた記事のタイトルである。
そのころは「良い音とは 良いスピーカーとは?」でよかった、と思う。

でも、その後、瀬川先生が書かれたもの、
そして辻説法をやりたい、といわれていたことをあわせて考えれば、
「良い音とは 良いスピーカーとは?」には続きがあったのかもしれない。
そんなふうにおもえてくる。

「良い音とは 良いスピーカーとは 良い聴き手とは?」
聴き手は鳴らし手でもある。

こういうタイトル、これに近いタイトルで書かれたかもしれない──、
そう勝手におもっている。

Date: 9月 2nd, 2019
Cate: audio wednesday

第104回audio wednesdayのお知らせ(MOMENTと昭和男のロマンか)

野球は、どちらかといえば嫌いだ。
はっきりとした理由はないけれど、
たぶんの小さかったころ、野球中継で、
見たい番組が流れてしまうことがたびたびあったからかもしれない。

私が小さかったころ、熊本には民放テレビ局は一局しかなかった。
東京のように、民放がいくつも見られるような環境だと、そうはなからなかったのかもしれないが、
当時の熊本は、野球中継の所為で……、と思うことがよくあった。

そんなこともあってか、「巨人の星」にはたいして興味がなかった。
まったく見なかったわけではないが、毎週楽しみにしていたわけではなかった。

にもかかわらず「新巨人の星」は、けっこう楽しみにしていた。
エンディングで流れる「よみがえれ飛雄馬」が聴きたかったからなのか。

主題歌の「ゆけゆけ飛雄馬」は、特に聴きたいとは思わない。
「MOMENT」には「よみがえれ飛雄馬」は収録され、「ゆけゆけ飛雄馬」はないのも、
私には好ましく感じられ、これだったら買おう、と思わせる。

「よみがえれ飛雄馬」の歌詞に、《左手折れたら 右手でつかめ》とある。
こんな歌詞は、いまの時代、誰も書かないのではないか。

いい悪いではなく、昭和ど真ん中に「巨人の星」は輝いていて、
その復活劇としての続編「新巨人の星」ゆえの歌詞だとおもう。

《夢にかけた値 真赤なかぎり》とも歌詞にはある。
主人公の星飛雄馬の夢、それは本人の夢だったのか、といえなくもない。

いまの時代に冷静に眺めれば、時代錯誤な歌詞ともいえる。
それでも「よみがえれ飛雄馬」を何年かおきに思い出しては口ずさむ。
そんな私は「よみがえれ飛雄馬」に、なにがしかのロマンを感じているのか。

今月のaudio wednesdayは、個人的にロマンを感じている曲をもちよっての会にしたい。

Date: 9月 2nd, 2019
Cate: audio wednesday

第104回audio wednesdayのお知らせ(MOMENT)

9月のaudio wednesdayは、4日。
今回も一枚のディスクをテーマにしたいと考えている。

今回のディスクは「MOMENT」。
これだけでは、だれのディスクなのか、わからないだろう。
「MOMENT」は三年前に出ている。

出ていたことを先日まで知らなかった。

誰にでもあろうが、ふとしたきっかけ(きっかけは必要ないのかもしれない)で、
昔(子供のころ)にきいていた歌のフレーズが、ふと浮ぶ。

すると、しばらくなにかあるごとに、そのフレーズだったり、
歌詞をどれだけ知っているのかにもよるが、頭から口ずさんでたりする。

人には、そういう曲が何曲かあろう。
私にとって、その中の一曲を、数年ごとにふと思い出しては口ずさむ。

でも口ずさむだけで、CDは持っていなかった。
買おう、とは、不思議といままで思ったことがなかった。

それが急に、きちんと聴きたくなった。
昔、テレビで毎週流れていたのを聴いたきりである。

「MONENT」は、ささきいさおの55周年記念アルバムのタイトルである。

ささきいさおは、以前サウンドボーイで、語っている。
     *
ヤマトに限らず、アニメーションの主題歌ってのは、画面に負けないエネルギーを全部ぶつけるようなパワーがないとだめなんです。〝たいやきくん〟の子門真人にしてもロック調でしょう。歌謡曲の人がやると、メロディーに流れてダメになっちゃうんです。
     *
ここでのアニメーションの主題歌というのは、昭和のアニメーションの主題歌と限定してもいい。
「MOMENT」に収められている曲の多くは、昭和のアニメーションの歌である。

私が口ずさみ、ここにきて聴きたくなったのは「よみがえれ飛雄馬」である。
「新巨人の星」の最後に流れる歌である。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 9月 1st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その2)

ステレオが変ってきた(良くなってきた)ことについては、
前々から書こうと思っていた。

ただ、良くなってきた、と書くだけで終ってしまいそうだったし、
一冊も買わずに、良くなってきた、と書いてもなぁ……、という気持もあった。

今回、こういうタイトルで書こう、と思ったのには、
別のきっかけもある。
昨年のことである。

あるオーディオ関係者からきいた話である。

どの会社なのか、社名を出すべきどうかちょっと迷うところもある。
直接きいたことではない、ということもある。
それでも二人のオーディオ関係者からきいたことなので、事実なのだろう。

あるオーディオ関係の出版社の社長が、
「ステレオサウンドを追い抜いた」といわれた、ということだ。

ここでのステレオサウンドが、季刊誌ステレオサウンドを指しているのか、
それとも株式会社ステレオサウンドのことなのか、
二つまとめてのことなのか、そこははっきりとはしない。

それでも「ステレオサウンドを追い抜いた」という発言は、
オーディオ雑誌のNo.1はわれわれだ、ということだろうし、
オーディオ関係の出版社のNo.1はわれわれだ、ということでもあろうか。

私がオーディオ雑誌を読みはじめた1976年、
オーディオ雑誌のNo.1はステレオサウンドだった。
はっきりと、そのことはいえた。

発行部数がどれだけとか、そういうことではなくて、
オーディオ雑誌のNo.1はステレオサウンドだった。

それはずっと続いていいくものだと思ってもいた。

Date: 9月 1st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その1)

昨日、ひさしぶりにステレオ 9月号を買って読んでいた。
ステレオを買うのは、高校生以来だから、ほぼ40年ぶりである。

もちろんステレオサウンドにいたころは毎号読んでいたし、
いまも、書店で表紙を眺めて、面白そうな企画をやってそうだな、と感じたら、
手にとってパラパラめくることはあった。

買ってもいいかな、と思うことは何度かあった。
そう思うようになってきたのは、ここ数年のことで、
ステレオは一時期よりもずいぶん変ってきた(よくなってきた)ように感じている。

9月号の特集は、江川三郎発見伝である。
この特集を読みたくて、ステレオ 9月号を買った。

ステレオは一年前の8月号の特集で、長岡鉄男氏をとりあげている。
長岡鉄男氏とステレオの発行元である音楽之友社との関係からすれば、
ステレオが長岡鉄男氏の特集をやるのは、すんなりわかるけれど、
今回は江川三郎氏である。

江川三郎氏も、ステレオの筆者の一人だった。
それでも特集で、江川三郎氏ということは、広告にまったく結びつかなくなる。

「江川三郎発見伝」が特集ということで、広告を出したところはないはずだ。
それでもステレオは、「江川三郎発見伝」を特集として、そこそこのページ数を割いている。

同じことは、ステレオ時代がそうだ。
昨年、中島平太郎氏の特集を二号続けてやっている。

この特集にしても、広告にはまったく結びつかない。
それでも二号続けてやっている。

ステレオ 9月号の広告は、
オーディオメーカー、輸入元が14、オーディオ店が2、
これだけである。

広告があまり入っていないから、そういう特集がやれる、
そんなことをいう人がいるのかどうかはわからないが、
広告があまり入っていないからこそ、広告目当ての記事をつくることだって、
十分考えられる。

Date: 8月 31st, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その21)

ステレオサウンド 87号のころ、編集者でなく、純粋な読者だったとしたら、
87号のマッキントッシュのXRT18の試聴記を読んで、
ステレオサウンド編集者の人たちは、何をやっているんだろうか、
さらには、XRT18に、もしくはマッキントッシュに、さらには輸入元のエレクトリに、
何か悪意、それに近いものを持っているのかも……、
そんなことを思ったであろう。

読者は、試聴の準備の、こまかな事情はまったく知らないわけだ。
そういう読者が、なにがしかの悪意、それに近いものを感じたとしたら、
ステレオサウンド 87号のXRT18の試聴には、悪意があった、ということになるのか。

重ねていうが、誰も悪意は持っていなかった。
けれど、誌面に載った試聴記は、その時、ステレオサウンド試聴室で鳴った音で書かれる。
そのことは百も承知なのだから、試聴の準備はできるだけきちんとやるようにしていた。

XRT18の、87号のヴォイシングはきちんとやれていたのか。
エレクトリの担当者と編集部見習いのKHさん。
この二人だけにまかせたことが、そもそもきちんとやれていなかった、ということになるのか。

もう一人、編集者がヴォイシングに立ち合っていれば、まったく違った結果になった可能性は確かにある。
けれど、エレクトリの担当者とKHさんは親しい間柄だったし、
KHさんは、エレクトリの担当者のヴォイシングに、担当者に対しても、
ある種の敬意を抱いていたと、まわりの編集者は感じていたし、
ならば、二人だけで思う存分にヴォイシングをやってもらったほうが、
いい結果が出るのではないか──、そういう考えがあった、と記憶している。

なぜヴォイシングが失敗したのか。
あれほどダメな音になってしまったのか、
その理由について、ここでは書かない。
いずれ書くことになるだろう。

ただ、ひとつだけいえば、音は人なり、ということに結着する。

Date: 8月 30th, 2019
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(電源の場合・その5)

ジュリーニのマーラーの「大地の歌」は、1980年代の録音である。
サントリーのCMでも使われていたから、ジュリーニの演奏と知らずに耳にしている人は多い。

オーケストラの録音といっても、
「大地の歌」と「GODZILLA KING OF THE MONSTERS」とでは、
録音時期の隔たりも大きいし、録音された音楽としてのつくりも大きく異る性質もある。

「GODZILLA KING OF THE MONSTERS」がうまく鳴ると、
オーディオマニア的快感がはっきりとある。
その快感をとことん追求していきたければ、
硬く太く重たい、しかも高価な電源コードをあれこれ試してたくなるであろう。

「大地の歌」での電源コードによる音の違いは、もちろんあった。
あったけれど、「GODZILLA KING OF THE MONSTERS」での音の違いと同じではない。

ここではカルダスの電源コードが、
「GODZILLA KING OF THE MONSTERS」の時ほど魅力的に感じない。
カルダスの電源コードが悪い、といいたいのではなく、
かける音楽の構成、つくられ方などによって、魅力的に感じたり、
それほどでもなく感じたりする、ということである。

これは私の感じ方であり、
この日、いっしょに聴いていた人が、どう感じていたのかまでは確認していない。

「大地の歌」でもカルダスの電源コードがよかった、と感じた人もいたのかもしれない。

それに、ここでの音の印象は、あくまでも喫茶茶会記でのシステムでの音の印象である。
スピーカーが大きく違えば、「大地の歌」を聴いての印象に変化がない、とはいえない。

それにここできいたカルダスは、すでに製造中止になっている。
最新のカルダスや、ライバル的なブランドの電源コードを、数種類まとめて聴けば、
また印象は変っていくであろう。

今回の電源コードの比較試聴は、余興のつもりだった。
なので、それほど時間も割いていない。
やっていて、余興で終らせたくはない、と思ってもいた。

今回の試聴では、スピーカーケーブルは秋葉原では1mあたり80数円で売られているカナレ製だし、
ラインケーブルも1mあたり200円ほどの、
太くも硬くも重たくもない、そして高くもないケーブルである。

信号系のケーブルとの相性も、そうとうにあるように感じた。
機会をあらめたて、じっくり電源コードを集中的に比較試聴してみたい。

Date: 8月 29th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(大事なひとこと)

六年前に「チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・修理のこと)」で、
パイオニアサービスネットワークのことを書いた。

パイオニアのExclusiveの修理をやっている会社である。
いまのところ現在形なのだが、9月いっぱいで修理の受付を終了する。

すでにいくつかのオーディオ関係のサイトやSNSで取り上げられている。
人によって受け止め方は違うけれど、
私は、いままでよくやってくれた、と思う気持が強い。

もちろんもっとながく続けてほしい、という気持はあるが、
それはもう無理というものだろう。

製造中止になってながい時間が経っているオーディオ機器の修理のことは、
これまでもいくつか書いてきた。

故障しないオーディオ機器は、まずないわけだから、
ほとんどの人がいつかは直面する問題である。

昨晩、Exclusiveの修理が終了することが話題になった。

メーカーであれ、輸入元であれ、オーディオ機器をオーディオマニアに売る。
そこでは、メーカー、輸入元の人が、
オーディオマニア(つまり客)に「ありがうとございました」という。

必ずしも客と顔を合せるとは限らないから、つねにそういうわけではなくても、
「ありがとうございました」というのは、売る側の人である。

けれど修理となると違ってくる。
修理を依頼してきた人(オーディオマニア、客)が、
メーカー、輸入元の人に「ありがとうございました」ということになる。

ユーザーから「ありがとうございました」という感謝のことばをもらえる。
修理、特に製造中止になってずいぶんな時間の経ったモノの修理はさらにたいへんなのだが、
この「ありがとうございました」のことばが聞けるからこそ、やりがいがある──、
そういう話をきいた。

修理代金をきちんと払っているのだから……、
なぜ客側が「ありがとうございました」といわなければならないのか──、
そう思う人はいるのか。

それでも、言おうよ、といいたい。
たった一言で、修理にかかわってきた人たちの気持は変る。

パイオニアサービスネットワークへも、多くの「ありがとうございました」があったのだとおもう。

Date: 8月 28th, 2019
Cate: audio wednesday

audio wednesday(10月の予定)

一週間後の9月のaudio wednesdayではなく、
10月のaudio wednesdayの予定である。

四日前に、今後の予定として、
KEF Model 303、サンスイ AU-D607、テクニクス SL01、デンオン DL103Dの組合せを鳴らしたい、
けれど運搬が……、と書いた。

10月ならば運べますよ、といってくださる方がいる。
ありがたいことである。

まだはっきりと決めたわけではないが、
10月2日のaudio wednesdayは、四十年前の組合せを聴く(鳴らす)。

Date: 8月 28th, 2019
Cate: 老い

DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965

写真家・野上眞宏さんの写真展、
「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」が9月11日から28日まで、
西武新宿線・新井薬師前駅に近くのスタジオ35分で開催される。

そのポストカードに、こうある。
     *
まだ17歳だった1965年の夏、立教高校でアメリカ旅行に行った。
その時の12本のエクタクローム・スライド・フィルムで撮った写真が、
私のその後の人生に大きな影響を与えた。
それがなければ、はっぴいえんどの写真もニューヨークの写真も
撮らなかったであろう。
つまり、これらの写真が私の原点である。
     *
読んでいて、羨ましく思った。

いま別項で、KEFのModel 303を中心とした組合せについて書いている。
そこに書いているように、ステレオサウンド 56号に載っていた瀬川先生の組合せだ。

56号は1980年9月に出ている。
私にとっての17歳の夏だった。

偶然にも、そのころ鳴らしたかった、聴きたかった組合せを、
いまごろになってようやく実現できるようになっている。

けれど、写真と音は違う。
303にしても、AU-D607にしても、もう40年以上前の製品である。
程度のよいモノであっても、新品とはいえない。

そんなことはわかっている。
仮にタイムスリップして、当時のオーディオ機器を、新品のまま、現在に持ってこれた、としよう。

それでも、17歳の私が、これらの組合せを手に入れたとして、どういう音を鳴らせた。

いまの私が鳴らす音は、ずいぶん違っているであろう。
セッティング、チューニングの技術は、40年のあいだに、そうとう身につけた。

なので第三者が聴いて、いい音だ、と判断する音は、確実に鳴らせる。
けれど、それは17歳の私が鳴らしたであろう音とは違う。

野上さんは、17歳の時に撮ったフィルムをスキャンして、
画像処理してプリントしたものを展示される。

その意味では、1965年当時の写真そのままではないわけだが、
1965年の野上さん、17歳の野上さんでしか撮ることのできなかった写真が再現されている。

そこには17歳の野上さんがいる、
少なくとも17歳の野上さんの感性が記録され、よみがえっているわけだ。

音は、そういうわけにはいかない。
17歳の私の音を、いまの私が再現できるわけではない。

そこを羨ましくおもう。

Date: 8月 27th, 2019
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その37)

ダイレクトドライヴ型アナログプレーヤーには、
サーボによってプラッターの回転を制御しているのが大半である。

プラッターの回転が遅くなれば、モーターの回転を上げて正規の回転数に戻す。
速くなった場合は、その反対である。

サーボをうまく動作させるには、プラッターの回転を正確に検出することが、
まず大事なことである。
たいていのダイレクトドライヴ型では、プラッターのリムの内周で速度(回転数)を検出する。

一方、モーターの駆動力がプラッターに伝えられる箇所は中心である。
私が、学生のころ、最初に感じたダイレクトドライヴ型への疑問は、ここにある。

検出箇所と駆動力が伝えられる箇所が、こんなにも離れているのかだった。
いいかえれば、なぜ二つの箇所を同じ、もしくは接近させないのかだった。

プラッターのリムと中心とでは、約15cmほどの距離がある。
プラッターは金属製がほとんどだし、回転中にしなっているわけでもないだろうから、
理屈のうえでは、リムのところで検出しても、サーボの動作としては問題にならない(のだろう)。

それでも感覚的に、やっぱり離れているのはおかしい──、
そう感じたものだった。

しかもモーターの回転軸がセンタースピンドルになるかっこうで、
ターンテーブルと回転軸とはしっかり嵌合されているわけではない。
いわば乗っかっている状態である。

これで細かなサーボの動きに追従できるのか、とも思った。
回転数をプラッターのリムのところで検出するのは正しい。
ならば、モーターの駆動力をプラッターに伝える箇所も、リム近辺であるべきだ。

この考えもあったから、(その18)で、
ダイレクトドライヴ型のセンタードライヴへの疑問を書いた。
さらに(その22)、(その23)、(その24)で、
B&OのBeogram 8000のダイレクトドライヴ型が、いわゆるセンタードライヴではないことを書いた。

Date: 8月 27th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その4)

その多少の誇張は、どこから来るものだろうか──、
そんなことを続けて考える。

弱さから来る多少の誇張なのか、
強さから来る多少の誇張なのか。

まず、この二つを思い浮べた。
この二つは思いついただけにすぎない。

深い考えがあって、弱さから来る、強さから来るを思い浮べたわけではない。
それでも、(その3)での「この人」たちは、
こんなことを意識せずに書いているのかもしれない。

弱さから来る多少の誇張には、怖さがひそんでいるように感じる。
強さから来る多少の誇張にも、別の怖さがひそんでいるようにも感じる。

こんなことを意識せずに書いている多少の誇張は、どうだろうか。
やはり、なんらかの怖さがひそんでいるように感じているし、
その怖さは、弱さから来る、強さから来るものよりも、
なんとなくではあるが、こういうものではないか、という姿がぼんやりと見えている(気がする)。

映画、ドラマでヒーロー(もしくはスーパーヒーロー)が活躍する。
一本だけで完結するのであれば、そんなことは生じないのだが、
人気が出て、何作も映画がつくられたり、ドラマも何シリーズも続くようになると、
ヒーローの強さが回を追うごとに増していく、
いわゆる強さのインフレーションが問題となってくる。

この強さのインフレーションと同じことが起りうるのではないだろうか。
つまり表現のインフレーションとでもいおうか。

SNSは、表現のインフレーションを加速していくのかもしれない。