オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その4)
その多少の誇張は、どこから来るものだろうか──、
そんなことを続けて考える。
弱さから来る多少の誇張なのか、
強さから来る多少の誇張なのか。
まず、この二つを思い浮べた。
この二つは思いついただけにすぎない。
深い考えがあって、弱さから来る、強さから来るを思い浮べたわけではない。
それでも、(その3)での「この人」たちは、
こんなことを意識せずに書いているのかもしれない。
弱さから来る多少の誇張には、怖さがひそんでいるように感じる。
強さから来る多少の誇張にも、別の怖さがひそんでいるようにも感じる。
こんなことを意識せずに書いている多少の誇張は、どうだろうか。
やはり、なんらかの怖さがひそんでいるように感じているし、
その怖さは、弱さから来る、強さから来るものよりも、
なんとなくではあるが、こういうものではないか、という姿がぼんやりと見えている(気がする)。
映画、ドラマでヒーロー(もしくはスーパーヒーロー)が活躍する。
一本だけで完結するのであれば、そんなことは生じないのだが、
人気が出て、何作も映画がつくられたり、ドラマも何シリーズも続くようになると、
ヒーローの強さが回を追うごとに増していく、
いわゆる強さのインフレーションが問題となってくる。
この強さのインフレーションと同じことが起りうるのではないだろうか。
つまり表現のインフレーションとでもいおうか。
SNSは、表現のインフレーションを加速していくのかもしれない。