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Date: 10月 23rd, 2019
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その20)

小林秀雄が語っている。
     *
美の鑑賞に標準はない、美を創る人だけが標準を持ちます。人間というものは弱いものだね。標準のない世界をうろつき廻って、何か身につけようとすれば、美と金を天秤にかけてすったもんだしなければならぬ。
     *
坂口安吾との対談での発言のはずだ。

《美の鑑賞に標準はない》、
七十年以上前に、すでに語られている。

この項は、『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」』に、
「理解についての実感」という副題をつけて書き始めた。

そのきっかけとなったのは、
ステレオサウンド 207号の特集はスピーカーシステムのテストだった。

そこでの柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記に関して、
avcat氏がツイートしたことが始まりである。
一年ほど前のことだ。

そしてステレオサウンドの染谷編集長が謝罪した、とavcat氏のツイートにはあった。
「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その6)』から、
この件について触れている。

この件については、ずいぶん書いてきた。
一年以上経っている。
染谷編集長は、だんまりだ(少なくとも私が目にした範囲では)。

それにしても……、いまだに思う。
avcat氏は、美の鑑賞に標準はある、と思っているのだろう。
しかも自身の美の鑑賞を標準と思っているようにも思える。

《美の鑑賞に標準はない》、
そういうふうに考えたことは、ないのだろう。

もしかすると染谷編集長も同じなのだろう。
だからこそ、avcat氏のツイートにあるのが事実なら、
avcat氏に謝罪する必要などまるっきりないのに、謝罪という行為を選択した。

だとしたら、けっこうおそろしいことのようにも思えてくる。
ステレオサウンドは、美の鑑賞の標準となろうとしているのか……。

Date: 10月 23rd, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その5)

量感の乏しい(貧しい)音で、
みずみずしい音は絶対に出ない、と、
ずっとみずみずしい音を求めてきた私は断言する。

にも関らず、みずみずしい音と表現されることは案外多い。
そんな試聴記をみかけるたびに、みずみずしい音とは? と、
その試聴記の書き手に問いかけたくなる。

そういえば、清楚に関しても同じように感じる。
こちらは音というよりも、清楚な女性という表現をみかけるたびに思う。

清楚な女優、と見出しにあったりすると、ついクリックして見てしまう。
そこに誰かしらの写真が表示される。

たいていは、いまでは、こういう人を清楚というのか、とがっかりする。
別に、そこに表示される写真の人が美しくない、きれいじゃない、ということではなく、
ただただ清楚とは感じないだけである。

私にとっての清楚と感じる女性は、
十代のころ、そう感じた人がいまもつよく記憶に残っているからなのだろう。

四十年前のことだ。
でも、清楚ということは、四十年前も現在も変るようなことではないはず。
なのにずいぶん変った、と感じてしまう。

みずみずしい音も同じなのか、私にとっては。
十代のころ聴いたBBCモニター系列の音、
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5A(15Ω9、そしてPM510など、
それらの音を聴いて、みずみずしい音を知った、といえるのだから。

現行のスピーカーシステムで、みずみずしい音と表現したくなる音は、
すぐには思い浮ばないのだから、ないといえる。

それはそのころはアナログディスク全盛の時代でもあった。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その20)

エソテリックのデザイン担当者は、音楽好きなのだろうか。
音楽が好きだとして、いったいどんな音楽を聴いているのだろうか。
そして、どんな音楽の聴き方をしているのか。

そんなことを考えてしまうのは、
エソテリックのデザインからは、一切の調和という要素を感じないからだ。

(その19)でも書いているように、しつこくくり返すが、
オーディオというシステムはコンポーネントである。
他社製のオーディオ機器と組み合わせて使われる、ということだ。

エソテリックの製品だけで、音を鳴らすことはできない。
エソテリック聖のCDプレーヤーはある、
トランスポート、D/Aコンバーターもある、
コントロールアンプ、パワーアンプもある。

ここまではエソテリックだけで揃えられる。
けれど肝心のスピーカーシステムは、エソテリック製はない。

エソテリック扱いのスピーカー・ブランドは二つ、タンノイとアヴァンギャルドがあるが、
タンノイのスピーカーとエソテリックでまとめたプレーヤー、アンプ群、
これらのシステムにデザインの調和があるとは、私は感じない。

アヴァンギャルドにスピーカーをかえても、同じだ。
そこになんらかの、わずかでもいい、調和を感じる人はいるのか。

そんなことをおもうから、エソテリックのデザイン担当者は、
音楽に調和ということを感じていない人だと思ってしまう。

少なくともクラシックを聴く人ではないはずだし、
いやクラシックを聴いています、と反論されても、
ずいぶん、というか、私とはまったく違う聴き方をしている人としか思えない。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その14)

どんな時でも、同じ音が、自分のオーディオから鳴っている──、
そう心底思っている人は、まぁオーディオマニアではない、といえる。

いつ聴いても、ウチの音はいい音だ、
そう思い込んでいられる人は、シアワセだ。

そういう人にとって「音は人なり」を、重たく感じることはないはず。

けれど、実際は同じ音、さらにはずっといい音が鳴っているわけではない。
これ以上美しい音はないのでは……、
そんなふうに思える音が鳴る時がある。

そういう時であれば「音は人なり」は、
これ以上ない讃美のことばとして、受け止められる。
昔の人は、いいことをいったなぁ、と思うことだろう。

でも、それはずっとは続かないどころか、
あっさりと消えてしまったりする。
消えてしまうどころならば、まだいい。

どうして、こんなひどい音しか鳴らないのか、そう嘆く日もある。
そういう時も「音は人なり」である。
「音は人なり」を正面から受け止めなければならない。

箸にも棒にもかからない、そんなふうに表現するしかない音であっても、
どこまでも「音は人なり」はついてまわる。

都合のいいときだけの「音は人なり」ではない。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その13)

自己模倣から逃れられない──、
そうみえるオーディオマニアがいる。

私が勝手にそう想っているだけで、
他の人からみればそんなことはない、ということになることだってあるし、
当の本人にしてみれば、たとえそうであったとしても、よけいなお世話ということになる。

どこそこの誰が、自己模倣のまま、と指摘したいわけではない。
考えているのは、なぜ自己模倣をしてしまうのか。

別項「続・何度でもくりかえす」で、
無為に耐えられないから、ついつい手を出してしまう、と書いた。

とにかく、なにかあるとどこかいじっている人がいる。
時には屋上屋を重ねる的なことを、何度もくり返している人がいる。

もう少し、じっくり腰を落ち着けて音楽を聴いてからでも、
オーディオをいじるのは遅くないどころか、
昔からいわれているように、そのほうが確実である。

にもかかわらず、ここを変えたら……、
そんなことをずっと言っているオーディオマニアがいる。

そういう人たちは、無為に耐えられないのだろう、と思っている。

自己模倣の人たちも、同じに思う。
無為に耐えられない人なのだろう、と。

Date: 10月 22nd, 2019
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その27)

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: 218, MERIDIAN, ULTRA DAC

2,500,000円と125,000円(その4)

ステレオサウンドの恒例特集となったベストバイ。
35号、43号、47号の三回は価格帯を設けずの選定だったのが、
51号から価格帯を分けての選択となり、そのまま続いている。

ベストバイだから、価格帯で分けるのは当然と考える人もいれば、
価格に関係ないからこそのベストバイと考える人もいよう。

個人的には、43号のベストバイ(価格帯は設けず)が、
いちばん充実していて読み応えもあった。

そういう私だから、価格帯で分けることに、いささか抵抗は感じていた。
たとえば10万円未満、10万円以上で価格帯を分けたとしよう。

99,800円の製品は、10万円未満の価格帯に入る。
100,000円とか108,000円だと10万円以上の価格帯になる。

10万円未満の価格帯には、
もっと低価格の製品がある。79,800円とか59,800円とか、
もっと安い価格のモノが選ばれることだってある。

10万円未満の価格帯で選ばれた製品でも、
99,800円の半分ほどの価格のモノもある。

10万円以上○○万円未満でも同じことは起る。
それぞれの価格帯で選ばれたもっとも安いモノと高いモノとの価格は、
意外にも開いている。

そしてわずか数千円の違いで、
上の価格帯になったり下の価格帯になったりする。

価格帯を分けることの矛盾のようなものが生じてくる。

価格帯を分けていなかったころのベストバイを面白いと感じていただけに、
価格帯を設けることが、
ベストバイをつまらなくしていった要因の一つだと考えている。

メリディアンの二つのD/Aコンバーター、
218(125,000円)とULTRA DAC(2,500,000円)について、
ベストバイということを考える場合、
価格帯分けを意識しているのか、意識していなかったのか、といえば、
意識していなかった。

価格の違いは強く意識していても、
だからといって、それが価格帯を考えることにつながるわけではない。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(修理にまつわる難しさ)

この項で、二つの修理業者について以前書いた。
その一つの業者について、悪い、とまではいかないまでも、
いい評判ではなくなっている、というウワサを耳にした。

そこに修理を依頼したことはないから、
はっきりとしたことはいえない。

それに修理業者の評判は、難しい。
ある人が、故障したオーディオ機器を、どこかに修理に出す。
戻ってきた製品を、どう評価するのか。

たとえば、あるオーディオ機器を二台以上所有していて、
同じ時期に、同じ箇所が故障したばあいは、
一台はA社、二台目はB社に修理に出して、
戻ってきて、両社の修理の出来ぐあいを比較するならば、
そこそこにきちんとした判断はできようが、
たいていの故障は、そういう状況ではない。

一台しか持っていないオーディオ機器が故障して、
どこかに修理に出すわけだ。
修理から戻ってきたモノを、何かと比較することはできない。

結局、なんとなくの印象で、修理業者は評価されているところもあるはずだ。

そして、信頼できそうな修理業者は少ない。
だから、そういうところに修理依頼は集中するであろう。
そうなると、以前とは違ったトラブルとはいえない些細なことだって起るかもしれない。
でも、それは人によって受け止め方が違ってもくる。

さらに個人で修理を請け負っているところはそうではないが、
複数の人たちでやっているところだと、人の入れ替りもあるはず。
いろんな変化が起っているだろうし、これからも起るだろう。

よさそうなところがそうでなくなってしまう。
残念だけど、あり得ることだ。

ただ、それは業者側だけの問題なのだろうか、と思うから、
こんなことを書いている。

修理を依頼する側、つまりオーディオマニアの態度も、
時によって、人によって、修理業者を困らせ、
やる気を失わせているのかもしれない。

信頼できる、腕のいい修理業者がいなくなって困るのは、
われわれオーディオマニアだ、ということを忘れないでいただきたい。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その19)

十年前に、
別項でエソテリックの当時のプリメインアンプA100のデザインについて書いた。

そこでも書いているが、A100の中身は力作だと思う。
けれど、なんとも、あの人の顔を連想させる、
しかも聖飢魔IIのデーモン閣下のメイクにも似ていて、
A100の写真を見る度に、どうして、こんなデザインにしたんだろうか、と思っていた。

これも別項で書いているが、
エソテリックのデザインは、A-Z1、S-Z1のころからおかしくなっていた。

それでも、A-Z1、S-Z1のころは、
こういうカーヴがつくれるようになったという、
いわば腕試し的な面もあっただろうから、
徐々に洗練されていくかもしれない、と期待も同時に持っていた。

洗練されていった──、
と、おそらくオーディオ雑誌とかオーディオ評論家はいうのかもしれないが、
私の目には、より手間をかけて醜悪になっていった、としか映らない。

いまのエソテリックのデザインを、有機的とかいう人がいるのだろうか。
そういう意図があるのかもしれないが、それでもくり返すが醜悪だ。

いまのエソテリックのデザインを見ると、
エソテリックのデザイン担当者(デザイナーとは書くのには抵抗がある)は、
どんな考えを持っているのだろうか。

オーディオは、これまで何度も書いてきているように、
コンポーネント(組合せ)である。

アンプ一台で音が鳴るわけではない。
CDプレーヤーだけで、音が鳴るわけではない。

すべてが揃って、音は鳴るのが、オーディオというシステムであり、
オーディオマニアの空間には、さまざまなオーディオ機器が並ぶ。

そこにエソテリックの機器を置いた状態を、
エソテリックのデザイン担当者は、どう考えているのか。

Date: 10月 21st, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その8)

Netflixオリジナル・ドラマ「マインドハンター」のオープニングは、
一台のポータブル型オープンリールデッキをアップで映し出す。

最初見た時、たいてい、こういうところに使われるのはナグラというイメージが、
私の中にすでにあったものだから、ついナグラ? と思って見ていた。

けれど、どうも違う。
だからといってステラヴォックスではないことは、
VUメーターの形状などからいっても明らか。

では、どこのメーカー? と思い、もう一度見たら、
ソニーのTC5550だとわかった。

ドラマ本編を何本かみていくと、主人公がTC5550を抱えていくシーンが出てくる。
そこでもはっきりとするわけだが、
オープニングのシーンは、実物のTC5550よりも魅力的に見える。

ポータブル型オープンリールデッキといえば、かっこいいのはナグラ、
そういう図式ができあがってしまっていただけに、
ソニーのTC5550の良さに気づかなかったともいえる。

とはいえドラマ本編に登場するTC5550は、デカいな、と思う。
そう思うと、もうかっこよく見えなくなってしまうけれど、
またオープニングを見てしまうと、なかなかいいなぁ、と思ってしまうから、
不思議といえばそうだけど、オープニングを演出した人、カメラマンの腕が見事なわけだ。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その18)

このブログも、10,000本まで残り250本を切った。
2019年以内には目標だった10,000本になる。

だから、そろそろはっきりと書いていこう、と決めた。
はっきりとブランドを書くことは抑えてきた。

でも、もう書いていこう。

デザインの店頭効果。
デザインのオーディオショウ効果。
デザインのオーディオ雑誌効果。

これをまとめて、デザインの店頭効果としよう。

最近の、一部のオーディオ機器のデザインを見ていると、
こんなことをいいたくなってくる。

デザインの店頭効果の代表例といえるのが、エソテリックの製品群である。

エソテリックの製品の仕上げ、特にフロントパネルは、
仕上げに時間もお金もかけていることはわかる。

けれど、それをもって、エソテリックのデザインが優れている、とはいえない。
はっきりいえば、エソテリックのデザインはひどい、というより醜い、と感じる。

ますます醜悪さがひどくなってきている、と感じている。
時間とお金をかけて、醜いモノを世に出す。

なぜ、オーディオ評論家は、エソテリックのデザインを褒めるのか。
褒めないまでも、何もいわないのか。

本気で、エソテリックのデザインに美を感じているのか。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: イコライザー, 平面バッフル

メリディアン 218のトーンコントロールと平面バッフル

audio wednesdayで、一度はやってみたいことがある。
平面バッフルを持ち込んでの音出しである。

といっても、2m×2mという大きな平面バッフルではなく、
1m×1m程度の平面バッフルに、15インチ口径の同軸型ユニットを取り付けて──、
それを、以前からやりたいと思っていた。

1m×1m程度の平面バッフルでは、どうしても低音は不足がちになる。
トーンコントロールである程度は補える。

マッキントッシュのMA7900には5バンドのトーンコントロールがついている。
ある程度の補整はできるだろう──、
と思ってはいたが、もうひとつ本気になって考えるほどにはなれなかった。

でもメリディアンの218のトーンコントロールの実力を聴いて、
これならば、と考え直している。

218のトーンコントロールは、低音域に関しては+5dBまでのブーストである(高音域は+10dB)。
それでどこまでやれるのか、やってみないとわからないところもあるが、
なんとかやりそうな感じがするからこそ、
ここにきて、やりたい気持が強まっている。

もうひとつ試してみたいのは、
セレッションがSL600用に開発したSystem 6000である。
このウーファー部を、218のトーンコントロールで補整する。

いい結果が得られそうな予感は、しっかりとある。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(ステレオ 11月号、12月号)

書店に、ステレオ 11月号が並んでいる。
附録にカセットテープがつくことは、何かで読んでいて知っていた。
だから表紙もカセットデッキなんだろうな、ぐらいの予想はしていた。

11月号は、まさにそうだった。
予想していたけれど、実際に目にすると、
いまは2019年だよね、と口に出しそうになった。

カセットテープが衰退していくのを体験していた。
その時は、こんなことが起るなんて、まったく予想できなかった。

再ブームというのは、どんなジャンルにもあることだろう。
オーディオだって同じで、
オーディオ全体が再ブームになることもあれば、
アナログディスクとかカセットテープとか、
そういうところにスポットが再び当ることもある。

それでもステレオ 11月号の表紙を眺めていると、
不思議な感じがしないでもない。

カセットテープ全盛時代を知らない世代にとっては、新鮮な表紙に映るのか。
カセットテープ全盛時代を体験してきた世代に、どう映るのか。
ノスタルジックとは感じなかったが、新鮮とも感じなかった。

こういう時代が来るんだ、というのが、いつわりない感想である。

ここでのタイトルを不思議に思う人がいるかもしれない。
最初は違うタイトルにしようと考えていた。
けれど、ステレオ 12月号の予告のページを見て、このタイトルにした。

12月号の特集は、「快適極楽デジタルオーディオ最前線」で、
「最新MQA CDプレイヤー一斉試聴」という項目があったからだ。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・本音へのコメント)

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・本音)」へのコメントが、
facebookで二件あった。

一つは、喫茶茶会記の店主、福地さんの、自身のブログへのリンクだった。
リンク先には、「複製藝術はそれに関わったすべての人の綜合藝術」喫茶茶会記店主筆」とある。

もう一つは、218を使われている方からだった。
218の購入に際して、いくつか疑問点があり、ハイレス・ミュージックに電話で問い合せた、とある。
その時の対応が、製品への愛情にあふれたものであったので、
安心して購入できた、とある。

こういうことを書いていると、
12月にメリディアンの輸入元がオンキヨーに移ることで、サービスが低下する──、
そんなふうに受け止められるかもしれないが、
どうなるかなんて、その時になってみないことにはわからない。

悪くなるかもしれないが、しばらくすれば良くなることだってある。
反対に当初は良くなったようにみえても、しばらくしたら悪くなった……、
そんなことだって起りうる。

いいたいのはそんなことではなく、
「メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・本音)」の最後に書いたこと、
喫茶茶会記にハイレス・ミュージック扱いの218を納めるのにこだわったことが、
伝わっていることもまたうれしい、ということだ。

Date: 10月 20th, 2019
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(リアパネルのこと・その6)

その人は、特にオーディオマニアではないが、
好きな音楽を、少しでもいい音で聴きたい、と思っている人で、
使っているオーディオ機器も、ものすごく高価なモノではないけれど、
オーディオにまったく関心のない人からすれば、
かなりの高級品と思ってしまうクラスのモノで鳴らしていた。

それでも、それぞれの信号レベルについての知識はなかったのではないのか。
カートリッジの出力がどの程度で、
スピーカーケーブルに流れる信号がどの程度なのか、
そのへんの理解がないから、
シールドされているかされていないかで、
電源コードとの距離を判断していたようである。

シールド線といっても、同軸型と二芯シールドとの両方があり、
そこでのプレーヤーのフォノケーブルは、一般的な同軸ケーブルだった。

二芯シールドだから、完璧なシールドがなされているとは考えていないが、
それでも同軸ケーブルよりは有利なことは確かだ。

その人のオーディオの知識は、その意味では不十分すぎたが、
実際にケーブル類の整理をした音を聴いてもらうと、
きちんとした判断をされていた。

その人は、縦型のラックのいちばん上にプレーヤー、
その下にプリメインアンプで、そのアンプも一般的な端子配置の国産機である。

なのでフォノケーブルをそのままに下にたらせば、すぐにアンプのフォノ入力端子である。
プレーヤーとアンプの電源コードは、フォノケーブルの位置とは反対側の橋だから、
こちらも下に電源コードをたらせば、フォノケーブルと交差することはなかったわけだ。