「音は人なり」を、いまいちど考える(その14)
どんな時でも、同じ音が、自分のオーディオから鳴っている──、
そう心底思っている人は、まぁオーディオマニアではない、といえる。
いつ聴いても、ウチの音はいい音だ、
そう思い込んでいられる人は、シアワセだ。
そういう人にとって「音は人なり」を、重たく感じることはないはず。
けれど、実際は同じ音、さらにはずっといい音が鳴っているわけではない。
これ以上美しい音はないのでは……、
そんなふうに思える音が鳴る時がある。
そういう時であれば「音は人なり」は、
これ以上ない讃美のことばとして、受け止められる。
昔の人は、いいことをいったなぁ、と思うことだろう。
でも、それはずっとは続かないどころか、
あっさりと消えてしまったりする。
消えてしまうどころならば、まだいい。
どうして、こんなひどい音しか鳴らないのか、そう嘆く日もある。
そういう時も「音は人なり」である。
「音は人なり」を正面から受け止めなければならない。
箸にも棒にもかからない、そんなふうに表現するしかない音であっても、
どこまでも「音は人なり」はついてまわる。
都合のいいときだけの「音は人なり」ではない。