オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その3)
ほぼ五年前の(その1)で、
オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう、と書いた。
昨晩のaudio wednesdayでは、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している。
ほぼ五年前の(その1)で、
オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう、と書いた。
昨晩のaudio wednesdayでは、圧倒的であれ、がどういうことなのか、
少しは示すことができたと自負している。
12月のaudio wednesdayは、4日。
テーマは未定だが、音出しなのは決っている。
メリディアンの218が、喫茶茶会記常備になっているので、
218を積極的に使っての音出しになりそう。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
(その4)を書いたのは三年半前。
書くのを忘れていたわけではないが、
ここに来てまた書くようになったのは、
Brodmann Acousticsのヘッドフォン、
そのベースモデルのLB-AcosticsのMysphere 3が出たからである。
別項で書いているように、AKGのK1000の開発者による後継モデルだ。
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを、ヘッドフォン祭で少しだけ聴いた。
聴いた印象を書かないのは、聴きなれていないソースだったこともあるけれど、
それ以上にアンプをかなり選びそうように思えたからだ。
構造上もあって、かなりボリュウムをあげることになる。
2時くらいの位置まで上げても、会場が静かではないこともあって、
中音量以下ぐらいにしか感じられなかった。
ヘッドフォンアンプをあれこれ試すことはできなかったし、
Brodmann Acousticsのヘッドフォンを鳴らしているヘッドフォンアンプの力量も、
私は知らない。
なので聴いてどうだったのかについては書かなかったわけだが、
K1000専用のアンプを、AKGはすぐに出していることからもわかるように、
この種のヘッドフォン(イヤースピーカー)は、
それまで使ってきたヘッドフォンアンプに接続して、
うまくいくかどうかはなんとも言えないような気がする。
まずしっかりしたパワーが欲しい、と思ったのは事実だ。
もっといい音で鳴るはず、というこちらの勝手な、一方的な期待を満たしてはくれなかった。
それでもBrodmann AcousticsにしてもMysphere 3にしても、とても期待している。
期待しているからこそ、ヘッドフォンアンプについてじっくり書いてみようという気になった。
先週末のヘッドフォン祭には、かなり長い時間会場にいたけれど、
そのほとんどがroonのイベントをきくためだったので、会場はあまりみていなかった。
それでもBrodmann Acousticsのヘッドフォンだけは目に留ったのだが、
実はこのモデル、LB-AcosticsのMysphere 3がベースになっていることを、後日知った。
輸入元のブライトーンのMysphere 3を見ると、
AKG K1000のコンセプト構築と開発を指揮した
Helmut RybackとHeinz Rennerは、
彼らの貴重な経験を究極のヘッドフォンである
Mysphere 3の開発に惜しみなく注ぎ込みました。
とある。
ブライトーンのブースは、13階にあったそうだ。
もう少しきちんとみてまわっていればと……、と少し後悔しているものの、
やっぱりK1000の正当な後継機なんだ、とうれしくなるばかりだ。
昨晩はAさんと秋葉原にいた。
万世橋の肉の万世の五階で食事をしていた。
窓際の席だったから、秋葉原がよく見える。
Aさんはハタチ前後のころ、秋葉原の光陽電気でアルバイトしていた人だから、
そのころの秋葉原をよく知っている。
私もそのころは秋葉原に足繁く通っていた。
いま秋葉原は街全体の雰囲気が、
ラジオの街からオーディオの街に変り、
そこからパソコンの街、いまではすっかり様変りしている。
それだけでなく、ビルも建て替えられている。
ヤマギワ本店もとっくになくなり、新しいビルが建っている。
石丸電気本店のところもそうだ。
Aさんと二人で、あのころは石丸電気のレコード専門店があって……、
という話をしていた。
ポイントカードなんてなかった時代だ。
石丸電気はポイント券を配っていた。
肉の万世を出て、交叉点のあたりで、また石丸電気のレコード店の話になった。
1981年の12月、この石丸電気の雑誌コーナーで、レコード芸術の1月号を手にした。
石丸電気は、一般の書店よりも音楽、オーディオ関係の雑誌は早く発売されていた。
レコード芸術を手にとって、衝撃を受けたことは、以前に書いている。
瀬川先生が亡くなったことを、当時、新聞をとっていなかった私は、
レコード芸術の記事で知った。
石丸電気で知った。
そのことを思い出しながら話していた。
11月7日が、今年もやってくる。
(その2)で、瀬川冬樹賞があるべきではないか、と書いた。
いまもそう思っている。
iPhoneにイスントールしているGoogleのアプリが、
こんなニュースがあります、と報せてくれたのが、
「発売前のカメラがグランプリ受賞? 消費者不在の「賞」に意味はあるのか」だった。
ニコンのデジタルカメラZ50が、音元出版主催のデジタルカメラグランプリ2020で、
総合金賞〈ミラーレス〉を受賞しているが、
Z50は、まだ発売されていない。
デジタルカメラグランプリ2020は発表済みの製品を対象しているのだが、
発売前の製品に賞を与えるのは、消費者不在ではないか、と疑問をなげかけている。
BCN+Rのサイトには、今回初めてアクセスした。
何かあったのかなぁ、と少し勘ぐった読み方をしてしまった。
記事については、これ以上書かないし、
読まれた方がそれぞれ判断すればいいことだ。
発表済みか発売済みか。
この種の賞では、微妙な問題となることもある。
ステレオサウンドの場合、
私がいたころは、年内発売の製品となっていた。
つまり、賞の選考日に発売されていなくても、
年内発売が決っていれば選考対象となった。
おそらく、現在のステレオサウンドグランプリ(Stereo Sound Grand Prix)も同じであろう。
音元出版のデジタルカメラグランプリを消費者不在とするならば、
ステレオサウンドグランプリも消費者不在ということになる。
今日は、夕方、友人のAさんと秋葉原で会っていた。
いつもと同じように、オーディオの話もしたし、それ以外の話もした。
以前は、大型のフロアー型スピーカーシステムに、
アンプもかなり大型のモノで、専用のリスニングルームで鳴らされていたAさんも、
いまはブックシェルフ型スピーカーをプリメインアンプという組合せである。
以前鳴らしていたシステムからは、ずいぶんスケールダウンしているのだから、
こういうことを書くと、あれこれいう人、
いわなくても心の中であれこれ思う人がいるだろう。
Aさんの話をきいていて、
Aさんは、いま本筋の音を鳴らされているんだな、と思った。
Aさんも、音楽を聴いていて、周りに誰もいない──、
そんなことを感じている、ということだった。
ハイエンドオーディオに変に偏っている人は、
その程度のシステムなんて、たいした音はしない──、というであろう。
でも、ハイエンドオーディオのシステムで聴いていても、
そういう気持になれないのであれば、
それは本筋の音といえるのだろうか、と返したくなる。
瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれていた「本筋の音」とは、
どういう音なのか。
そのことについての説明はなかった。
56号を読んだ時は、まだ10代だった。
本筋の音がどういう音なのか、はっきりと何もわかっていなかった、といまではいえる。
本筋の音とは、独りになれる音だ、といまならいえる。
だからこそ、スミ・ラジ・グラップのことば、
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
を実感できる。
パイオニアのCDチェンジャーが、どのモデルなのかは、はっきりしない。
ソニーの200枚のCDチェンジャーは一機種だけのはずだからよかったが、
パイオニアの6枚のCDチェンジャーは、いくつものモデルが発売されていた。
ソニーのCDP-CX200Fは、200枚のCDをCDプレーヤー本体にすべて収納できた。
パイオニアのCDチェンジャーは専用のカセットマガジンにCDを入れ、
マガジンを交換すれば、6枚ごとCDの入れ替えができる。
私が知りたいのは、パイオニアのCDチェンジャーには、
CD-TEXTに対応していたのかどうかである。
そしてCDP-CX200Fにはディスクジャケットアルバムが付属していたが、
パイオニアのCDチェンジャーには、それに相当するものが付属していたのかどうかだ。
ソニーとパイオニアのCDチェンジャーの違いは、
収納できるディスク枚数、200枚と6枚だけではない。
CD-TEXTに対応せず、ディスクジャケットアルバムも付属していなかったとしたら、
CDプレーヤーとしてみた場合には、それほどの違いではなくても、
いまroonという存在を通してみた場合には、
これらの違いは、Danny Dulai氏の音楽鑑賞体験に大きく影響している、といえる。
ただ音楽を聴くだけでなく、パッケージメディア(LPやCD)にはジャケットがついてくる。
CDチェンジャーの場合、ディスクを収納したあと、ジャケットをどう扱うのか。
ソニーは考えていたからこそ、ディスクジャケットアルバムをつけ、CD-TEXTに対応している。
これこそが、roonのユーザーインターフェースにつながっている。
1996年にソニーが発売したCDプレーヤー、CDP-CX200Fというモデルがある。
型番の200が示すように、CD200枚をおさめられるCDチェンジャーである。
ディスプレイには、CD-TEXTに対応していて、
英数字で曲名、演奏者名を表示できた。
また別売のテキストディスプレイユニットでは漢字も表示できるようになっている。
これらの機能は文字情報がCDに入っている場合のみだが、
そうでないCDでもメモリー機能を利用して、曲名、アルバム名などを入力・記憶できた。
付属品としてリモコンだけでなく、ディスクジャケットアルバムがついていて、
ここにCDのブックレットをおさめられた。
オーディオマニアはおそらく見向きもしなかったCDP-CX200Fこそが、
roonの出発点といえる。
1996年ごろ、Danny Dulai氏はハタチぐらいで、
友人とニューヨークに住んでいた、とのこと。
その友人が持っていたのがCDP-CX200Fで、
彼らは二人がもつCD(約200枚)を、CDP-CX200Fにすべて収納して楽しんでいた。
けれど同居は解消になり、Danny Dulai氏の元には、
彼が所有するパイオニアのCDチェンジャー(6枚式)と、彼のCDだけとなる。
同居が終るまでに、なんとか200枚のCDを別の方法で聴けるようにしたい。
そしてCDP-CX200Fでの音楽鑑賞の体験こそが、roonにつながっている。
(その6)で、モーツァルトのレクィエムのことをたとえとして書いた。
書いていて、ステレオサウンド 54号の特集での座談会のことを思い出していた。
「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」の冒頭に、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏の座談会が載っている。
そこで菅野先生が、こんなことを話されている。
*
菅野 特に私が使ったレコードの、シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ヘブラーのピアノがスピーカーによって全然違って聴こえた。だいたいヘブラーという人はダメなピアニスト的な要素が強いのですが(笑い)、下手なお嬢様芸に毛の生えた程度のピアノにしか聴こえないスピーカーと、非常に優美に歌って素晴らしく鳴るスピーカーとがありました。そして日本のスピーカーは、概して下手なピアニストに聴こえましたね。ひどいのは、本当におさらい会じゃないかと思うようなピアノの鳴り方をしたスピーカーがあった。バランスとか、解像力、力に対する対応というようなもの以前というか、以外というか、音楽の響かせ方、歌わせ方に、何か根本的な違いがあるような気がします。
*
興味深い、オーディオならではの現象だといえる。
レコードに刻まれている演奏そのものは、なんら変らない。
そこにはヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラーの、
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの演奏が録音されている。
ヘブラーは、私はほとんど聴かないが、
シェリングには、ヘブラー的要素はない。
シェリングとヘブラーが組んで、フィリップスに録音している。
ということは、少なくともヘブラーは、お嬢様芸に毛の生えた程度ではないことは確かなはずだ。
にも関らず、スピーカーによっては、そんなふうに聴こえてしまう。
スピーカーもD/Aコンバーターも、
日本語では、どちらも変換器である。
英語ではスピーカーはtransducerであり、コンバーターはconverterである。
でも、どちらも変換器である。
roonはMQAも扱える。
roonにはDSPを使った信号処理が可能である。
アップサンプリング、イコライザー、ヘッドフォン用補整などのいくつかの機能があり、
プラグイン式になっているようで、将来的には追加可能のようだ。
ここで疑問が生じる。
MQAの場合、弟子足る信号の送り出しが側で、なんらかの信号処理をした場合、
D/AコンバーターがMQA対応であっても、MQA再生はできない。
別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた(トランスポートとのこと)」でも、
その点について書いている。
トランスポートをスチューダーのD731にした際に、
MQA-CDを再生しているにも関らず、
メリディアンのULTREA DACのディスプレイには、MQAの表示が出なかった。
D731のデジタル出力は44.1kHzを48kHzにアップサンプリングしていた。
わずかこれだけの信号処理にも関らず、それだけでMQA再生はできなくなる。
この時は、D731のジャンパーを差し替えることで、44.1kHzに変更でき、
無事MQA-CDの再生が可能になった。
roonのDSP機能で、なんらかの信号処理をしたとしよう。
イコライザーでもいい、ほんのちょっとでもいじってしまうと、
D731のデジタル出力と同じことになってしまう。
これではMQA再生ができないし、
それでMQA対応は謳えない。
roonは巧妙な手法で、信号処理も可能とし、
MQA再生としての条件も維持している。
別項「ショウ雑感」で昨日書いたように、
roonはデジタルインテグレーションを近い、目指している、ということを、
今日もroonのDanny Dulai氏をきいていて確信した。
パソコンやサーバーを使って、
つまりCDプレーヤーを使わずにデジタル化された音源を聴くためのアプリケーションは、
世の中にはいくつもある。
無料のモノもあるし、有料のモノもある。
どれがいいのかはすべてを試したわけではないし、
使い勝手も含めて、ともなると、評価はバラバラになるような気もする。
ただ、いずれもアプリケーションも、
基本的には音楽を聴くアプリケーションである。
そんなこと当り前じゃないか、といわれそうだが、
roonは、Danny Dulai氏がいっているように、
listen、browse、learnのためのモノである。
roon以外のアプリケーションに、それらの要素がまったくないとはいわないが、
はっきりと打ち出して、そこを目指しているのは、いまのところroonだけだ、と思う。
そしてDanny Dulai氏の話にも、
integrate、integrated、integrationが、何度か出てきた。
今日(3日)もヘッドフォン祭に行ってきた。
朝10時30分の会場から、17時30分までいた。
ずっとRoonのイベントをきくためである。
こんなに長い時間、ヘッドフォン祭の会場にいたことはなかった。
たいてい二時間ほどで帰っていた。
といっても会場に長くはいたけれど、ほとんど15階のRoonのイベントが行われる部屋にいたので、
会場をじっくり見ていたとはいえない。
それでも感じたのは、
ヘッドフォン/イヤフォンのブームも一段落したのか、ということだ。
あきらかに来場者は少なくなっている。
初めてヘッドフォン祭に行った時に感じた猥雑な活気は、
まったくないとはいわないまでも、ずいぶん希薄になったと感じた。
来場者に関しては波もあるとも思う。
今回は少なかったはずだが、次回はどうなるかはなんともいえない。
盛り返すかもしれない。
私として、今回のRoonのイベントのようなことを、次回以降も企画してほしい、と思っている。
昨日が二時間が二回、今日は一時間が四回、
計八時間、Roonについて知ることができた。
こういう企画は、インターナショナルオーディオショウにはない。
残念ながらない、と書いておく。
今回のRoonの企画の主催は、iFi Audioの輸入元のトップウイングと音元出版である。
10月末に音元出版から出たNet Audio最新号では、
Roonの記事が載っている。
そのへんの関係もあるのだろうが、音元出版には、
ステレオサウンドには感じられない積極性がある。
その積極性には、ここでははっきりと書かないことも含まれているが、
それでも、今回の企画をやってくれたことは高く評価したい。
Roon LabsからはCEOのEnno Vandermeer氏、COOのDanny Dulai氏が来日されていた。
Danny Dulai氏は開発者である。
とはいえ、これまでのハードウェアのエンジニア(開発者)とは、
そうとうにタイプの違う人である。
耳にはピアス。
ピアスといっても、かわいいものではなく、
異物挿入といったほうがいいくらいのすごさである。
耳だけではない、手の甲もそうである。
けれど、Danny Dulai氏の話は、誠実である。
こういう人がRoonを開発しているのか──、
人によって受け止め方は違ってこようが、私はいい方に受け止めている。
Danny Dulai氏が、
Roonはオーディオのスイスだ、と言った。
スイスのように中立である、という意味である。
Roonは、PCM、DSD、MQAのどれかに片寄ることなく、
すべてを平等に扱えるように開発している、ということだ。
Roonのユーザーそれぞれが、
オレはMQAは絶対に認めない──、
DSDこそが最高のフォーマットだ──、
PCMのハイレゾこそが──、
などと主張するのは自由だし、勝手でもあるが、
Roonはすべてのフォーマットを、それらがもつクォリティを損うことなく扱う。
Roonは、このフォーマットこそがベストです、ということは主張しない。
それにしても、MQA否定の人は、みっともないのか、と今日も感じた。
今日、何があったのかは詳しくは書かないが、
MQAのことが話題になると、否定こそが正義だ、とばかりに声をあげる。
MQAを個人的に否定するのは勝手にやればいい。
自分でブログでもつくって、そこでやればいいことであって、
今日のような場でやることではない。
それにRoonの人たちも、MQAに誠実に対応した、ということを説明されているだけで、
MQAこそがベストだ、といわれていたのではない。
AKGのK1000は、私にとって理想に近いヘッドフォンである。
K1000が現行製品だったころ、ろくに仕事をしていなかったから、
あきらめるしかなかった。
いつかは買えるだろう、と思っていたら、製造中止になった。
しばらくは忘れていた。
でも、あるきっかけがあってK1000のことをおもいだしてしまうと、
どうしても欲しくなる。
といっても製造中止になってからでもずいぶんの月日が経っている。
中古をみかけないわけではない。
手を出しそうに何度かなった。
でも、あと何年使えるのか……、とどうしても思う。
AKGが修理に応じてくれれば、中古を買ってもいい。
確かめたわけではないが、K1000の修理を、現在のAKGがやってくれそうにはない。
私が勝手にそう思っているだけで、実際は違うのかもしれない。
AKGがK1000の後継機を出してくれないのか。
ヘッドフォンがこれだけブームになっているのだから──、
そんな期待もしているのだが、何年待っても、そんな気配はない。
もうあきらめかけていた。
今日、ヘッドフォン祭に行ってきた。
Roonのイベントが始まるまでのわずかなあいだ、
いくつかのブースを見ていた。
11階のフューレンコーディネイトのところに、
Brodmann Acousticsのヘッドフォンがあった。
プロトタイプとのことで、それ以上の情報は、いまのところない、との説明だった。
すでに会場に手にされた方は気づかれているだろうが、
K1000のBrodmann Acoustics版といえるヘッドフォンだ。