Date: 1月 9th, 2023
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その17)

オーディオ雑誌の読者相談コーナーが、
インターネット(ソーシャルメディア)に移っただけ、と書いたのは、
相談内容だけが当時とあまり変らないと感じたからであるし、
その回答についておもうことがあるからだ。

昔のオーディオ雑誌にあった読者相談コーナーは、
ステレオサウンドの編集という仕事柄、目は通していた。

すべてに目を通していたとはいえないけれど、
編集部に届く雑誌の、そのコーナーは眺めていた。

けれど、感心するような質問があったという記憶はない。
質問内容がそうなのだから、回答も推して知るべしだった。

ソーシャルメディアでの相談も、そうだ。
なぜ、こんな質問をするのか──、とつい思ってしまう。
まわりに、誰もオーディオのことを話せる相手がいないのか。

そういえば、以前、菅野先生からきいたことを思い出す。
地方の若い世代の人は、友人知人にオーディオに関心がある、といえないとのことだった。
カミングアウトにも近いものを感じて、のことなのだそうだ。

いまはそうなのかもしれない。
そうだとしたら、ソーシャルメディアで、そんな質問をする人も、
友人知人にオーディオに関心があるといえないのかもしれない。

関心があると周りにいえる人でも、周りにオーディオに関心がある人先輩はいない可能性は、
いまの時代、ないとはいえない。

だからソーシャルメディアを利用するのか。
ただ感じるのは、回答のレベルの低さというか、
なんとなげやりな回答なのか、と思うこともある。

そんな回答をするぐらいならば黙っておけ、といいたくなる。
そんななげやりな回答をした本人は、明快な答を返したとでも自惚れているのか。

こんなレベルだったら、まだ昔のオーディオ雑誌の相談コーナーのほうがましだ。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その86)

オーディオの想像力の欠如した耳は、正確な音、精確な音は聴きとれても、
もうひとつの(せいかく)な音、誠確な音は聴きとれない。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その85)

オーディオの想像力の欠如した耳は、「差」の世界ばかりに気を取られ、
「和」の世界であることに気づかないのかもしれない。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 戻っていく感覚

アキュフェーズがやって来る(その1)

別項「Meridian 210 Streamer(その11)」で書いているように、
来週あたりに、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来るわけだが、
この他にパワーアンプのA20VとデヴァイディングネットワークのDF35もやって来る。

終のスピーカーといっしょにやって来るはずだったけれど、
部屋の片づけが間に合わず、友人の倉庫で預ってもらっている。

部屋の片づけもエレクターのワイヤーシェルフを導入して、
週半ばぐらいにはなんとかなりそうなので、それからアキュフェーズがやって来る。

アキュフェーズの製品を自分のモノとして使うのは、初めてである。
ステレオサウンドにいたころ、アキュフェーズの製品は、
ほとんどの試聴で使って、その音に触れてきている。

CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
そのどれも試聴室のリファレンス機器でもあったからなのだが、
自分のモノとして使ってきたことはなかった。

ほんの数ヵ月、P300Lを借りて鳴らしていたことはあるが、
それだけだった。

スチューダーのA727を購入したとき、
アキュフェーズのDP70と試聴室で何度か比較試聴したことはあるけれど、
選んだのはA727だったことは、別項で書いている。

なじみがあるようでないような──、
まだやって来ていないので、なんともいえないし、
私が聴いていた頃のアキュフェーズは1980年代だし、
私のところにやって来るアキュフェーズも二十年ほど前の製品ばかり。
ということもあって、どんなふうに感じるのだろうか、とそれも楽しみである。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その12)

メリディアンの210と218は、
メリディアンの推奨する接続、LANケーブルを使って行う。

アキュフェーズのDP100とDC330との接続も、
アキュフェーズ独自のHS-Linkなので、LANケーブルで行う。

DP100と218は、DP100のSPDIF出力を同軸ケーブルで218のSPDIF入力へと接続。
210とDC330は、210のSPDIF出力を同軸ケーブルでDC330のSPDIF入力へと接続。

218、DC330、それぞれのアナログ出力はGASのTHAEDRAのライン入力に接続する。

SACDの再生は、DP100+DC330、
MQA-CDの再生は、DP100+218、
TIDALのMQAの再生は、210+DC330(コアデコード)と210+218(フルデコード)となる。

どれがいちばんいい音なのかを検証するよりも、
それぞれの音のそれぞれのよさを見出していきたい。

同時に、最近ではあまり語られなくなってきたデジタル・コントロールアンプ、
というよりデジタル・コントロールセンターについて考えていくヒントが得られる予感もする。

Date: 1月 8th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

潰えさろうとするものの所在(その3)

五年前に、別項「続・再生音とは……(続その12に対して……)」で、
AIとは、artificial intelligenceだけではなく、
auto intelligenceなのかもしれない、と思うようにもなってきた、と書いたことを、
このテーマの続きを書こうとしたら思い出した。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: 新製品

Meridian 210 Streamer(その11)

来週か再来週に、アキュフェーズのDP100とDC330がやって来る。
日進月歩といっていいデジタルオーディオ機器なのだから、
DP100とDC330は、かなり古い製品ということになる。

それでもDP100のメカニズムは、いまでも魅力的に感じる。
実をいうと、最初はDP100だけでいいかな、と考えていた。

DP100とDC330を組み合わせることで、SACDの再生が可能になる。
このことは魅力なのだが、SACDをそれほど多く持っているわけでもないし、
一応SACDプレーヤーは持っているし、置き場所の問題もある。
コントロールアンプが、DC330を含めると三台になる。

そんな事情から、DP100だけにするか、と考えていたのが、
ころっと考えを変えてしまったのは、210の存在だ。

210は、MQAのコアデコードを行ってくれる。
SPDIFのデジタル出力を持つから、DC330との接続も問題ない。

DC330は内部をみてもブロックダイアグラムをみてもわかることだが、
DP100とペアになるDC101と基本的には同じである。

トーンコントロールなどの機能をもつD/Aコンバーターともいえる。
メリディアンの218と同じだ。
とはいえ、そこに投入されている物量は大きく違う。
技術も違う。

そんなふうにみていくと、218とDC330の両方があるのも面白いと思えるようになったからだ。
アキュフェーズのDP100とDC330、
メリディアンの210と218、
これら四機種を使って、いくつか実験して検証してみたいことがある。

DC330はコントロールアンプというよりも、D/Aコンバーターとして使う予定で、
GASのTHAEDRAに接続する。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その10)

昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。

audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
     *
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
     *
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。

私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。

長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。

長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。

リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。

おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。

それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: 再生音

残像、残場、残響(その3)

十年以上、毎日、音について書いてきているわけだが、
ここでの音は、ほとんどすべてがスピーカーから鳴ってくる音について、である。

しかも、そのスピーカーから鳴ってくる音は、
一度録音されたものを再生しての再生音について、であり、
マイクロフォン、ミキシングコンソール、アンプを通ってきていても、
それが一度も記録(録音)されていない音、
つまりPA(public address)の音ではない、
ということをつい忘れがちになる人もいるのではないのか。

どちらもスピーカーから鳴ってくる音(音楽)であっても、
PAでのスピーカーからの音を再生音とは言わない。

Date: 1月 6th, 2023
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その20)

オーディオマニアが、
オーディオマニアとしての役目、役割をまったく考えなくなったとしたら、
それは、やはり時代の軽量化なのだろう。

実際のところ、どうなのだろう?
オーディオマニアとしての役目、役割──、
そんなこと、自分には無関係という人の方が多いのだとしたら……。

Date: 1月 6th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Panopticom (Bright Side Mix)

ピーター・ガブリエルのニューアルバム“i/o”からのファーストシングル、
“Panopticom (Bright Side Mix)”が、1月6日(満月)に公開になった。

Apple Music、YouTube、Spotifyなどさまざまなストリーミングサービスで聴くことができる。
e-onkyoでも配信されている。

TIDALももちろんだ。
MQA Studioで96kHzで聴ける。

詳細はまだ発表になっていないが、満月にあわせて新曲を公開していくとのこと。

ピーター・ガブリエルのfacebookには、こう書いてある。
     *
Today, on the first full moon of 2023, Peter releases the first new song from his forthcoming album i/o. Written and produced by Peter, Panopticom was recorded at Real World Studios in Wiltshire and The Beehive in London.

Panopticom references an idea that Peter has been working on to initiate the creation of an infinitely expandable accessible data globe. The aim is to “allow the world to see itself better and understand more of what’s really going on”.
     *
後半の部分をどう、聴き手は受けとるのか。

パッケージメディアにこだわるのはいいが、
パッケージメディアだけにこだわり続けていると、
ピーター・ガブリエルの試みを受けとることすらできない。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの「役目」、そして「役割」

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』というタイトルで、
別項で書いてきている。

元日に、「毎日書くということ(今日決めたこと)」にコメントがあった。

そのコメントに、こう書いてある。
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》

『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』を書いていて思ったことが、これである。
『オーディオマニアの「役目」、そして「役割」』というタイトルで書こうと思いながらも、
これまで書いてこなかったのは、趣味のことなのに……、そんなふうに思う人のほうが多いだろうし、
あえて書くことでもないのかも──、そんなふうに思ったからだ。

けれどCelloのFさんのように、
《オーディオ道は、語り継がれるものであり、それを伝承するのは我々オーディオを愛する者の流れではないでしょうか》
と思う人がやはりいてくれる。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: 映画

モリコーネ 映画が恋した音楽家(その1)

1月13日から、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が上映される。

エンニオ・モリコーネの映画が公開になるのは数ヵ月前から知っていた。
とはいうものの、さほど大きな関心をもっていたわけではなかった。
昨年暮に映画を観に行った際に、「モリコーネ 映画が恋した音楽家」の予告編が流れた。

予告編の出来がいいだけなのかもしれないが、
おもしろそうな予感がした。

公開が楽しみな一本である。

Date: 1月 5th, 2023
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その3)

クラウディオ・アバドは、こういう演奏(指揮)もできるのか──、
という意味で、驚いたのはポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲であり、
ベルクの「ヴォツェック」である。

いまも、ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲を初めて聴いた時の驚きは、
はっきりと思い出せる。そのくらい凄い演奏と感じたものだった。

あの時代に、この二人が、あの年齢だったからこそ可能だった演奏なのだろうが、
それにしても、思い出していま聴いても、やはり凄いと感じる。

アバドは、こういう演奏(指揮)もできる──、
そうわかって聴いても驚いたのが、「ヴォツェック」だった。

アバドの「ヴォツェック」が登場したころは、
世評高いベーム、ブーレーズのほかに、ドホナーニ、ミトロプーロスぐらいしかなかった、と記憶している。

ミトロプーロス盤が1951年、ベーム盤が1965年、ブーレーズ盤が1966年、
ドホナーニ盤が1979年録音だった。
すべてアナログ録音であり、そこにデジタル録音のアバド盤が登場した。

「ヴォツェック」を積極的に聴いてきたわけではなかった。
ベーム盤を聴いたことがあるくらいだった。
「ヴォツェック」の聴き方が、自分のなかにあったとはいえないところに、
アバドの「ヴォツェック」である。

このときの衝撃は、バルトークのピアノ協奏曲も大きかった。
そういえばバルトークのピアノ協奏曲もそうだった。
自分のなかに、バルトークのピアノ協奏曲についての聴き方が、
ほぼないといっていい状態での衝撃だった。

Date: 1月 4th, 2023
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た!!!(その意味)

ここで、しつこいぐらいに、伊藤先生の言葉──、
《スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。》
を引用しておく。

ステレオサウンド 72号に載っている。
記事ではなく、上弦(かみげん、と読む。シーメンス音響機器調進所)の広告に載っている。

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40は、
さしずめ私を試すために、終のスピーカーとしてやって来たのだろう。