Date: 12月 7th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その77)

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニット、
同じくドイツのマンガーの独自のユニット、
これらの他にもベンディングウェーヴ方式のスピーカーは、数少ないながらもある(あった)。

ほんとうに数は少ない。
世の中の九割以上のスピーカーは、ピストニックモーションによるモノだ。
ピストニックモーションを追求していくことは間違っているわけではない。
それでもピストニックモーションの追求だけでいいのだろうか、と考える。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を、
2002年のインターナショナルオーディオショウでのタイムロードのブースで始めて聴いて以来、
オーディオマニアはピストニックモーションの音に慣れすぎてしまっているのではないか──、
そんなふうに考えるようになっていった。

けれどそうでない赤ん坊はどうなのだろうか。
ピストニックモーションの再生音と、生身の人間が発している声、
実際の楽器が響かせている音とをはっきりと区別しているのかもしれない。

しかもこのことは、ピストニックモーションが追求され、
ピストニックモーションの領域が拡大されるにしたがって、より顕著になっていくのではないのか。

Date: 12月 7th, 2022
Cate:

賞からの離脱(オーディオの殿堂・その4)

「オーディオの殿堂」が特集だったステレオサウンド 223号。
さきほどステレオサウンドのウェブサイトを見ていたら、売り切れになっていた。

その他の号はまだ購入できるのに、223号は売り切れ、つまりそれだけ売れた、ということだ。
そうか、やっぱり、こういう特集が売れるのか──、
そうおもうだけだった。

Date: 12月 7th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その83)

オーディオの想像力の欠如した者は、《優しさを装って肯定してくれる》音に癒されるのか。

Date: 12月 7th, 2022
Cate: 「本」

オーディオの「本」(古賀書店の閉店・その1)

神保町にある古賀書店が、今月24日で閉店するとのこと。
音楽関係の書籍の古書店の、古賀書店が閉店になる。

私も昔は利用していた。
でもインターネットが普及して、古書も簡単にすぐさま検索できるようになってから、
神保町に行ったおりに、気が向いたらのぞいてみるくらいになっていた。

コロナ禍になってからは一度も行っていないし、
最後に行ったのはいつだったのかも思い出せない。

古賀書店がなくなってもとくに困らない──、
そうともいえるのだが、実店舗に行くと、こういう本があったのか、と知ることもあったりする。

インターネットの検索は、知っている本の検索には役立つけれど、
こういった偶然の出合いに関しては、まだまだだ。

いま古賀書店では閉店セールをやっている、そうだ。
定休日は、日、月、木、祝日で、営業時間は11時から17時30分まで。

いまはどうなのかは知らないけれど、オーディオ関係の雑誌のバックナンバーも、
以前はけっこう揃っていた。

Date: 12月 6th, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その18)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いを──、
といったことを(その2)で書いて、六年以上が経ち、
ひとつにしたむき出しの勢いを洗練させていくことが老いていくことだと思うようになった。

Date: 12月 6th, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(Troubadour 80のこと)

Troubadour 40は、残念なことにすでに製造中止になっている。
German Physiksのウェブサイトをみると、
PQS100というモデルがある。さらにPQS100 Plusもある。

PQS100がTroubadour 40の後継機ということになるのだろうか。
後継機である、と言い切りたいところなのだが、少しばかり微妙なところも感じて、
なかなか言い切れないのだが、それでもTroubadour 40の代りになるモデルを手に入れたければ、
現時点ではPQS100かPQS100 Plusになる。

PQS100は外観上は、PQS100以上にTroubadour 40に近いけれど、
6インチ口径のウーファーを下向きに取りつけられたモデルだ。
このウーファーを使わないのであれば、
PQS100 PlusはかなりTroubadour 40に近くなる。

ジャーマン・フィジックスの現行ラインナップには、
このようにTroubadour 40に近いモデルは存在するが、
Troubadour 80の後継機、近いモデルはいまのところない。

Troubadour 80はTroubadour 40を上下にスタックしたモデルであり、
菅野先生はTroubadour 40をまず導入され、それからTroubadour 80にされている。

Troubadour 40かTroubadour 80か。
どちらがいいのか、おまえならばどちらをとるのか、と問われれば、
どちらでもいい、と答えてしまう。

私のところにやって来たのはTroubadour 40だが、
もしTroubadour 80がやって来ても、同じように喜んでいたはずだ。

ユッカ=ペッカ・サラステ/トロント交響楽団によるシベリウスのレンミンカイネン組曲。
この曲を菅野先生のリスニングルームでTroubadour 40で聴いた時の、
聴き手であるこちらの腕をさわさわと響きが、音の波が伝わってくるのが、
はっきりと感じられて、こういうデリカシーの再現性の高さは、
Troubadour 40の独擅場といえる。

ならばTroubadour 40ではないか、とまた問われそうなのだが、
Troubadour 80で菅野先生が聴かせてくれたベートーヴェンのピアノ協奏曲。
ケント・ナガノと児玉麻里による演奏における動的平衡の音の構築物、
それが聴き手の眼前に展開されていくさまは、Troubadour 80の独擅場と思っている。

なので、どちらがやって来たとしても、私はそれでよかったわけだ。
そして妄想はここでも頭をもたげてくる。

Troubadour 80において、下側のDDD型ユニットはカーボンで、
上側のDDD型ユニットはチタンという仕様にしたら、いったいどういう音が鳴ってくるのか。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その7)

2019年に発表になったメリディアンの210。
オンキヨーのせいで、日本は二年半ほどおあずけをくらった。

210は別項で書いているように9月に少しの期間使うことができた。
いままた使っている。

使っていると楽しい。
確かにこれはチューナーでもあるな、と感じる。
しかも魅力的なチューナーである。
即物的な性能重視のチューナーではない(この点に関しては、別項で書く予定)。
そこのところにおいても、実に楽しいオーディオ機器である。

そしていろんなオーディオ機器と組み合わせ試してみたくなる。
別項でも触れているように、96kHzまでのコアデコードが可能だから、
MQAに対応していないオーディオ機器と組み合わせたい。
D/Aコンバーターよりも、D/Aコンバーター搭載のアクティヴ型スピーカーと組み合わせてみたい。

つい、どんな製品があるのか、価格はいくらくらいなのか。
それが気になってきているし、それほど高くなければ買ってみようかな、と思うぐらいだ。

終のスピーカーがやって来たから、そういう余裕があっても、
それらすべてを終のスピーカーにもってきたいので、買うことはしないだろう。

それでも、いろんな組合せを想像するだけでも210の存在は楽しませてくれる。
210を、今年の新製品と呼んでいいのか。

そうなのだが、日本では今年発売になっているのだから、今年の新製品であるわけだ。
少なくとも私にとっては今年の新製品であり、
これからの時代の音楽の聴き方(接し方)をより楽しいものにしてくれる。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: Maria Callas

マリア・カラスは「古典」になってしまったのか(その5)

マリア・カラスは1923年12月2日に生れている。
来年は、マリア・カラス生誕百年にあたる。

2027年には没後五十年になる。

それだけの月日が経っているのだから、
マリア・カラスは「古典」になってしまった、のかもしれないが、
マリア・カラスは「古典」にされてしまっているのかもしれない、とも思うことがある。

黒田先生が、ステレオサウンド 54号の特集の座談会で、
《たとえば、シルヴィア・シャシュが、コベントガーデンで「トスカ」を歌うとすると、おそらく客席にはカラスの「トスカ」も聴いている人がいるわけで、シャシュもそれを知っていると思うのです。聴く方はカラスと比べるぞという顔をしているだろうし、シャシュもカラスに負けるかと歌うでしょう。その結果、シャシュは大きく成長すると思うのです。》
と語られている。

この時代、マリア・カラスは「古典」ではなかった。
54号は1980年3月に出ている。
マリア・カラスが亡くなって、二年半ほどだから、それも当然なのだろうが、
いまの時代、シルヴィア・シャシュのような歌手がいるだろうか。

そして客席にいる聴き手も、マリア・カラスと比べるぞ、という顏をすることはないのではないか。

そんなことを考えていると、
黒田先生が書かれたもうひとつのことを思い出す。
《多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした》、
「音楽への礼状」からの引用だ。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: バッハ, マタイ受難曲

ヨッフムのマタイ受難曲(その6)

12月1日に、レコード芸術のレコード・アカデミー賞の受賞ディスクが発表になった。
今年の大賞は、ラファエル・ピション指揮のマタイ受難曲である。

4月に発売になっている。
出ていたのは夏ごろに気づいていたが、聴いてはいなかった。
レコード・アカデミー賞大賞ということで、12月1日に聴いた。
TIDALにあったからだ。

聴いてすぐに、ヨッフムのマタイ受難曲を聴きたくなった。
それでもしばらくはピションのマタイ受難曲を聴いていたけれど、
途中で聴くのをやめてしまった。

今日、ふたたびピションのマタイ受難曲を聴いた。
やはりヨッフムのマタイ受難曲を聴きたくなった。
今回は、ヨッフムのマタイ受難曲を聴いた。

ピションのマタイ受難曲にケチをつける気は毛頭ない。
レコード芸術だけでなく、Googleで検索すると、
聴いた人は高い評価をしていることがわかる。

そうだろうな、とは思う。
けれど、それは現象としてのマタイ受難曲としての完成度の高さであり、
素晴らしさのような気がする。

録音にしても、ヨッフムのマタイ受難曲よりもよい。
ヨッフムとピションとのあいだには五十年ほどの隔たりがあるのだから、
録音ひとつとっても大きな違いがあって当然であり、
そのことも現象としてのマタイ受難曲の素晴らしさを際立てている、ともいえる。

けれど心象としてのマタイ受難曲として、私の心に響いてくるのは、
ヨッフムのマタイ受難曲である。

だからといって、ピションのマタイ受難曲が心象のマタイ受難曲として素晴らしくはない、
そういうことではないはずだ。
ピションのマタイ受難曲が、聴き手の内奥に迫ってくる、と評価している人もいたのだから。

だから、あくまでも私にとって、ということである。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その6)

11月が近くなると、毎年、この項のテーマについて、
今年は何を書こうかな、と思いはじめる。

今年は、ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40がやって来たことによって、
書こう、と思っていたことのいくつかを忘れてしまった。

いくつか書こう、と思っていたのに、思い出せずにいる。
そのくらいTroubadour 40がやって来たことの衝撃は大きい。

Troubadour 40について書き始めると、止らなくなるから、
かなり自制している。

Troubadour 40のことばかり書いていると、またTroubadour 40のことか、
そうおもわれても別にかまわないのだけれども、いまのところは抑えておく。

本格的にTroubadour 40を鳴らすようになったら、書くことがいろいろと出てくるだろうからだ。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その4)

和室。
二十畳、三十畳といった広い和室ではなくて、
こたつがよく似合うくらいの広さの和室。
十畳か、それよりも少し広いくらいの和室。

私にとって重要なのは和室自体の広さよりも、床の間があるかないかだ。
しっかりした床の間がある和室。

その床の間にスピーカーを置く。
ここは、もうパラゴンしかない、といいたいくらいに、
和室でパラゴンは、若い頃からしていた妄想だ。

そこにこたつ。あとは座いす。
そういう環境なのだから、アンプにあまり大袈裟なモノは使いたくない。
こたつに入って聴くのだから、冬は真空管アンプがいい。

こんなことをながいこと想像していた。
寒い季節になると、こういう世界こそいいなぁ〜、としみじみ思うわけだけど、
実現することは、たぶんないだろうし、
この世界だけで満足できるわけでもないことはわかっている。

わかっているからこそ、すごく憧れてもいる。

その2)で、一兆円という夢のような金額が与えられたとして、
ありとあらゆるオーディオに関しての贅沢を尽くしたすえに、
和室にパラゴンが残れば、とても幸せじゃないか、と思う。

やりたいことをすべてやって、最後にしたいことは──、
私の答は、こういうところに落ち着く。

Date: 12月 4th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その3)

二十数年前、自転車熱がすごく熱くなった。
自転車の雑誌もすべて買っていた。
といっても、そのころはそれほど雑誌の数は多くなかった。

秋に開催される自転車のショウにも行っていた。
そのころは、あれこれ妄想していた。

宝くじに当ったら、どの自転車を買うか。
自転車のフレームの素材は、鉄がありアルミがあり、チタン、カーボンとある。

それぞれの良さがあるわけだが、同じブランドで、それぞれの素材のフレームに乗ってみる。
これが、いちばんフレームの素材の違いを確認できるのだが、
そのころの自転車の雑誌で、それをやったところはない。

実際のところどうなのだろうか。
宝くじに当たれば、自分でやれる──、そんなことをおもっていた。

それだけでなく買いたいフレーム、パーツはいくつもある。
ロードバイクだけでなく、一台くらいはマウンテンバイクも欲しい、
それにロードバイク、マウンテンバイクにしても日常の足として乗るのには、
あまり適さないから、そういう自転車としてアレックス・モールトンも欲しい──、
こんなことを考えている(妄想している)と、ふと我にかえって、
どんなにお金があって、欲しい自転車をすべて買ったところで、
実際に乗れる自転車は、一度に一台である。

少し冷静になってみると、お金がどんなに余っていたとしても、
ロードバイクが二台、マウンテンバイクが一台、アレックス・モールトンが一台、
計四台の自転車があれば、それ以上何を欲するのか。

妄想を思いっきり拡げた後に、冷静になってみる。
いまは12月。すっかり冬である。

冬といえば、やっぱりこたつ。
和室にこたつがあれば──、私はそうおもう。

いま住んでいるところは和室ではないから、こたつはない。
こたつなんて、あんなださいもの──、という知人がいた。

彼はこたつに入ったことがないらしい。
そういう人は、こたつの良さはわからないだろう。

それで何がいいたいかというと、こたつである。
和室である。
そしてオーディオである。

この三つが揃っていれば──、そんなことをおもっている。

Date: 12月 3rd, 2022
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(とTroubadour 40)

デッカ・デコラも、終のスピーカーなのか、と考えたことがないわけではない。
それでもデコラは、私にとってスピーカーシステムとしての存在ではなく、
別の存在としてのモノであって、デコラは少なくとも私にとって終のスピーカーとはいえない。

いつかはデコラ、という気持は持ち続けている。
なのに終のスピーカーといえない気持は、いまのところ自分でもうまく説明できない。

それでもおもっていることはある。
もし、デコラに匹敵する存在のモノをつくれ、といわれたならば、
スピーカーに関しては、Troubadour 40を選択する。

デコラと同じように、複数のトゥイーターを角度をつけて配置するという方法も考えるが、
それではオリジナルのデコラを超えること(肩を並べること)はできないように考えるからだ。

全体のデザインはほとんどなにも考えていないのだが、
それでもスピーカーの中心となるのはTroubadour 40(DDD型ユニット)しかない。

Date: 12月 2nd, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その7)

(その6)で触れた動画を、私は最後まで視聴しなかった。時間の無駄と感じたからだ。
この動画を教えてくれた人によると、
もっとすごい(ひどいレベルの)ことを話している、とのこと。

それでも最後まで見るつもりはない。
そこでの動画は、話している内容だけではなく、
音声を消して見ても、あれこれ言いたくなることが多い。

それでも今回は、あえてどこのオーディオ雑誌なのかは書かないが、
動画のリンク先はここ

私がどう感じたのか、どう思っているのかは、
いまのところ、これ以上は書かない。
動画を見た人が、それぞれに判断すればいい。

Date: 12月 2nd, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その6)

技術用語の乱れについて書いているけれど、
もう技術用語の意味すらきちんと把握していないどころか、
無視というか、気にもしていないのか、
昔は基礎として当り前の知識だったことさえも忘れ去られはじめている。

ある人が教えてくれたYouTubeの動画を先月見た。
あるオーディオ雑誌の編集者が集まっての動画である。

どこの編集部なのか、はっきり書こうと思ったけれど、
これから変っていくのかもしれないから、今回は出さない。

ある器材の試聴動画だった。
そこにMC型カートリッジ用の昇圧トランスが登場する。
すでに製造中止になった製品である。

そこで使われているカートリッジは、ハイインピーダンスのMC型。
なのに昇圧トランスは、ローインピーダンス用のモノである。

逆(ローインピーダンスのMC型カートリッジにハイインピーダンスのトランス)は、
あえてそういう使い方をすることがあるし、それで好結果が得られることも少なくない。

けれどハイインピーダンスのMC型の昇圧に、
ローインピーダンス用のトランスを使うのは、はっきりと間違った使い方だ。

この動画に登場している人たちは、インピーダンスという知識すらないのかもしれない。
インピーダンスという単語は知っているのだろうが、どういうことなのかは知らない。
知らないからこそ、こういう使い方をしても平気でいられる。