Date: 12月 6th, 2012
Cate: 手がかり

手がかり(その1)

オーディオでは、出てきた音をどう判断するかもひじょうに重要である。

そこで思い出すのが、黒田先生が「ないものねだり」(聴こえるものの彼方へ・所収)で書かれていたことだ。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
黒田先生がこの文章を書かれたのは1974年、私はまだそのころはステレオサウンドも知らなかった。
オーディオという趣味があることも知らなかったし、黒田先生の存在も知らなかった。
この文章を読んだのは、ステレオサウンドから「聴こえるものの彼方へ」が出てからだから、
もうすこし先、1978年のことであり、ステレオサウンドを読みはじめていたし、
自分のステレオを持つことも出来ていた。

読んで、まず、どきっ、とした。
1978年ではまだ15歳、そうそう好きなレコード、聴きたいレコードを自由に買うことなんてできなかった。
オペラのレコードはまだ何も持っていなかった。
ワーグナーのレコードを買いたい、聴きたい、という欲求はもっていても、
まだ手が出せなかった。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」が特に聴きたかったワーグナーの楽劇だった。
もっともそのころ聴いたとしても、退屈だったろう、と思うのだが。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」のLPを買うことができたのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだから、「ないものねだり」を読んでから、さらに数年が経っていた。

「パルジファル」が私にとって、
バイロイト祝祭劇場でステレオ録音されたいくつものレコードで初めて聴いたものだった。

フルトヴェングラーのベートーヴェンの「第九」は聴いていたけれど、
これはモノーラル録音で決して状態もいいとはいえない。

結果として「パルジファル」を黒田先生の文章を読んだ後に聴いて、よかった、と思っている。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その17)

EMT・927Dst、トーレンスのリファレンス、
このふたつのプレーヤーシステムの音に関しては、EMTのカートリッジTSD15とかたく結びついている。

927DstはTSD15を前提としたプレーヤーであるから当然として、
トーレンスのリファレンスも最初に聴いたときがTSD15とトーンアームもEMTの929だった。

リファレンスには最大3本のトーンアームを装着できる。
TSD15 + 929は標準装備でもあったようだ。

リファレンスはステレオサウンド試聴室で一時期リファレンスプレーヤーとして使われていたことがある。
そのときに、いくつかのカートリッジを聴く機会を得たわけだが、
私にとってリファレンスの音は、
最初に聴いた時から、いまもそしてこれから先もずっとTSD15との音である。
TSD15と切り離して考えることはできないわけだ。

マイクロのSX8000IIも、ステレオサウンド試聴室のリファレンスプレーヤーであった。
私がステレオサウンドにいたまる7年間で、もっとも長くリファレンスプレーヤーとして使われていたのが、
SX8000IIとSMEの3012-R Proの組合せである。

この組合せからなるプレーヤーで、いくつもカートリッジを聴いてきた。
リファレンスプレーヤーとして、この組合せはあったけれど、
リファレンスカートリッジは、なにかひとつに決っていたわけではない。
オルトフォンのSPU-Goldがリファレンスの場合もあり、トーレンスのMCHIIのときもあり、
他のカートリッジがリファレンスのときもあった。
人により、時によりリファレンスカートリッジはその都度違っていた。

だからなのかもしれない、SX8000IIに3012-R Proの音をいいと感じてはいたものの、
その音は、ある特定のカートリッジと結びついていたわけではない。

この点が、SX8000IIにSMEのSeries Vを組み合わせた時と大きく異る。
私にとってSX8000II + Series Vの音は、オルトフォンのSPU-Goldとの組合せである。

最初に聴いたのがSPUだったことも大きく関係している、とおもう。
それでもその後、いくつもカートリッジをSeries Vに取り付けては聴いている。
Series Vに取り付けて、およそいい音で鳴らないカートリッジはなかった。
もしSeries Vでいい音で鳴らないカートリッジがあるのならば、
そのカートリッジはどこかおかしいのか、そうでなければSeries Vの調整が狂っている、
そう判断してもいいと断言できるくらいに、Series Vの音は、あの時もいまもこれに匹敵するものはない。

それでもSPUでの音は格別だった。
ずっとEMTで聴いてきた私だけに、
よけいにSX8000II + Series V + SPU-Goldの音は、より克明に記憶に刻まれているのだ、と思う。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: 4345, JBL, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その4)

ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
     *
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
     *
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。

ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。

えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。

このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。

もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その11)

書きながら、骨格のしっかりした音を説明することの難しさを感じている。
わかってくれる人が少なからずいる。
その人たちは、すぐに納得してくれている。

その一方で、骨格のしっかりした音がどういうものなのかまったくイメージできない人もいても不思議ではない。
私が勝手に推測するに、いまの時代は後者の人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか……、
そんな気がしてならない。

そう思ってしまうのは、いま高い評価を得ているスピーカーシステムを聴いても、
私の耳には、それらのスピーカーシステムの音が、骨格のしっかりしたものとは思えないからである。

しっかりしたものと思えない、という表現よりも、
骨格を感じさせない音、意識させない音、といってほうがいい。

骨格を感じさせるのがいい音なのか、それとも感じさせない(意識させない)音がいいのか、
私にとっては、聴く音楽、聴く演奏家が骨格のしっかりしたものを要求しているように感じることもあって、
骨格のしっかりした音が、そうでない音よりも、いいと判断してしまう。

けれど聴く音楽が異り、
聴く音楽は私と同じクラシックが中心でも、聴く演奏家が大きく異るのであれば、
骨格のしっかりした音を求めない人もいるだろうし、
聴く音楽も聴く演奏家も私と同じでも、
これまで聴いてきた音が、骨格のない音ばかりであったとするならば、
もしかすると、その人は、再生される音のうちに骨格を感じとることができるのだろうか。

さらに思うのは、いまのオーディオ評論家を名乗っている人たちのなかに、
骨格のしっかりした音を求めている人、
求めていなくとも骨格のしっかりした音をきちんと聴き分けている人がいるだろうか。
そんなこともつい思ってしまう。

もう骨格のしっかりした音は、旧い世代の人間が求める音の要素かもしれない、
と思っていたところに、私よりもずっと若いジャズ好きの人は、
骨格のしっかりした音という表現にうなずいてくれている。

ということは世代はあまり関係のないことのようだ。
やはり聴く音楽、聴いてきた音が影響を与えているともいえるし、
そういう音楽を、そういう音を求めてきたのは、やはりその人自身であるわけだから、
ここでも「音は人なり」ということに行き着いてしまう。

そして、もうひとつ思い出すのは、この項の(その1)で引用した岡先生の文章のなかのフレーズである。
「演奏家が解釈や技巧をふりかざしてきき手を説得しようという姿勢はまったく見られない。」

骨格のしっかりした音とは、そういう音なのだ、といいたくなる一方で、
骨格のない音、骨格のいいかげんな音は、
解釈や技巧をふりかざしてきき手を説得しようとする音なのかもしれない、と。

Date: 12月 4th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その16)

マイクロのSZ1について、その細部についてあれこれ書くことは出来るけれど、
書いていて気持のいいものではないし、読まれる方はもっとそうだろうから、
細々としたことは書かない。

私は、ただSZ1でアナログディスクをかける気が全くしないわけだが、
同じマイクロのSX8000IIに対しては、違う感情・感想をもっている。

おそらくSZ1を担当した人とSX8000IIを担当した人は違うのだと思う。
だからといってSX8000IIのデザインが、
アナログプレーヤーシステムとしてひじょうに優れたものとは思っていない。

細部には注文をつけたくなるところがいくつもあり、
全体的なことでもいいたいことがないわけではない。
でも、SX8000IIは自家用のプレーヤーシステムとして使いたい、と思わせるプレーヤーになっている。

SZ1もSX8000II、どちらも金属の塊である。かなりの重量の金属の塊であるのだが、
目の前においたときの印象はずいぶんと違う。
音も、SZ1の音はまったく印象に残っていないと書いているが、
SX8000IIをはじめて聴いた時のことは憶えている。
もっと強く印象に残って、はっきりと思い出せるのは、SMEのSeries Vと組み合わせたSX8000IIの音だ。

私の耳にいまも、おそらく死ぬまでずっと残っているアナログプレーヤーの音は、
EMTの927Dst、トーレンスのリファレンス(この2機種はどちらもEMTのTSD15での音)、
そしてSX8000II + Series V + SPU-Goldの音である。

RX5000から始まった、このシリーズはSZ1でどか違うところにいってしまうのではないか、と思ったりもしたが、
SX8000IIで、かなりのところまで完成度を高めている。

だから927Dst、リファレンスとともに、私の耳にいつまでものこる音を出したのだろうし、
SX8000IIが日本のプレーヤーであることは、やはり嬉しくおもう。

Date: 12月 3rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その15)

アナログプレーヤーは、他のオーディオ機器とは違う。
それはデザインにおいて、決定的に違うところがある。

オーディオ機器のデザイン、
アナログプレーヤーのデザイン、CDプレーヤーのデザイン、チューナーのデザイン、
カセットデッキのデザイン、オープンリールデッキのデザイン、
コントロールアンプのデザイン、パワーアンプのデザイン、スピーカーシステムのデザイン、
これらのなかでアナログプレーヤーのデザインだけが、特別に違うのは、
アナログプレーヤーのデザインはアナログプレーヤーだけでは完結しない、ということと、
アナログプレーヤーにおける「主」は、ターンテーブルプラッター、トーンアーム、カートリッジなどではなく、
LP(アナログディスク)だという点にある。

コントロールアンプにはコントロールアンプのデザインの難しさ、
パワーアンプにはパワーアンプのデザインの難しさ、
スピーカーシステムにはスピーカーシステムのデザインの難しさがあるわけだが、
それでもアンプにしてもスピーカーにしても、
(部屋との調和、他の機器との調和という問題はあるにせよ)単体で完結している。

プログラムソースとなるオーディオ機器、
カセットデッキ、オープンリールデッキ、CDプレーヤーもアナログプレーヤー同様、
メディアをセットするオーディオ機器であるわけだが、
カセットデッキ、CDプレーヤーはメディアの大きさと機器との大きさが違いすぎるし、
カセットテープもCDも基本的には本体中にセットされ、
CDはほとんど見えない状態で、カセットテープも一部が外から見える程度である。

オープンリールデッキは、CD、カセットテープに比べればずっと大きいわけだが、
オープンリールデッキのデザインは、すでにリール込みのものである。
そのリールもデッキ本体と同じ金属製である。

アナログプレーヤーでは直径がLPでは30cmあり、
その材質は塩化ビニールであり、金属ではない。
艶のある漆黒の円盤がアナログディスクであり、しかも表面には溝が刻んである。
そこに音楽が刻まれていることが視覚的に確認できる。

テープにも音楽が記録されているわけだが、人間の目にはテープ表面の磁性体の変化を捉えることは出来ない。
録音されているテープとそうでないテープを目で判別は出来ない。

そういうアナログディスクを、ほぼ中央にセットして回転させるのがアナログプレーヤーであり、
アナログプレーヤーシステムを構成するのは、
ターンテーブル、トーンアーム、カートリッジ、プレーヤーキャビネットなどだけでなく、
アナログディスクがあって、はじめてプレーヤーシステムとして構成されることを、
気づいていないメーカー、それを忘れてしまったメーカーがつくるプレーヤーで、
アナログディスクを再生したいと思うだろうか。

マイクロはSZ1において、このことを忘れてしまったとしか思えないのだ。
だからSZ1を私は認めない。

Date: 12月 3rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その14)

マイクロのターンテーブルにXがつくモデルは、
ダイレクトドライヴ型では、あの有名なDDX1000(DQX1000)がある。

おそらくターンテーブルプラッターのみだけという印象を与える構成のモデルに、
マイクロはXの型番をつけているのだと思う。
RX5000、RX3000、SX8000も、だからXが型番につく。

SZ1は、Xがつくモデルとは異り、一般的なプレーヤーと同じシルエット、
つまりベースがRX5000、SX8000よりもぐんと拡がっていることもあって、
SX1ではなく、SZ1という型番となったのだろう。

と同時にマイクロにとって、その当時の、もてる技術をすべて注ぎ込んで開発した、
いわばマイクロにとってのフラッグシップモデルでもあったわけで、
その意味も込めて、アルファベットの最後の文字であるZを型番に使っている、といわれている。

SZ1が登場したとき、私はすでにステレオサウンドにいた。
SZ1には、実を言うと、すごく期待していた。
SX8000をこえるモデルを、マイクロが開発した。
これだけでもわくわくして、SZ1の到着をまっていた。

SZ1の個々のパーツは木枠にはいって届いた。
そういう重量の製品であることが、梱包の状態からでも伝わってくる。
重量のあるプレーヤーが、必ずしもいい音を出してくれるわけではない。
そんなことはわかっていても、
やはり物量を投入しないと、どうしても出せない音があるのも同時にわかっている。

トーレンスのリファレンスをこえるアナログプレーヤーが、
日本の製品として登場してくれるのかも、とも期待していたことを思い出す。

木枠が開けられ、パーツが取り出され組み立てられていくSZ1を見て、
期待は完全に失望へと変っていた。

アナログプレーヤーは、基本メカニズムであり、
だからこそ精度が重要であることは理屈として正しい。
その精度の高さを実現しているのがSZ1なのもわかる。
けれど、なぜここまで冷たい雰囲気を漂わせなければ成らないのか。

RX5000、SX8000よりも大きくなったベース。
それだけに色、仕上げ、質感は、より大きなウェイトをもつことになるのは誰にでもわかることだ。
なのに、この色、この仕上げ、この冷たさ……。

SZ1の音のことについては書いていない。
実は、ほとんど印象に残っていないからだ。

たしかにステレオサウンドの試聴室で聴いた。
それは短い時間ではなかった。
でも記憶に残っていない。

Date: 12月 3rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その13)

この項のタイトルにはあえて「私にとって」とつけている。

今年でCDが誕生して30年、
そのあいだにDVD-Audioも出てきて、SACDも登場してきた。
デジタルといっても、30年前はPCMのみだったのが、いまではDSDもある。
そしてCDはそろそろ消えていきそうな気配をただよわせている。

デジタルのメリットを活かした供給方法は、
インターネットによるオンラインであることは間違いないだろう。

30年前、身の廻りにあるものデジタルといえば、CDぐらいだった。
それがいまや電話もカメラもテレビも、いたるところにデジタルが、いまやふつうのものとして存在している。

そういう時代に、アナログディスクを再生することは、どういうことなのか、
と特に考えているわけではない。
ただ好きなように、アナログディスクだけは再生してみたい、という気持がつよい。

人さまからどういわれようと、やりたいことをやれる範囲内で好き勝手にやって楽しみたい、
そう思わせる時代になってきていると、私は感じている。

だからいままで言わなかったこと、書かなかったことも、
ことアナログディスク再生については、書いていこうと思っている。

昨晩書いたように、私はマイクロのSZ1をまったく認めていない。
もっと書けば、このターンテーブルを絶賛する人は、
その人が一アマチュアであればなにもいわないけれど、
オーディオを仕事としている人(オーディオ評論家と名乗っている人)が、
SZ1をマイクロの最高傑作だとか、
マイクロのフラッグシップモデルとしてふさわしい内容と音をもつとか、
そんなことを言ったり書いたりしていたら、私はその人の感性を、
その人の発言をまったく信用しない。

私は、そのぐらい、LPをSZ1で聴きたいとは思っていない。

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その12)

RX5000 + RY5500が得た高い評価は、
マイクロ以外のガレージメーカーからも、類似の製品が少なからず出たことからもわかる。

後発のターンテーブルは、RX5000よりも重いターンテーブルプラッターを採用したりしていた。
ただ、どれもステレオサウンドに載った広告をみるかぎり、
決して完成度の高い、とはいえないRX5000が、完成度の点では上に思えるものばかりだった。

マイクロのSZ1は、それらを蹴散らす意図もあったのかもしれない、
それからプレーヤーシステムとして完成させようとしていたのだとも思える。

SZ1が、RX5000、SX8000、RX1500となにが大きく異るかといえば、ベースである。
RX5000、SX8000、RX1500、これらはどれもベースの大きさはレコードジャケットサイズとほほ同じである。
だからアームベースは、どのアームベースを使ってもベースからはみ出るような形でつく。

このことが良くも悪くも石臼的な姿につながっているし、
使い勝手の悪さの元にもなっている。
馴れないとカートリッジの上げ下げに不安をおぼえる人もいたと思う。

通常のプレーヤーだと手のひらの小指側の側面をベースにのせてカートリッジの操作ができるのに、
RX5000ではベースに、手を乗せるスペースがほとんどない。
だから実際に使用にあたっては、小指をのばしてベースにふれるようにするか、
右手の下に左手置いて、という使い方になってしまう。

SZ1は、マイクロの最高のプレーヤーとして登場した。
物量はRX5000、SX8000以上に投入し、それまで培ってきた技術はもちろん、
プレーヤーシステムとして使い勝手に関しても考慮して、
SZ1のシルエットは、通常のプレーヤーと同じになっている。

このこと自体は、とくに悪いことだとは思わない。
けれどSZ1は、プレーヤーシステムはLPというアナログディスクを再生する機器であることを、
その長いキャリアのどこかに忘れてきてしまったのではないか、
そういう印象を見た人に、そして触ってみると、そのことを確信できてしまうほど、
冷たく無機的で、これでアナログディスクを聴きたいとは思わせない、
私にとってはそういうアナログプレーヤーでしかない。

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その11)

音のことだけで比較すれば、SX8000の方がRX5000よりも、いい。
音の滑らかさということに関しては、特にSX8000がいい。

まだステレオサウンドの読者で、写真の上でRX5000とSX8000を比較していたころは、
どちらも決していいデザインではないけれど、SX8000(青色ベースに関して)のほうが、
まだ良く見えていた。

それが実際に自分で自分の部屋で、SMEの3012-Rとの組合せで使ってみると、
RX5000の色合い、脚部、アームベース取付用の四隅の円柱の仕上げが好ましく感じられる。

マイクロは、この糸ドライヴシステムが思いの外ヒットしたことで、
RX1500シリーズも出す。

RX5000が出た時に、ローコスト版のRX3000 + RY3300もあった。
そう悪くはなかったはずなのに、こちらはあまり話題にならなかった、と記憶している。

RX1500はRX3000の後継機であり、外観的にもRX5000のジュニアモデルともいえる。

RX1500は細部にデザイナーの手がはいっている。
そんな感じを強く受ける。
RX5000は社内での実験機をそのまま製品化したという感じを残しているモデルであり、
SX8000、RX1500と、少しずつ製品として仕上げられている、ともいえるのだが、
それが結果として好ましいかどうかは──、
すくなくとも私にとってはあまりいい方向には進んでいないように感じていた。

マイクロのアナログプレーヤーの専業メーカーといっていい会社である。
数多くのプレーヤーに関係する製品を開発してきている。
けれどプレーヤーシステムということに関して、
素晴らしい、と素直に思える製品を出していない、アナログプレーヤーの専業メーカーでもある。

RX5000以降の糸ドライヴ(途中からベルトドライヴになる)によって、
音に関しては高い評価を得るようになったマイクロだが、
プレーヤーシステムづくりのまずさはひきずったままで、
そのことが盛大にでてしまったモデルが、SZ1だと私はみている。

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(訂正)

11月27日に公開した「ラジカセのデザイン!」(続×六・余談)で、
デュアルのターンテーブルの直径と型番の関係について書いている。

四桁の数字の最初の二桁がターンテーブルの直径をインチで表している、と。
だから1019は10インチ(27cm)で、1219、1249は12インチになっている。
これに関しては間違っていないけれど、
デュアルのプレーヤーには12系に1218、1228などがあり、
これらは10インチのターンテーブル・サイズになっている、というご指摘をさきほどいただいた。

なので10系に関してはすべてのモデルが10インチ・サイズであるが、
12系には12インチ・サイズと10インチ・サイズがある。

指摘してくださったのは、渡邊芳之さん。
無線と実験にて、「直して使う古いオーディオ機器」というタイトルの連載を執筆されている。

「直して使う古いオーディオ機器」は毎号掲載されているわけではないが、
読むのを楽しみにしている。

製造中止になってしまっているオーディオ機器を直すことを、
面倒なこととは思われず楽しまれているからこそ、読んでいてこちらも楽しいのだと思う。

デュアルのプレーヤーのメンテナンスに関する渡邊芳之さんの記事は、
もう少し無線と実験で続くはずである。

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明

「オーディオ彷徨」(ジャズ・アルバム一覧)

岩崎先生の遺稿集「オーディオ彷徨」に登場するジャズ・アルバムをまとめたもの。
私もつくろうかな、と思っていたところに、ある方が先に作られて提供してくださった。
Amazonへのリンク、コメントも、その方によるもの。

~仄かに輝く思い出の一瞬 -我が内なるレディ・ディに捧ぐ~
ビリー・ホリディ「レディ・ディ・ザ・コンプリート・オン・コロムビア 1933-1944」
http://www.amazon.co.jp/dp/B0029XIWCY

~あの時、ロリンズは神だったのかもしれない~
ソニー・ロリンズ「サキソフォン・コロッサス」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000YG5

~変貌しつつあるジャズ~
※変貌以前として
アート・ブレーキー「カフェ・ボヘミアVol.1」&「同Vol.2」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005MIZA
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005MIZB

※変貌しつつあるものとして
マイルス・デイヴィス「アット・フィルモア」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000AO8CDS

ドン・エリス「アット・フィルモア」
http://www.amazon.co.jp/dp/B0009RQRLU

ウェイン・ショーター「スーパー・ノヴァ」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001J231FE

ハービー・ハンコック「プリズナー」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00004YTWJ

トニー・ウィリアムズ・ライフタイム「エマージェンシー!」
※文中に具体的なアルバム名は書かれていないが、書かれている内容から本作と思われる。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000047GA

※変貌以前に少し戻って
チャーリー・ミンガス「クインテット」
※文中に具体的なアルバム名が無いが書かれている内容から
「My Favourite Quintet」の可能性が一番高いと思われる。
当該作は未CD化だがLP盤で輸入・日本盤ともに安価で中古購入可能。
http://t2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRwUYSBxUW3t0RsmZKxoqFqER3uC_6w2brzf5gI_JKRxBJMH9g1
http://t0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcROy11xsJ1N4KiIzM48etR3jwfCFvsVBqQi-168orVQPdIDMvXX
(上記のどちらのジャケットのLPでも同じ内容。)

オクテット編成になっているが下記のCDはほぼ同時期の録音。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000HIVQI0/

~カーラ・ブレイの虚栄 マントラー~
マイケル・マントラー他「コミュニケーションズ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000024D19
※前項の~変貌しつつあるジャズ~に出てきたセシル・テイラー「ジャズ・コンポーザース・オーケストラ」とはこのアルバムの事。

~新たなるジャズ・サウンドの誕生~
ケニー・ドリュー・トリオ「ダーク・ビューティ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000027UP5

デューク・ジョーダン「フライト・トゥ・デンマーク」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000027UPE
※上記2点はデンマーク・スティープル・チェイスの作品。

カウント・ベイシー「ベイシー・ジャム」
※パブロレーベルからはベイシーのジャムセッションが多く出されているが
具体的なアルバム名が示されていないが、文章の書かれた時期、作品の出来や知名度などから推察して下記アルバム。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000XIW

ジョー・パス「ヴァーチュオーゾ」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0038M61JQ
※パブロのカウントベイシーと同じ理由で本アルバム。

~私のオーディオ考~
ビリー・ホリディ「二組の三枚揃」は冒頭の「レディ・デイ」のCDセットと重複するので割愛。

チャーリー・クリスチャン「ジーニアス・オブ・ザ・エレクトリック・ギター」
「CBSのダブル・ジャケット」のCD化は、おそらくこれのはず。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000026C8

ビックス・バイダーベック「(コロムビアの)三枚組」はこれ。LPでは分売もされていた。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000056EV0

フレッチャー・ヘンダーソン(のコロムビアのLPをまとめた三枚組)をCD化したもの。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0056BMV6E

ルイ・アームストロング「ホット5」&「ホット7」文中では「ルイの Vol. 1~4」とも書かれてもいる。
コンプリートボックス盤
http://www.amazon.co.jp/dp/B00004WK37

上記からの抜粋ベスト盤
http://www.amazon.co.jp/dp/B000068ZR2
ベニー・グッドマン「CL-501」は
現在、一部の曲を除いて下記の2枚のCDで下記2枚で8割方は聴ける(はず)。

ベニー・グッドマン「プレイス・エディ・ソウター」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000001MDH

ベニー・グッドマン「プレイズ・メル・パウエル」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000001MDJ
※ベニーグッドマンは他にも複数のCDに散らばって収録されている様子。

~私とJBLの物語~
ボブ・スコービーとフリスコ・ジャズ・バンド
グッドタイム・ジャズ・レーベルから出ていた2枚のLPは共にCD化されている。

ボブ・スコービー「ボブ・スコービーズ・フリスコ・バンド」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000XOW

ボブ・スコービー「スコービー&クランシー」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000XP0

ファイアハウス・プラス・ツー「ディキシー・ランド・フェイバリッツ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000XGY

~オーディオ歴の根底をなす二十六年前のアルテックとの出会い~
キッド・オリー「アルバム不明」
ヴィック・ディッケンソン「ショーケース」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000ECF

~タイムマシンに乗ってコルトレーンのラブ・シュープリームを聴いたら複葉機が飛んでいた~
ジョン・コルトレーン「至上の愛」
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000A118M

~暗闇の中で蒼白く輝くガラス球~
レッド・ガーランド「グルーヴィー」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000000Y3T

~ぶつけられたルージュの傷~
※具体的なアルバム名は無いが、この文章が書かれた時期や、当時ジャズ喫茶でよくかかっていたらしいという点、緻密なー、という表現からの推測。
キース・ジャレット「ケルン・コンサート」(他に二枚ほど迷った。)
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000262WI

~雪幻話~
オーネット・コールマン「アット・ゴールデン・サークル」
※朝沼予史宏氏のフェイバリット・アルバムでもあった一枚。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005UMTT

キース・ジャケット「フェイシング・ユー」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00008KKV0

~のろのろと伸ばした指先がアンプのスイッチに触れたとき~
エリック・ドルフィー「アット・ザ・ファイヴ・スポットVOL.1」
「ファイアー・ワルツ」収録はこのVOL.1。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000NO28N0

~二十年前僕はやたらゆっくり廻るレコードを見つめていた~
エルモ・ホープ・トリオ「イントロデューシング」
http://www.amazon.co.jp/dp/B002SVPN24
※ジャケットの色がすり減って色褪せていた~とあるので、色付きのジャケットだったファーストアルバムではないかと思う。
(セカンドアルバムはモノクロのジャケット)

~不意に彼女は唄をやめてじっと僕を見つめていた~
ヘレン・メリル「ウィズ・クリフォード・ブラウン」
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000046ND

~トニー・ベネットが大好きなあいつは重たい真空管アンプを古机の上に置いた~
レフト・アローン「マル・ウォルドロン」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005EQB9

ナット・キング・コール「アフター・ミッドナイト」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00000K45T

http://www.amazon.co.jp/dp/B000M2E8SG

トニー・ベネット&カウント・ベイシー「イン・パーソン」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000024HGK
※何枚か共演盤があるが岩崎さんはきっとCBSコロムビアのこれではないかと。
http://www.amazon.co.jp/dp/B006YTLP1Y (対となるもう一枚の共演盤とのカップリング盤)

~音楽に対峙する一瞬 その四次元的感覚~
ジョン・コルトレーン「クル・セ・ママ」
http://www.amazon.co.jp/dp/B001NHZ2QQ

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その10)

マイクロのRX5000とSMEの3012-Rの組合せは、
私にとって、プレーヤーシステムのデザインについて見つめ直すいいきっかけとなった。

RX5000は音の面で評判になっていた。
瀬川先生はRX5000を二台用意して二連ドライヴも試されている。
私は、この二連ドライヴの音は聴いたことがないが、いいんだろうな、とは想像できる。
けれど音のことだけでなく、プレーヤーシステムとしてのデザインを求めていくと、
二連ドライヴは大袈裟すぎて、RX5000の視覚的メリットを損なうことにもなる。

割と気に入っていたRX5000だが、欠点がないわけではない。
調整が面倒なのは、私はそれほどの欠点とは思っていないけれど、
RX5000の欠点は、耐久性にある。

砲金製のターンテーブルプラッターの重量は16kg。
軸受けが長期間の使用には耐えられない。
それに軸受けから、直接耳に聴こえるわけではないのだが、ノイズが発生していることもわかっていた。

だからマイクロは空気の力を借りてターンテーブルプラッターを浮上させ、
軸受けへの負担をなくしたSX8000を開発している。

SX80000の基本的な形はRX5000と同じだが、
ターンテーブルプラッターの材質がステンレスに変更され、
ベースの色も黒からブルーになっている。
黒も用意されてはいたのだが、私は目にしたSX8000はすべて青だったため、
SX8000イコール青の印象が強い。

それから脚部の仕上げ、トーンアームーベースを取り付ける四隅の円柱の仕上げも、
RX5000とSX8000では異る。
SX8000ではターンテーブルプラッターと同じ仕上げで、ステンレス特有のてかりがある。

機構面での変更は大きいものの、見た目の変更はわずかこれだけにもかかわらず、
ターンテーブルを縁の下の力持ちとして位置において、
RX5000とSX8000のそれぞれの位置は違ってきていると感じる。

RX5000の石臼的な存在感が影をひそめ、
ターンテーブル自体がアナログ再生の主役である、ということを、自己主張しはじめてきた。

Date: 12月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏とスピーカーのこと

瀬川先生がいまも生きておられたら、スピーカーは何を使われていたのかについて、
別項「瀬川冬樹氏とスピーカーのこと」で書いているところである。

このことを考えていく上で、実はとても重要なことが、
岩崎先生がいまも生きておられたら──、ということである。

岩崎先生は1977年に亡くなられる数年前から、
JBLのパラゴンをはじめ、エレクトロボイスのパトリシアン、JBLのハーツフィールドなど、
モノーラル時代のアメリカの大型スピーカーシステムを導入されている。

そういう岩崎先生は、いま何を鳴らされているのだろうか。
このことを考えてみることも、瀬川先生が何を鳴らされたであろうかに大きく関係してくる気がする。

すこし前にも瀬川先生と岩崎先生はライバル同士だった、と書いた。
岩崎先生自身、瀬川先生をもっとも手強いライバルであり、オーディオの良き仲間として意識されていた。

岩崎千明と瀬川冬樹──、
このふたりは鳴らされる音量、聴かれる音楽、鳴らされていたスピーカーは対照的でありながら、
実に多くの共通点も見出せる。

ふたりの残された文章を丹念に読んでいくと、
多くのことが共通していることに気づき、驚く。

だから1977年3月24日以降も、1981年11月7日以降も、
岩崎先生と瀬川先生が生きておられたなら、どこかでクロスオーバーするポイントがきっとある、と思う。

それを見落していては、瀬川先生のスピーカーがどう変遷していったのか、について書くことはできない。

今日12月2日は、岩崎先生の84回目の誕生日である。

Date: 12月 1st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その9)

LPは、一部例外的にピンク、白などのディスクもあったけれど、
黒、それも艶のある黒のディスクである。

そのディスクをカートリッジがトレースするわけだが、
トレースしていくためにはトーンアームが必要であり、
レコード、カートリッジ、トーンアーム、
この三つが、アナログディスク再生では動きを表している。

ターンテーブルプラッターももちろん回転しているわけだが、
精度が高く静かに回転しているターンテーブルほど、
それは静止しているようにも見える。

レコードには溝が刻んであるし、中心はレーベルがあり、
どんなにターンテーブルプラッターがわずかなブレもなく静かに回転していても、
レコードが回転していることは、すぐに判別できる。

カートリッジはレコードの外周から内側に向けて、これもまた静かに移動していく。
その移動もトーンアームが弧を描きながら支えている。

レコードに反りがあれば、カートリッジ、トーンアームの動きに上下方向が加わる。
ふわっ、とほんのすこし上昇したかと思えば、すぐにさがり静かに、何事もなかったかようにトレースを続けていく。

こういう場面を頭のなかで描いてみてほしい。
そのときのターンテーブルは、意外にも、というか、当然というか、
マイクロのRX5000と同じような姿をしているのではなかろうか。

RX5000は、ターンテーブルプラッターは砲金製で金色、厚みもけっこうある。
このターンテーブルプラッターを支えるベースは必要最少限の大きさの正方形で、
四隅をカットしている。色は黒。

RX5000の外形寸法はW31.2×H13.2×D31.2cmで、
LPのジャケットサイズとほぼ等しい。

プレーヤーを明るく照らすのではなく、ほのかに照らしたような使い方だと、
ベースの部分は影に埋もれていく。
本金の金色もギラつくわけではない。
視覚的にはレコード、カートリッジ、トーンアームだけが浮び上ってくる。

ターンテーブルのRX5000は、文字通りの縁の下の力持ち的存在でいることを、
自分で使ってみてはじめて知ることとなった。
SMEの3012-Rの優美さを際立たせてくれた。