Date: 12月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明
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岩崎千明氏とスピーカーのこと

瀬川先生がいまも生きておられたら、スピーカーは何を使われていたのかについて、
別項「瀬川冬樹氏とスピーカーのこと」で書いているところである。

このことを考えていく上で、実はとても重要なことが、
岩崎先生がいまも生きておられたら──、ということである。

岩崎先生は1977年に亡くなられる数年前から、
JBLのパラゴンをはじめ、エレクトロボイスのパトリシアン、JBLのハーツフィールドなど、
モノーラル時代のアメリカの大型スピーカーシステムを導入されている。

そういう岩崎先生は、いま何を鳴らされているのだろうか。
このことを考えてみることも、瀬川先生が何を鳴らされたであろうかに大きく関係してくる気がする。

すこし前にも瀬川先生と岩崎先生はライバル同士だった、と書いた。
岩崎先生自身、瀬川先生をもっとも手強いライバルであり、オーディオの良き仲間として意識されていた。

岩崎千明と瀬川冬樹──、
このふたりは鳴らされる音量、聴かれる音楽、鳴らされていたスピーカーは対照的でありながら、
実に多くの共通点も見出せる。

ふたりの残された文章を丹念に読んでいくと、
多くのことが共通していることに気づき、驚く。

だから1977年3月24日以降も、1981年11月7日以降も、
岩崎先生と瀬川先生が生きておられたなら、どこかでクロスオーバーするポイントがきっとある、と思う。

それを見落していては、瀬川先生のスピーカーがどう変遷していったのか、について書くことはできない。

今日12月2日は、岩崎先生の84回目の誕生日である。

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