私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その13)
この項のタイトルにはあえて「私にとって」とつけている。
今年でCDが誕生して30年、
そのあいだにDVD-Audioも出てきて、SACDも登場してきた。
デジタルといっても、30年前はPCMのみだったのが、いまではDSDもある。
そしてCDはそろそろ消えていきそうな気配をただよわせている。
デジタルのメリットを活かした供給方法は、
インターネットによるオンラインであることは間違いないだろう。
30年前、身の廻りにあるものデジタルといえば、CDぐらいだった。
それがいまや電話もカメラもテレビも、いたるところにデジタルが、いまやふつうのものとして存在している。
そういう時代に、アナログディスクを再生することは、どういうことなのか、
と特に考えているわけではない。
ただ好きなように、アナログディスクだけは再生してみたい、という気持がつよい。
人さまからどういわれようと、やりたいことをやれる範囲内で好き勝手にやって楽しみたい、
そう思わせる時代になってきていると、私は感じている。
だからいままで言わなかったこと、書かなかったことも、
ことアナログディスク再生については、書いていこうと思っている。
昨晩書いたように、私はマイクロのSZ1をまったく認めていない。
もっと書けば、このターンテーブルを絶賛する人は、
その人が一アマチュアであればなにもいわないけれど、
オーディオを仕事としている人(オーディオ評論家と名乗っている人)が、
SZ1をマイクロの最高傑作だとか、
マイクロのフラッグシップモデルとしてふさわしい内容と音をもつとか、
そんなことを言ったり書いたりしていたら、私はその人の感性を、
その人の発言をまったく信用しない。
私は、そのぐらい、LPをSZ1で聴きたいとは思っていない。