Date: 2月 25th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(50という区切りをこえて・その2)

私がステレオサウンドに入った年(1982年)は、
井上先生はすでに50になられていたし、菅野先生、長島先生、山中先生は49、9月に50になられる年であった。

いま、私がその歳になった。
だから、よけいにおもうわけだ。

Date: 2月 24th, 2013
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その10)

facebookはアカウントをつくる以外にも、グループやページと呼ばれる機能を使うことができる。
facebookで、私が利用しているのはもっぱら、このページとグループの機能である。

グループ機能をつかって”audio sharing“という非公開のグループをつくっている。
これに関してはfacebookのアカウントが必要となるが、
ページ機能をつかっている「オーディオ彷徨」というページをつくっている。

タイトルからわかるように岩崎先生のページである。
前にも書いているように、ここでは岩崎先生の写真も公開している。
今日もいくつか公開した。
ここでの公開はtwitterと連動するようにしているので、
「オーディオ彷徨」への書込みの一部は、twitterにツイートされる。
facebookのアカウントを持っていない方も、それを見てアクセスされる。

今日公開した岩崎先生の写真のなかに、アキュフェーズのパワーアンプM60を試聴中のものがあった。
小さな写真だ。

この写真を公開したという私のツイートをリツイートしてくれたのが、
無線と実験に「直して使う古いオーディオ」を書かれている心理学者の渡邊芳之さん。
そしてつづけて、
「オーディオ機器もオーディオ機器を眺める人も今はこんなに活き活きとした表情をしていないように見えちゃうんだ。」
とツイートされている。

私もそうおもっている。
これも「なくなったもの」といえよう。

Date: 2月 23rd, 2013
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その2)

ステレオサウンドを読み始めたばかりのころ、
つまりまだGASのアンプもマークレビンソンのアンプも、実際に音を聴く前のころ、
ステレオサウンドの記事をくり返し読みながら、その音を想像していたわけだが、
ボンジョルノのGASのアンプは、いわゆる男性的、
レヴィンソンのマークレビンソンのアンプは、反対に女性的なところを、
その音の性格にもっている──、そんなふうに受けとめてもいた。

そしてスピーカーのブランドにたとえるなら、
GASはアルテック、マークレビンソンはJBL、
そうたとえることができそうな感じも受けていた。

1977年にステレオサウンド別冊として「世界のオーディオ」のALTEC号が出た。
その巻頭に、山中先生が「アルテック論 特徴あるアルテック・サウンドと、その背景への考察」を書かれていて、
その中に、こうある。
     *
一つの興味深い例として、アルテックの非常によく似た構造のプレッシャー・ユニットを使うJBLのスピーカーシステムと比べた場合、JBLがどちらかといえばシャープで切れ込み本位の、また言葉をかえれば、各ユニットを強力に束縛して自由を抑えた設計をとっているのに対し、アルテックは同じようなユニットを自由に余裕をもって働かせている印象が強い。
これが実は、アルテック・サウンドを分析する場合の重要なファクターで、独特のあたたかみ、そして一種の開放感を生むもととなっている。
     *
ここに出てくるアルテックをGASに、JBLをマークレビンソンにおきかえてみる。
この、山中先生の文章を読んだことも、
私のなかでのGAS≒アルテック、マークレビンソン≒JBLへとつながっていく。

Date: 2月 23rd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その17)

ステレオサウンド 66号は1983年に、
“State of the Art”賞がはじまった49号は1978年に出ていて、
その間は5年あるわけで、これだけの期間があっても、”State of the Art”賞について、
岡先生にたずねる読者とはいったいどういう人なのだろうか。

ステレオサウンドのState of the Artの選考委員のオーディオ評論家の方たちは、
オーディオフェア、販売店などで試聴会、講演などをやられる。
そこで読者から質問されることもある。

けれど、1983年ごろ、その数年前ぐらいから、
岡先生はほかの方々よりは、そういうことをあまりやられていなかったと記憶している。
この記憶に間違いなければ、岡先生に「あの賞の意味はどういうことですか」とたずねる人というのは、
オーディオ業界の人なのではないか、
と私は、ステレオサウンド 66号の岡先生の文章を読みながらおもっていた。

オーディオ業界の人すべてがステレオサウンドを熱心に読んでいるとは、私にはおもえない。
ひとりのオーディオマニアとして、熱心な読者の人もいれば、
あくまでも仕事としての読者の人もいるし、そういう意識の人の中には、
自分のところの製品のところだけ、もしくはライバル機種のところだけを読む人もいる。
なかには、ほとんど読んでいない人もいたのではなかろうか。

ステレオサウンドを読んでいるのかどうかを直接きいたわけではない。
けれど話してみれば、読んでくれている人かそうでないかはわかってくる。

おそらく岡先生に「あの賞の意味はどういうことですか」」ときいてきた人たちは、
ステレオサウンドをほとんど読んでいなかった人、
読んでいたとしても、肝心の「ステート・オブ・ジ・アート賞の選考にあたって」を読まずに、
自分が所属している会社が取り扱っている製品が賞に選ばれているかどうかにしか関心のがない、
──そういう人であれば、5年経とうが10年経とうが「あの賞の意味はどういうことですか」ときくのだとおもう。

こういう人たちはオーディオ業界の人にばかりいるのではない。
オーディオ業界とは関係のない読者の中にも、賞の意味よりも自分の使っている製品が選ばれているかどうか、
それにしか関心のない人もいる。

Date: 2月 22nd, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その16)

“State of the Art”賞の第三回にあたるステレオサウンド 58号には、
各選考委員による「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」はない。
岡先生の「The State Of The Art賞の選考について」が載っている。

49号と53号に載っている「ステート・オブ・ジ・アート賞の選考にあたって」と
岡先生による49号と58号の文章、
それに49号、53号、58号、番外としての製造中止になったオーディオ機器を対象とした50号、
それぞれに選ばれたオーディオ機器を見ていれば、
それに選ばれたすべての製品について見ていくよりも、
ふだんから書かれているものを読んで、あの人の書くものだったら信じられる、という選考委員だけに絞って、
その人が、賞に選ばれた製品について書かれている文章を読んでいけば、
“State of the Art”への理解は自然とできあがってくるものである。

ステレオサウンドの誌面には、どの選考委員がどのオーディオ機器に投票したかはわからないようになっている。
けれどステレオサウンドを熱心に読んでいれば、おおよその想像はつく。

ただ賞に選ばれたオーディオ機器について書かれたものだけを読んでいては、
いつまでたってもオーディオにおける”State of the Art”について、まったくわからぬままになるのではないか。
だから、岡先生がステレオサウンド 66号に「あの賞の意味はどういうことですか」という質問を受け、
いろいろと説明しなければならなかった体験をいまだに重ねている、と書かざるをえないことになってしまう。

私は”State of the Art”から”Components of the year”へと賞の名称が変っていったのは、
ひとつには読者側に、その理由がある、と思っている。

しかも重要なのは、岡先生に「あの賞の意味はどういことですか」という質問をした読者は、
どういう人なのか、ということにある。

Date: 2月 21st, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(50という区切りをこえて・その1)

誕生日をむかえ歳をとるということは、
自分より年上の人たちが少なくなっていくことでもあり、
自分より年下の人たちが多くなっていくということでもある。

ステレオサウンドにはいったとき、ぎりぎり18だった。
だから、ずっと少年と呼ばれていた。
私より年下の人はいなかった。
みなさん年上の方ばかりだった。

井上先生は1931年、菅野先生、長島先生、山中先生は1932年生れ、
1934年生れの父をもつ私にとって、オーディオ評論家の方の多くは、父とほぼ同世代ということになる。
それだけ私よりも、長い時間を経験してこられている。

試聴のあいまやご自宅に伺ったときにきける話は、だからこそ聞き逃せないものだった。
オーディオ評論という仕事をされているから、
経験されてきたこと、オーディオの歴史を正しく認識されている。
そうもいえるし、正しく認識されているからこそオーディオ評論という仕事が可能なのだともいえよう。

どちらかといえば若く見られることの多い私でも、すでに少年と呼ばれる年代ではなくなったし、
青年でもなくなっている。
ステレオサウンドにいたころは、私より若いオーディオマニアと話すことはなかったのに、
いまでは私より若いオーディオマニアと話すことも増えてきている。

Date: 2月 21st, 2013
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その1)

私がステレオサウンドを読み始めたとき、
すでにジェームズ・ボンジョルノとマーク・レヴィンソンは、アンプに関して才能ある人として知られていた。
このころまではレヴィンソンもアンプ・エンジニアとして日本には紹介されていた。

他にも才能あるアンプ・エンジニアは何人もいた。
でも知名度の高さでは、このふたりが飛び抜けていたように、当時の私は感じていたし、
いま振り返ってみても、
ボンジョルノとレヴィンソン、このふたりのネームヴァリューに匹敵する人となるとジョン・カールくらいである。
とはいうものの、やはりボンジョルノとレヴィンソンはダントツだった。

ボンジョルノとレヴィンソンについて書いていこうと思っているわけだが、
レヴィンソンはアンプ・エンジニアではなかったことは、のちのちはっきりした。
それでも1970年代、マーク・レヴィンソンの存在は大きかった。

オーディオ界においてもそうだったし、私にとっても大きな存在だった。
そして私にとって、その大きな存在であるマークレビンソンのアンプといえば、
JC2、LNP2、ML2であり、これらのアンプのエンジニアはジョン・カールであり、
だからといってジョン・カールひとりでは、これらのアンプが、ここまで魅力的にはならなかったとも考えている。

音質的、性能的には同レベルのアンプをジョン・カールひとりでつくれても、
そのアンプがJC2、LNP2、ML2のようなアンプに仕上ったとは、私には思えない。

だからJC2、LNP2、ML2はジョン・カールとマーク・レヴィンソンとの協同作と受けとめている。
そして私にとって、いまも心惹かれるマークレビンソン・ブランドのアンプは、
この時代のアンプであるから、
「ボンジョルノとレヴィンソン」とはしているものの、
正確には「ボンジョルノとレヴィンソン(+ジョン・カール)」ということになる。

Date: 2月 20th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その8)

ステレオサウンド 38号といえば、古くからの読者にとっては、
すぐに特集記事がなんであったのかすぐに浮ぶ人が多い、
いわば少し特別な号なのかもしれない。

私の手もとにも、一冊のステレオサウンド 38号がある。
私が買った38号ではない。
私が買った38号は、ずいぶん前に欲しいという人に、
他のバックナンバーもふくめて譲っている。

いま私のところにある38号は、岩崎先生が読まれていた38号である。
この38号を含めて、10年前に岩崎先生のご家族の方から譲っていただいた。
数冊あったステレオサウンドの中で、38号だけがくたびれていた。
つまり他の号より、何度も読み返されたことによる、本のくたびれ方だった。

その38号を手にとって、岩崎先生も、38号をくり返し読まれていたことを確信、実感していた。

38号の特集は「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」である。
黒田先生が井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹、長島達夫、柳沢功力、山中敬三、
8氏のリスニングルームを訪問されての記事である。

当然、誌面にはそれぞれの方のリスニングルームの写真が見開き・カラーで載っている。
ほとんどの方のリスニングルームにオープンリールデッキがある。
オープンリールデッキが写っていないのは、岩崎先生と井上先生のふたりだけ。

瀬川先生のところにはアンペックスのAG440B-2が、
JBL・4341、KEF・LS5/1Aの二組のスピーカーシステムのあいだに鎮座している。
菅野先生のところにはスカリーの280B-2、上杉先生のところにはスチューダーのB62、
山中先生のところにはアンペックスModel 300とルボックスのG36、
長島先生のところにはルボックスHS77、柳沢氏のところにもHS77がある。

Date: 2月 20th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その7)

私はカセットデッキには夢中にはなれなかった。
いまはあまり聞かなくなったけれど、以前は、サラ派、ヒモ派という、
オーディオマニアをいわば分類するような言葉があった。

サラ(皿)派はディスクをメインのプログラムソースとする人たち、
ヒモ(紐)派はテープをメインのプログラムソースとする人たちのことであって、
ここでいうヒモはカセットデッキ・テープのことではなく、オープンリールテープ・デッキのことを指している。

1970年代のステレオサウンドに載っている広告の中には、
オープンリールテープのミュージックテープの広告もあった。
2トラック38cmのミュージックテープともなると、1本1万円を超える価格だったりした。

私はあきらかにサラ派だったが、それでもオープンリールテープ・デッキには、
カセットテープ・デッキとは比較にならぬほど強い関心があった。

中学生・高校生のころ、いつかはEMTの930st、927Dstと夢見ていたわけだが、
オープンリールデッキに対しても同じで、いつかはスチューダーのA80とか、
そこまで大型のコンソール型でなくてもスチューダーのB67、ルボックスのB77、PR99など、
欲しいと夢見ていたモノはいくつか、こうやってすぐにあげられる。

もし、これらのどれかを買ったとして、いったい何を録音するんだろうと自問したくもなる。
ミュージックテープを買ってきて再生するだけでは、テープデッキの機能の半分しか使っていないことになる。
ならば再生専用のデッキをどこか作ってくれないだろうか、とも考えたこともある。

でもテープデッキは、やはり録音して、再生する器械である。
そういう器械を、ただ再生するためだけで使うのは、宝の持ち腐れという気がしないでもない。

Date: 2月 19th, 2013
Cate: prototype

prototype(その2)

オーディオフェア、オーディオショウで発表された新製品は、
遅かれ早かれ市場に出てくる。オーディオ雑誌の新製品の紹介のページでも取り上げられる。
だから数ヵ月まてば、よりくわしいことを知ることができる。

その意味では、オーディオフェア、オーディオショウに足を運んでいるのであれば、
新製品をいち早くみて聴くことができるのは楽しみであるけれど、
会場に行けない人にとっては、オーディオ雑誌にフェアやショウの記事が載るころには、
新製品の多くは同じ号、もしくは次号あたりで新製品として取り上げられているのだから、
行けない者(つまり私)の興味は、
オーディオフェアでしかお目にかかれない参考出品という名のプロトタイプにあった。

このプロトタイプは多くの場合、製品化されていない。
もちろんprototypeには試作品、原型という意味があるから、
製品の試作品としてのプロトタイプもあるわけだが、私が強い関心をよせるのはそういうプロトタイプではなく、
原器としてのプロトタイプであったり、実験用としてのプロトタイプであったりする。

この手のプロトタイプで一般的に知られるのは、トーレンスのReferenceである。
Referenceはトーレンスが、実験用・研究用として開発した、製品化のことを考慮していないモノを、
あくまでも参考出品として西ドイツでのデュッセルドルフ・オーディオフェアに展示。

売るつもりなどまったくなかったモノに、多くのディーラー、オーディオマニアが注目し、問合せが殺到し、
製品として世に出ることになったことは、瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれている通りである。

このトーレンスのReferenceに相当するモノが、
日本のオーディオメーカーから毎年のようにオーディオフェアには参考出品されていた。
いまはオーディオ雑誌の、
オーディオフェアの記事に載った小さな写真でしか見ることのできないプロトタイプがいくつもあった。

Date: 2月 19th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その6)

カセットテープの半速録音・再生があるならば、とうぜんその逆の倍速仕様のデッキも、
ナカミチの680ZXと同時期に、マランツから登場していた。
SD6000である。

メタルテープもすでに登場していたので、メタルテープと倍速録音・再生は、
オープンリールテープの領域に迫ろうとするものであった、はず。
SD6000が登場した1979年は、私はまだ高校生。
聴く機会はなかった。
メタルテープでの倍速、どんな音がしていたのだろうか。

カセットテープの「枠」をこえようとしたエルカセットよりも、
安定感のある音を実現していたのだろうか。
SD6000の発表には、少しは関心をもっていたけれど、すぐに薄れてしまった。

SD6000の筐体はかなり厚みのあるものだった。
当時のLo-Dのカセットデッキと同じように、見た目の印象がお世辞にもスマートとはいえない出来だった。

私の感覚ではカセットデッキだから、もう少し薄くまとめてほしい。
カセットテープ、カセットデッキに入れ込んでいないだけに、音質、性能最優先という選択は私にはなかった。

ヤマハやテクニクスなどが倍速仕様のデッキを開発してくれていたら、
私のカセットデッキへの思い入れもすこしは変っていたかもしれない。
けれど、ナカミチの半速同様、この倍速も消えてしまった。

マランツの場合も理由はナカミチと同じであろう。
日本マランツがフィリップス・グループの一員となるのは翌年のこと。
だからこそ出すことのできた仕様でもある。

Date: 2月 18th, 2013
Cate: James Bongiorno, 訃報

James Bongiorno (1943 – 2013)

いましがたfacebookを見ていたら、ジェームズ・ボンジョルノ逝去、とあった。

人はいつか死ぬ。
ボンジョルノは一時期肝臓をひどくやられていたときいている。
しかもキャリアのながい人だから、いつの生れなのかは知らなかったけれど、
けっこうな歳なんだろうな、とは漠然と思っていた。

そういう人であったボンジョルノが、亡くなった。
人は死ぬ、ということは絶対なのだから、それが突然のことであっても、あまり驚くことはない。
そんな私でも、ボンジョルノの死は、ショックに近い。

ぽっかり穴が、またひとつあいたような感じを受けている。

私がステレオサウンドにいた時期、
ボンジョルノはリタイア状態だった。
だから会える機会はなかった。
もっとも会いたい人だった……。

Date: 2月 18th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その1)

「EMTの930stって、ほんとうに音のいいプレーヤーですか」
そんな声を、まったくきかないわけではない。

927Dstはデッキ部はアルミ鋳物製なのに対して、930stではベークライト系の合成樹脂、
アルミ製のターンテーブルプラッターの上にのる円盤も、
927Dstはガラスの正面にゴムを貼りつけたものなのに対し、
930stではプレクシグラスにフェルトを上面だけに貼ったもの。

「EMTの930stって、ほんとうに音のいいプレーヤーですか」と思っている人には、
まず、この部分が気になるらしい。

それから927Dstにもついているトーンアームのリフター機構。
この便利な機構は、EMTのプレーヤーを自分のモノとして愛用していた人ならば、
これが実に良く出来た機構であり、EMTのプレーヤーの魅力のひとつとなっていることは理解されていようが、
そうでない人にとっては、このリフター機構は、いわば雑共振の発生源というふうにみなされる。

このリフター機構に関係することなのだが、
EMTのトーンアームのパイプ部には軸受け近くに鉄板が外周1/4ほどではあるが貼りつけてある。
この鉄板がリフターの磁力にぴたりとくっつき、
トーンアームはリフターから簡単には離れないようになっている。
いわばロック機構である。

けれどトーンアームのパイプの中はケーブルが通っていて、
そのケーブルはカートリッジが発電した微小な信号のためにあるもの。
その周囲に鉄板という磁性体があるのは、それだけで音を濁してしまう──、ということになる。

こんなふうに書いていったら、他にもいくつも出てくる。
「EMTの930stって、ほんとうに音のいいプレーヤーですか」といっている人が気づいていないことも、
まだいくつも指摘しようと思えばできる。

そして、それらを理由として930stは音のいいプレーヤーとはいえない、
そう主張する人がいても、さほど不思議とは思わない。

そういう見方をしていった場合、930stは音のいいプレーヤーとは呼び難いのは事実といえば事実であろうが、
そういう見方ばかりがプレーヤーの見方ではない。
それらのことだけでプレーヤーの音が決っていくものでもない。

930stにはいくつもの欠点があるのは事実だ。
それでも、930stは音のいいプレーヤーであることは確かである。

Date: 2月 18th, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(続×七・音量のこと)

アメリカでは1941年にテレビ放送が始っている。
アメリカでのテレビの価格がどの程度だったのか知りはしないけれど、
やはりこの時代のモノとしては非常に高価だったであろうと思う。

テレビはその後急速に普及していくけれど、この時代、
各家庭に一台あったとは思えない。
それにテレビ放送の内容も、いまとはずいぶん違っていたであろう。
24時間放送ということもなかったはず。

ランシングが生きていた1949年までは、テレビはアメリカでもそういうモノだったとしたら、
家庭の静けさは、テレビがひとり一台といっていいぐらい普及している時代とではずいぶん違ってくる。

それから日本では多くのところでBGMが流れていることが多い。
1940年代のアメリカでは、どうだったのだろうか。
LPも登場していない、テープ録音器もまだない時代では、
長時間を音楽を流しっ放しにしておくのは面倒なことである。
街中でBGMが流れていることはなかったのではなかろうか。

こんなことを考えていると、ランシングが生きていたころには、
いまの時代のような騒々しさはなかったようにおもえてくる。

すくなくともスピーカーから出てくる音による騒々しさはなかったはず。

そういう時代において、SPを音源として音楽を聴くときに、
音量が大きかったとは想像しにくい。
D130であっても、意外にも控え目な音量で音楽を鳴らしていたのではないか──、
そうおもえてならない。

Date: 2月 17th, 2013
Cate: prototype

prototype(その1)

1970年代後半、まだ中学生、高校生で実家で暮していたとき、
オーディオ雑誌に載るオーディオフェアの記事は、ほんとうに楽しみにしていた。

オーディオフェアに行きたい、とそのころは思っていた。
もちろんオーディオフェアという会場が、音を真剣に聴くにはふさわしい場所ではないことは、
そのころの記事でも書かれていた。
それでも行きたかったのは、オーディオフェアでしか見ることのできないモノがあって、
その「モノ」がオーディオ雑誌で紹介されていると、
ますます「行きたい」という気持は強くなっていっていた。

若い世代の方は驚かれるかもしれないが、
そのころステレオサウンドの別冊として、まるまる一冊オーディオフェアのムックが、
2年続けて出ていたこともある。

定期刊行物のオーディオ雑誌ではページ数がとれないから写真も小さく解説も少なくなるけれど、
別冊というかたちになるとそんな不満はなくなる。
こういう企画は地方に住んでいて、東京になかなか出ていく機会のない(すくない)読者にとっては、
東京、もしくは近郊に住んでいて電車にのればオーディオフェアに行ける人には、
なかなか理解されないであろう、うれしいものであった。

現在開催されているオーディオ関係のフェア、ショウしか知らない世代にとっては、
当時のオーディオフェアの規模はなかなか想像しにくいのではなかろうか。

東京でのインターナショナルオーディオショウ、大阪でのハイエンドオーディオショウ、
2つのショウをあわせても、1冊すべてショウ関係の別冊を出すことは、難しい。