老いとオーディオ(音がわかるということ・その6)
丸山健二氏の「新・作庭記」(文藝春秋刊)からの一節だ。
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ひとたび真の文化や芸術から離れてしまった心は、虚栄の空間を果てしなくさまようことになり、結実の方向へ突き進むことはけっしてなく、常にそれらしい雰囲気のみで集結し、作品に接する者たちの汚れきった魂を優しさを装って肯定してくれるという、その場限りの癒しの効果はあっても、明日を力強く、前向きに、おのれの力を頼みにして生きようと決意させてくれるために腐った性根をきれいに浄化し、本物のエネルギーを注入してくれるということは絶対にないのだ。
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「その場限りの癒しの効果」を浄化という人がいるのではないだろうか。
「その場限りの癒しの効果」でしかない音を、よい音という人がいるのではないだろうか。
人は「優しさを装って肯定してくれる」何かに肯定されたいのだろうか。