Archive for 9月, 2021

Date: 9月 14th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その21)

ラジオ技術の1977年7月号の石田春夫氏の記事のおわりに、
Independenceの製作にあたっての試聴に使った器材が記されている。

パワーアンプは、EL156パラレルプッシプルアンプ(1977年3月号掲載)、
スピーカーはJBLの4320、パラゴン、アルテックのA7、
それにマグネパンとある。

比較コントロールアンプも挙げられている。
ここがいちばん興味深い。

マランツのModel 7とオーディオリサーチのSP3A、そしてGASのThaedra。
Thaedraが入っている、と思った。
Model 7とSP3Aは管球式、Independenceも管球式だから、
この二機種が比較機種としてあるのは、誰もが納得するところだろう。

Thaedraはソリッドステート。ブランドの歴史も浅い。
ソリッドステートのコントロールアンプとの比較もわかる。

このころソリッドステートのコントロールアンプは、というよりも、
ほとんどの市販されているコントロールアンプはソリッドステートだった。

そのなかでのThaedraである。

なぜThaedraだったのか。
石田氏が所有されていたモノなのか、
それとも周りのオーディオ仲間の誰かが所有していたモノだったか、
そのへんのところははっきりとしない。

少なくとも、どうでもいいと思っているコントロールアンプを、
比較機種として選ぶことはしないだろう。

数あるソリッドステートのコントロールアンプのなかでThaedra。
そういう人がIndependenceをつくったのか、ということが、
ラジオ技術の記事を読んで、もっとも印象に残っている。

Date: 9月 13th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その9)

2018年6月に、青山ブックセンターの六本木店が閉店した。
六本木にあった青山ブックセンターは、
AXIS、WAVEのとともに、六本木を象徴する存在のようでもあった。

それでも以前書いているように、
閉店の一年ほど前に、青山ブックセンターに行っている。
なんとなくなのだが、店内が薄暗く感じられた。

照明を落としているわけでもないのだろうが、そう感じた。
それに人が少ない、とも感じた。
店内に活気がなかった。

寂れてしまった感じだった。
そんなことがあったから、
青山ブックセンターの六本木店閉店のニュースには、強い驚きは感じなかった。
やっはり閉店なのか……、そんな感じかただった。

活気が失われていく店舗には、人は集まらなくなっていく。
はっきりと感じなくても、なんとなくでもそんなふうに感じたら、足が遠のきがちになる。

タワーレコードの新宿店は規模は縮小するけれど、閉店するわけではない。
けれど、いつかは閉店ということになるかもしれない。

渋谷店が閉店することは考えにくいが、新宿店はそうとはいえないだろう。

渋谷のタワーレコードよりも、新宿のタワーレコードを利用した回数はかなり多い。
六本木のWAVEよりも、多い。

便利な店だった。
でもワクワクすることがあったのかというと、それほどでもなかった。

六本木のWAVEに感じていたワクワクは、タワーレコードには感じられなかった。
だからといって、いま六本木のWAVEが、どこかに現れたとしてもワクワクするだろうか。

ワクワクするかもしれないが、そこでCDを買うのかとなると、
MQAでできるかぎり聴きたいと思っている私は、e-onkyo、TIDALだ。

便利な店とお世話になった店は同じではない。

Date: 9月 13th, 2021
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その8)

タワーレコードの新宿店が、いま改装している。
10月8日にリニューアルオープンの予定なのだが、規模は縮小される。

これまでは四フロアーが売場だったのが、二フロアーだけになってしまう。

新宿店開店当初のころからすれば、
ジャズ売場、クラシック売場ともにすでに縮小されている。

十年ほど前は、毎月25日ぐらいに行けば、
CDを山のように買い物カゴに入れている人が、必ず数人いた。

縮小される前から、そういう人が減っていった。
私自身、タワーレコードの店舗で買うことが減った。
店舗に行く回数もそうとうに減っている。

以前は、買う買わないに関係なく、なにかおもしろそうな新譜が入荷していないか。
それを確かめに行くだけでも楽しかったし、そのためだけに足を運んでいた。

けれど店舗で買うよりも、オンラインで買う方が多くなったのは、
ほとんどの人がそうだろう、と思う。

スマートフォンの普及とともに、新譜さがしはスマートフォンのほうが楽であるし、
移行してしまった、といえる。

そこに加えてe-onkyoで買うようになったし、TIDALも始めた。
こうなると、CDを買うのは、e-onkyo、TIDALにないものとなってしまった。

そういえば今年は新宿のタワーレコードには一度も行っていないことに気づいた。
渋谷店へは一回行っている。その程度になってしまった。
行くと閑散としている。

回数が減ったからといって、新しい音楽を聴いていないわけではなく、
TIDALで、むしろいままで以上に聴くようになった。

私同様、店舗に行くことが減った人でも、
CDを買う枚数に変化はない、もしくは増えている、という人はいるはずだ。

店舗で買わなくなった──。
店舗で買わなくなった、といえば、
ステレオサウンドの最新号、書店でみかけない。

売り切れてしまったのか、それとも……。
書店で見かけなくなったからといって、読んでいる人が減った、とはいえない。
私のように、Kindle Unlimitedで読んでいる人もいよう。

私だって、Kindle Unlimitedでまた読むようになったのだから、
ステレオサウンドを読む人は増えているのかもしれない。

そんな私だから、新宿店の規模縮小のニュースを聞いても、
そうかぁ──ぐらいでしかない。

いままでよくがんばってくれていた、と思う気持のほうが強い。

Date: 9月 12th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(オーディオラボのこと)

先ほど気づいたのだが、
TIDALで配信されていたオーディオラボのアルバムが消えていた。

すべてのオーテディオラボのアルバムが配信されていたわけではなく、
“Side by Side”が二枚と柳兼子のアルバムも二枚。
他に数枚あったが、私が知っている限りではそう多いわけではなかった。

音はよく感じなかった。
こんな程度なの? と聴いて、そう感じた。

配信されていたアルバム数も音(クォリティ)も中途半端のように感じた。
なので、勝手な推測なのだが、これら数枚のオーディオラボのアルバムは、
オクタヴィアからではなく別のところからではなかったのか。

オクタヴィアから発売される以前に、
クラウンレコードから発売されていたことがある。
そうなのかしれない。

TIDALから、オーディオラボのアルバムが消えてしまって、寂しいわけではなく、
むしろ期待している。
オクタヴィアが、きちんとリリースしてくれるのではないか、と。

オーディオラボのアルバムは、e-onkyoで購入できる。
DSF、flac、WAVでラインナップされている。
だからTIDALではMQAでの配信を期待している。

MQA Studioで、88.2kHzか176.4kHzで出てきてほしい。

いまはタイトルに(その1)とつけていない。
出たら(その2)を書くし、この投稿のタイトルに(その1)とつけることになる。
その日が、早く来てほしい。

Date: 9月 12th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その20)

石田春夫氏の名前で検索してわかるのは、
石田氏はソニーを退社されてからハルアンプを始められた、ということ。

ラジオ技術には石田春夫で登場されているが、
無線と実験には石田春雄となっている。

ラジオ技術では、1977年11月にも、パワーアンプの記事を書かれている。
EL156のプッシュプルアンプで、Junior Battlerのはずだ。

無線と実験では、
1978年5月号掲載の「理想のオーディオ・ケーブルを求めて」というテーマで登場されている。

Independenceのラインアンプはカソードフォロワーの二段構成。
カソードフォロワーだから一段であっても信号の極性は反転しない。
にもかかわらず二段構成としているのは、
レベルコントロールまわりのアースの処理からだろう。

通常のアンプではライン入力は、
レベルコントロール(ポテンショメーター)、ラインアンプという信号経路である。

Independenceは、カソードフォロワー、レベルコントロール、カソードフォロワーとなっている。
1980年代のラジオ技術に掲載された富田嘉和氏の記事を読まれた方ならば、
こういう構成にしている理由がわかるはずだ。

実際のIndependenceのレベルコントロールのアースの配線がどうなっているのかは、
実機を見ているわけではないのでなんともいえないが、
考え方として富田嘉和氏と共通するところがある、と思っている。

Date: 9月 12th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その19)

ハルアンプのIndependenceについて、知り得たことがあるので補足しておく。

週末に、Independenceの製作記事があります、という連絡をいただいた。
ラジオ技術の1977年7月号に載っている。
記事をスキャンしたものを送ってもくださった。

石田春夫氏という方が記事を書かれている。
ほぼまちがいなく、この石田氏がハルアンプの主宰者のはずだ。

ハルアンプの存在を知ってから、なぜ「ハル」なのかがわからなかった。
記事を送ってくださった方は、春夫だからハルなのでは、ということだった。

いわれてみるとそうである。
春を告げるアンプという意味も込められているのかもしれない。

ラジオ技術の記事を読むと、1977年3月号には、
EL156のパラレルプッシュプル、出力100Wの記事があることもわかる。
これが、おそらくハルアンプのBattlerのはずだ。

記事はTypeIIではないIndependenceであり、
当然のことだが、回路図と回路の説明、それからプリント基板のパターンも知ることができる。

Independence TypeIIの回路図は、無線と実験の1979年7月号に載っている。
こちらは回路図のみである。

アンプ部に関しては、IndependenceとIndependence TypeIIの違いは、
ほとんどない、といえる。
定数にわずかな変更があるくらいだ。

ただし電源部は違う。
Independence TypeIIでは、ヒーター用、B電圧、どちらも定電圧化されている。
ヒーター回路は三端子レギュレーターで、
高圧のB電源回路はトランジスター四石(うち二石は誤差増幅、残り二石が制御用)で構成。

Independence TypeIIには、
フロントパネルをゴールド仕上げにしたIndependence TypeIIGがある。
ステレオサウンド 54号の新製品紹介に登場している。

Independence TypeIIGは、高信頼管の採用とともに電源回路が左右独立している。
このIndependence TypeIIGの音にも興味はあるが、
SAEのMark 2500と組み合わせることが前提であれば、Independence TypeIIである。

Mark 2500にゴールド仕上げのフロントパネルに似合わないからだ。

Date: 9月 11th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その15)

聴き手しか求めないスピーカーがあるような気がしている。
鳴らし手を求めているスピーカーが、一方にある。

弾き手を求めるスピーカーも、あってほしい。

Date: 9月 11th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その18)

メリディアンの218は、固定出力にも可変出力にも設定可能であるから、
SAEのMark 2500とのあいだに音量調整機能は不要といえば、そうである。

昨年まで毎月第一水曜日にやっていたaudio wednesdayでは、
218の機能を使って音量調整をやっていた。

ときおりインターネットでみかけるのは、
コントロールアンプを使うのがいいのか、
それともD/Aコンバーターが218と同じように音量調整機能があるのならば、
パワーアンプと直結してしまうのがいいのか、
デジタル領域での信号処理がイヤならば、
パッシヴ型フェーダーを介したほうがいいのか、
そんなことを悩む人がいる。

私は、どれでもいいじゃないか、と最近では考えるようになった。
どれがいいのか、ということよりも、
それぞれの方式の良さを楽しもう、と思うようになったからだ。

コントロールアンプを介するのならば、
介することの面白さを存分に楽しみたい。

なので、ここでのコントロールアンプ選びとは、
優れたコントロールアンプ選びということではない。

Date: 9月 10th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その26)

その23)で、今回は出展を辞退する会社があるのかどうか、と書いた。
今日、ソーシャルメディアに、ある出展社が今回は辞退する、とあった。

どこなのかは私は知らない。
やはり、そういう会社がある。

私は、この会社の判断を支持する。
けれど、そのソーシャルメディアの投稿には、ペナルティが与えられる、ともあった。
本当なのだろうか。

日本インターナショナルオーディオ協議会としては、開催する以上、
すべての出展社が揃ってこそ、という考えなのだろうか。
だとしても、コロナ禍では、辞退する会社があっても仕方ないこと、としないのか。

本当にペナルティを与えるのか。
どんなペナルティなのか。

日本インターナショナルオーディオ協議会からの排除なのだろうか。
ハーマンインターナショナルの件で、そういうことがあってもおかしくないことを、
すでに知っている。

今日の東京の感染者数は減っている。
このまま順調に減っていけば、11月には安心できる状況になっているかもしれない。
そうなれば、いまは辞退を考えている会社も出展するようになるかもしれない。

どうなるのかはわからない。
けれど、ペナルティを与えることだけはやってはいけない。

Date: 9月 10th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その70)

オーディオの想像力の欠如した聴き手は、
顰みに倣いがちだから、鳴らし手へと変れないのだろう。

Date: 9月 10th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その14)

スピーカーはしゃべってくれない、何かを話してくれるわけではない。
スピーカーは音を鳴らす器械ではあっても、具体的な言葉で、
こうしてほしい、とか、もっとうまく鳴らしてほしい、とかを、伝えてくれるわけではない。

スピーカーから聴こえてくるのは、音である。
その音は歌であったり、ピアノの音であったり、電子楽器の音であったりする。
アンプから送られてきた信号を、振動板の動きに変換して、音を出すだけである。

100円程度で買えるスピーカーであっても、
一千万円を超えるスピーカーであっても、そのことにかわりはない。

つまり100円で売られているスピーカーも、
一千万円を超えるスピーカーであっても、
自分の意志を、具体的な言葉で伝えてくれるわけではない。

スピーカーは、その音しか伝えてくれない。
だから、その音を翻訳して、
スピーカーが何を要求しているのかを感じとれなくては、
そのスピーカーの聴き手は、そのスピーカーの鳴らし手にはなりえない。

そのスピーカーを買ってきて、設置して、
アンプに接いで音を鳴るようにする。
それだけでは、そのスピーカーの鳴らし手とは、まだ呼べない。

時にはアンプを替えたり、ケーブルを交換したり、
置き場所も変えてみたりして、音を良くしようとする。

良くなった、そうでもなかった、悪くなった──、
と一喜一憂しただけでも、スピーカーの鳴らし手とは、まだいえない。

目の前にある、そのスピーカーがどう鳴らされたがっているのか、
それを感じとって鳴らすことが出来て、はじめて鳴らし手といえる

Date: 9月 9th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その17)

プレシジョン・フィデリティのC4は、いい管球式コントロールアンプだった、と思う。
回路的にも面白いと思っている。

それでも内部写真を見ると、回路は洗練されているといえても、
造りはそうではない。

プリント基板の採用だけでなく、プリント基板のパターン含めて、
およそ洗練されているとは言い難い。

プレシジョン・フィデリティのC4の回路そのままで、
Independence TypeIIや上杉先生発表のアンプのように配線していったら、
さらには昔ながらの管球式アンプの配線であったならば──、と思う人は、
私以外にもきっといるはずだ。

(その8)でちょっとだけ触れたKTS Audioというブランドによる
C4をベースにWaltzというコントロールアンプは、まさしくそうである。

プリント基板を使っていないのだ。
世の中、同じことを思う人がやはりいる。

Waltzがどんな音なのかはわからない。
聴く機会はない、と思う。

それでもいい。
管球式アンプにプリント基板を使うことに抵抗を感じる人がいて、
プリント基板を採用した過去のアンプを、手間のかかる配線によってよみがえらせている。
このことが嬉しいのだから。

プレシジョン・フィデリティのC4の程度のいい中古と出逢うことは、期待していない。
ならばWaltzのように、自分でつくるという手がある。

SAEのMark 2500と組み合わせるコントロールアンプとして、
ソリッドステートならば、いまでもマークレビンソンのLNP2なのだが、
管球式ならば、C4の自作ヴァージョンかな、と真剣に考えている。

Date: 9月 9th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その16)

ハルアンプのIndependence TypeIIと
上杉先生のステレオサウンド 45号発表のコントロールアンプ。

回路がまったく違うアンプであり、
上杉先生のアンプは外部電源ということもあって、
左右チャンネル対称といえる部品配置であるが、
プリント基板に頼らない配線ということは共通している。

プリント基板の採用は、大量生産するメーカーにとっては、
品質管理の上でもなくてはならないものであることは理解している。

それでも管球式アンプでは、
プリント基板に頼らないでほしい、という気持が私にははっきりとある。

とはいえラックスでもプリント基板を採用していたし、
ラックス規模のメーカーであれば、
海外の新興メーカーよりも生産台数はずっと多いはずだから、
プリント基板を採用することで、コストを下げることにつながっている。

くり返しになるが、それでも……、とやっぱり心の中でつぶやきたくなる。

ハルアンプと上杉先生のアンプは、プリント基板のメリットも活かしつつ、
プリント基板とは、そうとうに違う。

ベースに銅板かベークライトの板か。
どちらがいいのかは一概にはいえない。

銅板は導体である。
ベークライトはそうではない。

それに指で弾いた音も、銅とベークライトでは違う。

Independence TypeIIの実機を、内部をしげしげと見たことがないのでなんともいえないが、
銅板を使うことでベタアースが可能になる。
ベークライトではそうはいかない。

アースの処理をどうするのかは、昔から論争がある。
Independence TypeIIがベタアースでなかったとしても、
銅板はシールドとしても働く。

同じ回路、同じ部品配置だとしても、
銅板とベークライト板では、そうとうに音は違ってくる。

以前、テフロンのプリント基板が話題になった。
テフロンの電気特性の優秀さゆえに、音が良い、
そんなふうにいわれていたけれど、
テフロン基板と、一般的なガラスエポキシの基板とでは、指で弾いた音がそうとうに違う。

私は、このことが音の違いに大きく影響していると捉えている。

Date: 9月 8th, 2021
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その9)

柳沢功力氏の「ぼくのオーディオ回想」がつまらない。
以前、そう書いた。

けれど柳沢功力氏が書かれるものすべてをつまらない、と思っているわけではない。
ステレオサウンド 200号掲載の「ステレオサウンド誌の基礎を築いた人たち」、
これはおもしろかった。

以前、私は柳沢功力氏と傅 信幸氏は、なかなかのオーディオ漫談家である、と書いた。
このことに変りはない。

オーディオ漫談家、狂言まわしとしての良さが、
「ステレオサウンド誌の基礎を築いた人たち」の面白さを支えている。

いまオーディオ雑誌になんらかを書いている人たちのなかには、
オーディオ評論家と呼ばれるのを嫌がっている人がいる、と聞いている。

オーディオ漫談家、オーディオ狂言まわし、
そんなふうに呼ばれたくはない、という人もいるだろう。

でも、オーディオの読み物として、
オーディオ漫談、オーディオ狂言まわしはあればおもしろいではなく、
それが良質であれば、なければならないものである。

Date: 9月 8th, 2021
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その12)

この項を書いていて、以前から考えていることを思い出している。
オーディオ機器の性能について、である。

特にスピーカーの性能について、といってもよい。

優秀な性能のスピーカーと高性能のスピーカーは同じだろうか。
同じと答える人も、そうではないと答える人も、両方いるはずだ。

私は後者である。
優秀な性能のスピーカーと高性能なスピーカーを同じとは捉えていない。

私がワクワクしていた、昔のモニタースピーカーは高性能のスピーカーであり、
ワクワクを感じなくなった現代のモニターと呼ばれるスピーカーは、
優秀な性能のスピーカーである──、そんな感じがしてならない。

どちらのタイプにワクワクするのかも、人によって違うのだろう。