あるスピーカーの述懐(その14)
スピーカーはしゃべってくれない、何かを話してくれるわけではない。
スピーカーは音を鳴らす器械ではあっても、具体的な言葉で、
こうしてほしい、とか、もっとうまく鳴らしてほしい、とかを、伝えてくれるわけではない。
スピーカーから聴こえてくるのは、音である。
その音は歌であったり、ピアノの音であったり、電子楽器の音であったりする。
アンプから送られてきた信号を、振動板の動きに変換して、音を出すだけである。
100円程度で買えるスピーカーであっても、
一千万円を超えるスピーカーであっても、そのことにかわりはない。
つまり100円で売られているスピーカーも、
一千万円を超えるスピーカーであっても、
自分の意志を、具体的な言葉で伝えてくれるわけではない。
スピーカーは、その音しか伝えてくれない。
だから、その音を翻訳して、
スピーカーが何を要求しているのかを感じとれなくては、
そのスピーカーの聴き手は、そのスピーカーの鳴らし手にはなりえない。
そのスピーカーを買ってきて、設置して、
アンプに接いで音を鳴るようにする。
それだけでは、そのスピーカーの鳴らし手とは、まだ呼べない。
時にはアンプを替えたり、ケーブルを交換したり、
置き場所も変えてみたりして、音を良くしようとする。
良くなった、そうでもなかった、悪くなった──、
と一喜一憂しただけでも、スピーカーの鳴らし手とは、まだいえない。
目の前にある、そのスピーカーがどう鳴らされたがっているのか、
それを感じとって鳴らすことが出来て、はじめて鳴らし手といえる