Archive for 8月, 2018

Date: 8月 3rd, 2018
Cate: オーディオ評論

「商品」としてのオーディオ評論・考(その9)

その5)から少しそれてしまったが、本題に戻ろう。

その4)の最後に、
出版社が直接関係しない試聴が、オーディオ評論家にはある、と書いた。

オーディオ評論家は、オーディオ雑誌の試聴室でしか試聴しないわけではない。
メーカー、輸入元の試聴室ですることもあれば、
自身のリスニングルームで試聴することもある。

オーディオ雑誌の編集部からの依頼で、そういうところでの試聴もあれば、
そうでない場合もある。

これが悪いこととは考えない。
オーディオ評論家の仕事は、何もオーディオ雑誌に原稿を書くだけではない。

ただ考えたいのは、ここでも試聴料という名の対価を得ていることに関係してくる。
対価を得ること自体が悪いことではない。
その金額が高いとか、そんなことも問題にはしない。

そこでの試聴が、そのオーディオ評論家が書くものに関係してきた場合を考えたいだけである。
その2)で、オーディオ評論家という書き手の商取引の相手は、誰かというと出版社である、と書いた。
読み手ではない。

オーディオ評論家と出版社との商取引のあいだに、
メーカー、輸入元との商取引が関係してくることになる。

その3)で、
季刊誌ステレオサウンドという商品は、読み手とのあいだの商取引、
広告主とのあいだの商取引、このふたつの商取引をもつ。
これが雑誌という商品の特徴でもある、と書いた。

オーディオ評論という商品も、雑誌という商品と同じで、
ここではふたつの商取引をもつ。

Date: 8月 3rd, 2018
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その7)

一年前「毎日書くということ(続・引用することの意味)」で、
積分的な聴き方、微分的な聴き方に付いて少しだけ触れた。

これは聴き方だけだろうか。
積分的な読み方、微分的な読み方もある、と、実感することが増えている。

もっといえば、微分的読み方をする読み手がいる、ということだ。

Date: 8月 3rd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(文字だけというわがまま)

以前(といっても九年前)に書いているけれど、
先日も「どうして写真や図をいれないのか」と訊かれたので、もう一度書いておこう。

ブログを始めるあたって決めていたのは、毎日書くことと、
一万本、書くということ。

毎日書くというのは、たとえ一本であっても、日によっては大変だったりする。
いまでこそiPhoneがあるから、外出先からでもブログを書ける。
電車の中で書いたことも何度かあるし、
そんなところで書いていたの? といわれそうな場所でもある。

そういうときは、写真や図をいれるようにしておけば、
もう少し楽になるかも……、とそんなふうに思うことだってある。

でも一万本は、文字だけで行こう、と決めたことだから、それを守っているだけ。
内容によっては写真や図があれば、どんなに楽だろう、と思ったことは何度もある。

写真、図があれば、読む側にとってわかりやすくなるというのはわかっている。
それでも、文字だけにこだわりたいのは、私のわがままである。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: audio wednesday

第92回audio wednesdayのお知らせ(器材の借用)

このブログは2008年9月から書いている。
audio wednesdayは、2011年2月が最初だ。

ブログを書き始めたとき、audio wednesdayのような会をやるとは考えていなかった。
書きたいことを書いてきた。

そうやって書いてきて2011年からの会のスタート。
最初は音出しはやりたいけれど、無理だと考えていた。
音をいまは毎月鳴らしている。

それでも無理だな、と考えているのは、
オーディオ機器の借用である。

書きたいことを書いてきたから、
メーカーや輸入元にお願いしても無理だな、と思っている。

これは決めつけてしまっていて、どこにもお願いしたことはない。
私が逆の立場だったら……、と考えれば、そのことに行き着く。

だからといって、これから書きたいことを書かずに──、ということはまったく考えていない。

それに貸し出す側にしてみれば、営業的メリットがあればまだしも、
そんなことはほとんど期待できないaudio wednesdayである。
これも自覚しているから、貸してください、とお願いするのは厚かましい、とわかっている。

それでも9月のaudio wednesdayでは、あるオーディオ機器を借りられる予定である。
どこから何を借りるのはまだ書かない。

よく貸してくれるな、と正直思っている。
それだけにありがたいと感謝している。

これまで、会社(メーカー、輸入元)と個人(私)の関係では、
オーディオ機器の借用は無理だ、と決めつけてしまっていた。
でも、結局は会社と個人ではなく、個人と個人の関係なのだということに気づく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その9)

マッキントッシュのアンプは、寝起きが悪いと感じたことはない。
毎月鳴らしていて、むしろ寝起きが早い方かな、と感じていた。

アンプの寝起き(ウォームアップによる音の変化)が問題になったころ、
SAEのMark 2500やトリオのL07シリーズは、電源を入れているだけではだめで、
三時間以上鳴らしていないと本領発揮とならない、
ようするに寝起きの悪い(悪すぎる)アンプとして知られていた。

どんなアンプでも寝起きに時間は必要となる。
しかも寝起きが一回とは限らない。
十分鳴らしていても、あきらかに音が変ることは意外に多い。
それも承知していても、昨晩の音の変化ははっきりとしていた。

おそらく昨晩の音の変化はアンプだけが理由ではなく、
ネットワークにしても二ヵ月鳴らしていなかったわけで、
スピーカーも私が鳴らすのは二ヵ月ぶりだから、
それらが重なっての音の変化なのはわかっている。

わかっていて、こんなことを書いているのは、
20時ごろに帰った人がいたからだ。
人それぞれ事情があるのはわかっているし、彼は毎回早く帰る。

無理に引きとめたりはしない。
けれど、「トリスタンとイゾルデ」以降の音を聴かずに帰ってしまうのは、
もったいない、と思った。
毎回思うわけだが、特に昨晩はよけいそう思った。

こればかりは時間の短縮は無理である。
正味鳴らしている時間が、ある一定以上必要なのだから。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その8)

19時スタートで、あれこれディスクをかけていった。
21時をすぎたあたりに、カルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」をかける。
エソテリックから出たSACDだ。

前奏曲が終り、しばらく聴いたらフェードアウトしようと思っていた。
いい感じで鳴っているのが、途中からあきらかによく歌うような感じへと変っていった。

私だけかな、と思っていたが、そうではなかった。
結局一枚目の終りまで聴いていた。
時間があれば、全曲を聴き通したいくらいだった。

クライバーの「トリスタンとイゾルデ」のあとに、
ほぼ毎回かけているグラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」をかける。
声の表情が、いままでにないほど濃やかになっている。

そのあとにアート・ブレイキーの「Moanin’」をかける。
実は19時前に鳴らしている。
これもあきらかに、一回目と違う鳴り方で、
何がはっきりと違っているかというと、音の伸びやかさである。

一回目の「Moanin’」も伸びやかに鳴っていた、と感じていたが、
二回目の「Moanin’」を聴くと、まだ何かによってわずかとはいえ押さえつけられていたのか、と感じる。

次に「THE DIALOGUE」だ。
これも一回目の「Moanin’」のあとにかけている。
音量設定は一回目と同じ。

出だしの音からして、音量が違ってきこえる。
あきらかに音の伸びがいいから、最初の音は、このくらいの音で鳴ってくる、と予想していても、
鳴った瞬間に驚くほど、予想を超えていた。

昨晩は、ほんとうに何もしていない。
ただただ鳴らしていただけである。
18時30分くらいからアンプの電源をいれて、ずっと鳴らしていた。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(中心周波数・その2)

LNP2に3バンドのトーンコントロールがついていた。
機能を徹底的に省いたコントロールアンプもあれこれ夢想していた、
同時にコントロールアンプとしての機能を備えたモノも夢想していた。

トーンコントロールをどうするか。
最低でも3バンド、もっとバンド数を増すことも考えていた。
バンド数とともに、中心周波数をそれぞれどこに設定するのかも重要である。
その参考に、HI-FI STEREO GUIDE掲載の各社のイコライザーのスペックを比較していたわけだ。

たとえばラックスのSG12は型番が示すように12バンドのグラフィックイコライザーで、
中心周波数は14Hz、28Hz、55Hz、110Hz、220Hz、440Hz、880Hz、1.8kHz、3.5kHz、
7kHz、14kHz、28kHzとなっていた。

テクニクスのSH9090は、10Hz、30Hz、60Hz、125Hz、250Hz、500Hz、1kHz、2kHz、
4kHz、8kHz、16kHz、32kHzであった。
SAEのMark 27は、40Hz、80Hz、160Hz、320Hz、640Hz、1.28kHz、2.5kHz、
5kHz、10kHz、15kHz、20kHzである。

これらを比較して気づくのは、それぞれのバンドの中心周波数のほかに、
もうひとつの中心周波数がある、ということだ。

テクニクスのそれは1kHzと見ていい。
ラックスの440Hzであり、SAEは640Hzである。

これは全体の帯域の中心をどこに見ているのか、の表れだ。
1kHzを中心とするテクニクス、
A音を中心とするラックス、
可聴帯域の下限と上限をかけあわせた40万の平方根である632.455Hzに近い数値の640Hz、
ここを中心とするSAE。

バンド数が少ないからこそ、各社の考えがあらわれていた。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(中心周波数・その1)

1981年にテクニクスがSH8065を発表した。
33バンドのグラフィックイコライザーを、79,800円で出してきた。

そのころアルテックの1650Aは28バンドで、534,000円、729Aは24バンドで、622,000円、
クラークテクニークのDN27が27バンドで417,000円。
ただしこちらはモノーラルなので、ステレオだと80万円を超える。

そういう時代にSH8065の79,800円である。
テクニクスのグラフィックイコライザーで最上機種だったSH9090は、
12バンドで200,000円。こちらもモノーラルだからステレオでは40万円だった。

誰もが驚いた、と思う。
グラフィックイコライザーにほとんど関心のなかった人も驚いただろうし、
この値段だったら、と関心を持ち始めた人もいたはずだ。

一社とはいえ、10万円を切る価格で出してきて、それだけ注目をあびたことで、
少なくとも日本のメーカーは追従してくるのかと思っていたけれど、
33バンドのグラフィックイコライザーを、SH8065の同価格帯で出してくるのは困難だったようだ。

テクニクスは翌年上級機のSH8075も出してきた。
それだけ勢いがあった。

33バンドということは1/3オクターヴである。
このくらい細かい分割されると、興味を失うことがある。
中心周波数の設定である。

それまでは10バンド前後が多かった。
このくらいの分割だと、各社で中心周波数に違いが出てくる。

SH8065が出てくるまで、
HI-FI STEREO GUIDEをながめて、各社のイコライザーの中心周波数を比較していた。

中学、高校時代の私は、めぜさマークレビンソン、おいこせマークレビンソンだった。
LNP2以上のコントロールアンプを自作したい、と思っていた。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56・追補)

ステレオサウンドの染谷一編集長の謝罪の件について、ほぼ毎日書いてきていているが、
続きとなる(その57)を書くのは、9月発売のステレオサウンド 208号まで控えておく。

本項から枝分れした「わかりやすさの弊害」と「理解についての実感」は書いていく。

Date: 8月 2nd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その7)

5月のaudio wednesdayに続き、昨日(8月1日)も、
二ヵ月ぶりにアルテックのスピーカーを鳴らすことになった。
5月は最初は喫茶茶会記で常時使っているコイズミ無線製のネットワークで鳴らした。

今月は最初から私自作の直列型6dB/oct.のネットワークである。
このネットワークの5月の会の途中から使いはじめ、
6月も使い、この時、少し手を加えている。
そして二ヵ月ぶりの今月。

5月のときのような音が最初は鳴ってくるかも……、と半分予想していたが、
すんなり鳴ってくれた。

CDプレーヤーを設置した時点で、CDプレーヤーにはディスクを入れ再生状態にする。
それからアンプの設置、スピーカーの設置、ネットワークの結線、
ここまで終った時点でアンプの電源を入れる。

昨日は18時30分ごろがそうだった。
音を鳴らしながら、ドライバーとトゥイーターをきちんと設置する。
つまりドライバーとトゥイーターを適当に置いた状態での最初の音が、
5月の時とはまるで違っていた。

今回のテーマは、猛暑ということで、涼しげな音を出すで、
使用機器はなんら変更ないが、セッティングは少し変更している。

パッと見て、すぐに変更しているなとわかる箇所が、一箇所、
ちょっと注意深い人ならば、気づくところが三個所、
毎回、駒かなところまでチェックしてすべて記憶している人ならば気づくところが、四箇所、
セッティングをバラさなけれは気づかないところを一箇所、変更していた。

ひとつひとつは些細なことで、特別なことは何もない。
それで素姓のいい音が鳴ってきたので、昨日は音を出してからは、どこもいじっていない。
いつもなら、どこかを調整するけれど、昨日は何もしなかった。

何もしなかったけれど、音は変化していく。

Date: 8月 1st, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56)

今回の、ステレオサウンド染谷一編集長の謝罪の件は、
くり返し書いているようにavcat氏のツイートが発端である。

そのavcat氏の一連のツイートなのだが、
これをクレームと受けとっている人もいるようだ。

けれど、avcat氏のツイートは、クレームなのだろうか。
個人的なぼやきのように、私には思える。

この項ではfacebookでいくつかのコメントをもらっている。
そのひとつに、クレームについてのコメントがあった。

クレーム(claim)とは、原語では、正当な主張、もしくは請求の意味であり、
正当な、肯定的な応酬や積み重ねであれば、全体が望ましい状態に向うはず……、とあった。

調べて、確かに正当な主張、とあり、
いまの日本で一般的に通用しているクレーム、
つまり英語のclaimではなく、日本語のクレームは、英語のコンプレイント(complaint)ともある。

コンプレイント(complaint)は、苦情、不平である。
ということは、avcat氏のツイートは、
クレーム(claim)ではなくコンプレイント(complaint)だ、といえる。

今回の謝罪の件が、ここまで書くほどに興味深いのは、
染谷一編集長が、コンプレイント(complaint)なavcat氏のツイートを読んで、
謝罪し、そのことをavcat氏がツイートしたからである。

それでも誰も、謝罪したことを問題視しなければ、
avcat氏のツイートは、ずっとコンプレイント(complaint)のままだった。

けれど、私だけでなくブログやツイートで、今回の謝罪の件を取り上げている人たちがいる。
私のブログでも、ふだんはほとんどコメントがないのに、
染谷一編集長の謝罪の件に関しては、そうではない。

つまり、avcat氏のツイートが、クレーム(claim)になっていくのかもしれない。
そのために染谷一編集長がなすべきことは? である。
沈黙したままでは、avcat氏のツイートはコンプレイント(complaint)でしかない。

9月発売のステレオサウンド 208号で、それははっきりする。

Date: 8月 1st, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害・その8)

雑誌の売行きを安定にする。
特集の企画によって、売れたり売れなかったりをできるだけなくしたい、とするのは、
経営者の判断であり、それを編集部が忠実に実行していくのは、どういうことを自ら招くのか。

気に入られようとする。
そのための幕の内弁当であり、さらに進んだマス目弁当。
弁当は食べてしまうと、目の前に残るのは弁当箱だけである。

オーディオ雑誌は読み終ったからといって、ページが消失してしまうわけではない。
すべてのページを読んでしまったら、表紙だけが残ってしまうわけではなく、
一冊まるごと残っている。

最新号も残っていれば、捨てないかぎり、それ以前に読み終えた号も残っている。
それらが本棚に並んでいく。

一年で四冊、二年で八冊……、
増えていけば、一冊読んだだけでは気づきにくいことにも気づく。
気づかないまでも、なんとなく感じてくるようになる。

己の裡にある毒を転換してのオーディオの美だと、別項で以前書いた。
オーディオ機器、特にスピーカーは毒をもつ。

毒と毒。
だからこそ美へと転換できるとさえ、私は思っている。

私が熱心に読んできたオーディオ評論は、そのことを暗に語っていた。
いまは、それがなくなっていることに気づく。

だからなのか、毒に対しての拒絶反応が、
一部のオーディオマニアのあいだに出てきているようにも感じる。

Date: 8月 1st, 2018
Cate: 「オーディオ」考

時代の軽量化(その6)

(その5)へのコメントがfacebookであった。

そこにはトップダウン、ボトムアップとあった。
トップダウンは、企業経営などで,意思決定は社長・会長がして上位から下位へ命令が伝達され,
社員に従わせる管理方式、
ボトムアップは、企業経営などで,下位から上位への発議で意思決定がなされる管理方式、とある。

コメントされた方は、
過去のオーディオ誌に求められたのがトップダウンの評論であるとすれば、
今はボトムアップのノウハウのようなものが求められると感じている、とあった。

いわんとされることはわかる。
コメントをされた方は私よりも若い世代。
そういうふうに感じられているのか、と思う。

過去のオーディオ誌は、私が熱心に読んでいた時代のオーディオ雑誌を指すのか。
それともそれより後の時代のオーディオ雑誌なのか。

私が熱心に読んできたオーディオ雑誌の時代は、
私にはトップダウン的評論とは感じていなかったし、いまもそれは変らない。

あの時代、オーディオ評論家(職能家)は、手本であり、
憧れというより目標であった。
もっといえば、将来のライバルというふうにも見ていた。

いまは10代の若造だけれど、あと十年すれば、
そのレベルにまで上っていく──、そういう意味での目標であり、
将来のライバルとは、そういうことである。

そんな私は、トップダウンの評論とは感じていないが、
評論のところを編集に変えてみたら、どうだろうか。

トップダウンの編集、ボトムアップの編集である。

Date: 8月 1st, 2018
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その16)

AXIOM 80には毒がある、と書いてきている。
その毒はどこから来ているのか。

ひとつには独自の構造から来ているとも書いている。
AXIOM 80は通常のエッジではないし、通常のダンパーではない。
それの実現のために、独自の構造、
つまりフレームの同軸構造ともいえる形態をもつ。

メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。
このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、
メインコーンの外周三点を支持している。

AXIOM 80の写真を見るたびに、
このユニットほど、どちらを上にしてバッフルに取り付けるかによる音の変化は大きい、と思う。
そんなのはユニット背面のAXIOM 80のロゴで決めればいい、悩むことではない、
そんなふうに割り切れればいいのだが、オーディオはそんなものじゃない。

独自のフレームとカンチレバー。
この部分の面積は意外にあるし、この部分からの不要輻射こそ毒のうちのひとつであり、
同じ構造を気現在の技術で現在の素材でつくるとなると、
サブフレーム、三本のアームの形状は断面が四角ではなく、違う形状になるはずだ。

少なくともコーンからの音の邪魔にならないように設計しなおされる。

でも、それだけでは根本的な解決にはいたらない。
AXIOM 80の現代版は、フレームの同軸構造を内側から外側へと反転させる。
サブフレームはメインフレームよりも小さいのを、メインフレームよりも大きくして、
メインフレームの外側に位置するようにしてしまう。

そのためユニット全体の口径は振動板の大きさからすれば、ひとまわり大きくなるが、
そうすればカンチレバーもメインフレーム外側にもってくることができ、
バッフルに取り付けた正面は、一般的なダブルコーンである。

サブフレームとカンチレバーは、バッフルに取り付けた際に、
バッフルに隠れるし、この部分からの不要輻射はバッフルが抑える。