Date: 8月 24th, 2017
Cate: オーディオ評論
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「商品」としてのオーディオ評論・考(その5)

ここ(つまりその5)で書こうと考えていたことと、少し違うことを書くことにする。

別項で、商売屋と職能家、と書いた。
川崎先生は、どこも同じで、商売屋と職能家がいる、といわれる。
そうなのだろう。

けれど職能家よりも商売屋が目立つ業界は衰退に向っている、といえる。
オーディオ業界がそうなのかどうかは、あえて書かない。

ここを読まれている方がひとりひとり考えてほしいことだからだ。

今年は、忖度という言葉が、流行語のひとつになるのは間違いないだろう。
忖度(そんたく)とは、他人の気持ちをおしはかること、という意味なのに、
今年における使われ方は、いい意味ではないところである。

悪い意味での忖度。
オーディオ評論家は忖度の権化のように捉える人もいよう。
昔からオーディオ評論家がやってきたことは、悪い意味での忖度。

ここまでいわれると、必ずしもそうではない、と私は否定するが、
そう思われても仕方ないところがあるのも……、と思わないわけでもない。

ただそれでもいいたいのは、オーディオ評論家が忖度を進んでやってきた、と捉えるのは、
若干の事実誤認があるといえる。

悪い意味での忖度を行ってきたのは、
オーディオ評論家よりもオーディオ雑誌の編集者であるし、
先だともいえるからだ。

オーディオ雑誌の編集者が、
クライアント(メーカー、輸入元)に対して忖度する。
そのことによって原稿が、編集者によって手直しされたり、
手直しを求められたりする。

そんなことが続けば、オーディオ評論家がオーディオ雑誌の編集者に対して忖度する。
こんなふうに書いては、また編集者から手直しされるか書き直しか、と思えば、
最初から編集者が「よし」とするものを書こうとするはずだ。

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