「商品」としてのオーディオ評論・考(その4)
(その2)で、オーディオ評論家という書き手の商取引の相手は出版社だと書いた。
オーディオ評論家という書き手は、原稿を出版社に売って対価を得ている。
原稿とは、いわゆるオーディオ評論という商品である。
それは商品足り得なかったりしているわけだが、
それでも出版社から原稿料をもらっている以上、それは商品ということになる。
その商品を書くため(作るため)に、
オーディオ評論家は試聴を行う必要がある。
どんないいかげんなオーディオ評論家といえども、試聴せずに試聴記を書くようなはしないはず。
そんなことをしてバレてしまったら、オーディオ評論家としてやっていけなくなる。
別項「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)」で書いているような、
あんないいかげんな聴き方をしていて、
それはもう試聴とは呼べないものであっても、形の上では試聴を行っている。
片チャンネルが逆相で鳴っていた音を聴いて、試聴記を書いて、
それが商品として通用するわけだから、むしろ聴かないほうがいいのではと思うこともある。
それでもオーディオ評論家と呼ばれる人たちは、試聴を行う。
試聴をやることで対価が得られる、というのも理由のひとつである。
オーディオ評論家が出版社からもらうのは、原稿料だけではない。
試聴という取材に対しても、貰っている。
これを否定はしない。
オーディオ評論家の原稿は、試聴を必要とする場合もあれば、そうでない場合もある。
あるテーマを与えられた原稿などは試聴する必要はないわけだ。
オーディオ評論家が試聴する場は、出版社の試聴室だけではない。
自身のリスニングルームも試聴の場となる。
そしてメーカーの試聴室、輸入代理店の試聴室も、そうだ。
出版社が直接関係しない試聴が、オーディオ評論家にはある。