日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その22)
この項を書くにあたって、
輪島祐介氏の『創られた「日本の心」神話』を読んでいる。
昭和初期について、こんなことが書いてある。
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流通・消費について言えば、この時期は蓄音機やレコードは高級品であり、流行のレコードを頻繁に買って自宅で聴くような聴き方は一般的ではありませんでした。
この時期のレコード歌謡の流行において、何より重要だったのは映画というメディアです。レコード歌謡と映画の内在的な結びつきは、国産ヒット第一号《君恋し》の直後にヒットした《東京行進曲》の例から明らかです。
(中略)
その後、多くのヒット曲が映画から生まれ、また、大ヒット曲はほとんど例外なく映画化されることになります。多くの人々にとって、流行歌・歌謡曲とは、映画の中で歌われ、あるいは映画館の幕間に流される音楽として聞かれていたと想像されます。
当時の新メディアということでいえば、ラジオとレコード歌謡の相性は必ずしも良好ではありませんでした。
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輪島祐介氏の、この想像がそのとおりならば、
昭和初期の人びとは、映画館で流行歌・歌謡曲を聴いていたわけで、
それはウェスターン・エレクトリックのシステムで聴いていた、ということになる。
流行歌・歌謡曲といった日本語の歌を、
昭和初期の人たちは、映画館でウェスターン・エレクトリックの音で聴いていた。
この事実は、いまアルテックで日本語の歌を聴いていること、
それから井上先生がJBLで島倉千代子の歌に、
瀬川先生がアルテックで美空ひばりの歌に圧倒されたということとも関係してこよう。