毎日書くということ(引用することの意味)
私が、ここで引用する文章のほとんどは、昔の文章ばかりといっていい。
最近のオーディオ雑誌に載っている文章を引用することは、ほとんどない。
昔の文章、それもかなり以前の文章を引用することもある。
今日も40年前の、伊藤先生の文章を引用していた。
このブログを読まれている人で、20代、10代の人は少数だろう。
30代の人だって、どのくらいいるのだろうか。
この世代の人たちにとっては、生れる前に書かれた文章ということになる。
どれだけの人が、古い文章に興味をもつのかはわからない。
またか、と思う人もいるのはわかっている。
あいつは、古いことにしか興味がないのか、と思われていることだろう。
それはそれでいい。
人によって受け取り方は違うのだから。
毎日書いていて、最近になって感じているのは、
私にとって、毎日書くという行為は、ひとつの確認作業である、と。
特に、私が影響を強く受けた人の文章を引用するときは、そうである。
私自身の音の判断を形づくっているのは何なのか、
それを確認していることは確かだ。
その確認作業に、古いも新しいもない、と考えている。
音は好き嫌いなのだから、感性だよ、と自信たっぷりにいえる人は、
そういう聴き方をしていればいい。
私はそれがイヤなだけだ。
聴くために、判断のために、こうやって書いている。