Date: 8月 14th, 2017
Cate: ジャーナリズム
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オーディオ雑誌に望むこと(その2)

別項「日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その5)」で、余韻が短くなってきた、と書いた。

アサヒグラフ、毎日グラフといった写真誌が、
特別なイベント(たとえばオリンピック)を扱ったときには、
書店のよく目立つところに置いてあった──、
そういう時代は、まだ家庭用ビデオデッキが普及していなかったころである。

それにテレビの走査線は525本。
実際に画面表示に使われていたのは480本で、これが有効走査線だった。

ハイビジョンでは走査線数は1080本になり、
4Kテレビでは2160本、8Kテレビでは4320本。

昔のテレビは、粗かった。
オリンピックの結果を伝える新聞の写真は、もっと粗かったし、モノクロの時代でもあった。
当時リアルタイムで見ることのできたのは、いまの基準からすればずいぶんと粗いクォリティだった。

オリンピックが終り、興奮も薄れてきたころに、
アサヒグラフや毎日グラフが書店に並ぶ。
そこに掲載されている写真は、クォリティの高いものだった。

写真だから動きはしないものの、鮮明さにおいては、
新聞の写真はもちろんテレビよりもずっと鮮明に、
そこでの出来事を鮮明なまま切り取った状態で伝えてくれていた。

書店に並ぶまで時間はかかるが、それだけのクォリティがあった。
周りが低かった、ということもあるが、
薄れてきた記憶、興奮を甦らせるだけのクォリティがあった。
だから余韻がその分持続していた。

だからこそ売れていたのだと思う。

いまは違う。
4Kテレビの普及、
2020年の東京オリンピックまでには8Kの本放送も始まる。

リアルタイムで、当時では考えられなかったクォリティで見ることができる。
しかも録画もでき、くり返し見ることまても可能になっている時代だ。

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