とんかつと昭和とオーディオ(その1)
BRUTUS 852号の特集、
「とんかつ好き。」を読んでいると、思い出すことがいくつかあった。
ステレオサウンド 42号(私にとって二冊目のステレオサウンド)に、
伊藤先生の真贋物語が載っていた。連載の一回目である。
食べものについて書かれている。
くらえども、という見出しから始まる。
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美食家だの通人だのという人に会ってみると、「あんな廉いものは食えませんな。」とか「お値段が張るだけあって甚だ美味です。」と、自分の口のいい加減なことをその口で説明して金を費っていることをひけらかしているのが多い。未だ未だ修業の段階である。
食い倒れといって散散食うために贅沢をしつくして貧乏してしまった者でないと味なんてわかるものではない。
頂上まで辿りついて、ほっとしたときは高みにいることの実感は沸かないが、下って来て翻ってみて、高かったことを沁沁思うものだ。それはどんな事情にしろ別れた女に会いたくなるのと似ている。
(中略)
当節食品衛生法とかいうものがあって腐敗することを極度に恐れて薬品を用い、黴の生えない味噌醤油などが珍重されたり、幾日店頭に並べて置いても変質しないバターなどが販売されている。その為か腐ったものに対する恐怖も防御も喪失してしまい、動物の最も大切な感覚をなくした植物のような人種が増えて来た。こうした嗅覚の鈍くなった者に味のわかるわけがない。
「食らへどもその味わいを知らず。」というのは勿体ない話だが、「耳、聞けどその音色を知らず」に相似ている。
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書き写しながら、ここ数年いわれている草食系の元は、
意外にもこのあたりにあるのかもしれない、と思っていた。
腐ったものに対して恐怖も防御も喪失してしまうという鈍感状態が、
現在の草食系といわれるところにつながっているのかもしれない。
42号は1977年春号である。
40年のあいだに、コンビニエンスストアがものすごく増えた。
いまも増えている。
そこで売られている食べものは、腐敗ということを心配することなく、いつでも買える。