使いこなしのこと(誰かに調整してもらうこととインプロヴィゼーション・その2)
ジャズのレコード(録音物)をオーディオによって再生する。
そのことをジャズオーディオというのであれば、
誰かに調整してもらって、そこでいい音になってくれれば、
自分で調整することなく、その音でジャズのレコードを聴く(楽しむ)。
運転手付きの車のことをシェーファードリブンカーという。
さしずめシェーファードリブンオーディオである。
それでもジャズがうまいこと鳴ってくれれば、ジャズオーディオといえよう。
けれどジャズスピリットオーディオかといえば、そうではない。
ジャズオーディオとジャズスピリットオーディオ。
わざわざ区別しなくとも……、という人もいようが、
私にとって、ジャズとオーディオのあいだにスピリットという単語がはいるかはいらないかは、
はい、そうですか、と引き下がるわけにはいかない。
ジャズスピリットオーディオを標榜するのであれば、
なにがなんでも己で調整しなければならない。
(その1)で書いているが、
最初は誰かに調整してもらうのはいい。
そのことで自分のシステムの可能性を、自分の耳で確認できるからだ。
でもそのまま聴いていてはだめだし、
そこをスタート点にして、自分で調整していっても、
ジャズスピリットオーディオとはいえない。
その場合は、一度システムをバラして、自分でセッティングし直すところから始めなければならない。
ジャズにおけるインプロヴィゼーション、とことわらなくとも、
インプロヴィゼーションとは、本来不特定多数の人間を相手にしてのものではなく、
あくまでも特定少数を相手にしたときにこそ、
なんら規制を受けることなく発揮されるのではないのか。
こここそがジャズスピリットオーディオのはずだ。