Date: 8月 13th, 2017
Cate: ジャーナリズム
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オーディオ雑誌に望むこと(その1)

岩崎千明という「点」があった。
瀬川冬樹という「点」があった。

人を点として捉えれば、点の大きさ、重さは違ってくる。

岩崎千明という「点」が書き残してきたものも、やはり「点」である。
瀬川冬樹という「点」が書き残してきたものも、同じく「点」である。

他の人たちが書いてきたものも点であり、これまでにオーディオの世界には無数といえる点がある。

点はどれだけ無数にあろうともそのままでは点でしかない。
点と点がつながって線になる。

このときの点と点は、なにも自分が書いてきた、残してきた点でなくともよい。
誰かが残してきた点と自分の点とをつなげてもいい。

点を線にしていくことは、書き手だけに求められるのではない。
編集者にも強く求められることであり、むしろ編集者のほうに強く求められることでもある。

点を線にしていく作業、
その先には線を面へとしていく作業がある。
さらにその先には、面と面とを組み合わせていく。

面と面とをどう組み合わせていくのか。
ただ平面に並べていくだけなのか、それとも立体へと構築していくのか。

なにか、ある事柄(オーディオ、音楽)について継続して書いていくとは、
こういうことだと私はおもっている。
編集という仕事はこういうことだと私はおもっている。
     *
四年前に「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(はっきり書いておこう)」をそのままコピーした。
点を線にしていく、
線を面へとしていく、
面と面を、どう並べるのか。

雑誌は、面だと思う、本来は。
そうでないと感じる雑誌も多いけれど。

雑誌は定期的に出版される。
創刊号から最新号までの「面」をどう並べるのか。

ただただ順番に横一列に並べているだけにしか感じられない雑誌もある。
本来雑誌は、それまで出してきたバックナンバーという面によって、
立体を構築していくものではないのか。

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