オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その2)
知人はインターネットに何を求めていたのか。
おそらく答なのだろう。
コワイな、とも、この件について考えるとそう思う。
インターネットに限らず、世の中にはさまざまな情報が流れている。
その情報は答ではない。
答を自分で見つけていくためのきっかけ、手がかりである。
けれど知人は答が得られると思い込んでいたのかもしれない。
けれど、知人は間違ったことを答と信じた。
コワイな、と思うのは、間違った選択をしたことよりも、
知人が安易に答を求めようとしていることである。
こういう人が、一時期とはいえオーディオ雑誌に寄稿していた。
インターネットの情報に答を求めようとする人は、
読み手にも答を与えようとするのではないか。
そのことがコワイ、と思う。
オーディオ雑誌の作り手も、またそうなのかもしれない。
だから、そういう書き手を選択してしまう、ともいえよう。
よく、あのオーディオ評論家は信用できない、という。
私も、いまのオーディオ雑誌に書いているオーディオ評論家と呼ばれている人たちを、
信用しているかといえば、誰も信用していない。
同じ信用していないでも、理由まで同じわけではない。
「あのオーディオ評論家は信用できない」という人の中には、
答を求めてオーディオ雑誌を読んでいる人がいる。
どのスピーカーがいちばんいいのか、
どのアンプが自分が使っているスピーカーに合うのか、
そういった答(便宜的に答としているが、ほんとうの意味での答ではない)、
それしか求めてない人は、自分の好みと反対の人の書くものは役に立たない、
そんなことを書く人は信用できない、となるようだが、
私は読み手に考えることを放棄させるようなことしか書けない人を、
私は信用していない。