Archive for 5月, 2017

Date: 5月 9th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その3)

瀬川先生の「コンポーネントステレオをすすめ」は1970年代の本であり、
そこに書かれていることは、そのころの話であるわけだ。

約40年前のオープンリールデッキ、
それも30万円というのはたしかにかなりのぜいたくなテープデッキである。

HI-FI STEREO GUIDEの’74-’75年度版で、2トラ38の30万円くらいの製品となると、
アカイのGX400D PRO(275,000円)、ソニーのTC9000F-2(250,000円)、
ティアックのA7400(298,000円)、ルボックスのHS77 MKIII(320,000円)ぐらいしかなかった。

国産のオープンリールデッキの高級機でも15万円前後が主流である。
’76-’77年度版をみると、30万円くらいの2トラ38機は増えている。
それでも30万円のモデルは、ぜいたくなテープデッキであることにかわりはない。

スピーカーもなければアンプもアナログプレーヤーもなく、
オープンリールデッキとヘッドフォンだけ、というスタイル(スタート)は、
現在では、ポータブルオーディオにヘッドフォン(イヤフォン)が近いようにみえる。

ポータブルオーディオもヘッドフォン(イヤフォン)も、そうとうに高価なモノがある。
スピーカーをあえて持たず、ヘッドフォン(イヤフォン)だけで楽しむ人たちがいる。

40年前のオープンリールデッキが、ポータブルオーディオにかわっただけには、
私の目には見えない。

40年前のオープンリールデッキとヘッドフォンの大学生は、
次にアンプ、それからスピーカー、アナログプレーヤーと買い足していったはずだからだ。

アンプもスピーカーもアナログプレーヤーも、
約40年前の30万円のオープンリールデッキと同等のモノを選び、
それを目標にアルバイトでかせいでいったはずだ。

オープンリールデッキとヘッドフォンの世界だけで完結していない。

Date: 5月 9th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その2)

5月8日の川崎先生のブログ「ヘッドホンはまだワイヤード、そのコードも問題」、
冒頭の数行、
《美大入学直後のオーディオ装置は、
2chのオープンテープデッキと手に入れたあるメーカーのヘッドホンだけ。
オープン用の選び抜いたテープだけ10本も無く、ひたすら聴いていました。》
ここを読んで「あれっ、あのことは川崎先生のことなのか」と思った。

瀬川先生の「コンポーネントステレオのすすめ」の第二章、
「コンポーネントステレオを構成する」の中に、こんなことが書いてあった。
     *
 ある販売店にどこかの大学生が30万円ほどのお金を持ってやってきた。そして、38センチ2トラックの、つまり相当にぜいたくなテープデッキを買ったのだそうだ。大学生は店員に、ヘッドフォンを一個、おまけにサービスしてくれと頼んだ。
 こんなデッキを買う客だから、アンプやスピーカーもさぞかし高級品を持っているだろうと店員が質問すると、大学生は、いや、このデッキが僕の最初の買い物なんだ、アンプやスピーカーやチューナーは、この次の休暇のアルバイトでかせぐんだ、と答えたそうだ。それまでは、友人たちにテープをダビングしてもらって、このヘッドフォンで楽しむのさ……と。
 30万円あれば、ローコストのコンポーネントを一揃い揃えることもできるのに、彼は遠大な計画をたてて、建て増し式で高い水準の装置を揃えようとしている。一式30万円の装置でも、部分的に少しずつ入れ換えしながら、成長させることができなくはないが、しかしそれでは最初から低い水準のパーツでがまんしなくてはならないし、成長の完成したときに最初のパーツはほとんど姿を消してしまうだろう。右の実話のように、一度に完結しなくとも、大きな目標に向かって計画を少しずつ実現させるという考えを、私は好きだ。
     *
どこかの大学生は、川崎先生のことなのかもしれないし、
まったく別の人のことなのかもしれない。

オーディオは、男の趣味だとおもう。

Date: 5月 8th, 2017
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴとカートリッジのコンプライアンス(その3)

HI-FI STEREO GUIDEの’76-’77年度版をみると、
MC型カートリッジを出していた海外ブランドは、EMTとオルトフォンだけである。
当時日本に輸入されていた、という条件はつくけれど、
輸入されていなかったブランドで、MC型カートリッジを出していたところがあったとは思えない。

日本のブランドでは、コーラル、デンオン、ダイナベクター、フィデリティ・リサーチ、光悦、
マイクロ、サテン、スペックス、だけである。

これが長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」が出る1978年には、
オーディオテクニカ、アントレー、グレース、ハイレクト、ジュエルトーン、ナカミチ、
ソニー、テクニクス、ビクター、ヤマハ、フィリップスからも登場している。

「図説・MC型カートリッジの研究」以降MC型を出してきたブランドは、
アキュフェーズ、オーディオノート、エクセル、グランツ、ゴールドバグ、Lo-D、
ラックス、パイオニア、サトームセン、ソノボックス、YL音響、エラック、ゴールドリング、
リン、ミッション、トーレンスなどがあり、
それまで一機種しか出していなかったところからも、数機種登場したりしている。

MC型カートリッジのブームが来た、といえる。
ブーム前もそうなのだが、MC型カートリッジをつくり続けてきた、といえるのは、
日本のカートリッジメーカーであり、
MC型カートリッジのブームが来たのも、
海外で日本のMC型が高く評価されるようになってきたから、ときいている。
ブーム後に登場した海外ブランドのMC型も、日本製であるモノがいくつもあった。

ダイレクトドライヴを開発したのは、いうまでもなく日本のテクニクスであり、
テクニクスの成功に刺戟され、国内各社はダイレクトドライヴに移行した。

そのダイレクトドライヴの音質に疑問をいだかせるきっかけとなったMC型カートリッジを、
決して製造中止にすることなくつくり続けてきたのも日本のオーディオメーカーである。

Date: 5月 7th, 2017
Cate: 終のスピーカー

無人島に流されることに……(その2)

本の場合、それもイギリスの場合、
聖書とシェイクスピア全集、この二つは、
「無人島に……」という質問では除外される、という。

ようするに聖書とシェイクスピア全集は必ず持っていくわけで、
それ以外に持っていく本は何か、という質問ということになる。

このことは、イギリスで「無人島に……」という質問に答える人は、
聖書とシェイクスピア全集を持っている人、
持たないでいられるわけがない人ということでもある。

この前提を知らずに、
イギリスでの「無人島に……」の本のセレクトを見たところで、
その理由の理解はおぼつかない、ということになろう。

聖書とシェイクスピア全集。
レコード(ディスク)で、この二つに相当するものはあるだろうか。

ロック・ポップスを中心に聴く人たちにとっては、
ビートルズとあとひとつ何かなのだろうか。
ジャズだと、何になるのだろうか。

クラシックでは、マタイ受難曲ということになるのか。

Date: 5月 7th, 2017
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクのクリーニング(その2)

インターネットがもたらしたもののひとつに、
こちらが常識だと思っていたことが、意外に知られていない、ということがある。

オーディオに関しても、広く知られている、と思っていたことが、
そうではなかった、ということを何度も体験している。

こちらは常識だっと思っているから、相手も知っているものだと思い込んでいる。
相手が知らないことが、どういうことなのか、こちらにはわからない。
だからオーディオの話をしているときに、互いに、えっ!? となることがある。

この項に関することでいえば、
アナログディスクは硬くなり、弾力性が失われる、ということがある。

私の周りだけなのかもしれないが、
私と同じくらい、それ以上のキャリアのあの人でも、
意外に、このことを知らない人がいる。

アナログディスクは、基本的には塩化ビニール(PVC)である。
約85%ほどが塩化ビニールで、それに10数%の酢酸ビニール(PVA)が主材となっている。
その他に、染料や安定剤がわずかに加えられている。

安定剤は1%程度なのだが、
この安定剤があるからこそ、アナログディスクはくり返し再生に耐え得るし、
アナログディスク(LP)が登場して以来、
各レコード会社は安定剤を研究してきていた、といえる。

この安定剤を、一般的に無害といわれる蒸留水、アルコールは破壊する。

Date: 5月 7th, 2017
Cate: アナログディスク再生

アナログディスクのクリーニング(その1)

別項「瀬川冬樹氏のこと(その5)」で、
瀬川先生の、カートリッジの針先とレコードのクリーニングについて書いた。

私のクリーニングも、基本的には同じである。
液体は、まず使わない。
その危険性については、瀬川先生からだけでなく、
他の方からも聞いているからである。

瀬川先生のカートリッジの針先のクリーニング方法は、
なんて乱暴な……、と思われる人がけっこういるのではないか。
瀬川先生自身は、慣れていない人には勧められない、といわれていた。

長島先生の針先クリーニングも、実は瀬川先生と基本的に同じである。
これも慣れていない人には勧められない。

クリーニングについての考えは、人によってかなり違う。
以前、液体の類は使わない、とあるところで書いたら、
けっこう攻撃的なコメントをもらったことがある。

高価なレコードクリーナーが、昔からいくつも登場しているのは、
クリーニング効果があるからだし、なぜ、それらを否定するのか、ということだった。

何も否定していたわけではなく、
あくまでも個人的に液体の類は使わない。
絶対に使わないのではなく、必要にかられれば使う。
基本的には使わない、ということであっても、理解してもらえなかった。

高価なレコードクリーナーとして、代表的な製品といえるのが、
イギリスのキースモンクスである。
1978年ごろ、MARK2が日本に入ってきた(輸入元は東志)。
価格は395,000円だった。1982年には495,000円になっていた。

MARK2は蒸留水とアルコールの混合液で洗浄、
洗浄液を吸引、その後の乾燥までを自動的に行ってくれる。

MARK2が登場したばかりのころ、究極のレコードクリーナーだ、と思っていた。

Date: 5月 7th, 2017
Cate: 終のスピーカー

無人島に流されることに……(その1)

音楽雑誌、オーディオ雑誌でも、
この手の記事が昔から続いている。

「無人島に流されることになったら、どのレコード(ディスク)を持っていくか」である。
音楽雑誌、オーディオ雑誌だからレコードであるわけだが、
一般雑誌では、どの本を持っていくか、である。

「無人島に流されることになったら……」、
この手の記事を読むのは楽しいけれど、
この質問をされたら、考え込んでしまうだろう。
レコードにしても、本にしても、何を持っていくのかは、
どれだけ持っていけるのかも関係してくるし、
無人島に流される期間が死ぬまで続くのか、
一年とか五年とか、その期限が来たら、元の生活に戻れるのか、
そういったこととと決して無関係ではない。

それにレコード(ディスク)の場合、
当然、再生装置が必要になるわけで、
無人島に電気があるわけないだろう、ということは無視して、
再生装置とそれが設置できる空間は用意されているという前提がなければ、
この手の質問は成り立たない。

再生装置もレコードと同じように選べるのか。
だとしたら、どういう再生装置を選ぶのか。

これもレコードと同じで、無人島に流される期間によって左右される。
それに持参するレコードによっても左右される。
レコードの選択自体も、再生装置によって左右される。

こんなふうに考えていくと、レコードの選択はできなくなるから、
「無人島に……」という質問(記事)の場合、
流される人が現在所有している(鳴らしている)再生装置が、
そのまま無人島での再生装置となる、という無言の大前提があるのだろう。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(英訳を考える)

音の英訳はsoundが、まず浮ぶ。

では再生音の英訳は? というと、
Google翻訳では、playback soundと出る。
直訳すぎる。

再生の英訳は、playbackの他に、reproductionも出てくる。
再生音の英訳ならば、playback soundよりも、
reproduction soundのほうが、まだしっくりくる。

忘れがちになるが、acoustic wavesも音の英訳である。
playback acoustic wavesとかreproduction acoustic waves、
そんな英訳はしたくない。

でも確かに音はacoustic wavesである。
ならばartificial wavesが、再生音の英訳であってもいいのではないだろうか。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: ディスク/ブック

THE DIALOGUE(その1)

「THE DIALOGUE」は、オーディオラボからでていた菅野録音の中で、
最も多く聴いたLPである。

1978年に出ている。
録音は1977年、もう40年経っている。

当時のステレオサウンドの試聴レコードとしても、よく登場していた。
熊本のオーディオ店の招待で定期的に来られていた瀬川先生も、
「THE DIALOGUE」を試聴レコードとして持参されていた。

一度、その熊本のオーディオ店に菅野先生が来られた時も、
JBLの4350Aで「THE DIALOGUE」を鳴らされた。

私にとって「THE DIALOGUE」はJBLの4343と4350Aで聴いた音が、
ひとつのリファレンスとなっているともいえる。

スピーカーから、こういうドラムスの音が聴けるのか、とおそれいった。
同時期のチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」におけるドラムスの音にも、
4343で聴いて驚いたけれど、「THE DIALOGUE」はより生々しかった。

LPをすぐさま買った。
33 1/3回転盤だけでなく、UHQR仕様の78回転盤も、
アナログプレーヤーをトーレンスの101 Limitedにした機会に見つけて買った。

菅野録音のオーディオラボのレコードは、他にも何枚か買っていた。
買わなくとも、ステレオサウンドで働いていると、他のレコードを聴く機会はあった。

「THE DIALOGUE」を、あるジャズ好きの人は、
「音はいいけど、音楽的(ジャズ的)にはつまらない……」といっていた。

反論したかったけれど、当時はジャズをほとんど聴いていなかった私にはできなかった。
それに、「THE DIALOGUE」を音楽として聴いていたかどうかに自信ももてなかったこともある。
そのくらい、「THE DIALOGUE」のディスクから聴くことのできる音は、
オーディオマニアにとって、ひとつの快感でもあったのではないだろうか。

少なくとも、10代の終りからハタチごろの私にとっては、そういう面を否定できない。
そのためだろうか、ある時期からパタッと聴かなくなった。

CDが登場してからも聴くことはなかった。
SACDとして2001年に登場した時も、見送っていた。

オーディオラボのSACDは、他のディスクは聴く機会があった。
菅野先生のリスニングルームでも聴かせていただいた。
けれど「THE DIALOGUE」はずっと聴いていない。
もう30年ほど聴いていないのに、ここにきて無性に聴きたくなっている。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その1)

ずっと以前、とあるところから、
あるオーディオ機器の取り扱い説明書を書いてくれないか、という依頼があった。

ことわる理由もなかったし、取り扱い説明書を書くのも、何かの勉強だと思い受けたことがある。
とはいうものの、これまでオーディオ機器の取り扱い説明書を読んだことはほとんどない。
かなり多くのオーディオマニアが、私と同じではなかろうか。

なのでいくつかの取り扱い説明書を取り寄せて、読んだことがある。
オーディオ機器の取り扱い説明書も、各社さまざまなのを知った。
こういう機会でもないかぎり、取り扱い説明書をじっくり読むことはなかった。

基本的に、オーディオ機器であれば取り扱い説明書はなくとも使える。
そういう自信を持っていた。
けれど先日のaudio wednesdayでは取り扱い説明書を読むことになった。
オーディオ機器の取り扱い説明書を読むのは二十年以上なかった。

喫茶茶会記の新しいアンプ、マッキントッシュのMA7900のフロントパネルには、
それほど多くのツマミがあるわけではない。
最初MA7900を前にして、あれっ? と思った。

モードセレクターが見当たらなかったからだ。
MA2275にはついていた。
モードセレクターなんて要らない、と考える人もいるが、
モードセレクターの有用性を知らない(気づいていない)人は、
そういう調整の仕方をしているわけとなる。

マッキントッシュもついになくしたのか……、と思っていた。
途中でMA7900の内蔵D/Aコンバーターの音を聴こう、ということになった。

私は単純に、入力セレクターをまわしていけば、
デジタル入力がディスプレイに表示されるのだと思っていた。

Date: 5月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その5)

M&KのSatellite-IA + Volkswooferを、
ごくふつうに鳴らした音は、品位に欠ける音、とまず言いたくなる。

使用されているユニットのクォリティがそれほど高くないのだろうか、
最初に鳴ってきた音を聴いた瞬間は、
なぜこのスピーカーが、アメリカで売れているのか、理解できなかった。

コンセプトとしては、おもしろいスピーカーシステムといえる。
サブウーファーに関しては、フィルターの信号処理、
内蔵アンプの高効率化など、1980年のころとは大きく変化している。

BOSEの501は、M&Kに近いスタイルのスピーカーでもあった。

とはいえ、スピーカーは出てくる音がすべて、ともいえる。
出てくる音は、スピーカーの能力だけでなく、鳴らし手の能力も深く関係してるのはいうまでもない。

井上先生の手にかかると、M&Kのスピーカーから品位ある音が聴けるようになるわけではない。
それでもSatelliteスピーカーの結線をあれこれ試して、
Volkswooferの位置、レベルなどを調整されていくと、
不思議と、楽しいスピーカーシステムなんだ、と思えてくる。

聴いていると楽しい、と思う。
オーディオの面白さは、単にクォリティの追求だけではないことが、
井上先生の鳴らすM&Kのスピーカーの音を聴いていると感じる。

オーディオには遊びの要素もあることに気づかされる、ともいえる。
けれど井上先生が鳴らされるM&Kと同じ音を当時、私一人で鳴らせるかといえば、無理だった。

ステレオサウンドの試聴室では、
基本的なセッティングは編集部がやるし、
試聴しながらのチューニングも、井上先生の指示で編集部がやる。

体を動かしていたのは編集部(つまり私)だったけれど、
一度システムをバラして、もう一度セッティングし直して、同じ音を出す自信はなかった。
つまりM&Kのスピーカーを楽しむことを、一人ではできなかった。

いまはどこも輸入していないのだから試しようがないけれど、
M&Kのスピーカーシステムのもつ楽しさを抽き出す自信はある。
そうなると、この項のテーマについても、
20代前半のころといまとでは違っているところも出てきている。

Date: 5月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その4)

書きたいことは、つねにいくつもある。
にも関わらず、まだ書いていないこともいくつもある。

その書きたいことをどこに書こうか、と迷うからだ。
どのテーマ、どのタイトルのところに書こうと同じであるならば、
思いつくままに書いていくのだが、
書いている人ならば、どのテーマ、どのタイトルに書くかによって、
書き始めは同じでも、途中から変っていくのを感じているはずだ。

このことも以前から書こうと思っていた。
結局、ここに書くことにした。

アメリカにM&Kというスピーカーブランドがある。
1980年代は、三洋電機貿易が輸入元だった。
その後、輸入元がなくなったが、数年前に一時期タイムロードが輸入していた。

M&Kのスピーカーシステムは、Satelliteと呼ばれる小型スピーカーと、
Volkswooferと呼ばれるサブウーファーから成るのが特徴だ。

単独での使用も可能だし、単売していたものの、
実際にはSatellite + Volkswooferの組合せが前提であったし、
ステレオサウンドの試聴室では、いつもこの組合せで聴いていた。

Satelliteスピーカーには二種類あり、主に聴いたのは上級機のSatellite-IA。
13cm口径ウーファーを縦方向に二発、
ドーム型トゥイーターも縦方向に二発配置していて、
それぞれのウーファー、トゥイーターの結線方法を変えることで、
六つの音が楽しめるようになっていた。

これにパワーアンプ内蔵のサブウーファーVolkswooferを組合せるわけだから、
調整の幅は、通常のスピーカーシステムよりも大きかった。

アメリカではけっこうな数売れていたらしいが、
日本での評価は高いものではなかった。

だから輸入されなくなったわけだし、タイムロードもいまは輸入していない。
そんなスピーカーをあえて取り上げているのは、
井上先生が鳴らした場合だけ、このM&Kのスピーカーは楽しい音を聴かせてくれるからだ。

Date: 5月 5th, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(トスカニーニの場合)

トスカニーニがNBC交響楽団と録音したものは、ほぼすべてがモノーラルである。
しかもそれらスタジオでのモノーラル録音のすべて(といっていいだろう)が、
残響を徹底的に排除した、ともいえる録り方である。

結局、それはモノーラルだったからではないのか。
ステレオ録音がもう数年ほど早く実用化されていたら、
トスカニーニがあと数年、現役を続けていて録音を残していれば、
あそこまでドライな録音ではなかったはすである。

トスカニーニは、確かに録音において残響を嫌っていた。
それは演奏の明晰さを、モノーラル録音・再生において損なわないためだとして、
再生側で、トスカニーニの意図通りに再生するには、
デッドなリスニングルームで、間接音をできるだけ排除して、
直接音主体であるべきなのか、というと、どうもそうではないようである。

何で読んだのかは忘れてしまったが、
トスカニーニは部屋の四隅に大型のコーナー型スピーカーを配置してレコードを聴いていた、という。
トスカニーニは1957年に亡くなっているから、
トスカニーニの、この大がかりなシステムは、モノーラルと考えられる。

モノーラルで、四隅に設置されたコーナー型スピーカーを同時に鳴らす。
残響を嫌った録音とは異るアプローチの再生である。

Date: 5月 5th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(「瑣事」より)

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
 人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
 人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
     *
芥川龍之介の「瑣事」からの引用である。
まさしくそういうことである。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: ショウ雑感

2017年ショウ雑感(その1)

来週末(13日、14日)は、OTOTEN(音展)である。

今年、開催が秋から春に変更、
会場もインターナショナルオーディオショウと同じ国際フォーラムで開催されるようになった。

私の周りではインターナショナルオーディオショウに比べ、
OTOTENへの関心は低いようで、開催時期が早まったことを知らない人もいる。

年々規模が縮小していって、今年もそうであるのならば、
関心がもたれなくなっても仕方ない、といえるが、
少なくとも今年はこれまでとは違うように感じている。

それにOTOTENには、
インターナショナルオーディオショウから撤退したハーマンインターナショナルが出展する。
大阪でのオーディオショウには出展していても、
東京でのオーディオショウには……、という状態が数年続いていた。

古いヤツだといわれようと、JBLのないオーディオショウはすこしさびしい……、
と思うような私は、
ハーマンインターナショナルが戻ってきた、というよりもJBLが戻ってきた──、
そんな感じで受けとめている。