Archive for 3月, 2017

Date: 3月 9th, 2017
Cate: 所有と存在

所有と存在(その4)

音は所有できない。
同じ意味で、音楽も所有できない。

先日、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」のCDを買った。
一度手離したディスクを久しぶりに聴きたいがためである。

バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」のCDは四枚組である。
私が所有している(できている)のは、
バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」を収めた四枚組のCDである。

それはバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」という音楽を所有していることにはならない。
あくまでも四枚組のCDを所有している、ということに留まる。

CDにしてもアナログディスクにしても、他のメディアだろうが、
そのメディアに記録されている音楽を聴くためには、再生装置が必要となる。

たとえば本。
本とレコードは似ている、といえば似ている。
けれど本を読むのに、レコードを聴くのに必要な再生装置の類は要らない。

その本さえあれば、まっくら闇でもなければ読める。
本は、レコードよりも、よりダイレクトといえる。
それでも、その本におさめられている作品を所有したとはいわないし、思わない。

いま私は「3月のライオン」に夢中になっている。
単行本が手元にある。
購入した本であるが、だからといって「3月のライオン」を所有している、
所有できた、とはまったく思わない。

どんな本でもいい。
そこにおさめられている作品を所有している(できた)と思った人はいるのだろうか。

Date: 3月 8th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

もうひとつの20年「マンガのDNA」と「3月のライオン」(その1)

いまは3月だから、という勝手な理由をつけて「3月のライオン」については、
遠慮することなく書こう、と思っている。
少なくとも私の中では、オーディオと無関係なことではないのだから。

「3月のライオン」を読んでいると、なぜ、こんなにもハマっているのか、と自問することがある。

「3月のライオン」の単行本の巻末には、いわゆるあとがきといえるページがある。
本編とは違うタッチで描かれた短いマンガが載っている。
筆者近況ともいえる内容のこともある。

十巻の、そんなあとがきを読んでいて、
やっぱりそうだったのか、と納得できた。

そのあとがきは入院・手術のことから始まる。
かなり大変だったのだろうと思う。

あとがきに、こんな独白がある。
     *
身体はしんどかったのですが
素晴らしい事もありました

今年(2014年)5月に
朝日新聞社さんの
「手塚治虫文化賞マンガ大賞」
いただく事ができました

「こんなにも何かを欲しがっては
呪われてしまうのでは」と思う程
心を占めていた賞でした

受賞の報せを
きいた時

こんらんして どうようして
30分以上 立ったままで
大泣きしました
     *
作者の羽海野チカは、初めて買ったマンガが「リボンの騎士」で、
小さかったころ夢中になってまねて描いていた、と。

羽海野チカは描き続けてきたのだろう。
私にもそんな時が、短かったけれどあった。

手塚治虫のキャラクターをまねてよく描いていた。
けれどそこで終っている。

そこで終った人間と描き続けている人間とでは、描いた線の数はものすごい差がある。
私に描けたのは、
手塚治虫のキャラクターを表面的にまねるためだけの線でしかない。

羽海野チカの描く線は、そんな域には留まっていない。

Date: 3月 7th, 2017
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その7)

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」を聴いたのは、中学生のころだった。
スサーナが情感をこめて「抱きしめて」と歌い出す。

この最初の「抱きしめて」を聴いて、どきりとしたことは、いまも憶えている。
とはいえ、ここでの「抱きしめて」に込められた意味を正しく理解していたとはいえない。

なにせ中学生。そんな経験はないのだから、あくまでも想像での理解にすぎなかった。
それから月日が経ち、久しぶりに聴いたスサーナの「抱きしめて」は、
自分の経験を自然とそこに重ねていて、初めて聴いたときよりも、
もっともっとどきりとした。

思い出して後悔もした。

そのスサーナの「抱きしめて」を、
マイケルソン&オースチンのTVA1は、情感たっぷりに鳴らす。

「抱きしめて」は日本語の歌であっても、歌っているグラシェラ・スサーナはアルゼンチンの人。
日本人にはない濃密さのようなものがそこにはあって、
そのことをTVA1の音は、より濃く表現してくれる。

それに対してウエスギ・アンプのU·BROS3は淡泊に鳴らす。
若いころは、そこが不満に感じた。

私は真空管アンプでプリント基板を使っているのは、基本的に認めていない。
TVA1はプリント基板を使った配線、U·BROS3はプリント基板を使わずに配線し組み立てられている。

アンプとしての信頼性の高さはU·BROS3は上といえる。
それでもスピーカーから鳴ってくる音だけで判断すれば、
グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」だけで判断しても、
TVA1を若いころの私は、何の迷いもなく選んだ。

けれどさらに歳を重ねていき、40を越えたころからU·BROS3の表現も、TVA1の表現も、
どちらも魅力的に感じられるように変ってきたことに、
どちらの「抱きしめて」も等しく受け入れられるように変っていることに気づいたわけだ。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: ディスク/ブック, 老い

「トリスタンとイゾルデ」(バーンスタイン盤)

本は書店で買うようにしているのに、
CDはなぜかインターネット通販で買うことが圧倒的に多い。

今日ひさしぶりに新宿にあるタワーレコードに行った。
タワーレコードは独自に、廃盤になってしまった録音を復刻しているのはご存知のとおり。

バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」のその中に入っていたことを、
店舗に行って気づいた。

「この曲の新境地を示したバーンスタイン唯一のワーグナーのオペラ全曲盤が、国内盤で約23年振りに復活!」
と帯にある。

なぜか、ずっと廃盤のままだった。
ハイライト盤はあったけれど。

数ある「トリスタンとイゾルデ」のディスクで、屈指の名演かといえば、そうとは思っていないけれど、
このバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」は執拗さという点で、
異質といえるのかもしれない。

この執拗さは、老いからくるものだろうか。
そうだろうと思う。
だからだろう、40をすぎたあたりから、無性に聴きたくなった。

けれど廃盤のままでかなわなかった。
発売になってすぐに買って聴いていたバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」だったが、
当時私は20代、最後まで聴き通すことがしんどく感じられた。

二、三回にわけて全曲を聴いたが、一回で最後まで聴き通したことはなかった。
そんなこともあって、他の事情もあって、手離していた。

いまなら、最後まで聴き通せるはずである。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「三島由紀夫の死」(とんかつのこと)

夕方、友人のAさんから食事の誘いがあった。
水道橋辺りでとんかつを食べませんか、ということだった。

ふたりともとんかつは好物である。
水道橋辺りではあまり食事をしたことがないので、
そこがどんな店なのか興味もあるし出掛けていった。

水道橋東口から徒歩数分のところにあるかつ吉である。
古くからある店とのこと。

あれこれ楽しい話をして店を出ようとして気づいた。
レジのところに、この店が紹介された記事の切り抜きが貼ってあった。

文人が愛した店ということで紹介されていた。
そこには川端康成と三島由紀夫の写真があった。

Aさんに、このふたりが来てたんですね、といったら、
Aさんのお父さんが以前、この店に来たところ三島由紀夫も来ていた、とのこと。

これだけだったら、ここで書くことはないのだが、
それが「三島由紀夫の死」の二日前のことである。

その日に思い立っての切腹ではなかろう。
ならば最期の日を前にして、好きなものを食べに来ていたのだろうか。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その19)

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。

Date: 3月 5th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(組合せを考えていて)

別項「ラジカセのデザイン!」(余談)を書いている。
また古い機種を持ち出して書いている、と思う人がいるのはわかっている。

私だってもっと新しいオーディオ機器で、同じことが書けるのであればそうする。
おまえの実力がそれまでなんだよ、といわれようと、
4310と1060の組合せと同じことを、
現在のオーディオ機器で書けるだろうか、となると、なかなか難しい。

なので昔のオーディオ機器のことを、あえて書いているし、
書きながら、ほんとうに豊かになっているのか、とそこでも考える。

Date: 3月 5th, 2017
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×十・余談)

書き忘れたことにきづいた。
マランツのModel 1060のウッドケースのことである。

1060には専用のWC10(5,900円)が用意されていた。
WCとはウォールナットキャビネットのことである。

何度か書いているように、私はウッドケースをあまり好まない。
Model 1060にも要らないと感じている。
アナログプレーヤーをシネコのMark 2002にして、シルバーパネルの1060には、
はっきりとウッドケースは要らない。

けれどエンパイアのプレーヤーに、ゴールドパネルの1060ならば、
ウッドケース付きを私でもとるだろう。

ただそれでも4310の横幅は36.4cm、1060は36.2cm。
ほぼ同じといってよい。
ウッドケースをおさめてしまうと、数cmは横幅が大きくなる。
この点を考えると、ありかなしかと迷うところ。

オーディオというシステムはコンポーネントである。
プレーヤー、アンプ、スピーカーなどを組み合わせることで成り立つだけに、
オーディオ機器のデザインを、その機器だけで語ることは基本難しいのではないか。

他の機器との関連性も含めての判断であり、選択である。

Date: 3月 5th, 2017
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×九・余談)

マランツのModel 1060にはフロントパネルがふたつ用意されていた。
マランツならではのゴールドパネルとシルバーパネルである。

アナログプレーヤーにエンパイアを選んでいれば、
1060のゴールドパネルということになるし、4310もウォールナット仕様の方に、
自然と決っていく。

エンパイアのプレーヤーの金属部分はコールド仕上げだし、
ベースにもダストカバーの両サイドにも木が使われている。

もっとも手が触れるアナログプレーヤーのデザインがこうなのだから、
1060、4310の仕上げは決っていくわけだ。

シネコのMark 2002ならば、ここはゴールドの1060ではなくシルバーの1060である。
4310もサテングレー仕上げに決る。

シネコ(Cineco)はフランスのメーカーで、成川商会が輸入していた。
プレーヤーキャビネットは厚さ20mmのアクリルガラスで、
ターンテーブルプラッターからレコード盤を浮すための円盤状のものが六つ外周ちかくにある。

プラッターの右側、つまりトーンアームが装着されるところはアルミで覆われている。
ただしこの部分もアクリルガラス製のモノもあったようだが、
アルミで覆われているほうがコントラストがあって、
トーンアーム(SMEの3009 Improved搭載)との馴染みもいい。

エンパイアのプレーヤーとの質感がまるで違うMark 2002だから、
1060も4310も、シルバーでありサテングレーになるわけだ。
逆は絶対にありえない。

机上の組合せだからといって、
エンパイアのプレーヤーに、シルバーの1060、サテングレーの4310はないし、
シネコのプレーヤーに、ゴールドの1060、ウォールナットの4310もない。

組合せとはそういうもののはずだ。

Date: 3月 5th, 2017
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×八・余談)

昨晩書いたこの項へのコメントが、facebookにあった。

デュアルかガラードのオートチェンジャー、
ARの、シンプルなモデル、
テクニクスのSL10、
アナログプレーヤーはやめて、マランツのCD63、
というコメントがあった。

マランツのModel 1060は、61,800円だった。
上級機にはModel 1120(175,000円)、Model 1200B(325,000円)があった。
Model 1060は出力30W+30Wの、いわば普及クラスである。

同じころ(1975年)、JBLの4310は4311になっていた。
4311は193,800円(一本)していた。

価格的には、バランスがとれている組合せとはいえない。
4310には、アンプにもう少し奢ったほうがいいのはわかっているけれど、
ここではあくまでもデザインの面白さで組合せを構成しているのだから、
あまり極端にバランスがくずれているモノは選びたくないが、価格的バランスにはこだわっていない。

それに妄想組合せゆえに、年代的なこともそれほどこだわりもない。

JBLもマランツもアメリカということで候補となるのは、
やはりエンパイアの598IIIか698となる。

598IIIは225,000円(1975年)、698は206,000円(1977年)。
アンプとのバランスはとれていないけれど、スピーカーとはバランス的にそう離れていない。

悪くないと思いながらも、やはりここで持ってきたいのは、
シネコのMark 2002である。

Date: 3月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その3)

ある料理を、複数の人で食べたとする。
料理でなくともいい、日本酒であったり、ワインであったり、他の食べ物、飲み物でもいい。

とにかく同じものを、複数の人で食べる(もしくは飲む)。
これは、複数の人が同じ食べ物(飲み物)を食べた(飲んだ)、といえる。

口にいれた食べ物(飲み物)をどう感じるかは、人によって違うところがある。
それでも同じ食べ物(飲み物)を口に入れた、といえる。

音はどうだろうか。
同じ部屋で同じ時間に、ある音を聴く。
座る位置で音は違うから、くり返し同じディスクを鳴らして、
みな同じ位置で音を聴く。

理屈でいえば、みな同じ音を聴いた、といえるのだが、
感覚的に、ほんとうにそういえるだろうか、と思ってしまう。

同じ音を聴いたとしても、感じ方は人それぞれであることは、
食べ物(飲み物)と同じであるのもわかっている。

そういうこととは少し違うところで、人は同じ音を聴けるのだろうか、という疑問がある。

人それぞれ感じ方が違うから、結果として違う音を聴いていた、とはいわない。
それでは食べ物(飲み物)にも同じことはいえる。

いまはまだうまく説明できないのだが、食べ物(飲み物)と同じにはいえない性質が、
音にはあって、そのことによって、同じ音を複数の人が聴くことはできないのではないのか。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その8)

別項「オプティマムレンジ考」で少し触れたが、
現在のオーディオ機器のセパレーション特性はどの程度確保されているのだろうか。

昔のステレオサウンドではアンプの特集であれば測定結果があって、
そこには歪率とともにセパレーション特性もあったりした(ないこともあったけれど)。

大半のアンプが高域にいくにしたがってセパレーション特性は悪くなる。
クロストークが増えるわけである。

クロストークをなくすにはシャーシーから完全に分離したモノーラル構成にするしかない。
デュアルモノーラルコンストラクションを謳っていても、
ひとつのシャーシーに2チャンネル分のアンプ(回路)がおさまっている以上、
完全なセパレーション特性を得ることはできない。

ハイレゾリューションそのものはけっこうなことである。
でも安易にサンプリング周波数を上げて、再生周波数の上限を拡げていくことは、
デメリットもついてくるということを考えなければならない。

現在のアンプのセパレーション特性はどうなっているのだろうか。
20kHzまでフラットなセパレーションが確保されているのか。
それから20kHz以上になると、どうなっているのか。
なぜオーディオ雑誌では、ハイレゾ特集を行うときに、アンプの測定を行わないのか。
20kHz以上の特性についての綿密な測定は、これから重要になるのではないか。

20kHz以上の信号とノイズが、アンプの動作にどう影響を与えるのか。
セパレーション特性だけでなくTIMも含めて検証してみるべきである。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×七・余談)

しっかりした本棚におさめて使えるオーディオシステムの妄想を、余談として書いてきた。
JBLの4411の組合せの、いわば机上プランである。

音だけでいえば、4411の方がいいだろうけど、
本棚におさめて使うシステム、いわば私にとって大型のラジカセの延長としてのシステムでは、
デザインの、他のオーディオ機器にはない特徴で選べば、
スピーカーは同じJBLでも4310にしたい。

4311の方が4310よりも音はいいだろうし、中古も手に入りやすい。
それでも4310なのは、4310ならではのデザインがあるからだ。

4310がスピーカーとなると、プリメインアンプはマランツのModel 1060にしたい。
マランツのアンプでは、Model 7を別格とすれば、私はこの1060が好きである。

私がオーディオに興味を持ち始めたころには製造中止になっていたモデル。
1060の存在を知ったのは、数年後だったか。

そのころのマランツのプリメインアンプのデザインしか知らなかった目には、
1060のデザインは新鮮だった。こんなデザインのアンプがマランツにあったのか、と思ったし、
いかにもマランツらしい、とも感じていた。

これも音だけでいえば、その後の1250の方が音はいいに決っている。
それでも1250には、まだアメリカのブランドとしてのマランツのアクの強さのようなものが、
少し押しつけがましいようにも感じられる。

その点、1060もいかにもアメリカのマランツらしいデザインであっても、
1250に感じたところはない。
写真でしか見たことがないから実物を見てしまったら、少し印象は変るのかもしれないが、
ここで書いているのは妄想の組合せだから、気にしない。

4310に1060。
ここまではすんなり決っても、このふたつに見合うアナログプレーヤーが浮ばない。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その8)

「コンポーネントステレオのすすめ 改訂版」には、
瀬川先生によるEatonの組合せがある。
     *
 イギリスの名門といわれるタンノイの新シリーズのイートンは芯の強い緻密な音質。ロジャースLS3/5Aは、BBC放送局仕様のミニモニタースピーカーで、あまり大きな音は出せないが、繊細な細密画のような、あるいはスピーカーの向う側に小宇宙とでもいいたい空間の広がりを感じさせるような、独特の音を聴かせる。アンプとカートリッジは、オルトフォンのSQ38FD/IIならや古めかしさはあるが温かい表現だし、エレクトロ・アクースティックと5L15なら、鮮度の高く澄明で繊細な表現が得られる。どちらをとるかが難しいところ。

●スピーカーシステム:タンノイ Eaton ¥160,000
●スピーカーシステム:ロジャース LS3/5A ¥150,000
●プリメインアンプ:ラックス 5L15 ¥168,000
●プリメインアンプ:ラックス SQ38FD/II ¥168,000
●フォノモーター:ビクター TT-81 ¥65,000
●プレーヤーケース:ビクター CL-P1 ¥23,800
●トーンアーム:ビクター UA-7045 ¥25,000
●カートリッジ:オルトフォン SPU-GT/E ¥43,000
●カートリッジ:エレクトロ・アクースティック STS555E ¥35,900

組合せ合計¥520,000(Eatonを使用した場合)
     ¥510,000(LS3/5Aを使用した場合)
     *
「コンポーネントステレオのすすめ 改訂版」は1977年に出ている。
ラックスのプリメインアンプ二機種は、どちらも168,000円だが、
片方は管球式でもう片方は最新のトランジスターアンプで、
製品のコンセプトは、同じラックスの中にあっても対極といえる。

EatonはIIILZの後継機とはいえ、
搭載ユニットはトランジスターアンプ時代を迎えてインピーダンスが8Ωに変更されたHPDシリーズ。
IIILZにもHPD295を搭載したモデルはあるが、
一般的にいわれているIIILZはMonitor Gold搭載のモデルのことであり、
ここでのIIILZも、そのモデルのことである。

瀬川先生が5L15を組み合わせられる理由もわかる。
IIILZとSQ38FDの黄金の組合せからは、
おそらく得られないであろう《鮮度の高く澄明で繊細な音》。

透明ではなく澄明な音。
この組合せも、当時聴きたいと思っていた音のひとつだった。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その7)

元のEatonは、IILZの後継機といえる。
IIILZといえば、日本ではラックスのSQ38FD、それにオルトフォンSPUとの組合せが、
いわゆる黄金の組合せとして、古くからのオーディオマニアのあいだでは知られている。

残念なことに私は、この「黄金の組合せ」の音は聴いていない。
瀬川先生は「続コンポーネントステレオのすすめ」では、こう書かれている。
     *
 ところで、数年前のこと、ラックスの管球アンプSQ38FDとタンノイのIIILZ(スリーエルゼット)というスピーカーの組合せを、ステレオサウンド誌が〝黄金の組合せ〟と形容して有名になったことがある。絶妙の組合せ、ともいわれた。こういう例をみると、スピーカーとアンプとに、やはとり何かひとつ組合せの鍵があるではないかと思えてしまう。だがそれはこういうことだ。タンノイのIIILZは、数年前の水準のトランジスターアンプで鳴らすと、概して、弦の音が金属的で耳を刺す感じになりやすく、低音のふくらみに欠けた骨ばった音になる傾向があった。それを、ラックスのSQ38FDで鳴らすと、弦はしっとりとやわらかく、低音も適度にふっくらとしてバランスがよい。ここにオルトフォンのSPUというカートリッジを持ってくると、いそうそ特徴が生かされる。
     *
この瀬川先生の文章以前に、「五味オーディオ教室」でも、
IIILZの黄金の組合せについては読んでいた。
     *
 かつてヴァイオリニストのW氏のお宅を訪れたとき、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴かせてもらったことがある。そのあと、オーケストラを聴いてみたいと私は言い、メンデルスゾーンの第四交響曲が鳴り出したが、まことにどうもうまい具合に鳴る。わが家で聴くオートグラフそっくりである。タンノイIIILZは何人か私の知人が持っているし、聴いてきたが、これほどナイーブに鳴ったのを知らない。「オリジナルですか?」とたずねた。そうだという。友人のは皆、和製のエンクロージァにおさめたもので、箱の寸法など寸分違いはないのに、キャビネットがオリジナルと国産とではこうまで音は変わるものか。
 スピーカーだけは、ユニットで買ったのでは意味がない。エンクロージァごとオリジナルを購入すべきだと、かねて私自身は強調してきたが、その当人が、歴然たる音の違いに驚いたのだから世話はあるまい。
 私は確信を持って言うが、スピーカーというものを別個に売るのは罪悪だ。スピーカーだけを売るから世間の人はスピーカーを替えれば音が変わると思ってしまう。スピーカーというのは要するに紙を振動させるものなので、キャビネットが音を鳴らすのである。スピーカー・エンクロージァとはそういうものだ。
 でも本当に、わが耳を疑うほどよい響きで鳴った。W氏にアンプは何かとたずねるとラックスのSQ38Fだという。「タンノイIIILZとラックス38Fは、オーディオ誌のヒアリング・テストでも折紙つきでした。〝黄金の組合わせ〟でしょう」と傍から誰かが言った。〝黄金の組合わせ〟とはうまいこと言うもので、こういうキャッチフレーズには眉唾モノが多く、めったに私は信じないことにしているが、この場合だけは別だ。なんとこころよい響きであろう。
 家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上の何が必要だろう、と私は思った。友人宅のIIILZでは、たとえばボリュームをあげると欠陥があらわれるが、Wさんのところのはそれがない。カートリッジはエンパイアの九九九VEだそうで、〈三位一体〉とでも称すべきか、じつに調和のとれた過不足のないよい音である。
 畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
 私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
     *
アンプはどちらもラックスだが、SQ38FとSQ38FDの違いはあるが、
他のアンプとの組合せからすれば、この違いは小さいといえよう。
カートリッジもオルトフォンSPUとエンパイアの999VEの違いはあるが、
ここではIIILZとSQ38F(D)との組合せにウェイトとしては重心がある。

1976年にEatonが登場した。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、山中先生が組合せをつくられている。
そこではパイオニアのセパレートアンプC21とM22、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD160CにカートリッジはAKGのP8Eだった。

「黄金の組合せ」的な要素はなかった。
むしろ上杉先生によるDevonの組合せの方が近かった。
アンプはラックスのSQ38FD/II、カーリトッジはデンオンのDL103だった。