Date: 3月 9th, 2017
Cate: 所有と存在
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所有と存在(その4)

音は所有できない。
同じ意味で、音楽も所有できない。

先日、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」のCDを買った。
一度手離したディスクを久しぶりに聴きたいがためである。

バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」のCDは四枚組である。
私が所有している(できている)のは、
バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」を収めた四枚組のCDである。

それはバーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」という音楽を所有していることにはならない。
あくまでも四枚組のCDを所有している、ということに留まる。

CDにしてもアナログディスクにしても、他のメディアだろうが、
そのメディアに記録されている音楽を聴くためには、再生装置が必要となる。

たとえば本。
本とレコードは似ている、といえば似ている。
けれど本を読むのに、レコードを聴くのに必要な再生装置の類は要らない。

その本さえあれば、まっくら闇でもなければ読める。
本は、レコードよりも、よりダイレクトといえる。
それでも、その本におさめられている作品を所有したとはいわないし、思わない。

いま私は「3月のライオン」に夢中になっている。
単行本が手元にある。
購入した本であるが、だからといって「3月のライオン」を所有している、
所有できた、とはまったく思わない。

どんな本でもいい。
そこにおさめられている作品を所有している(できた)と思った人はいるのだろうか。

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