もうひとつの20年「マンガのDNA」と「3月のライオン」(その1)
いまは3月だから、という勝手な理由をつけて「3月のライオン」については、
遠慮することなく書こう、と思っている。
少なくとも私の中では、オーディオと無関係なことではないのだから。
「3月のライオン」を読んでいると、なぜ、こんなにもハマっているのか、と自問することがある。
「3月のライオン」の単行本の巻末には、いわゆるあとがきといえるページがある。
本編とは違うタッチで描かれた短いマンガが載っている。
筆者近況ともいえる内容のこともある。
十巻の、そんなあとがきを読んでいて、
やっぱりそうだったのか、と納得できた。
そのあとがきは入院・手術のことから始まる。
かなり大変だったのだろうと思う。
あとがきに、こんな独白がある。
*
身体はしんどかったのですが
素晴らしい事もありました
今年(2014年)5月に
朝日新聞社さんの
「手塚治虫文化賞マンガ大賞」
いただく事ができました
「こんなにも何かを欲しがっては
呪われてしまうのでは」と思う程
心を占めていた賞でした
受賞の報せを
きいた時
こんらんして どうようして
30分以上 立ったままで
大泣きしました
*
作者の羽海野チカは、初めて買ったマンガが「リボンの騎士」で、
小さかったころ夢中になってまねて描いていた、と。
羽海野チカは描き続けてきたのだろう。
私にもそんな時が、短かったけれどあった。
手塚治虫のキャラクターをまねてよく描いていた。
けれどそこで終っている。
そこで終った人間と描き続けている人間とでは、描いた線の数はものすごい差がある。
私に描けたのは、
手塚治虫のキャラクターを表面的にまねるためだけの線でしかない。
羽海野チカの描く線は、そんな域には留まっていない。