Archive for 1月, 2017

Date: 1月 18th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(It’s a Sony・その1)

上京したばかりのころ、行きたいところはいくつもあった。
秋葉原もそうだったし、銀座のソニービルのそのひとつだった。

昔は銀座に行けば、かなりの頻度でソニービルに寄っていた。
この十数年はめったに寄ることはなかった。

ソニービルも老朽化のため建替えになる。
2月12日まで、カウントダウンイベントとして「It’s a Sony展」を行っている。

まだ行ってないが、
インターネットのニュース系サイトGigazineで取り上げられていた。

この記事を読んでいて、スクロールする指が止った。
H型テープレコーダー(1951)のところで止った。

オーディオマニアならば、この写真を見てすぐにおかしいと感じる。
何がおかしいのかはあえて書かないが、
いまのソニーには、どこがおかしいのかがわかる人、
つまりオープンリールデッキの正しい扱い方を知っている人がいないようである。

わからなかったら、社内の誰か、わかっている人に訊ねることもしないのだろうか。
展示だから、この程度でいい、という判断なのだろうか。

いまの、それがソニー(It’s a Sony)なのか。

(2017年1月21日追記)
ソニーのH型テープレコーダーに関して、私の知識不足ときちんと確認せずに書いてしまった。
11月の開始時点では正しくなかったリールの取りつけは、
上記リンク先の写真が正しい。
このことは(その3)で書いている。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その40)

スピーカー設計の考え方の違いは、
タイムアライメントの重要性を謡ながらも、実際にどういう方法で対処するのかにもあらわれる。

リニアフェイズという言葉が使われるようになった1970年代後半、
当時マランツのスピーカー部門の責任者であったエド・メイは、
マルチウェイスピーカーの場合、個々のユニットの前後位置をずらして位相をあわせるよりも、
ネットワークの補正で行なった方が、より正しいという考えを述べている。
ユニットをずらした場合、バッフル板に段がつくことで無用な反射が発生したり、
音響的なエアポケットができたりするため、であるとしている。

エド・メイが開発にあたったスピーカーシステムは、
ステレオサウンド 44号、45号のスピーカーの総テストに登場している。

一方KEFのレイモンド・クックはネットワークでの時間軸の補正は、
部品点数が増え、複雑で高価になるため、
ユニットの前後位置をずらしたModel 105を開発している。

エド・メイとレイモンド・クック。
どちらが正しいかを判断するのは難しい。

マランツ、KEFともに使用ユニットはコーン型とドーム型。
いわゆるダイレクトラジエーターだから、この問題について両者の技術の比較はまだいいが、
これがホーン型とコーン型の組合せとなると、ホーン型についてまわる仮想音源の位置が問題となる。

音像がホーンののどあたりに定位するのか、それとも開口部に定位するのか。
ホーンの設計・形状によっては、音の高さによって定位がわずかとはいえ前後するモノもある。

音響レンズつきのホーンの場合、音像の定位、
つまり仮想音源の位置は開口部となり、振動板の位置(実音源の位置)はずっと奥にあり、
この差を無視してのタイムアライメントはありえない。

ときどき見かけるのが、JBLのスタジオモニターのホーンとドライバーを取り出して、
前に突き出すことで、ウーファーとドライバーの振動板の位置合せを行っている人がいる。

こうすることで実音源の位置は確かに合う。
けれど音響レンズつきのホーンだけに、中高域の仮想音源の位置はホーン開口部にある。
つまりフロントバッフルよりも前に突き出しているのだから、ズレが生じている。

そのことに何も感じないのだろうか。
振動板(ボイスコイル)の位置が揃っていれば、いいという考えで音を判断しているのか。

Date: 1月 18th, 2017
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その39)

タンノイとアルテック。
イギリスの同軸型ユニットとアメリカの同軸型ユニット。

タンノイのユニットはロックウッドのスピーカーシステムにも搭載されていた。
アルテックのユニットはUREIのスピーカーシステムにも搭載されていた。

UREIのModel 813は、アルテックの604-8Gを使いながらも、
独自の特許取得のネットワークにより、
ウーファーとドライバーのタイムアライメントをとっていた。

そのUREIにもエレクトリックデヴァイディングネットワークはある。
Model 525である。
このモデルは、タンノイのXO5000がいわばタンノイ専用モデルなのに対し、
いわゆる汎用モデルである。

Model 525は2ウェイ・3ウェイのデヴァイダーで、
二台用意してモノーラル使いにすれば4ウェイ・5ウェイ用となる。
そのためだろうか、XO5000にはある遅延機能(タイムアライメント)はない。

タンノイはスピーカー内蔵のネットワークでは、タイムアライメントをとっていない。
おそらくネットワークが複雑になるのを避けたのだろう。
かわりにXO5000を使ったバイアンプドライヴではタイムアライメントがとれるようにしている。

UREIはネットワークでタイムアライメントをとっている。
けれどModel 813をマルチアンプドライヴしようとしたら、
604-8Gに関しては内蔵ネットワークを使い、サブウーファーのみをバイアンプドライヴとするか、
内蔵ネットワークを使わずに3ウェイのマルチアンプドライヴとするのであれば、
当時市販されていたデヴァイダーではタイムアライメントがとれない。

対照的といえるコンセプトの違いである。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: the Reviewの入力

電子制御の夢(カセットデッキの場合)

the re:View (in the past)の更新を再開している。
といってもiMacは故障したままなのでテキストでの更新である。

昨日は井上先生のナカミチの1000ZXLの記事を入力していた。
ステレオサウンド 57号(1980年)の記事である。

このころからオーディオ機器の広告、記事に、マイコン搭載という文字が登場するようになった。
カセットデッキに最初に搭載されたマイコン(マイクロコンピューター)は、
4ビットだ、と聞いている。その後、6ビットのものを搭載した製品があらわれ、
1000ZXLになると、8ビット・マイコンが搭載されていて、
各部の調整が電子制御となっているのが特徴である。

この時代の8ビット・マイコンを、現在の家電に搭載されているCPUに置き換えたら……、
そんなことを入力しながら考えていた。

ナカミチという名前だけはまだ残っているようだが、
当時のナカミチという会社は、すでにない。
1000ZXLのようなカセットデッキを開発できるところは、いまではないだろう。
カセットテープに関しても、TDKのMA-Rレベルのものを製造できるところもないだろう。

だから単なる妄想にすぎないのだが、
いまも当時のナカミチに匹敵する会社があって、
そこが本気になって1000ZXLを超えるカセットデッキの開発を行ったら……。
そこに搭載するマイコン(いまではこんな表記は使わないけれど)は、
1000ZXLのそれとは比較にならないほど処理能力は高い。

いまなら、どこまでカセットテープの性能を引き出せるだろうか、と思うのだ。
あのころのナカミチの技術者が目指していながら実現できなかったところはあるはずだ。
いまの電子制御の技術があれば到達できるレベルがあったはずだ。

片方の技術が進歩すると、もう片方の技術の進歩は止ってしまうどころか、
退歩してしまうこともある。
ふたつの異る技術が融合することで素晴らしいモノがうまれるところにおいても、
そうであったりする。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: 井上卓也

井上卓也氏の言葉(その3)

井上先生はよくいわれていた。
「レコードは神様だ、疑うな」と。

このことは二度書いている。
何度か話したこともある。

そうすると反論みたいなものが返ってくる。
現実にはひどい録音があるじゃないか、と。

確かにそんな録音のものはある。
でもメジャーレーベルから出ていて、箸にも棒にもかからないほど、
どうしようもない録音はまずない、といえる。

たいていの場合、メジャーレーベルの録音がうまく鳴らない時は、
こちら側の問題であることが大半である。

井上先生は、同じように「スピーカーを疑うな」ともいわれた。
ここでも、ひどいスピーカーは確かにある。
けれど一般的に在る程度の評価を得ているスピーカーが、
まったくうまく鳴らないのであれば、鳴らし手の問題であることがほとんどだ。

スピーカーのせいにするな、とも続けていわれていた。

このふたつの井上先生の言葉を聞いて、
反論みたいなものを返してくる人の多くは、
オーディオの想像力が欠如している、といまでは思っている。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: audio wednesday

第73回audio wednesdayのお知らせ(アナログディスク再生・序夜)

喫茶茶会記のCDプレーヤーは、ラックスのD38uである。
このCDプレーヤー、音質のためなのだろうが、サーボのかけ方をあえて弱くしているようだ。
CD再生中はちょっと手が当っただけで音飛びがおこる。

先日も喫茶茶会記の店主・福地さんのおすすめのCDを鳴らしていたら、
途中で音飛びが連続して発生し、先へと進めない。
この時は手が当ったわけではなく、ディスクについたキズが原因だった。

盤面をみると、キズは多いが、
大半のCDプレーヤーならは音飛びせずに再生できる程度であり、
喫茶茶会記のもう一台のCDプレーヤーでは音飛びが発生することはない。

CDプレーヤーの初期のモデルは、サーボがかなり強くかけられていた。
けれどサーボがCDの音に与える影響がわかってくると、
サーボのかけ方を弱くするメーカーも出てくようになった。

それでもすべてのCDが再生できればいい。
けれど実際にはそうではない。
ならば盤面にキズをつけないように注意すれば済む話かといえば、
たとえばそういう盤面であっても、どうしても聴きたいCDを中古で見つけたならば、買ってしまう。
それがきちんと再生できないCDプレーヤーがあるわけだ。

それにCDの寿命の問題もある。
読み込めなくなったCDを持っている人もいる。

音質のためにサーボを弱くするのは理解できる。
けれど、世の中にはそれで再生できるCDばかりではない。

アナログディスク再生であれば、なんとかできるのに、
CDプレーヤーはいわばブラックボックス的であり、何の手も下せない。
せめてサーボの強弱をユーザーが選択できるようになっていれば、
キズの多いディスク再生時には、一時的にサーボを強くかけて、ということもできる。

でも、そんな機能はD38uにはない。
同じ趣旨のことを「井上卓也氏のこと(その25)」で書いている。

アナログディスク再生は、ブラックボックス的ではない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 17th, 2017
Cate: 数字

数字からの解放(その6)

別項を書くためにステレオサウンド 131号を、ここ数日手元に置いている。
パラパラとめくって、目に留った記事を読む。

勝見洋一氏の「硝子の視た音」を読んでいた。
     *
 こんなことで気分のすぐれない日々を送っていたら、フランスの美術館から写真の束が送られてきた。
 以前、私の本業である美術品の鑑定を受けた美術館からなので、興味深く写真を見つめてびっくりした。
 ほとんどが偽物である。
 写真を見ただけではっきりと判るくらいなのだから、よほど性質の悪いものなのだ。
 てっきり偽物美術展を冗談まじりでやるのかと思ったら、大まじめ、近ごろの鑑定人たちも質が落ちたものだ。
 写真と一緒に分厚い資料があった。中を見るとコンピューターを使った鑑定方法ばかりの結果だった。なるほど、原因はこれである。
 昔ならばその道の権威が自分のプライドをかけて良いといえばそれで済んでしまったことである。もし間違えれば世間で笑いもの。美術館の展覧会の鑑定を引き受けるということは真剣勝負そのものだった。
 ではなぜコンピューターによる鑑定が基本的な間違いを起こすのだろうか。これは単純な話である。
 コンピューターに入れたデータの上をいく偽物が増えてきたのだ。
 しかしコンピューターをだますために作られているのだから、経験のある人間の眼をだますためには作られていない。ひどくめちゃくちゃな偽物が、コンピューターの結果で本物になってしまう。まあそれ以上に、見る目がなくなった若い鑑定人たちが増え過ぎたということが原因なのだが、と言って溜飲を下げるのである。
     *
131号は1999年の夏号だ。
18年ほど前に出ている。

ここまでインターネットは普及していなかった。
個人のウェブサイトも数はそう多くはなかった。
SNSもなかった時代だ。

そのころ読んだ感想と、いま読んだ感想とでは、その点が違っている。
131号が出て以降、インターネットは急速に普及して、
さまざまな面をディスプレイを通して伝えてくる。

勝見洋一氏の文章は、そのままオーディオにいえることだ。
このことを強く感じている。

当時でも、測定結果・数値のみに拘泥する人たちはいた。
でも、それほどとは思っていなかったが、
インターネットの普及は、意外にもそういう人たちが少なくないことを伝えている。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その9)

システム全体の音をどこまで振れるか。
これはもうオーディオの想像力がなくてはできないことだ。

しかも反対方向にも振るのだから。
その反対方向がどの方向なのかを見定めるのも含めて、オーディオの想像力なくしては無理である。

トーンコントロール変化量は、上限も下限も、アンプによって決っている。
その範囲内だけでツマミを動かすだけ、ともいえる。
スピーカーユニットの位置決めもそういえなくもない。

ただしこちらは位置を動かすことは、
ウーファーとの相対的な位置関係が変化するだけでなく、
エンクロージュア上部への加重の掛かり方も変化していく。
それにともないエンクロージュアの振動モードが変化していく。

そのため物理的な位置の中間が、中点とは限らない。
とはいえ振り幅はわかりやすい、といえる。

オーディオの再生系には、こうした振り幅が各所にある。
かなりの数あり、その振り幅の組合せが、システム全体の振り幅なのだから、
これを把握しようとして、
すべての振り幅をひとつひとつ確かめて、順列組合せの数だけ確かめることは、
まず無理といえる。

順列組合せの数といっても、たいした数ではないじゃないか、
という人はセッティングというものがわかっていない。
実際はものすごい数になる。

仮に時間をかけて、順列組合せの数すべての音を確かめたとして、
それでシステム全体の振り幅がどのくらいなのかを把握できるとは限らない。

結局、システム全体の振り幅を見極めるのは、オーディオの想像力であり、
チューニングにはオーディオの想像力が必要だという理由でもある。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その8)

オーディオに興味を持ち始めたばかりの人が、
トーンコントロールやグラフィックイコライザーを調整しようとする際
おそるおそるツマミをいじるのではなく、
大胆にいじったほうがいい、とは昔からいわれている。

トーンコントロールならば、ツマミを右に左にまわしきる。
トーンコントロールはBASS(低音)とTREBLE(高音)、ふたつのツマミがある。
同時にふたつのツマミをいじるのではなく、どちらかをいじる。

BASSだとして、まず右にまわす(左でもかまわない)。
徐々にではなく、右にまわしきる。
つまりいっぱいまで上げた音を聴く。
そして反対方向にまわしきる。下げきった音を聴く。

両端に振り切った音を確認する。
そして中点にあたる音(トーンコントロールの0ポジション)を聴く。
この後で変化量を少なくしていく。

自作スピーカーで、中高域がホーン型であれば、
その位置決めはおろそかにできない。
前後に移動したり、左右に移動したりする。

前後に移動する場合も、左右に移動する場合も、
基本はトーンコントロールと同じである。

いちばん前にもってきた音を聴く、
それからいちばん後にした音を聴く、
それから中間の音を音を聴く。

つまり振り子を思いきり左右に振ってみることで見えてくる「点」がある。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: audio wednesday

第73回audio wednesdayのお知らせ(アナログディスク再生・序夜)

2月1日のaudio wednesdayは、アナログディスク再生をやる。
具体的にどんなことをやるのかは決めていないにも関わらず、
モノーラルLP再生の回もやりたいと考えている。

昨年3月のaudio sharing例会では、モノーラルCDを聴く回をやった。
JBLのホーン2397にスロート2329を使うことで、
一本のホーンに二発のコンプレッションドライバー2441を取りつけての音出しだった。

ウーファーはアルテックの416-8Cで、左右のエンクロージュアを近接させて、
その上に2441二発というシステム構成だった。

LCネットワークではなく、モノーラルということなので、
マッキントッシュのMA2275の左チャンネルをウーファーに、
右チャンネルをトゥイーターにふりわけてのバイアンプドライヴとした。

アナログディスク再生・序夜の次回は、同じことをアナログディスクでやりたい。
モノーラルLPにしぼって、2441二発のシステムで、バイアンプドライヴというシステムである。

2月1日のaudio wednesdayは、ガラードの401にオルトフォンのSPUとRMG309の組合せによる。
かけるのはステレオLPが主になる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 16th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その7)

何をやったのかを具体的に書かないのは、
1月4日に喫茶茶会記における音の変化を聴いていない人に、
どれだけ細かく書いたところで意味がない、と思っているからだ。

仮に具体的に書いたところで、同じことを読んだ人がやったところで、
同じにはならない。
なぜかといえば、同じことをやったつもりでも、同じようなことでしかないことが大半だからである。

私がやったことと同じことができる人ならば、
すでにやっているか、どんなことをやったのかがおおよそ想像がつくはずだ。

それに喫茶茶会記のスピーカーは、いわゆる自作スピーカーに類するモノである。
既製品のスピーカーシステムに応用できることもあれば、そうでないこともある。

私は、その場に来てくれて、そこでの音の変化を感じ取ってくれた人には、
出し惜しみはしない。
訊かれたことにはできるだけ答えるようにしている。

それでも、そこでやったことをそのまま、
その人がその人のシステムに応用できるかは別の話である。

重要なのは何をやったかではないから、
ここで具体的なことは書かないだけである。

「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」の七曲目にしぼって、
チューニングをすすめていった。

最初にやったことが効いた。はっきりとした手応えだったから、次にとりかかれる。
ここで 三段階の音を聴いてもらう。
次にまた別のことをやる。
ここでも三段階の音を聴いてもらった。

こうすることで、演奏の場の感じが変っていく。
秩父ミューズパーク音楽堂での録音である。
このホールには行ったことはない。

ウェブサイトによれば、定員600人の大きさのホールである。
スピーカーのチューニングをするまでの音では、
どこで録音したんだろうか、と思っていた。
録音データはその時点では見てなかった。

チューニングをやっていくと、能の舞台のように感じられてきた。

Date: 1月 15th, 2017
Cate: 書く

毎日書くということ(7000本をこえて感じていること)

昨年のうちに7000本目を書いた。
10000本まで書くことを、目標としている。
10000本書いたら、少しは達成感を得られるのだろうか。

ちょうど半分の5000本目は2014年のうちに書いている。
けれど半分まで来た、という実感はなかった。
2015年に6000本目を書いた時も同じだった。

2016年12月に7000本目を書いて、やっと半分まで来た、と感じられた。
数字的には2/3をこえている。
けれど残り1/3を切って、ようやく、あと半分、という感じなのだ。

残り3000本弱で書く内容を、
これまで書いてきた7000本と同じにすること。
つまりそれだけ凝縮した内容にすること。
そのことをどこかで意識しているから、ようやく半分という感じなのだろう。

そうでなければ10000本目に達成感はないのかもしれない。

Date: 1月 15th, 2017
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その6)

話を1月4日のことに戻そう。

ディスクを決めて、ボリュウムの位置もいっさいいじらず、
①の音から⑧の音まで聴いてもらった。

同じディスクでそのまま続けることも考えたが、
気分転換を兼ねて、セッティング、チューニングとは関係なく、
他のディスクを聴いてもらった。

そして常連のHさんが持参されたCD「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」をかける。
まず一曲目を聴いて、七曲目を聴いた。

七曲目を聴いてもらい、いま鳴っている音をどうしたいか、
不満はどこにあるのかを、Hさんにきいた。

こうしてほしい、という要望があった。
その点は、私も感じていたことであり、
それが録音によるものなのかがはっきりとしていなかった。

どこをいじる。
三つほどすぐに浮んだ。
三つすべてを一度にいじるのではなく、まず最初にどこにするのか。

これはほぼ直感的に決めた。
スピーカーのところに行き、わずかなところを変える。
時間はほとんど掛からない。左右のスピーカーに対して行っても、30秒程度のことである。

傍で見ていると、何をやっているのかはっきりとしない、
その程度のことを変えてみた。

これだけのことであっても、音の変化ははっきりと、大きかった。
不満と感じていたところがかなり解消された。

これにはHさんも、かなり驚かれた。
①から⑧までの音の変化を聴いてきて、さらに驚かれた。

同じ状況でどこをいじるのかは人によって違ってくる。
私は、ここだ、と感じたところをいじったわけだ。
それは直感であり、
これまでのセッティングとチューニングの経験とオーディオの想像力によって裏打ちされた直感である。

Date: 1月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その22)

オーディオの想像力の欠如によって、オーディオの音色の表現が失われつつある。

Date: 1月 14th, 2017
Cate: ベートーヴェン

パウル・クレー「造形思考」

パウル・クレーの「造形思考」のことは、
川崎先生のブログで知った。

ちくま学芸文庫から上下二巻で出ている。

目次のあとに、あった。
     *
アングルは静止を秩序づけたといわれる。
わたしはパストを越えて
運動を秩序づけたいと思う。

パウル・クレー 1914年9月
     *
ベートーヴェンを理解するためにも読むべき本だと感じた。