Archive for 8月, 2016

Date: 8月 12th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その25)

トランスはプリミティヴなパーツである。
にも関わらず理想に近いトランスの実現は不可能であり、
トランスほど、優れたモノとそうでないモノとの差は大きい。

抵抗やコンデンサー、コイルといったパーツよりも、その差は大きい。
しかもきちんと使いこなすためには、意外にもノウハウが必要となる。

それに良質のトランスは昔から高価でもあった。
真空管アンプの出力インピーダンスをただ単に下げるだけなら、
ライントランスを使うよりも終段の真空管をカソードフォロワーにしたほうが、
コスト的に安くなるし、性能的にも優れたなのになる。

それでもあえてトランスを選択する人がいる。

オーディオに興味をもった40年前。
最初に疑問に感じたのは、なぜアンプにしても、すべてのオーディオ機器はアンバランスなのか、
ということだった。

オーディオ信号は交流である。
交流はプラスとマイナスが反転する。
ということはプラスとマイナスは同条件の必要がある。
そうでなければ行って帰ってくることができないのではないか。

まだアンプの動作に関しても何も知らない13歳の私はそんな疑問をもった。

そして次に考えたのは、もっともわかりやすいモデルを考えた。
つまりカートリッジがスピーカーをドライヴすると、という最も単純なモデルである。

イコライザーカーヴがあるのは知っていたけれど、ここでは単純化のために無視する。
とにかくカートリッジが非常に高能率で、スピーカーも同じように高能率である。
カートリッジの出力をそのままスピーカーにつなげば、きちんとした音量と音質が得られる。
そういう、現実には在りえないモデルを想像したうえで、あれこれ考えていった。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)

ハフィントンポスト日本語版に、鳥越俊太郎氏のインタヴュー記事が公開されている。

そこでの鳥越氏の発言に、こんなのがあった。
     *
あなたたち(ハフポスト日本版)には悪いんだけれど、ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている。メールは見ますけれど、いろんなネットは見ません。
     *
同じといえる会話を、
十年ほど前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことを思い出していた。

人を待っていたので、会場のB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。

誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
このふたりは、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。

確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。

それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その3)

そろそろアナウンスがあってもいいんじゃないか、と期待していることがある。
コルグが開発した真空管Nutubeの出力管版である。

昨年1月の発表から一年半以上が経ち、Nutubeを搭載した試作機の試聴会も行われているようだ。
オーディオメーカーからコルグへの問合せも多いようだ。
秋にはなんらかの製品が登場してくるであろう。

それから一般市販も期待したいところである。
と同時に、ぜひとも開発してほしいのが、出力管の開発だ。
Nutube同様、直熱三極管を開発してほしい、と一方的に思っている。

Nutubeの電源電圧は5Vから80Vとなっている。
もしNutubeの出力管が登場したら、低電圧からの動作も可能になるのではないだろうか。
内部インピーダンスはどの程度になるだろうか。
私が勝手に期待しているスペックで出てくれれば、
管球式OTLアンプの設計がずっと楽になるはずである。

OTLアンプでなくとも、出力トランスの一次側インピーダンスをかなり低くできる可能性もある。
それにNutubeのヒーターは電圧0.7V、電流17mAで、
Nutubeの出力管も従来の出力管よりもずっと低いヒーター電圧と電流に抑えられれば、
出力管のヒーターの定電流点火も現実味を帯びてくる。

暑い夏、真空管アンプは休ませているというオーディオマニアも少なくない。
確かにこれだけ暑い夏だと、発熱量の多い真空管アンプ、
それもOTLアンプは涼しくなるまで、この音を聴くのはがまんしよう、
という気持になるのはごく自然なことかもしれない。

けれど出力管までNutubeで構成できれば、発熱の多さをあまり気にしなくもよくなる。
しかもオール直熱三極管でパワーアンプを構成できる。
もっとも古典的な構成を、もっとも現代的な真空管を使って実現できるようになる。

コルグがNutubeの出力管の開発に取り組んでいるのかどうかは、まったく知らない。
でも、まったく考えていない、取り組んでいないとも思えないのだ。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その7)

カスリーン・フェリアーのバッハ/ヘンデルのアリア集を聴きたい、とも、
デコラを聴いた時に思っていた。

いまもデコラで、この愛聴盤を聴きたい、と思う。

フェリアーのこの録音はモノーラル録音であり、
ずっとモノーラル録音の盤を聴いてきた。

けれどフェリアーのアリア集は、
バックのオーケストラのみをステレオ録音にしたレコードも出ている。
デッカともあろうものが、なんと阿呆なことをするものだと、
そのレコードの存在を知ったときには思っていた。

だから手にすることもなかった。聴いてもいない。
けれど、ひさしぶりに、或るところでデコラと対面した。
ターンテーブルが不調でレコードを聴くことはできなかったけれど、
丁寧に磨き上げられた、そのデコラを眺めているうちに、
そうなのか、デッカは、もしかするとデコラでフェリアーを鳴らすために、
わざわざオーケストラをステレオ録音に差し替えて出したのか……、と思っていた。

デッカのデコラは、最初はモノーラルだった。
その後、1959年に、ここでデコラと書いているステレオ・デコラが登場した。
だから本来ならばデコラと書いた場合は、モノーラルのデコラであり、
ステレオのほうはステレオ・デコラとするべきである。

にも関わらず私にとってデコラは、ステレオ・デコラであり、
モノーラルのデコラについて話すときは、モノのデコラと言ったりしてしまう。

本末転倒だな、とわかっていても、
そのくらい、私にとってデコラとはステレオ・デコラのことであり、
それはデッカの人たちにとってもそうだったのかもしれない、
と気づかせてくれたのが、フェリアーのオーケストラ差し替え盤だった。

Date: 8月 11th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その6)

金が欲しい!

私もデコラの音に触れたときに、そう思っていた。
デコラを買えるお金だけではなく、デコラを置ける部屋をも用意するだけのお金が欲しい!、
と思った。

五味先生は
《デッカ本社の応接室で、あの時ほどわたくしは(金が欲しい!)と思ったことはない。》
と書かれている。

これまでに数々のオーディオ機器を聴いてきて、欲しいとおもったことはある。
その欲しいと思ったオーディオ機器を手に入れるために、金が欲しい! と思ったこともある。
でも、デコラを聴いたときほど、金が欲しい! と思ったことはない。

初めて聴くことができたデコラは、満足のいく感興ではなかったにもかかわらず、
私にそう思わせた。
同時に、S氏(新潮社の齋藤十一氏)は、デコラだったからあの方法、
コレクションから追放していくレコードを決めていけることに気がついた。

文字の上では、齋藤十一氏がデコラだということは知ってはいた。
デコラの音がどういう音であるのかも文字の上では或る程度は知っていたし、想像していた。

それでも、哀しいかな、そこでとまっていた。
それ以上は、実際にデコラの音に触れて、気づいたわけだ。

Date: 8月 10th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その5)

五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」から、
デコラの音についてのところを拾っていこう。
     *
新潮社のS氏が、多分、五味康祐氏の英国本社での試聴報告をうけて買われた。西条卓夫氏が聴きに行かれたのでその結果をお訊ねすると、「君、あれはつくった音だよ」とおっしゃる。もうこれは買おうと思いました。人為的というのは文明のあかしです。
(中略)
 アウトプット・トランスといっても、ごく小さなものですし、回路図なども若い技術屋さんにお見せすれば、多分失望すると思います。ただ、私はちょっと考えが別でして、やはりそれなりに考えていると感じているんです。というのは、カートリッジがデッカ以外にかかりませんから、例えばゲインコントロールの位置一つとっても、プリアンプの最後に設けてあったりする。ですからSN比がいいですし、途中の適当なところで絞るというのじゃありませんから、他の装置で聴いてて具合が悪いようなレコードをかけても、振動系のよさもあってスッと通してしまう。このへんは見事です。
(中略)
 そういえば、モノーラルやSPの復刻盤、こういったソースをいま流の周波数レンジの広い装置で聴くと、ぼけてしまって、造形性というか彫りがなくなってしまんですね。ところがこのデコラですと、ひじょうにカチッとしている。まったくへたらないでいて、決してかたくはない。冬の日だまりで聴いているみたいな、ホワッとした感じがあります。
 池田圭氏曰く、「ハイもローも出ないけど諦観に徹している」、大木忠嗣さん曰く、「これは長生きできる音だなぁ」。まさにその通りの音だと思います。
 いま流の装置で、たとえばジャック・ティボーの復刻盤などを聴くと、何か、一つ楽興がそがれるようなところがある。デコラの音を一種楽器的な要素があるというむきもありますが、米ビクトローラWV8−30とか英HMV♯202や♯203のような手巻き蓄音器のティボーの音色とデコラの音ははひじょうに近い。
(中略)
 じゃ、いい、いいっていったって、一体どんな音なんだといわれますと、表現がちょっと難しいんです。再生装置の音を表現するのに五味康祐氏はよく「音の姿」だとおっしゃいましたね。やはり亡くなった野口晴哉氏は、口ぐせで「何も説明しなくてよいのに。黙って聴かせてくれればいいのに」など、テクニカル・タームを一切まじえずに表現され、「まじめな音」がいいとおっしゃった。
 デコラを言葉でなにか慎重に選ぶとすると、「風景」ということばを使いたいですね。ぼくは聴いていて「風景」が見えるような感じがするんですよ。ラウンド・スコープといいますか、決して洞窟的な鳴り方ではない。強いて人称格でいえば、やはり男性格じゃなくて、これは女性格だと思います。それ若くはない、少し臈たけた感じの女性……。
 冬に聴いていますと、夜など、雪がしんしんと降り積もっている様子が頭にうかびます。夏に聴けば、風がすーっと川面を渡っていくような感じ、春聴けば春うららっていうような感じ。自分の気持のもちようとか四季のうつりかわりに、わりと反応する気がする。
 池田圭氏も夏に聴きにこられて「庭をあけたら景色とよく合う、こんなのはめずらしい」といわれましたんで、ぼくだけがそう感じるというのじゃないと思います。
 レコードを聴きながら、いつも景色を見せてもらっている。逆にいうと音から季節感のようなものが感じとれる。それがデコラのよさでしょうね。音の細さとか肉がのっているとか、姿がいいとかいえないわけじゃなりませんが、「風景がみえる」というのが、やはりぼくは最もふさわしい表現だと思います。
     *
こういう音を聴かせてくれるデコラに、
五十嵐一郎氏は《聴いたあと、一人で拍手をしたり電蓄に向っておじぎを》される。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その4)

ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurには、
五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」が載っている。
カラーページを含めて10ページの、デコラだけのページである。

デコラに関して知りたい人がいまもいるならば、まずこの記事を読むことをすすめる。
こんな書き出しで始まる。
     *
 コンポーネント全盛のこの時勢に、やれ電蓄だの蓄音器が欲しいといって、いささか回りの人たち顰蹙を買っているんですが、レコード音楽を聴き込めば聴き込むほど、装置全体の忠実度の高さとかリスナーとの整合性とは全然関係ない、つまり自分の体験した出来事に基づいた想い、を知らず知らずのうちに聴いていることにある日気づいたんです。やはり、「音がいいだけじゃ、つまらぬ」といいたいなぁ。私がまた、「音楽を聴くのに、何よりもシチュエーションが大事」と痛感するようになってきたことも、名器なるものを意識するようになった動機の一つだと思います。
     *
いまもコンポーネント全盛の時代である。
電蓄の時代よりも、コンポーネント全盛の時代のほうが、ずっと長い。
これからもしばらくはコンポーネント全盛の時代が続いていくはずだ。

21世紀の電蓄は、たとえばリンが目指している方向もそのひとつといえるようが、
リンの人たちは、いま彼らが取り組んでいることを「21世紀の電蓄」と呼ばれたいのか、とも思うし、
個人的にも、あの方向を電蓄とは呼びたくない。

デコラはS氏のところに到着したときに、三台輸入されている。
このことは五味先生も書かれているし、五十嵐氏も書かれている。
そのうちの一台は毀れていた。

一台はS氏(新潮社の齋藤十一氏)のところに、
もう一台の行方を五十嵐氏は探され見つけだし、入手されている。
シリアルナンバー11番のデコラである。

となると齋藤十一氏のデコラもシリアルナンバーは近いのか。
「デコラにお辞儀する」によると、
デコラは、デッカ・スペシャル・プロダクト部門によって百台作られたとのこと。

何台現存しているのか。
そのうち何台が日本で鳴っているのだろうか。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その2)

JBLの4300シリーズのスタジオモニターには、トゥイーターに2405が使われていた。
4333、4341、4343、4344、4345、4350、4355などがそうである。
4333、4343などはウーファーは2231Aシングルで、中高域のドライバーの2420。
それに対して4350、4355になるとウーファーはダブルになり、ドライバーは2440(2441)になる。

同じ4ウェイの4343と4350をもう少し細かく比較してみると、
ウーファーは同じ2231Aのシングルとダブルの違いがあり、
ミッドバスは2121と2202の違いがる。
このユニットの違いは、磁気回路を含めて比較すると口径差以上に大きいといえる。

そしてミッドハイのドライバーの違い。
2420のダイアフラム口径は1.75インチに対して、2440(2441)は4インチ。
この違いは、4343と4350の使用ユニットの違いでもっとも大きいといえよう。

ダイアフラムの口径の違いは面積の違いでもあり、
面積の違いは動かせる空気量の違いでもあり、
面積の違い以上に空気量の違いは大きくなる。

ダイアフラムがこれだけ大きくなれば、それに応じて磁気回路も物量が投じられ、
カタログ値では2420は5kg、2440は11.3kgとなっている。

これらの違いにより、音圧ではなくエネルギー量についていえば、
4350は4343の二倍以上を楽に出せるわけで、実際に聴き比べた経験のある方ならば、
わかっていただけよう。
井上先生も、よくこのエネルギー量の違いについては話されていたことも思いだす。

下三つのユニットがこれだけ違うのに、トゥイーターは4343も4350も2405と同じである。
4350では2405がダブルで使われているわけではない。
これは2405の力量が、それだけ高いといえるし、
4343や4333などではまだまだ余裕を持って使われていた、ともいえよう。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: ワイドレンジ
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JBL 2405の力量(その1)

8月3日に行った「新月に聴くマーラー(Heart of Darkness)」では、
トゥイーターとしてJBLの2405をつけ加えた。

アルテックの416-8CとJBLの2441+2397の2ウェイは6dBスロープの直列型ネットワークを構成。
あくまでもこの2ウェイに、2405をスーパートゥイーターとして、最初から使う考えだった。
ようするに2441の高域をカットすることなくそのまま出している。
そこに2405をコンデンサーのみで低域をカットして、
このアルテックとJBLの混成2ウェイに並列に接続する、というもの。

これでうまくいかないときには直列型ネットワークによる3ウェイにすることも考えていたが、
すんなりこれでうまくいった。
時間があれば、じっくり両者を比較して、ということもできるが、
時間に制約があるため今回は直列型ネットワークの3ウェイは試していない。

2405には、0.47μFと0.22μFのコンデンサーを並列に接続して使用した。
容量は0.69μFとなる。今回の2405のインピーダンスは16Ωだから、計算してみてほしい。
2405のカットオフ周波数は、一般的な使われ方の二倍ほど高い周波数にしている。

このカットオフ周波数がベストとはいわない。
これも時間があればこまかくコンデンサーの容量を変えていって、ということをやりたかったが、
そんな時間はとれなかったので、直感で決めただけの値でしかない。

しかも今回もコントロールアンプにマークレビンソンのLNP2を使い、
トーンコントロールを活用したうえでの、聴感上のバランスでうまくいった、
というか問題が生じなかった、ということである。

なので今回の使い方をそのままやられてもうまくいくかどうかはなんともいえないが、
こういう接続方法もあることだけは知ってほしい。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その3)

plain soundingを、どう言葉で表現するかは、うまくできていない。
いまいえることは、つい先日別項「夏の終りに(その4)」に書いた薬物ドーピング的アクセサリーを拒否した音は、
はっきりとplain soundingといえる。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その4)

ハイルドライバーのオリジネーターといえるESSは、
1980年にフラッグシップモデルTransar Iを出した。

ステレオサウンド 57号の新製品紹介に登場している。
岡先生が記事を書かれている。
60号の特集にも登場している、この大型システムは3ウェイ+サブウーファーをとる。

サブウーファーは30cm口径のコーン型で、90Hz以下を受け持っている。
90Hz以上の帯域はすべてハイルドライバー(AMT)が受け持つ。

Transar I登場以前のESSのスピーカーシステムのクロスオーバー周波数は、
850Hzがもっとも低かった。
ハイルドライバーのサイズの小さなシステムでは、1.2kHz、1.5kHz、2.4kHzとなっている。

つまりTransar Iは、従来のハイルドライバーの受持帯域を3オクターヴ以上、低域側に拡大している。
1kHz以上、7kHz以上を受け持つハイルドライバーは従来の構造のままだが、
90Hzから1kHzを受け持つハイルドライバーの構造は、言葉だけでは説明しにくい。

57号の岡先生の記事によれば、中低域用ハイルドライバーの高さは実測で86cmとなっている。
かなり大型で、記事では5連ハイルドライバーとなっている。
詳細を知りたい方はステレオサウンド 57号か、インターネットで検索してほしい。

ハイルドライバーを使ったスピーカーシステムをあれこれ考えていた私は、
いったいどこまでハイルドライバー(AMT)に受け持たせられるのか、
インターネットで各社のAMTの資料をダウンロードしては特性を比較していた。

現在、大型のAMTを単売しているのは、ドイツのムンドルフである。
高さ12インチの製品までラインナップされている。
ここまで大きければ、かなり下までカバーしていると期待したものの、
実測データを見ると、がっかりしてしまう。

ESSのハイルドライバーがあのサイズで850Hzまで使えるのに……、と思ってしまうほどに、
ムンドルフのAMTはサイズの割には……、といいたくなる。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その3)

無線と実験が創刊されたのは、1924年(大正13年)である。
無線と実験と誌名からわかるように、創刊時はオーディオの雑誌ではなかった。

私が読みはじめたのは1976年か’77年ごろからで、
そのころはすっかりオーディオの技術系、自作系の雑誌であった。

無線と実験と同じ類の誌名をもつものにラジオ技術がある。
こちらは1947年(昭和22年)の創刊である。
ラジオ技術も私が読みはじめたころはオーディオの技術系、自作系の雑誌だった。

無線と実験とラジオ技術は、オーディオ雑誌の、この分野のライバル誌でもあった。
ラジオ技術は1980年代にはいり、オーディオ・ヴィジュアルの方に力を入れるようになって、
面白い記事がなくなったわけではないが、全体的には無線と実験の方をおもしろく感じていた時期もある。

無線と実験はいまも書店で買えるが、
ラジオ技術は書店売りをやめてしまった。
ラジオ技術という会社名もなくなってしまった。
通信販売のみであり、ラジオ技術は廃刊してしまったと思っている人もいないわけではない。

いまは無線と実験よりもラジオ技術の方が面白い。
ラジオ技術の内容を禄に読みもしないで、馬鹿にする人も知っているが、
どうしてどうして、面白い記事が載っているものである。

もちろんすべての記事がそうだとはいわないけれど、
ラジオ技術は応援したくなる良さを見せてくれることがある。

無線と実験はラジオ技術とは違い、安定路線とでもいおうか、
ラジオ技術を読みもしないで馬鹿にするような人でも、
無線と実験に対してはそうでなかったりする記事づくりである。

ムラは少ない、ともいえる。
けれど、その分、面白いと感じることが少なくなってもいたところに、
2015年1月号から始まったハイルドライバーの自作記事は、
ひさびさに、いい意味で無線と実験らしい記事だと思わせた。

Date: 8月 8th, 2016
Cate: 五味康祐

近頃思うこと(五味康祐氏のこと)

五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。

もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。

「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。

マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。

七年前、別項「五味康祐氏のこと」の(その5)で書いたことを再掲した。
五味先生の洞察力の凄さはに関しては、いまもそう感じている
その五味先生がこんなことを書かれている。
     *
人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない。
(「妓夫の娘」──或るホステスの自殺 より)
     *
近頃、この一節を何度も頭のなかでくり返している。

Date: 8月 7th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その3)

「五味オーディオ教室」の次に読んだのは、
「オーディオ巡礼」におさめられている「英国デッカ社の《デコラ》」だった。
     *
 英国デッカ社に《デコラ》というコンソール型のステレオ電蓄がある。
 今の若い人はデンチクとは呼ぶまいが、他の呼称をわたくしは知らないから電蓄としておく。数年前、ロンドンのデッカ本社を訪ねた時に、応接室で、はじめてこの《デコラ》を聴いた。忘れもしない、バックハウスとウィーンフィルによるベートーヴェン『ピアノ協奏曲第四番』だった。
 周知のとおり、あの第二楽章は、いきなり弦楽器群がフォルテで主題を呈示する。そのユニゾンがわたくしは好きで、希望して掛けてもらったわけだが鳴り出しておどろいた。オーケストラのメンバーが、壁一面に浮かびあがったからだ。
 応接室は、五十畳くらいな広さで、正面の壁の中央に《デコラ》が据えてあった。日本の建物とちがって天井は高い。それにしてもコンソール型のステレオ電蓄から出る音が、壁面にオケのフルメンバーを彷彿させるあんな見事な音の魔術を私は曾て経験したことがない。蓄音機が鳴っているのではなくて、無数の楽器群に相当するスピーカーが、壁に嵌めこまれ、壁全体が音を出しているみたいだった。わたくしは茫然とし、これがステレオというものか、プレゼンスとはこれかとおもった。
 弦のユニゾンは、冒頭で、約十五秒間ほど鳴って、あとに独奏のピアノが答える。ここは楽譜にモルト・カンタービレと指定してあり、弱音ペダルを押しっぱなしだが、その音色の、ふかぶかと美しかったことよ。聴いていてからだが震えた。
 私事になるが、わたくしは、《デコラ》が聴きたくてロンドンへ渡った。それまでのわたくしの関心は西独にあった。シーメンスかテレフンケン工場を見学すること、出来ればテレフンケンへステレオ装置をオーダーすることであった。工場は見学できたがオーダーの希望は果せなかった。そのかわり、「テレフンケンがベンツならサーバ(SABA)はロールスロイス」と噂に高いSABAの最高ステレオ(コンソール型)を買った。おかげで、パリに着いたときは無一文で、Y紙の特派員に金を借りてロンドンへ飛んだのである。
 《デコラ》が英グラモフォン誌に新発売の広告を出したのは、一九五九年四月号だったとおもう。カタログには「将来FM放送がステレオになった時、ステレオで受信することが可能である」と書かれてあったので、是非とも購入したいと銀座の日本楽器に頼んでみたが手に入らなかったのだ。それで渡欧したとき(一九六三年秋)《デコラ》を試聴することも目的の一つだった。
(SABAなんぞ買うんではなかった……)
 デッカ本社の応接室で、あの時ほどわたくしは(金が欲しい!)と思ったことはない。
 ところで《デコラ》には、楕円型のウーファー(8×12インチ)のほかに1.5インチの小型スピーカー十二個がそれぞれ向きを変えておさめてある。EMIのスピーカーらしい。方向を変えてあるのは指向性を考えたからだろう。クロスオーバーは何サイクルか分らないが、周波数特性は三〇から三〇、〇〇〇サイクルとなっている。アンプは出力各チャンネル十二ワット、歪率一%、レスポンス四〇〜二五、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dB。けっして特に優秀なアンプとは言えない。カートリッジもデッカのMI型を使用してあり、レンジが四〇〜一六、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dBだという。
 ターンテーブルはガラードの三〇一型で、現在なら、この程度の部品はオーディオ専門店にごろごろしている。しかも壁面にオーケストラ・メンバーが居並ぶ臨場感で音を出す装置にお目にかかったことはない。
 これはどういうことか。
     *
これを読んで、ますます聴きたくなった。
デッカのデコラは、いったいどんな音を聴かせてくれるのか。
想いは募るばかりだった。

五味先生は、デッカがデコラを発表したことは、渡英の前からご存知で、
《一九五九年春に、英国デッカが〝デコラ〟を発売した。英グラモフォン誌でこの広告を見て、わたくしは買わねばなるまいと思った》
と「わがタンノイの歴史(「西方の音」所収)」で書かれている。

日本楽器に取り寄せてくれるよう依頼されている。
けれど日本楽器はなかなか輸入してくれない。カートリッジやアンプなどと違って、
一台の完成品として電蓄の輸入は、当時はそうとうに難しいことだったようだ。

《三年余がむなしく過ぎた》と「わがタンノイの歴史」に書かれている。
もし当時の輸入に関する状況が違っていたら、
1959年には五味先生のところにデコラが到着していたことだろう。

結局そうはならなかった。
日本に最初に入ってきたデコラは、S氏のところに到着している。
「わがタンノイの歴史」を読んで、(その1)に書いたS氏の方法は、
デコラだったからこそ……、ということに思い到った。

Date: 8月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その50)

ステレオサウンドは、1990年代後半になって新雑誌をいくつか創刊している。
オーディオ関係では管球王国、
料理関係でワイン王国、料理王国である。

誌名に王国がついている。
王国がついているのを見て、
私はステレオサウンド 50号の原田勲氏の編集後記を思い出していた。
     *
 一人の熱心なオーディオ愛好家としての私が、読みたくて渇望したオーディオ誌。その夢を「ステレオサウンド」に托して、自ら本誌を創刊したのは十三年前だった。輝けるオーディオの国に王子を誕生させる心意気で私は創刊号に取組んだ。連日の徹夜で夢中になって造ったのを、つい昨日のように思い出す。
     *
王子のところには傍点がふってある。

ステレオサウンドの創刊から約三十年後に、王国とつく雑誌を複数創刊している。
原田勲氏自身、50号の編集後記に王子と書いたことは忘れてしまって、
管球王国とかワイン王国とつけたのかもしれない。
それともはっきりと憶えていたうえでの「王国」なのか。

王国ということは、王様ということか。
王子が王様になったということなのか。

1966年当時、王子はステレオサウンドというオーディオの本そのものだったはずだ。
それが時が流れ、王様になったということなのか。
それとも別の何かが王様なのか。

王様は城に住む。
どういう城を築きあげたのか。
その城の元、国はどういう繁栄を遂げたのだろうか。

争心あれば壮心なし、という言葉がある。
五十年前の王子には壮心があった、と私は思っている。

会社を大きくし、他の出版社と競争していくことで壮心を失ってしまった……のか。
だとしたら、壮心を失った王子は、どんな王様になったのだろうか。
その王様が治める国は……。